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07 想定外

 夕暮れの光が長く伸びる渡り廊下は、人の気配もまばらで、かすかに吹き抜ける風がカーテンを揺らしていた。まるで学園そのものが一息ついているかのような、穏やかな空気。だがその中で、ロザリエとデリウス、二人分の足音だけが規則的に響いていた。


「……以上が本日の報告です。カリナ様は本日も体調不良を理由に授業を欠席。医務室にも寄らず、自室で静養していたと」


 ロザリエの斜め後ろを歩くデリウスが、落ち着いた声で囁くように言う。


「三日目ね。風邪が長引いているというのは本当みたいだけれど……その間、誰かが訪ねてきた様子は?」

「彼女の実兄、レアン・オーディット様が、見舞いのために学園を訪れていたとのことです。生徒たちが噂をしているのを耳にしまして。花束を持っているのを見たと」

「……花束?」


 ロザリエの足が、ぴたりと止まった。


(まさか、レペグリアを持って来てたりしないでしょうね)


 あの毒の花は、オーディット伯爵邸でしか自生していない花だ。加工法によってはその花が毒である事はオーディット家の人間しか知らず、学園の厳しい警備も突破できるに違いない。病人への、見舞いの花として持ち込むのはこれ以上ない自然な手段だった。


(……つまり、まだ毒薬は完成していない?)


 ロザリエは眉間に皺を寄せ、唇にそっと指を添える。


(病気のふりをして寝込み、レアンを使ってレペグリアを学園に運ばせる……?カリナが、そんなふうに、手を回して……)


 どこまでが演技で、どこまでが本気か。病に伏せているというその情報すら、今となっては信じるに足らない。だが、仮にすべてが策略だとしたら、その真意はどこにあるのか。

 思考の渦は止まらず、吐息一つで霧のようにこぼれ落ちそうになったその時。


「ロザリエお嬢様」


 名前を呼ばれた瞬間、ロザリエは思考の渦から無理やり引き戻されたように足を止めた。

薄暮に染まりはじめた渡り廊下、ひんやりとした石畳を踏みしめる足音が近づいてくる。

 ロザリエがゆっくりと振り返ると、そこには燃えるような赤髪をなびかせた青年————レアン・オーディットの姿があった。

 

 その腕に抱かれているのは、幾輪もの菫色の花。


(……レペグリア)


ロザリエの視線が、花へと釘付けになる。

 桔梗に似た凛とした花弁。透けるような薄紫の色。その姿は、彼女の記憶に刻まれていたものと寸分違わぬ毒花だった。


(やっぱり……)


心の中で、重く確信する。


(見舞いの花として、カリナにレペグリアを渡すつもりね。毒薬がまだ完成していないのかしら……だからレアンに見舞いの花として持ってくるように頼んだ…?)


 落ち着いたふりをしながら、ロザリエは静かに距離を縮めようとする。自然に、気付かれぬように。そして探るように。


(探る必要がありそうね)


 ロザリエが口を開きかけた、その瞬間だった。


「これを、あなたに」


 レアンはすっと手を伸ばし、レペグリアの花束をロザリエへと差し出してきた。


 一瞬、時間が止まった。


(……は?)


 ロザリエはまばたきを忘れたまま、花束とレアンの顔を交互に見つめた。頬を紅潮させ、蜂蜜色の瞳を伏せがちに、どこか照れたような笑みを浮かべる青年。


 明らかに、それは普通の令嬢に向ける視線ではなかった。


(え、待って……私に……?なぜ……?いや、それより……これ、まさか)


 視線が再び花束へと落ちる。

 レペグリア————それはオーディット家の家紋の花。そして、この国では己の家の家紋に刻まれた花を、血縁者以外の異性に贈る行為の意味は————求愛の証である。


 息を呑んだ。まさにその瞬間、ロザリエの脳裏で警鐘が鳴り響く。


(ちょっと待って……レアンが私に、家紋の花を……?)


 思わず表情が引きつりそうになるのを必死で抑えながら、ロザリエは曖昧な微笑みを浮かべた。だが、視線は完全に花束に釘付けで、指先はピクリとも動かない。そんな事もお構いなしに、レアンはペラペラと話し始める。


「……あの日、貴女が落としたハンカチを拾ってから、全てが変わったのです」


 ロザリエの肩が、ぴくりと震える。


「銀の髪にアメジストの瞳……風に揺れて、こちらを向いて微笑まれたとき、心臓が跳ねたのわを、今でも覚えています」


 さらに、レアンは花束を胸の前で抱え直し、嬉々として語り続ける。


「きっと、誰にも見せない貴女の本当の顔に、私は触れてしまったんだと思ったんです。……あの優しい笑みを、私だけのものにしたいと、そう思ってしまったんです」


(……あんなの、演技に決まってるでしょ……!)


 ロザリエは、固まりかけた笑顔の裏で、必死に引きつる頬の筋肉を持ちこたえさせた。


(少し近づければ情報を引き出せると思ってたけど……なんなのよ、これは……!)


「ロザリエお嬢様、貴女のことを、もっと知りたい。好きな花は?食べ物は?どんな夢を見ているんですか?それを教えていただけませんか」


 頬を紅潮させながら、レペグリアの花束を差し出すレアンの姿に、ロザリエはそっと半歩後ろに下がる。


「あの、もしよろしければ、今度……お食事でも」


 目の前のレアンは、真剣なまなざしでこちらを見つめていた。その視線に射抜かれながら、ロザリエの思考はぐるぐると暴れ回っていた。


(嘘でしょ……かつて私を処刑台に上がらせ、私の髪を掴んで、背中を踏みつけていたあの男が、今は私に花を?お食事を?どうして、何がどうしてそうなったの!?)


 言葉に詰まりかけたところで、まるでタイミングを計ったかのように、隣にいたデリウスがすっと前に出る。


「恐れながら、お嬢様は本日、ややお疲れのご様子でして」


 その声音はあくまで丁寧で柔らかいが、どこか切るような静けさを孕んでいた。


「このようなご厚意に、代わってお礼を申し上げます。花束は、大切にお預かりいたしますね」


 レアンの手から、優しく花束を受け取るデリウス。拒絶でもなく、侮蔑でもない。けれど、間に一線を引くようなその所作に、レアンはわずかに目を細めた。


「……随分と、丁寧な従者だな」

「それが私の務めですので」


 物腰は柔らかいのに、芯の通った声。まるでどこにも波風を立てずに、相手の足元をさらっていくような佇まいに、レアンは一瞬、口を閉ざす。


「何者なんだ。どこの家の者だ?」

「私には名乗るほどの家柄はありませんので」


 レアンの声には探るような鋭さが混ざっていたが、デリウスは変わらぬ笑みを浮かべたまま。


「……ロザリエお嬢様、どうか……もう一度、お時間をいただけませんか」


 その声音には、あからさまな熱がこもっていた。ロザリエは一歩、後ろへ引きたくなる足をなんとか踏みとどめ、微笑みの仮面を張り付ける。


「……ええ。お体の具合が整えば、そのときに」

「…分かりました。では……また」


 まるで社交辞令のような言葉に、レアンが不満を滲ませながらも引き下がる。

 レペグリアの花束を、デリウスは丁寧に持ったまま、ロザリエを促すように小さく頷いた。二人が並んで歩き出したその背後で、レアンの視線がずっと突き刺さっていたことを、ロザリエは気付かぬふりをするしかなかった。


「……ちょっと、想定していたものと違うんだけど……」

「恋は盲目、とは言いますが……あれはもう、片思いというより片信仰ですね」

「やめなさいデリウス。これ以上その話、今は聞きたくない……」


 ロザリエは顔を伏せ、花束からふんわりと香るレペグリアの香りを感じながら、小さく呻いた。デリウス手元の花束をまじまじと見つめる。

 鮮やかな菫色の花、レペグリア。その花弁は桔梗によく似ていて、涼やかで儚い美しさを湛えていた。けれどロザリエの目には、それはただの毒そのものにしか見えなかった。


(……これを、どうしろっていうのよ)


 まるでとんでもない不発弾を抱かされたかのように、ロザリエの口元が引きつる。


(使い道がないわけじゃないけど……)


 仮に、この花の毒性の有無を調べるとして、その行為が〝毒物の生成〟と見なされれば、自分の立場はどうなる?

 ただでさえ悪女の烙印を押され、孤立無援のこの学園で、毒の実験などしているところを誰かに見られでもしたら。


(その時点で、即刻処刑台行きね)


 想像しただけで、乾いた笑いが喉の奥で引っかかった。どこまでも慎重でなければならない。自分の命を守るためにも、もっと賢く動く必要がある。

 レペグリアの花束を抱えたまま、ロザリエは思考を巡らせる。


(……家紋の花を渡されるのは、求愛の証)


 この国の上流階級において、個人の家の花を、異性に手渡すという行為は「貴女を私のものにしたい」という強い意志の現れ。

 レアンがロザリエにこのレペグリアを渡したということは、すなわち〝オーディット家の花を、君に捧げる〟という意味になる。

 ロザリエの脳裏に一人の令嬢がふと思い浮かび、口角を持ち上げる。


(あの子が、これを知ったら……)


 エラ・シュトランド。

 カリナの命で自分に近づいてきた、そばかす顔の子爵令嬢。

 そのエラが、ロザリエがレアンからこの花束を、〝求愛の証〟を渡されたと知ったら、どうなる?ロザリエは、視線を伏せ、ほんの少しだけ口角を上げた。


(面白い展開になりそうね)


 ロザリエは伏せていた目を上げ、デリウスの方へ視線を投げる。


「……デリウス」


 ロザリエは、ゆっくりと彼の方へ身体を向け、まるで元の調子を取り戻したように冷静な声音で言った。


「いい事を思い付いたわ。手伝ってちょうだい」


 その言葉に、デリウスはまるで当然のようにうなずく。彼の表情に驚きも疑問もなく、ただいつも通り、柔らかい微笑をたたえていた。


「はい。なんなりと。お嬢様」


 その姿を見て、ロザリエは心の中で小さく嘆息した。重苦しい花束の重さは変わらない。けれど、今はそれを利用する手段が、一つだけ見えた気がした。






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