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記憶と真実の香港:変化の先に希望と未来、そして自由を求めて

作者: 香港夜猫

この一冊は、ある猫の目を通して語られる、香港という街の「真実」の物語です。彼の名はギン。この活気ある、しかし時に切ない街の空気を、四十五年もの間、肌で感じて生きてきました。彼の記憶の中には、まばゆいばかりの栄光の時代もあれば、胸を締め付けるような悲しみと、そして深い怒りに震えた日々もあります。


近年、香港を取り巻く情報は、様々な思惑によって都合よく切り取られ、歪められています。何が真実で、何が嘘なのか、見分けることが困難な時代です。そんな中、ギンは一匹の猫として、彼自身の体験と、彼がこの街で見て、感じて、苦しみ、そして心から愛してきた記憶のすべてを、ありのままに語り継ぐことを決意しました。


彼が語るのは、決して耳障りの良いだけの美談ではありません。しかし、そこには、香港という特別な場所で育まれた文化、人々の勤勉さ、そして何よりも自由を求める魂の輝きが描かれています。それは、この街が歩んできた道のりであり、今、直面している現実であり、そして、未来へのかすかな希望の光でもあります。


この物語が、皆さんの心に小さな波紋を広げ、「本当の香港」とは何かを考えるきっかけとなることを願っています。そして、願わくば、この複雑で、しかし間違いなく美しい街の魂の一部に、触れていただけたなら、筆者としてこれ以上の喜びはありません。


さあ、ギンの声に耳を傾け、彼の記憶の旅路に、どうぞご一緒ください。

目次

序章:伝えたい事

第1章:私が初めて見た中国、そして香港との違い

第2章:香港の栄光と変遷:私の記憶の中の歴史

第3章:暗黒時代の始まり:返還と「一国二制度」の崩壊

第4章:香港の現状と未来への視点

終章:香港への祈り


登場人物

ギン

この物語の語り手であり、主人公。香港に暮らして四十五年になる、短足のチャトラ猫。好奇心旺盛で、時にちょっぴりお調子者な一面もあるが、胸の奥には香港への深い愛情と、真実を伝えたいという強い情熱を秘めている。

若かりし頃に中国本土で経験した数々の苦い記憶が、彼の香港への思いをより一層強くしている。変化していく街の姿に寂しさを感じつつも、決して希望を捨てず、未来を見据えようとする、根っからの香港っ子。赤い首輪についた鈴は、香港の国旗の形に輝き、彼のアイデンティティとこの街への誇りを象徴している。彼の言葉は、香港の複雑な歴史と、そこに生きるにゃんこたちの喜怒哀楽を、飾らない「真実」として語りかけてくる。


ゆい

ギンの相棒。白い毛並みがスマートな、クールで理知的なメス猫。常に冷静沈着で、物事を客観的に捉えることができるため、感情的になりがちなギンを時に諭し、時に導く存在。首輪についた「ゆ」の字の鈴が、彼女の冷静な思考の合図のように、小さくカランと鳴る。

感情をあまり表に出さないタイプだが、ギンの情熱や、香港の未来への思いには深い理解を示し、彼を陰ながら支えている。彼女の言葉は、物語に冷静な視点と深みを与え、読者が香港の現状と歴史を多角的に理解する手助けとなる。ギンにとって、ゆいはただの相棒ではなく、心の拠り所であり、真実を語る旅の欠かせない伴侶である。


本編


### 序章:伝えたい事


香港に住まうこと、四十五年。俺、この街の空気ってやつを、ずっと肌で感じてきたんだニャ。活気も、喧騒も、静寂も、そして胸を締め付けるような悲しみも、全部。


最近、街のあちこちで、若いにゃんこたちがスマホを覗いては、ぺちゃくちゃと香港のことについて語り合ってるのを見かける。「聞いた話だけどさ、香港って昔はもっと自由だったらしいニャ」「えー、でもテレビではそう言ってないニャよ?」なんて声が、風に乗って俺の耳に届く。テレビやネットで流れてくる情報が、この街の真実だと思ってるんだろう。


「まったく、またデマを真に受けてるわ。ああいう適当な情報にはうんざりするわね。」


俺の相棒、白い毛並みがスマートなゆいが、冷たい目つきでそう呟いた。彼女はいつも冷静で、物事の本質を見抜く。首輪についた「ゆ」の字の鈴が、カランと小さく鳴った。


「うーん、でも、どれが本当で、どれが嘘なのか、よくわからニャいニャあ。俺だって、全部を知ってるわけじゃニャいし…」


俺は短足の体を揺らしながら、正直に言った。ゆいはため息をついて、くるりと俺の方を向く。彼女が大好きだ。でも、いつもクールで、ちょっとツンツンしてるから、なかなか素直な愛情表現をしてくれない。


「そういうギンも、ちゃんと考えているのかしら? いい加減な発言をするくらいなら、黙ってなさい。」


耳が痛いニャ……。ぐうの音も出ない。だけど、彼女の言う通りだ。世の中には、都合よく切り取られたり、歪められたりした情報が溢れている。特に、この香港の過去や、そこに生きるにゃんこたちの記憶を、ろくに理解せずに語られる言葉には、腹わたが煮えくり返るような苛立ちを感じていた。俺の心臓が、ドクン、ドクンと音を立てる。黙っているわけにはいかない。


「だ・か・ら! ギンが、本当の香港のこと、教えてあげるんだニャ!」


俺は、そんな情報操作や無責任な発言を黙って見過ごすわけにはいかなかった。尻尾をピンと立てて、ゆいに胸を張る。ゆいは少し呆れた顔で俺を見つめるが、俺の情熱が伝わったのか、少しだけ目を細めた。「仕方ないわね」とでも言いたげな、いつもの表情だ。


俺がこの本で伝えたいのは、特定の誰かのためのプロパガンダでも、耳障りの良いだけの美談でもない。ただ、この地で息づき、日々変化し続ける香港の「真実」を、この俺、ギンの主観というフィルターを通して、ありのままに伝えたいんだニャ。


この本で語られるのは、俺の個人的な体験と、それに基づいて考えたことばかりだ。だから、きっと全ての読者から賛同を得られるわけじゃないし、「違うニャ!」って文句を言いたいにゃんこもいるだろう。でも、ここに書かれている言葉の一つ一つは、この街で俺が実際に見て、感じて、時には苦しんで、そして、心から愛してきた記憶の積み重ねなんだ。


この一冊を通じて、お前たちが「本当の香港」って何なのか、少しでも考えるきっかけになってくれたら嬉しいニャ。そして、願わくば、この街の複雑で、だけど美しい魂の一部に触れてくれることを、心から願っているんだニャ。


---


### 第1章:私が初めて見た中国、そして香港との違い


俺、ギンがこの本で伝えたいのは、ただのエンターテイメントなんかじゃない。それは、この香港で四十五年間生きてきた俺の記憶と、俺の主観をフィルターに通した「真実」だ。その真実を語る上で、まず避けて通れないのは、俺が初めて足を踏み入れた中国本土で目にした光景、そして経験した数々の出来事だろう。それは、この香港とは全く違う、強烈な現実を突きつけるものだった。


初めて中国に降り立った時、空港を出た瞬間のことだ。香港の雑踏とは違う、どこかどんよりとした空気に包まれているのを感じた。そして、たった十歳にも満たない、小さなにゃんこの子供たちが、一〇匹から二〇匹も、俺を囲んできたんだ。彼らの目は、幼いながらもどこか虚ろで、必死にお金を要求してきたのを覚えている。汚れた毛並み、痩せた体。俺は思わず、その小さな頭を撫でてやりたい衝動に駆られた。その哀れな瞳が、俺の心を締め付けた。


「ちょっと、待ちなさい!」


同行していたチャトラの香港人の友人が、素早く俺の腕を掴んで止めた。彼の体格は俺と同じくらいだが、表情はいつも賢そうだ。彼の強い制止に、俺はハッと我に返った。


「彼らの皮膚に病気があるかもしれないから、触らない方がいいニャ。それに、もし何か施してやりたいなら、お金じゃなくて、今すぐ食べてなくなるものにしなさい。お金を渡しても、彼らを支配する組織の懐に入るだけだニャ。」


俺は言われるがまま、近くの屋台で串に刺さった果物を全員に一本ずつ渡した。子供たちは、飢えた獣のようにそれを奪い合い、あっという間に食べ尽くした。友人は、その光景を冷めた目で見つめながら、さらに衝撃的なことを呟いた。


「あの屋台も、実は彼らの見張り役を兼ねた、同じ組織の人間なんだニャ。」


背筋がゾッとした。冷たい汗が背中を伝う。これが百年前の話じゃない。たった二十年前、俺が実際に経験した出来事なんだ。香港の自由な空気とは、まるで違う世界がそこにはあった。


人民元での支払いは、当時、俺にとってはまさに命がけのギャンブルだった。一度、タクシーに乗った時のことだ。香港ドルしか持っていないと伝えて、運転手も「大丈夫だニャ」と頷いたから、安心して目的地へ向かっていた。窓の外の景色は、どこか殺伐としていて、香港のネオンとはまるで違う。ところが、車がある場所で突然止まったかと思うと、どこからともなく三匹の男にゃんこがタクシーの周りに集まってきたんだ。運転手と彼らが何やらコソコソ話している。車内には異様な緊張感が漂い、俺は完全に身動きが取れなかった。一体どこだかも分からない、見慣れない場所。この状況で警察に通報したところで、助けが来るまでに命の危険すらあると感じた。心臓が、ドクン、ドクンと激しく脈打つ。


だから、俺はその両替に応じるしかなかった。案の定、奴らが差し出したのは、触っただけでわかるような粗悪な偽札だった。ざらざらとした手触り、薄っぺらな紙質。今まで三度、同じような目に遭ったことがあるが、例外なく百パーセント偽札だった。最初は悔しいけど、五百香港ドルも両替させられた。それからは、財布には百五十香港ドルくらいしか入れないようにして、「この百ドルは香港に戻ったら使うんだニャ!」とか、色々言い訳をして被害を最小限に抑えようとした。だけど、奴らは強引だった。無理やり財布から引ったくられることもあったし、結局、毎回二百元(約二百香港ドル)くらいの被害は覚悟するしかなかったんだ。


街を歩けば、別の危険も潜んでいた。特に地下鉄やバスに乗ると、油断も隙もあったもんじゃない。香港のきっちり整頓されたシステムとは違い、どこか混沌とした雰囲気が漂っている。最初の頃は、財布はもちろん、携帯やスマホ、タブレットまで狙われたスリに何度も遭遇した。リュックを切られていたことに、後で気づいたことも一度や二度じゃない。背中に感じるヒヤリとした感触。


一度だけ、俺がスマホを盗もうとしているスリの手を掴んでしまったことがある。ひったくられそうになった瞬間に、とっさに手が伸びたんだ。掴んだのは、ゾッとするほど気持ちの悪い、しわくちゃの爺にゃんこの手だった。「ああ、かわいいメスにゃんこのスリだったらよかったのにニャ…」なんて、不謹慎にもその時思ったほどだ。幸い、俺のスマホはアップル製だったから、すぐに遠隔でロックをかけた。すると、しばらくして俺が連絡先に載せていた電話番号に、犯人からかかってきたんだ。「ロック解除したら金払う」って。俺は冷ややかな声で言ってやった。「先に金を入金したら解除してやるニャ!新品の半額でどうだ?」…それっきり、そいつから連絡が来ることはなかった。これらの経験から俺が学んだのは、香港で生活している時と同じ格好で中国本土を出歩くのは危険だということだ。それからは、目立たない地味な格好を心がけたり、警戒心を高めたりするようになって、不思議とスリに遭うことはなくなった。


だけど、さらに最悪の出来事は、中国で仕事を始めて十年が過ぎようとしていた頃に起きた。夜遅く、俺は強盗に遭ったんだ。人気のない裏路地で、突然背後から押さえつけられ、全てを奪われた。文字通り身一つにされた。事務所があるビルの前のベンチで、夜の十一時から朝の八時まで、じっと夜を明かした。ひんやりとしたコンクリートの感触。その九時間、俺の頭の中には「次襲われたら、差し出せるものは、体しか無い」という考えがよぎり続けた。本当に、死を覚悟するような極限状態だった。体中の毛が逆立つ感覚を覚えた。


もちろん、翌日警察には行ったさ。だけど、奴らはまったく役に立たなかったんだ。俺の言葉は、英語すら通じない。威圧的な態度を取られるし、警察署の中はひどく不潔で、嫌な臭いが立ち込めていた。ただただ無駄な時間を過ごし、俺は心に誓ったんだ。「金輪際、何があっても中国の警察署には行かない!」


でも、問題はそこからだった。警察に行かなければ新しいパスポートが発行できない。そして、こういう非常時に発行される臨時の渡航書は、日本に帰ることしか許されないんだ。この大嫌いな場所で、一週間も足止めを食らうのか、と思うと絶望的だった。


ところが、本当に予想外の「珍事」が起きたんだ。なんと、ゴミ収集のおじにゃんこから会社に電話があり、「お礼を二千元くれるならパスポートを返してやる」と連絡が入ったんだ。数秒考えた末、俺はすぐに会社からお金を借りて、その「お礼」を払い、パスポートを取り返した。そして、一目散に香港へと急いだんだニャ。羅湖のイミグレーションを越え、香港側に渡った瞬間、俺の目からは止めどなく涙が溢れてきた。心底、安堵したんだ。身体から力が抜けていくような感覚。それ以降、中国での仕事は午後五時までと決め、どんなに忙しくても午後六時には必ず香港に戻るようにした。どこかと言うことは言わずともお前たちにはわかるだろう、香港に最も近いあの都市での出来事だ。


このような国が、たった三十年で自力でこれほど大きく発展するなど、あり得ニャい。なぜ発展できたのか?その答えはシンプルだ。そこには、香港の存在が欠かせなかったんだ。香港は昔から欧米やアジア周辺の裕福な国々との強い繋がりを持っていた。だけど、中国には海外と直接やり取りできるような信頼できる体制がなかったんだ。そう、香港が長年にわたって、中国と世界の架け橋となっていたのである。


しかし、中国は次第にその香港の力を利用し、そして排除していった。これまで香港が得ていた利益を自分たちのものとし、さらに安く提供し始めたんだ。もちろん、香港側も「美味しいところ」だけを取っていたという側面もある。だから、一概には言えないし、ある意味では取るに足らないことかもしれない。だけど、中国がこれほどまでに栄える上で、香港がその「柱の一つ」であったことは、間違いのない真実だと俺は思う。


突然だけど、俺は最近騒がれている「北上消費」という言葉が大嫌いだ。別に昔から香港にゃんこたちは、中国が安いからと中国で消費をしていたんだ。今さら何を言っているのか?増えたわけではない、昔に戻っただけだニャ。じゃあ、なぜ一時的に「減った」のか、お前たちはご存知だろうか?


それは、中国が不景気になった時に、偽物の食用卵、割り箸を煮込んで作った食材、そして下水から抽出した油を使うレストランが続出したからだ。信じがたいことだけど、それらを食べたにゃんこの子供たちが亡くなったり、誘拐されて内臓を摘出されたりするような恐ろしい事件が多発したためだと、俺ははっきりと記憶している。今の「北上消費者」たちは、この事実をみんな忘れてしまったんだろうか?今、中国は再び不景気だというのに。


そして、なぜこの「北上消費」が問題になっているかと言えば、それは香港の飲食店の不景気問題のせいだとされているからだ。そもそもコロナ禍の前は、外国からたくさんのにゃんこが流入してきて、香港の飲食店はかなり潤っていたんだニャ。そして物価の高い香港でも、優秀なにゃんこたちは高給取りだったから、盛んに消費をしていた。だけど、今「北上消費」しているのは、香港の中でも中階層から底辺にあたるにゃんこたちが多いんだ。彼らはコロナ禍で中国に行きづらい時期が長かったが、ようやくまた行きやすくなったから、昔のように行き始めたに過ぎないんだニャ。


数が大きく減ってしまった海外からの消費者、そして優秀で高給取りだったにゃんこたちの流出という、もっと根本的な問題から目を背けて、「北上消費のせいだ」と言っているにゃんこたちがいるんだ。さらに言えば、減ってしまった香港の人口を補う形で入ってきた新しい移民にゃんこたちは、元々物価の安い地域から来たにゃんこだ。だからこそ、北上消費をするんだニャ。そう、この「北上消費」という言葉がそもそも間違っている。なぜ多くのにゃんこが北上消費するのかと話題になっているが、少し考えれば理解できることではないかニャ。


俺は香港や台湾を「中国」と言われるのが嫌いだ。


マカオについては、積極的に中国に取り入っているから、どちらでも構わないと俺は考えている。


そして、中国国民はなぜこの「香港や台湾が中国ではない」という言葉に異常に反応すると思うか?それは、本当は薄々気づいていたけれど、認めたくなかったことだからだ。


そもそも、中国国内では、国民が見て良い情報と見てはいけない情報の管理が厳しく行われている。また、発信して良い情報とそうではない情報も厳しく管理されており、それに背けば逮捕される。だけど、それが香港、マカオや台湾にはない。この「扱いの差」を、中国国民は理解していないんだ。同じ国であるかのように振る舞いながら、一方では「籠の中の鳥」のように情報や言論を厳しく規制され、もう一方では「自由に飛び回れる鳥」のように振る舞える。その決定的な差がそこにはあるんだ。


そして、そのような厳しい規制の中でも仕事はできる。いや、むしろ余計な情報が入ってこないから、目の前のことに集中できるという見方もできるだろう。生産拠点として、途上国の中で中国は極めて優れた国だと言える。だけど、その生産拠点として優れた土地やにゃんこは、香港、マカオ、台湾にはあまりいないんだニャ。それぐらい、中国は香港、マカオ、台湾とは違う国なのだ。


---


### 第2章:香港の栄光と変遷:私の記憶の中の歴史


俺、ギンの記憶の中の香港は、いつも活気に満ち溢れていたニャ。特に、一九八〇年代から九〇年代にかけてのこの街は、まさに輝いていたと言っていい。二階建てバスがひっきりなしに行き交い、そのエンジン音が絶え間なく響き渡っていた。通りには色とりどりの飛び出し看板が所狭しと並び、夜になればネオンサインが瞬き、街全体が巨大な宝石箱のように輝いていたんだ。屋台からは、咖喱魚蛋カリーユータンのスパイスの匂いや、焼きたての蛋撻エッグタルトの甘い香りが常に漂ってきて、食欲をそそられた。あの頃の香港は、アジアのどこにもない、独特のエネルギーに満ちていたんだ。


俺たち香港にゃんこは、あの頃から英語ができたニャ。もちろん、広東語が母国語だけど、英語も日常的に使われていたんだ。


「ヘイ、ブラザー! この魚、フレッシュだニャ!」


なんて、魚屋のおじにゃんこが外国人観光客に流暢な英語で話しかけている光景なんて、ごく普通だった。彼の声は、活気ある市場の喧騒の中でもよく響いた。


「ねぇ、ギン。昔の香港にゃんこは、本当に英語が達者だったわね。今の若い世代とは比べ物にならないくらい。」


隣でゆいが、少し呆れたように呟いた。彼女は、静かに俺の言葉を聞きながら、時折、昔の記憶を辿るように遠い目をする。


「そうニャ。でも、昔は英語ができないと、良い仕事に就けなかったり、ビジネスで不利になったりしたからニャ。みんな必死だったんだ。朝から晩まで、ラジオの英語講座を聞いたり、英語の新聞を読んだりしてニャ。」


俺は、そんなことを思い出しながら、あの頃の香港の風景を脳裏に描いていた。雨上がりの蒸し暑い夜でも、街は眠らない。


そんな中、俺の記憶に強く残っているのは、日本との関係だ。


「昔、日本ってちょっと怖い国だったニャ…」


俺がふとそう口にすると、ゆいがすかさず補足した。


「ええ、いわゆる『ブラック・クリスマス』ね。第二次世界大戦中、日本軍が香港を占領した期間のことよ。約三年八ヶ月にわたる統治は、香港にゃんこたちにとって非常に厳しい時代だったわ。食料も配給制で、多くのにゃんこが飢えに苦しんだと聞いているわ。」


ゆいの言葉に、俺は少し身震いした。直接経験したわけではないが、親から聞かされた話は、今でも俺の心に重くのしかかっている。特に、親が語っていた「あの頃の静かな街の空気」という言葉が忘れられない。活気のない、沈黙した街。


だけど、一九七〇年代に入ると、状況は一変したんだニャ。日本の経済が急成長して、たくさんの日本のにゃんこたちが観光客として香港に押し寄せてきた。彼らは、香港の活気や、美味しい食べ物に魅了されていた。


「いらっしゃいニャー! コンニチハ!」


街のあちこちで、香港にゃんこたちが片言の日本語で日本の観光客を呼び込むようになった。日本の歌が流行ったり、日本のテレビ番組が人気になったりして、香港にゃんこの間で「日本語を学ぶブーム」が巻き起こったんだ。みんな、日本の文化に憧れて、必死に日本語を勉強した。日本の雑誌や漫画が飛ぶように売れたのを覚えている。


「ニャニャニャ! 日系企業に就職は勝ち組ニャ!」


俺も、その波に乗って日本語を少し勉強したんだ。あの頃は、日本の企業に勤めることが、香港にゃんこの間では一種のステータスだったんだニャ。安定していて、給料も良くて、何よりも「かっこいい」とされた。オフィス街では、日本のビジネスマンにゃんこたちが颯爽と歩いている姿をよく見かけたものだ。


そんな時代が長く続くと思っていたんだ。だけど、俺たちの記憶に、決して消えない大きな影を落とす出来事が起きた。


一九八九年六月四日――天安門事件。


その日、俺はテレビのニュースにかじりついていた。画面に映し出される北京の天安門広場は、それまでの学生たちの希望に満ちたデモの映像とは一転して、武力によって鎮圧された後の凄惨な光景が広がっていた。目を覆いたくなるような、信じられない現実がそこにあった。砲声がテレビ越しに聞こえるようだった。


香港にゃんこたちは、この事件に大きな衝撃を受けた。街中では、連日、天安門事件への抗議デモが行われ、多くのにゃんこが参加した。俺も、そのデモの熱気を肌で感じたんだ。街を埋め尽くすにゃんこたちの群れ。彼らの鳴き声は怒りと悲しみに満ちていて、中国政府への深い不信感を露わにしていた。


「一国二制度…本当に大丈夫なのかしら…」


ゆいが、テレビの画面を見つめながら、不安そうに呟いたのを覚えている。彼女の瞳には、これまで見たことのない影が宿っていた。この事件は、香港が中国に返還されるという未来を目前にして、俺たち香港にゃんこの心に深い不安と疑念を植え付けたんだ。中国政府が、約束された「一国二制度」を本当に守ってくれるのか? 香港の自由は、この先どうなるのか? そんな疑問が、俺たちの心に渦巻いていた。


天安門事件は、俺たち香港にゃんこの心に、一九九七年の香港返還を間近に控えて、中国政府への不安と不信感を増大させる出来事となった。「一国二制度」の下での香港の高度な自治が、本当に約束通り保障されるのか? そんな懸念が、日を追うごとに強まっていったんだニャ。結果として、この頃から海外への移住を検討する香港にゃんこが激増し、実際にこの街を去っていくにゃんこも少なくなかった。みんな、この街の未来に漠然とした不安を抱えていたんだろう。


そんな中、日本のバブルは崩壊したものの、香港の日本に対する愛着は変わらなかったニャ。俺の目には、この香港という街に「知識のイギリス、貿易のアメリカ、尊重の日本」という地位が、しっかりと根付いたように映る。イギリスからは法治やシステムを学び、アメリカとは貿易で繋がり、そして日本からは文化や「おもてなし」の精神を尊重してきた。それぞれの国から良いところを吸収し、独自の文化を築き上げてきたのが香港だ。香港の雑多な風景の中にも、それぞれの国の影響が色濃く残っている。


そして、一九九〇年頃から、今度は中国のバブルが始まったんだニャ。中国本土の経済が急激に上向き、それに伴って、香港にゃんこたちの商売の対象も、急速に中国本土へと向かっていった。


「ニャニャニャ、このチャンスを逃すわけにはいかニャいニャ!」


みんな、目をギラギラさせて、中国本土でのビジネスチャンスを追いかけたんだ。商談のために、毎日国境を越えるにゃんこも少なくなかった。


だけど、当時の香港にゃんこたちの中国語(普通話)は、正直言って笑えるくらい下手なやつばかりだったニャ。どれくらい下手だったかというと、俺は香港にゃんこが話す中国語を九〇パーセントは理解できたのに、相手には半分も通じない、なんてことがザラだったんだ。広東語を適当に鈍らせたら通じると思い込んでいるような、そんなにゃんこばかりだったし、恥ずかしながら俺もその一人だった。


「これでビジネスになるのかニャ…?」


と、最初は不安に思ったものだ。相手の言葉が理解できないもどかしさ、自分の言葉が伝わらない歯がゆさ。それでも、ビジネスのチャンスはそこにあった。


でも、さすがは香港にゃんこたちだニャ! 商売のためならと、みんな必死だった。中国本土のにゃんこたちとビジネスをするために、中国語に対応できる人材がどんどん育っていったんだ。学校に通ったり、自分で勉強したり、ありとあらゆる方法で中国語を習得しようとした。その結果、今、香港で普通話が流暢に話せるにゃんこが多いのは、決して中国に返還されたからだけじゃない。それは、中国とのビジネスチャンスを掴むために、香港にゃんこたちが自ら努力し、変化に適応した結果なんだ。


何が言いたいかというと、香港にゃんこは勤勉で、相手に合わせて商売をするのが本当に上手いんだ。そして、香港は常に景気の良いところと仲良くするのが得意なんだニャ。一度受けた恩恵は決して忘れない気質も持っている。彼らは、常に自分たちの強みを活かし、時代の流れに合わせて柔軟に形を変えてきたんだニャ。この街のそうした性質が、香港をここまで繁栄させてきたんだと、俺は自信を持って言える。


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### 第3章:暗黒時代の始まり:返還と「一国二制度」の崩壊


俺が長年住み、心から愛してきたこの香港に、「暗黒時代」の始まりが訪れたのは、一九九七年のことだったニャ。まるで、これまで降り注いでいた希望の光が、少しずつ、だけど確実に翳り始めたように感じたんだ。返還式の夜、街は雨に濡れ、俺の心も同じように重く湿っていた。


当時の中国は、国としてはまだまだ未熟な途上国だ。そんな相手に、先進国の最先端を走っていたイギリスが、この香港というかけがえのない街を返還することになった。俺は心の底から疑問に思ったものだ。「なぜ、この街を、こんなにもあっさりと手放してしまったんだニャ?」って。


イギリス側から見れば、遠く離れた小さな植民地を守るためのリソースがもったいなく、単純に面倒になったのかもしれない。あるいは、当時のイギリスには、無能な外交官しかいなかったんじゃないか、とさえ思ったこともあるニャ。元々、香港の新界と呼ばれる地域を除けば、返還する必要はなかったはずなのに、結局、すべてが中国に引き渡されることになったんだ。


「昔は、香港の新界と中国の間に、ちゃんと国境を設ける話もあったんだニャ。」


俺は、そんなことをゆいに話したことがある。あの頃は、そんな話が真剣に議論されていたことを、俺は鮮明に記憶している。地図を広げて、どこに線を引くべきか、真剣に論じられていたのを覚えている。だけど、結局、香港全体が中国に組み込まれることになったんだニャ。イギリスにゃんこたちからすれば、もしかしたら、自国民が香港に渡ったらそのまま戻ってこないので、香港は厄介な場所でもあったのかもしれないニャ。彼らの顔には、どこかホッとしたような表情が見えたような気がした。


そして、中国とイギリスの間で、「五十年間不変」という約束が交わされた。これは、香港の高度な自治と自由が、少なくとも半世紀は保障されるという、俺たち香港にゃんこにとって、最後の希望の光だった。あの頃は、みんなその言葉を信じようとしていたんだ。しかし、そもそも自国の政治ですら成熟していない国に、先進国でも最先端にいたイギリスの植民地を、まともに統治できるわけがない。そんな懸念は、すぐに現実のものとなる。


返還前まで、香港は金融世界で何十年も「三位」の座に君臨し続けてきたんだニャ。世界の金融の中心地の一つとして、活気に満ち溢れていた。だけど、中国に返還された途端、「危険な香港」から資金を逃がそうとするにゃんこたちが続出し、あっという間に香港の順位は六位まで暴落したんだ。街を歩くにゃんこたちの顔にも、どこか不安の色が浮かんでいた。


「くそっ、北京や上海が香港より上位にいるのが気に食わないってかニャ! 香港が上位にいるのが気に食わないってかニャ!」


俺は、そんな風に悪態をついたものだ。中国はこれを見て、香港が上位にいるのが気に食わなかったんだろう。北京と上海を無理やり一本化して、世界三位の座を奪いにいくという、なんとも無意味な動きを見せた。だけど、結局は四位止まりだったニャ。そんな無駄なことをしている間に、香港は再びその魅力を世界に再認識され、逃げ出した資金が戻ってきたことで、奇跡的に「三位」に逆戻りしたんだ。おそらく、一九九七年の返還前に香港を脱出したにゃんこたちが、やっぱり香港での運用に魅力を感じて、まだ大丈夫そうだと判断して資金を戻してきた結果だと、俺は見ている。街に再び、あの活気が戻ってきたように感じたものだ。


だけど、その束の間の安定も長くは続かなかったニャ。時は流れ、二〇一九年、ある一匹のオスにゃんこの事件が、香港に再び大きな混乱をもたらすきっかけを作ってしまう。台北市に渡航したまま行方不明となっていた二十歳のメスにゃんこの遺体が台北市郊外で発見され、二〇一八年三月十三日に十九歳の香港にゃんこのオス大学生が逮捕された事件だ。当時、香港と台湾の間には犯罪にゃんこ引き渡し条約がなかったんだ。香港永久居民である容疑者は香港から出境禁止となるため、台湾と香港で犯罪にゃんこ引き渡し条約を結ぶ案が浮上してきた。ここまでは良かったんだニャ。問題は、ここに中国が「自分たちもこの条約に加わること」を要求してきたことだ。元々、香港と中国の間にも正式な引き渡し条約はなかったんだけど、中国にゃんこに限っては、こっそりと国境付近で引き渡しが行われていたことは、みんな知る真実だった。


だけど、中国の物差しで測る犯罪にゃんこ像と、香港や台湾でのそれは、まるで違うニャ。この事実に、香港にゃんこたちは猛反対したんだ。そして、百万人を超える大規模なデモ行進が行われるきっかけとなり、最終的には二百万人を超えるデモへと発展していく。香港の歴史上、これほど多くのにゃんこが街頭に繰り出したことはなかっただろう。街中がにゃんこの群れで埋め尽くされ、その熱気は尋常じゃなかった。道行くにゃんこたちの顔には、決意と怒りが入り混じっていた。


「自由を返せニャー!」


「約束を守れニャー!」


そんな鳴き声が、香港の空に響き渡ったんだ。その声は、街の隅々まで届き、俺の心にも深く刻まれた。この市民の圧倒的な意思表示により、この法案は「無期延期」とされた。俺たちは一瞬、安堵の息をついた。だけど、決して「取り消し」にはならなかった。中国政府の真の意図が、水面下で生き続けていることを、俺たちは肌で感じていたんだニャ。嫌な予感が拭えなかった。


そして、その懸念は最悪の形で現実となる。「五十年間不変」の約束は、わずか二十三年目にして、いきなり破られたんだ。これは、俺たちにとって、まさに裏切りだった。俺の心は、鉛のように重くなった。


中国政府は、一九八九年六月四日の天安門事件を思い出させるような愚行を、香港政府に指示してやらせたんだニャ。香港の法律を根本から変化させようとしたんだ。混乱する香港に、中国は自らの「面子」を守るため、さらに混乱をもたらした上に、「国家安全法」という、ただ自分たちの痛いところを指摘してきたり、言うことを聞かない市民を黙らせたりするための法案を強行したんだ。これは、香港が長年守り続けてきた自由と法の支配を、根底から破壊する行為だったニャ。街の空気が、まるで氷のように冷たくなったのを感じた。


もし、この「不変」の約束を守り続けていれば、今の香港の不況はもう少しどうにかなっていたであろうに、と俺は痛切に思う。挙句の果てに、SARSやコロナといった疫病で世界中に迷惑をかけたりと、中国は散々やらかしてくれたんだニャ。


---


### 第4章:香港の現状と未来への視点


国家安全法が施行されてから、香港の街の空気は、以前とはまるで変化してしまったニャ。活気は失われ、かつては自由な言論が飛び交っていた通りも、どこか静まり返っているように感じる。街を覆う、重苦しい沈黙。


「昔は、この香港には優秀な猫ばかりだったのになぁ…」


俺は、ふとそう呟いた。ゆいが、静かに俺の隣に座る。彼女の視線もまた、遠くを見つめている。


「ええ、ギンの言う通りよ。多くの優秀な人材が、この街を去っていったわ。未来が見えない、そう言ってね。」


彼女の言葉は、俺の胸に重く響いた。希望を失った者たちの、静かな諦めがそこにはあった。


俺の知り合いにも、香港を離れていったにゃんこはたくさんいる。例えば、移民者A。彼は俺と同じくらいの体格のチャトラで、お調子者で面白い性格をしていた。商売が上手で、香港でもいくつもの店を成功させていたんだ。いつも明るく、周囲を笑顔にするような存在だった。彼は日本に移住し、今では日本で飲食店を営んでいる。世渡り上手な彼は、新しい環境でもきっとうまくやっているだろう。たまに送られてくる写真には、彼の得意げな笑顔が写っている。


移民者Bは、超かっこいい学者風のにゃんこだった。いつも知的な光を宿した目で、あらゆる事象を深く考察していた。お金持ちで、色々なものをたくさん持っていた彼が選んだ移民先はアメリカだ。きっと向こうでも、その優秀さを存分に発揮しているに違いない。彼は常に、より良い学びの場を求めていた。


そして、移民者C。彼もまた超かっこいい有名人の俳優風のにゃんこで、移民者Bと同じくお金持ちで、たくさんのものを持っていた。彼が移住したのはイギリスだ。スクリーンの中で輝いていた彼が、異国の地でどんな活躍をしているのか、俺は時々考える。彼が演じる役柄は、いつも香港の自由を象徴するようなものが多かった。


彼らが去っていった後、香港には中国本土から多くの新しい移民にゃんこがやってきた。彼らは、英語はもちろん、この香港の公用語である広東語すらまともに話せない者が少なくない。国際的な常識にも疎い。ある日、俺が道で困っていると、新しい移民にゃんこが話しかけてきたんだ。


「ニィハオ! どこに行きたいニャ?」


俺は広東語で返したが、彼には全く通じない。彼の顔には、困惑の色が浮かんでいた。結局、お互い片言の普通話と身振り手振りで、なんとか意思疎通を図った。彼らは彼らで、新しい土地で必死に生きようとしている。故郷を離れ、新しい生活を築こうとする彼らの苦労も理解できる。だけど、どこか噛み合わない、そんなもどかしさを感じることが増えたニャ。まるで、違うパズルをはめようとしているような違和感。


そして、何よりも俺が心を痛めているのは、香港にゃんこたちの「鈍化」だ。昔の香港にゃんこは、もっと活発で、もっと意見を言い、もっと未来に目を向けていた。街のあちこちで、政治や社会について熱く議論する声が聞こえていたものだ。だけど、今の香港にゃんこは、どこか諦めにも似た感情を抱いているように見える。


「どうせ、また変わるニャ…」


そんな言葉を、俺はよく耳にするようになった。茶餐廳チャーチャンテーンで隣の席から聞こえてくる声、市場での立ち話。中国への依存は深まる一方で、自分たちの力ではどうすることもできない、という無力感が蔓延しているのかもしれない。まるで、分厚い雲が街全体を覆っているかのようだ。


だけど、俺は諦めていないニャ。この香港には、まだ静かに「希望」を待ち、未来を見据えるにゃんこたちがいる。彼らは、決して表立って声を上げなくても、心の中では確かな自由を求めているんだ。俺の友人の友人が、密かに小さな勉強会を開いていると耳にしたこともある。


「ニャニャニャ、きっと時代は変化するニャ!」


俺は、どこか楽観的に、だけど芯のある言葉でそう呟いた。ゆいは、何も言わずに俺の言葉を聞いている。彼女の瞳の奥には、俺と同じ希望の光が宿っているように見えた。この街は、これまでも数々の困難を乗り越えてきた。そして、これからも、きっとそうだろう。香港にゃんこの諦めない魂は、簡単には消えない。


---


### 終章:香港への祈り


俺、ギンの心の中には、今も鮮やかに蘇る香港の風景があるニャ。


九龍城付近を飛び交う飛行機。轟音を立てて頭上をかすめていく巨大な機体は、子供の頃の俺にとっては、ただただ「うるさいニャ!」と迷惑な存在だった。それでも、夜空に瞬く航空灯を見ると、遠い世界への憧れを抱いたものだ。だけど、今となっては、あの騒音がひどく懐かしい。もう二度と、あの光景を見ることはできない。


街を彩っていた、色とりどりの飛び出し看板や、賑やかな違法屋台。それらは、香港の活気とエネルギーの象徴だった。狭い路地裏にひしめき合うように並んだ屋台からは、いつも香ばしい匂いが漂ってきて、俺の食欲を刺激した。焼いた魚の匂い、炒めた麺の匂い、そして甘い豆花の匂い。しかし、それらもまた、今はほとんど姿を消してしまった。


「ああ、あの叉焼ご飯、また食べたいニャ…」


俺は、昔の物価を思い出す。タクシーの初乗りは、たったの七香港ドル。スターフェリーは、一香港ドルもしなかった。そして、屋台の叉焼ご飯は、十香港ドル以下で食べられたんだ。


「今の物価と比べると、信じられないくらい安かったわね。あの頃は、もっと気兼ねなく外食できたものよ。」


ゆいが、俺の隣で頷く。彼女の表情にも、微かな郷愁の色が浮かんでいる。今は、タクシーの初乗りも、スターフェリーも、叉焼ご飯も、あの頃の何倍もの値段になっている。


香港は、大きく変化した。その変化は、時に俺たちの心を深くえぐり、多くのものを奪っていった。俺たちは、かけがえのない自由を失い、未来への不安を抱えている。だけど、俺の心の中にある、この街への愛情は、決して変わらない。


俺は、香港の街を見下ろせる丘の上に立っていた。風が俺の毛並みを優しく撫でていく。眼下には、高層ビルが立ち並び、きらめく夜景が広がっている。その光景は、美しく、だけど少しだけ切ない。遠く、ビルの谷間から、ふと聞こえてくる広東語の響きに、俺は微かな安堵を覚える。まだ、この街の魂は、生きている。


「香港がまた、希望の光に包まれる未来が来るニャ…」


俺は、そう呟いた。ゆいが、何も言わずに俺の隣で、同じ方向を見つめている。彼女の白い毛並みが、夜の風にそよぐ。彼女の小さな体が、俺の不安をそっと包み込んでくれるようだ。


「そのために、この真実を伝えることが、あなたの役割よ。そして、その言葉が、いつか遠い未来の世代の耳に届くことを信じて、あなたは語り続けるべきよ。たとえ、今すぐに変化が見えなくても、種は蒔かれ続けるべきだわ。」


ゆいの声は、いつも通りクールだけど、その言葉には、俺への深い信頼と、この街の未来への願いが込められているように感じた。彼女の瞳の奥で、確かな光が瞬いている。


俺は、ゆいに甘えるように体を擦り寄せた。彼女の温かさが、俺の心に染み渡る。


「この本が、みんなの心に小さな火を灯し、考えるきっかけになってくれたら、かけがえのないきもちニャ。そして、いつかこの街に、真の自由が戻ってくる日まで、俺は語り続けるんだニャ。」


俺の赤い首輪の鈴が、香港の国旗の形にキラリと光った。希望の光を反射するように。この街の魂は、決して消えない。俺は、そう信じている。夜空に輝く星々のように、香港の未来にも、希望の光が必ず訪れる。その光は、やがて夜明けを告げるだろう。


この物語を最後まで読み終えてくださり、心より感謝申し上げます。


「記憶と真実の香港:変化の先に希望と未来、そして自由を求めて」は、愛すべき主人公ギンが、彼自身の四十五年間の記憶を辿り、香港という街の光と影、そして何よりもその**「真実」**を伝えたいという一途な思いから生まれました。


物語の中に登場する出来事の多くは、ギンの主観を通したものであり、時には痛みを伴う記憶も含まれています。しかし、それらはすべて、この街が実際に経験してきた歴史の断片であり、そこに生きてきたにゃんこたちの心の叫びです。香港は、常に変化の波に揉まれ、その度に形を変えてきました。栄光の時代もあれば、自由が脅かされる暗黒の時代もありました。それでも、ギンの心の中には、そして多くの香港にゃんこの心の中には、決して消えることのない希望の光が宿っています。


この本を通じて、皆さんが香港の複雑な過去と現在の課題に目を向け、そして未来について共に考えるきっかけとなれば、筆者としてこれ以上の喜びはありません。ギンの言葉は、決して声高な主張ではないかもしれません。しかし、その一つ一つに込められた、この街への深い愛情と、自由への切なる願いが、読者の皆様の心に届くことを信じています。


私たちは、異なる国や地域にいても、互いの歴史や文化を理解し、尊重し合うことで、より良い未来を築けるはずです。香港の物語が、その一助となれば幸いです。


最後に、ギンの旅に寄り添い、彼の言葉に耳を傾けてくださった全ての読者の皆様に、改めて深く御礼申し上げます。


この物語が、香港への祈り、そして希望の象徴となりますように。

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