影と夢
眠りは、
休息ではない。
それは、
自分自身と向き合うための“入り口”だ。
逃げたものほど、
夢の中で、はっきりと名を呼ぶ。
夜は、静かすぎた。
焚き火の音が遠くで弾けているはずなのに、
アイラの耳には、何も届いていない。
まぶたを閉じた瞬間、世界の“重さ”だけが残った。
深い、深い闇。
息を吸うたび、胸の奥が冷える。
どこまでも続く黒の中に、
かすかな足音が、ひとつ、響く。
「……また、ここか」
声は、自分のもののはずなのに、どこか違う。
空気は冷たく、肌に貼りつく。
足元には影が広がり、地面のように揺れていた。
《目を逸らすな》
低く、近い声。
その響きは、耳ではなく、胸の内側に落ちてくる。
アイラは、ゆっくりと振り返る。
そこには、“影”がいた。
いつも肩にいる、小さな存在ではない。
それよりも遥かに大きく、
人の形をした、黒い輪郭。
「……あなたは、誰」
影は、わずかに首を傾ける。
その動きに合わせ、周囲の闇が波打つ。
《“お前”だ》
言葉が、胸の奥に突き刺さる。
「違う。私は……」
続きは、声にならなかった。
足元の闇が、波のようにうねり、
冷たい感触が、足首を包む。
影が、一歩、近づく。
距離が縮むほど、息が詰まる。
《選んだのは、お前だ》
《世界も、犠牲も、すべて》
遠くで、鈍い鐘の音が響く。
その音に呼応するように、背中の刻印が熱を帯びた。
「……やめて」
影は、微笑むように歪む。
輪郭が、ゆらりと崩れた。
《忘れているだけだ》
その瞬間、
闇が、爆ぜた。
視界が反転し、
空と地が入れ替わる。
アイラは、膝をついた。
冷たい地面に、指先が触れる。
息が、苦しい。
胸が締めつけられる。
《お前は、“終わらせる者”だった》
影の声が、頭の内側で響き続ける。
「……嘘だ」
だが、胸の奥で、何かが“軋む”音がした。
それは、
“思い出そうとする心”だった。
地面に膝をついたまま、アイラは荒い呼吸を繰り返していた。
胸の奥に溜まった冷気が、吐く息とともに白く滲む。
闇は、霧のように足元から立ち上り、
指先や頬に、冷たい膜のように触れてくる。
ここが“夢”だと、頭では分かっている。
だが、足元の感触も、胸の痛みも、あまりにも生々しかった。
影は、ゆっくりと距離を詰めてくる。
その輪郭の奥で、別の“気配”が脈打つ。
《……聞こえるか》
声は、影ともルクとも違う。
深く、古く、胸の奥を直接震わせる響きだった。
空が、ひび割れるように歪む。
闇の奥から、巨大な“影”が浮かび上がる。
王の玉座のような形をした、黒い残像。
その存在感だけで、空間が押し潰されそうになる。
アイラは、直感で理解した。
――ヴェイン。
《選択を繰り返した世界の、歪みだ》
影が語る。
それは責めるでも、慰めるでもない、ただの“事実”。
「……私は、世界を壊す存在なの?」
声は震え、だが逃げなかった。
影は、首を横に振る。
《“壊す”のではない。“終わらせる”選択を持つ者だ》
ヴェインの残像が、微かに揺れる。
《だが、終わりは必ずしも、絶望ではない》
その言葉が、胸に落ちる。
痛みと同時に、わずかな温度を残して。
アイラは、ゆっくりと立ち上がった。
足元の闇が、静かに引いていく。
「……私は、まだ選んでない」
影は、初めて微笑むように歪んだ。
《なら、歩け》
闇が、ほどける。
遠くで、淡い光が差し込む。
アイラは、目を覚ました。
胸に残ったのは、
“恐怖”ではなく、問いだった。




