歯車たち
世界は、誰かの意志で動いているように見える。
だが本当は、
意志は歯車に砕かれ、
歯車はまた、別の歯車に噛み合っている。
ここにいる者たちは、
世界を“支配”しているわけではない。
ただ――
止める権利を、持っていないだけだ。
白い回廊に、音はなかった。
足音すら、吸い込まれるように消える。
床は鏡のように磨かれ、天井には淡い光が走っている。
壁一面に刻まれた紋は、王族の象徴ではない。
ここは、祈りの場でも、裁きの間でもない。
命令が流れるための通路。
ただそれだけの場所だった。
空気は澄みきり、冷たい。
だが、その静けさは安らぎではなく、
“何も留めない”ための無音だった。
蒼環位の魔導士が一歩進み出る。
胸の紋章が淡く光り、報告の言葉が機械のように落ちた。
「対象番号、A-09。刻印反応、安定域を逸脱」
誰の名でもない。
誰の人生でもない。
ただの“番号”。
紅環位の女が視線を上げる。
「位置は?」
声音には、ためらいも怒りもない。
そこにあるのは、正確さだけだった。
「第七区を離脱。
同行者二名。
干渉リスク、上昇」
言葉は淡々と並べられる。
だが、その一行の裏には、
“消される可能性”が無数に含まれている。
白環位が、ゆっくりと立ち上がった。
ローブの裾が床を撫でる音すら、ここでは響かない。
「回収を優先」
「“損耗”は許可する」
その一言で、幾つの命が“誤差”に変わるのか。
誰も数えようとしない。
蒼環位が、一瞬だけ息を呑む。
指先が、わずかに震えた。
だが、すぐに頭を下げる。
「了解」
命令は、感情よりも速く体を動かす。
それが、この場所で生き残る唯一の方法だった。
紅環位の女が、視線を落とす。
「……番号で呼ぶのは、いつも通りですか」
ほんの一瞬、
そこに“問い”の色が滲んだ。
だが、白環位は答えない。
代わりに、壁の紋が淡く光る。
そこに浮かぶのは、
刻印を宿す者たちの“一覧”。
名前はない。
あるのは、数値と適正値、
生存確率と回収優先度。
それだけで、
人の価値が測られていた。
「世界は、調律されねばならない」
白環位の声が、回廊に落ちる。
「感情は、誤差だ」
歯車は、回り続ける。
誰が壊れても、止まらない。
そして――
次の命令が、静かに降りていった。




