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Deeps  作者: 蒼乃謙十郎
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第5話「背後」

夕ヶ丘駅跡から帰宅した後も、愛美の頭の中には、あの足跡と録音の声が焼きついていた。


「こえを、ちょうだい……」


礼子の声――少なくとも、そう“感じた”声。その現象は幻覚でも妄想でもなかった。音声データとして確かに残っている。


彼女はすぐさま、音声解析ソフトを立ち上げた。音声波形、周波数、反響特性、全てが現実に存在する「音」であることを示していた。


「これは……ただの残響じゃない。発声源が、ある」


しかも不可解なことに、声の背景に微かに水音が混じっている。それは録音中に聞こえたパチャンという水音とは明らかに異質で、もっと奥深い、泡の弾けるような音だった。


その音の位置を視覚化し、周波数の階層をたどっていくと、奇妙なことに気づいた。音の構造が、まるで“誰かが耳元でささやく”かのように、二重化されていた。


(これ……ステレオじゃない。片耳からしか……)


右耳のチャンネルだけに現れる、水音混じりの微声。その音は、最後に一言こう囁いていた。


《……まってる……》


愛美は背筋に寒気を感じ、思わず椅子を蹴った。


その夜、愛美は一睡もできなかった。何度もノートを見返し、録音を再生し、礼子の過去を調べ直す。


そしてある一点に目が止まった。


礼子の転校前、1年生のときに通っていた小学校――その学校は、現在は閉鎖され、地域センターに転用されている。地元では心霊スポットとして有名で、水害のたびに「何かが出る」と噂されていた。


その名は、「谷原第一小学校」。


愛美は再び現地に赴く決意を固める。


---


翌朝、愛美は谷原の旧市街に向かった。天気は相変わらず鈍く曇っていたが、湿気は昨日よりさらに重たく感じられた。


谷原第一小学校は、道路脇の石碑だけが名残を留めていた。鉄柵の隙間から見える校舎は、今は自治会の備蓄倉庫や会議室として使用されているが、休日のため人影はなかった。


敷地に足を踏み入れた瞬間、またあの“鳴るような空気”が押し寄せてきた。


(ここだ……)


校舎の裏手には小さなプール跡があった。水は抜かれて久しく、苔に覆われた底が見えている。


愛美が近づこうとしたとき、不意に携帯が震えた。


──非通知。


通話ボタンを押すと、すぐに微かなノイズ。そして、あの声。


《……わたし、ここにいる……》


電波を拾っていないはずの場所で、誰がどこから……?


その時、プールの底が“揺れた”。


一瞬だけ、表面が水を張ったように波打ち、何かが中から覗き込んだ。


女の子の顔――かろうじて目鼻の輪郭が認識できたが、すぐに揺らめいて消えた。


愛美は心臓を掴まれるような圧迫感の中で、思わず後ずさる。


だが、逃げるわけにはいかなかった。


彼女は録音機を再び起動し、プールの縁にマイクを向ける。


「ここは、朝霧礼子が幼少期を過ごした場所の一つ……不可解な音声と視覚情報を記録中……」


そのとき、風が吹いた。


校舎の窓がカタリと揺れ、開いた。


開け放たれたその窓の奥、廊下の突き当たりに、誰かが立っていた。


白いワンピース。長い髪。


愛美がマイクを向けた瞬間、再び携帯が震えた。


今度は、動画ファイルが届いた。


差出人は、またしても「菊地恵」。


《さっき、家の窓の外で撮った。これ……あなたの後ろに映ってない?》


動画には、愛美が谷原第一小学校に入っていく様子が映っていた。明らかに数十メートルの距離から、望遠で撮られたもの。


だが、その背後。


校門の鉄柵の向こうに、白い影が立っていた。


それは、礼子によく似た“誰か”だった。


だが顔は、ぼやけて見えない。


《もう、止まらないかもしれない……》


菊地のメッセージは、そう締めくくられていた。

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