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刻印戦記アウレア ~愛した貴女の最後の言葉を、私は信じている~  作者: 叶詩


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3/5

変わらない朝

昨日と同じ光が、

同じ世界を照らしている。


けれど、人はもう

昨日の場所には立っていない。


変わらない朝ほど、

残酷なものはない。

 朝の光は、残酷なほどにやさしかった。焚き火の灰はまだ温かく、森の空気は澄みきっている。昨日、崩壊都市で“世界が削れた”ことなど、何ひとつ語らない顔で、朝は訪れた。


 アイラは目を覚まし、しばらく空を見つめていた。夢は見なかった。だが、胸の奥に“空白”の感触が残っている。息を吸うたび、どこかが欠けているような感覚。それが現実だと、身体だけが理解していた。


 肩の影が、ひょいと顔を出す。


 《おはよう。世界は無事だよ。今日も続いてる》


 「……皮肉?」


 《事実》


 焚き火のそばでは、イリスが簡単な朝食を用意していた。パンと乾燥果実。ありふれた匂いが、逆に胸を締めつける。ノエルは少し離れた場所で剣を磨いている。視線は刃に落ちたまま、こちらを見ない。


 「……ノエル」


 呼ぶと、彼は顔を上げ、短く頷いた。


 「行くぞ」


 それだけ。距離は、昨日より一歩ぶん遠い。


 森を抜ける道は、どこまでも平穏だった。小鳥の声、風に揺れる枝。変わらないという事実が、かえって不気味だ。


 《ねえ》と影が囁く。

 《人は、壊れた翌日ほど“普通”を演じるんだ》


 「……知ったふうな口、やめて」


 《知ってるから言ってる》


 道の先、霧の向こうに人影が見えた。祠へ向かう街道の分岐にある、小さな集落だ。


 門の前で、鎧姿の一団が通行人を調べている。背や腕を露わにさせ、紋様の有無を確かめているのが分かる。


 イリスが息を呑む。


 「……王族の私兵」


 ノエルの表情が、一瞬だけ硬くなった。


 《来たね》と影が笑う。

 《“回収”の時間だ》


 アイラは背中に、微かな熱を感じた。まだ目覚めてはいない。だが確かに、内側で“応え”が蠢いている。


 兵士の声が、朝の空気を切り裂いた。


 「刻印の兆候を見逃すな。該当者は――」


 その続きを、アイラは聞かなかった。


 足を、前へ踏み出す。


 昨日と同じ空。

 同じ道。

 同じ仲間。


 それでも、もう戻れない。


 世界は、静かに追いかけてきていた。


 門前の空気が、ぴんと張り詰めた。

 兵士の列が左右に分かれ、通行人を一人ずつ前へ出させている。粗い手つきで外套をめくり、腕や背を確かめ、異変がなければ無言で退かせる。その所作は機械のようで、感情の揺らぎがない。


 「次」


 低い声が、アイラたちに向けられた。

 ノエルが一歩前へ出ようとする。その瞬間、背中の奥がちくりと疼いた。


 《近い》

 影が小さく身をすくめる。

 《……嫌な匂い》


 イリスが、かすかに首を振った。

 “待って”の合図だ。


 兵士の一人が、こちらを見据える。

 視線が、アイラの背に落ちた瞬間――


 熱が、走った。


 布の下で、刻印が脈打つ。

 “見られた”と、身体が理解する。


 《……来るよ》


 影の声が低くなる。


 兵士の目が、鋭く細まった。

 「……止まれ」


 周囲の私兵が、一斉に構えを取る。

 剣、槍、魔導具。

 そのすべてが、アイラに向けられた。


 イリスが一歩踏み出す。

 「待って。私たちは旅の――」


 「該当者を確認」

 指揮官らしき男が、冷たく遮った。

 「刻印反応、陽性。確保対象だ」


 空気が、凍る。


 ノエルが前に立つ。

 「……通してもらう」


 「拒否権はない」


 兵士が踏み込んだ、その刹那――

 地面の影が、揺れた。


 《ああ……やっぱり》


 影の声が、甘く歪む。


 足元から、黒が滲み出す。

 細く、しかし確かに、アイラの影が“立ち上がる”。


 「……アイラ!」


 イリスの声が、遠い。


 兵士が魔法を放つ。

 火花のような光が、正面から迫る。


 言葉が、喉に集まる。

 だが――唱えない。


 代わりに、ノエルが剣を振る。


 刃が、光を弾き、地面に火花が散った。

 兵士が後退し、二人が間に割り込む。


 「行け!」


 ノエルの声に、迷いはなかった。


 イリスが詠唱を始める。


 「芽よ、伸びよ。捕らえよ――《グリーン・バインド》」


 蔦が地面を割り、兵士の足を絡め取る。

 だが、指揮官は動じない。


 「構わん。囲め」


 影が、再び蠢いた。

 背中の刻印が、熱を帯びる。


 《ねえ》

 影が囁く。

 《また“選ぶ”の?》


 アイラは、歯を食いしばる。


 「……違う」


 影が、楽しそうに笑った。


 《同じだよ。守るために壊す。

  壊すために守る》


 兵士の槍が、ノエルへ向けて突き出される。

 その背中を見た瞬間――


 昨日の“空白”が、胸に蘇った。


 “失う”という予感。


 ――選ばなければ。


 アイラは、息を吸う。

 言葉は、まだ出さない。


 代わりに、一歩前へ出た。


 影が、足元で“形”を持つ。


 闇は、まだ叫ばない。

 だが、確かにそこに在る。


 指揮官が、短く告げた。


 「――制圧」


 その瞬間、

 世界は、再び選択の縁に立った。

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