変わらない朝
昨日と同じ光が、
同じ世界を照らしている。
けれど、人はもう
昨日の場所には立っていない。
変わらない朝ほど、
残酷なものはない。
朝の光は、残酷なほどにやさしかった。焚き火の灰はまだ温かく、森の空気は澄みきっている。昨日、崩壊都市で“世界が削れた”ことなど、何ひとつ語らない顔で、朝は訪れた。
アイラは目を覚まし、しばらく空を見つめていた。夢は見なかった。だが、胸の奥に“空白”の感触が残っている。息を吸うたび、どこかが欠けているような感覚。それが現実だと、身体だけが理解していた。
肩の影が、ひょいと顔を出す。
《おはよう。世界は無事だよ。今日も続いてる》
「……皮肉?」
《事実》
焚き火のそばでは、イリスが簡単な朝食を用意していた。パンと乾燥果実。ありふれた匂いが、逆に胸を締めつける。ノエルは少し離れた場所で剣を磨いている。視線は刃に落ちたまま、こちらを見ない。
「……ノエル」
呼ぶと、彼は顔を上げ、短く頷いた。
「行くぞ」
それだけ。距離は、昨日より一歩ぶん遠い。
森を抜ける道は、どこまでも平穏だった。小鳥の声、風に揺れる枝。変わらないという事実が、かえって不気味だ。
《ねえ》と影が囁く。
《人は、壊れた翌日ほど“普通”を演じるんだ》
「……知ったふうな口、やめて」
《知ってるから言ってる》
道の先、霧の向こうに人影が見えた。祠へ向かう街道の分岐にある、小さな集落だ。
門の前で、鎧姿の一団が通行人を調べている。背や腕を露わにさせ、紋様の有無を確かめているのが分かる。
イリスが息を呑む。
「……王族の私兵」
ノエルの表情が、一瞬だけ硬くなった。
《来たね》と影が笑う。
《“回収”の時間だ》
アイラは背中に、微かな熱を感じた。まだ目覚めてはいない。だが確かに、内側で“応え”が蠢いている。
兵士の声が、朝の空気を切り裂いた。
「刻印の兆候を見逃すな。該当者は――」
その続きを、アイラは聞かなかった。
足を、前へ踏み出す。
昨日と同じ空。
同じ道。
同じ仲間。
それでも、もう戻れない。
世界は、静かに追いかけてきていた。
門前の空気が、ぴんと張り詰めた。
兵士の列が左右に分かれ、通行人を一人ずつ前へ出させている。粗い手つきで外套をめくり、腕や背を確かめ、異変がなければ無言で退かせる。その所作は機械のようで、感情の揺らぎがない。
「次」
低い声が、アイラたちに向けられた。
ノエルが一歩前へ出ようとする。その瞬間、背中の奥がちくりと疼いた。
《近い》
影が小さく身をすくめる。
《……嫌な匂い》
イリスが、かすかに首を振った。
“待って”の合図だ。
兵士の一人が、こちらを見据える。
視線が、アイラの背に落ちた瞬間――
熱が、走った。
布の下で、刻印が脈打つ。
“見られた”と、身体が理解する。
《……来るよ》
影の声が低くなる。
兵士の目が、鋭く細まった。
「……止まれ」
周囲の私兵が、一斉に構えを取る。
剣、槍、魔導具。
そのすべてが、アイラに向けられた。
イリスが一歩踏み出す。
「待って。私たちは旅の――」
「該当者を確認」
指揮官らしき男が、冷たく遮った。
「刻印反応、陽性。確保対象だ」
空気が、凍る。
ノエルが前に立つ。
「……通してもらう」
「拒否権はない」
兵士が踏み込んだ、その刹那――
地面の影が、揺れた。
《ああ……やっぱり》
影の声が、甘く歪む。
足元から、黒が滲み出す。
細く、しかし確かに、アイラの影が“立ち上がる”。
「……アイラ!」
イリスの声が、遠い。
兵士が魔法を放つ。
火花のような光が、正面から迫る。
言葉が、喉に集まる。
だが――唱えない。
代わりに、ノエルが剣を振る。
刃が、光を弾き、地面に火花が散った。
兵士が後退し、二人が間に割り込む。
「行け!」
ノエルの声に、迷いはなかった。
イリスが詠唱を始める。
「芽よ、伸びよ。捕らえよ――《グリーン・バインド》」
蔦が地面を割り、兵士の足を絡め取る。
だが、指揮官は動じない。
「構わん。囲め」
影が、再び蠢いた。
背中の刻印が、熱を帯びる。
《ねえ》
影が囁く。
《また“選ぶ”の?》
アイラは、歯を食いしばる。
「……違う」
影が、楽しそうに笑った。
《同じだよ。守るために壊す。
壊すために守る》
兵士の槍が、ノエルへ向けて突き出される。
その背中を見た瞬間――
昨日の“空白”が、胸に蘇った。
“失う”という予感。
――選ばなければ。
アイラは、息を吸う。
言葉は、まだ出さない。
代わりに、一歩前へ出た。
影が、足元で“形”を持つ。
闇は、まだ叫ばない。
だが、確かにそこに在る。
指揮官が、短く告げた。
「――制圧」
その瞬間、
世界は、再び選択の縁に立った。




