私の不完全
パラドックス回廊を離れた後、知性界の航路は根本的な転換を遂げた。これまで理層を穿つ時に感じた揺れ、歪み、方向感覚の喪失は、今や全て消失していた。それに代わったのは、絶対的に平滑な流動感、まるで完璧な媒質に包まれ、等速で伝送されているかのようだった。
光も音も触感もない。あるいは、全ての感覚入力が純粋な概念のレベルへと昇華されたと言える。美玲は、自身が常識的な認識を超越した何らかの通路を通り、知性界において「最終境界」と呼ばれる領域へ向かっていることを悟った。
転送が終わった時、彼女は一片の純白の中に立っていた。
これは雪原の白でも、光の白でもなく、概念としての白、存在の絶対的な下地だった。ここには方向も境界もないが、不思議なことに美玲は何らかの構造を「感じる」ことができた。彼女は見えない道の上に立っていることを「知って」おり、前方に何らかの中心が存在することを「知って」おり、ここにある全てが最も厳密な論理的必然性に従っていることを「知って」いた。
これが絶対理型層、あるいは「純粋理型の座」と呼ばれるものだ。万有理窟が全てを包容するとすれば、ここは全ての究極的な解答が存在する場所。根源織庭が潜在的な青図を織り成すとすれば、ここはその青図が最終的に審閲され確立される聖殿である。
美玲はゆっくりと前進した。彼女の移動に伴い、周囲に事物が「顕現」し始める、しかし物質的な形態ではなかった。彼女は完全な幾何学体を「見た」、目で見るのではなく、その全ての数学的性質の集合を直接知覚した。彼女は抽象概念(例えば「正義」)の人格化した顕現に「遭遇」した、その存在自体が論理的に自己完結した完全な論証だった。彼女は幾つかの永遠の真理(例えば「二点間は直線が最短である」)が概念の景観の中に山脈のように横たわり、動かず、証明を要しないことを感知した。
ここの住人、もし「住人」という言葉が使えるなら、は理型執政官だ。それらは通常の意味での形体を持たず、一つ一つの発光する概念核であり、それぞれがある領域における最も純粋で、根本的で、完璧な「イデア形式」を代表している。「円形」を代表する執政官は、円形の絶対的理想そのものであり、「悲劇」を代表する執政官は、悲劇の本質の完全な体現である。
美玲が通り過ぎる時、これらの理型執政官は好奇や警戒を示さず、それらはただ「存在」しているだけで、真理そのものが通行人に反応する必要がないかのようだった。しかし美玲は、自分が審視されていると感じた、視線によってではなく、何かより深層の、「存在正当性」に関する論理プログラムによって評価されていると。
そして、道の前方に変化が現れた。
真っ白な概念空間が凝縮し、隆起して、長大な階段を形成した。階段の一段一段は実体ではなく、論理的必然性の連環によって編まれ、踏みしめる感触は「反論の余地ない正しさ」だった。階段は高所に浮かぶプラットフォームへと通じており、その上にある唯一の物体は、ひとつの椅子。
いや、それは椅子ではない。
それは王座だった。
絶対的真理によって鋳造され、必然の論理によって彫琢され、純粋形式によって構成されている。それは空席でありながら、「何らかの存在によって占拠されるべき」という絶対的な気配を放っていた。これが純粋理型の座、知性界の至高理念の象徴であり、理論上、全ての根本理型を統べる存在のみがそれに座る資格がある。
美玲は本能的に知った。自分が探す答えは、王座の近くにあるか、あるいは王座が代表するものと深く関わっていると。
彼女は階段を登り始めた。一段上がるごとに、何らかの「浄化」を感じた。伊藤美玲という個人に属する、偶然的で不完全な特質が、剥ぎ取られていくかのようだった。彼女の人間としての記憶、感情、そして「親友を探す」というその執着さえも、このような純粋な環境の中では、完璧な白布にあってはならない染みのように映る。
「汝は純粋化されねばならない。」
声が響いた。特定の方向からではなく、美玲の存在認知の中に直接響いた。その声には感情がなく、ただ絶対的な明瞭さがあった。
「汝は至高の女神の欠片でありながら、偶然性に絡みついている。起源の座に近づくには、これらの不完全な付着物を脱がねばならない。」
美玲は足を止め、同化されようとする感覚に抵抗した。彼女は手首の安寧の糸を強く握りしめた。紡ぎ庭の綴理民の母娘からの贈り物が、今、温かな光量を放ち、「伊藤美玲」という自己認識を確固たるものにするのを助けていた。
「私は純粋化など必要としない。」彼女は虚空に向かって、そして自らの心の中にも語りかけた「私の感情、私の記憶、私の不完全さ、これらは取り除くべき不純物ではなく、私が私である理由だ。私は雪の少女の一部だが、それ以上に私はまず伊藤美玲なのだ。」
階段が微かに震動した。この「非論理的」な答えへの反応のようだった。しかし美玲は登り続けた......。




