失われた学派《白紙年代記》序
歴史とは、
書かれたものの集積ではない。
書かれなかったものの、影だ。
忘却は、偶然じゃない。
それは――
誰かの“選択”の結果である。
この頁に刻まれるのは、
消された世界の、
最後の声。
この世界の歴史には、“不自然な空白”がある。
王族が編纂した正史は、必ず同じ書式で始まる。
「アウレア崩壊後、ネクサスは再生された」
そう記し、以後の年代は細密に並ぶ。
復興年、建国年、王位継承、都市再建。
石板に刻まれた文字は、どれも均一で、感情の影がない。
だが、その“起点”の直前――
世界が壊れた理由だけが、どこにも書かれていない。
火山の噴火でも、天変地異でもない。
魔王でも、神でもない。
あらゆる史書は、
“崩壊は起きた”とだけ記し、
“なぜ起きたか”を語らない。
まるで、そこだけが意図的に削り取られたかのように。
白紙年代記とは、
この“欠落”に気づいた者たちの手で記された、
正史に存在しない歴史書の総称である。
著者は名を残していない。
記号も、署名もない。
だが、共通する言葉がある。
> 「世界は、偶然では壊れない」
この一文は、異なる遺構の壁や、
焼け焦げた紙片、封印された水晶板にまで刻まれていた。
まるで、同じ声が、時代を越えて響いているかのように。
彼らは、崩壊を“事故”ではなく、
“構造の必然”として捉えた。
白紙年代記は、断片でしか残っていない。
祠の地下、封印された文庫、
崩壊都市の瓦礫の奥、
王族が“回収”し損ねた遺構。
どれも、正式な記録からは消されている。
触れれば、粉のように崩れる紙もあった。
だが、内容は一致していた。
> 世界は、循環している。
> 終わりは、次の始まりのために“用意”されている。
> そのための“装置”が、祠である。
彼らは、祠を神聖視しなかった。
救済とも、奇跡とも呼ばなかった。
代わりに、こう定義した。
> 「世界の選別機構」
滅びに際し、
適合した者だけを“内側”へ隔離し、
残りを“外側”へ切り捨てる。
その過程で、
世界は一度“白紙”に戻される。
――だから、年代記は白紙なのだ。
そして、最も異様な一文がある。
> 「この構造を破壊する鍵は、
> 祠の“外”に置かれた」
学派は、その“鍵”を探し続けた。
刻印を持つ者。
影に導かれる者。
世界と“噛み合わない”存在。
彼らは、その存在をこう呼んだ。
> “誤差”
白紙年代記は、
最後の頁で、こう締めくくられている。
> 「世界を延命させる檻は、
> いずれ“内側”からではなく、
> “外側”から壊される」
だが、その“外側”に立つ者の名は、
まだ、どこにも記されていない。




