揺らぐ女神
信じるということは、
正しさを選ぶことじゃない。
それでも、隣に立つと決めることだ。
迷いは、弱さじゃない。
それは“問い続ける力”だ。
森を抜けた先、開けた高台に出たとき、風が一気に冷たくなった。
空は澄み、遠くの山並みが薄く霞んでいる。
その向こうに、王族が築いた復興国家の城壁がそびえていた。
白く磨かれた塔が朝日に反射し、
まるで“正しさ”そのものが形になったように輝いている。
城壁の内側では、人々が忙しなく行き交い、
子どもが笑い、商人が声を張り上げ、
何事もなかったかのように、日常が営まれていた。
イリスは、その光景から目を離せずにいた。
胸の奥が、わずかに痛む。
「あの中にも……選ばれなかった人がいる」
誰に向けた言葉でもない。
ただ、心に溜まった疑問が、声になっただけだった。
アイラは、黙って彼女の隣に立つ。
背中の刻印が、微かに疼き、
ルクが小さく揺れた。
ノエルは、遠くを睨む。
「王族は、守っている“つもり”なんだ」
その言葉に、イリスは小さく首を振る。
「……守る、って言葉で包んでるだけよ」
風が、三人の間を通り抜ける。
冷たい空気が、肌を撫でた。
そのとき、城壁の影から、数人の影が現れた。
整った足取り、揃えられた装束。
王族の斥候だ。
だが、武器を構える様子はない。
その無防備さが、かえって不気味だった。
「……話し合い、だと?」
ノエルの声に、警戒が滲む。
斥候の一人が、一歩前へ出た。
胸の紋が、淡く光る。
「白環位の命です。
“女神”殿に、伝えたい言葉がある」
その呼び方に、イリスの胸が、わずかに揺れた。
“女神”――
その言葉は、今や重く、冷たい。
彼女は、一歩前へ出る。
「……聞くだけなら」
だがその背後で、アイラが静かに呟いた。
「イリス……信じたいんだよね」
イリスは、答えなかった。
視線を城壁に戻す。
それでも、足は止まらない。
斥候たちは、城壁へと続く細い坂道を指し示した。
石畳は整えられ、崩壊の痕跡は意図的に消されている。
だが、隙間に残る焦げ跡や歪みが、かつての惨禍を静かに語っていた。
歩くたび、靴底に伝わる硬さが、ここが“再生された場所”であることを否応なく思い出させる。
門の内側に入ると、空気が変わる。
清潔で、穏やかで、どこか“作られた”匂い。
外の冷たい風が、嘘のように遮断された。
白環位の使者は、歩調を緩め、静かに言った。
「あなたは、世界を導く光です。
だが、光は“闇”を切り離さねば、世界を照らせない」
イリスの胸が、きしむ。
その言葉の奥に、計算された温度を感じ取った。
「切り離す……それが、犠牲だと言うの?」
「“選別”です」
言葉は柔らかい。
だが、意味は刃だった。
「祠は、世界を“調律”する座。
刻印を宿す者は、その歯車です」
アイラの背中の刻印が、ひり、と熱を帯びる。
皮膚の奥で、脈が跳ねた。
ノエルは、無意識に拳を握りしめる。
「……俺たちは、モノじゃない」
使者は、視線を逸らさずに言った。
「感情は、誤差です。
誤差を排すことが、維持なのです」
沈黙が、重く落ちる。
イリスは、ゆっくりと息を吸った。
胸の奥に渦巻く迷いを、言葉に変えるために。
「……それでも、私は切らない」
その声は、震えていた。
だが、確かだった。
「誰かを犠牲にして成り立つ光なら、
私は、その光でありたくない」
使者は、ほんの一瞬だけ目を伏せる。
そして、淡々と告げた。
「……では、あなたは“管理の外”に出ます」
それは、宣告だった。
城壁の外で、風が鳴る。
遠くで鐘が、低く響いた。
イリスは、振り返らない。
信じることを、選び続けるために。




