51 愛しています
告白を交わし、互いの気持ちを確かめ合った二人の間に、ほんのりと温かな空気が漂っていた。
夜風はやさしく頬を撫で、王都の灯りが遠く瞬く。月は高く昇り、彼らの影を屋根の上に細く落としていた。ロザリエの胸は温かな光に包まれるような感覚に満たされていた。
だが。
「……っ!」
ロザリエは、ふと我に返ったように瞳を見開いた。次の瞬間、ぱっとルーデリウスから目を逸らし、ゴホン、と小さく咳払いをする。
彼が自分に想いを寄せてくれていたこと。それを素直に嬉しいと思えたこと。それは間違いなく真実だった。
だが、それだけでは終われなかった。
(私も……伝えなければ)
心の奥に沈め続けていた秘密。誰にも話せず、抱えてきた時間。その重みを、彼にだけは、知っていてほしいと思った。
「あの、ルーデリウス様」
彼女の声はわずかに震えていた。それでも、逃げるような弱さではなかった。真剣な決意が、その声音の底に確かにあった。
「実は……私も、ずっと……貴方に隠していたことがあるのです」
その言葉を聞いたルーデリウスは、一瞬目を丸くしたものの、すぐにふっとやわらかく微笑んだ。
「……そうでしたか」
責めるような色は、微塵もなかった。
それどころか、今までの彼女のどんな選択も、どんな沈黙も、すべてを包み込むような————そんなやさしさを、その瞳が湛えていた。
ロザリエは胸の奥で小さく息を吸った。月の光が彼の金髪を照らしている。彼の優しげな青い瞳を見ていると、不思議と、言葉にすることへの恐怖が薄れていくような気がした。
「……今からお話しすること、信じてもらえるかどうか、分かりません。でも、私は……」
けれど、ロザリエの口から紡がれたその言葉は、夜の静寂をひときわ鋭く切り裂いた。
「私は……リチャード殿下と、カリナ嬢の策略にはまり……一度、首を跳ねられたのです」
瞬間、ルーデリウスの目が大きく見開かれた。まるで、心臓に刃を突き立てられたかのように、その顔から血の気が引いていく。
「……っ、な……」
言葉にならない言葉が、彼の喉元で震える。
けれどロザリエは、まっすぐに彼の瞳を見つめたまま、淡々と、しかし噛みしめるように続けた。
「ですが……どういうわけか、目を覚ました時には……処刑された日の、ちょうど半年前まで時間が巻き戻っていたのです」
目を閉じ、ゆっくりと息を吐く。それは彼女自身にとっても、決して簡単に口にできることではなかった。幾度も夢に見ては目覚め、胸を押しつぶされた日々。
誰にも言えず、誰にも頼れず、それでも“未来”を変えるために歩き続けてきた道。
「ですから……私は、彼女たちに復讐するために……そして、処刑という運命を避けるために……今まで動いてきたのです」
それは嘘のない言葉だった。
必死だった。生きたかった。すべてを失った未来を、繰り返したくなかった。ただそれだけの想いで、必死に駆け抜けてきた。
「……その過程で……えっと……殿下を、使いまわしてしまったのは……」
ふと、ロザリエの頬が申し訳なさそうに染まる。視線を逸らしかけたが、すぐにもう一度彼の瞳を見つめ返す。
「その……申し訳ありません……」
言いながら、彼女は手の指をぎゅっと握った。まるで、自分の罪を受け止めるように。ロザリエは、静かに目を伏せた。
胸の内に抱えていたすべてを語り終えた直後。長い間、誰にも言えなかった秘密。信じてもらえるだろうか、否定されるのではないかという不安と、それでも言わなければならなかったという責任とで、言葉の余韻が彼女の中にしこりのように残っていた。
だが、返ってくるはずの言葉が、ない。
どれだけ静かな夜であっても、彼の無言はあまりにも重く感じられた。
(……怒らせてしまったのかしら)
不安が、さざ波のように胸の奥から広がっていく。ゆっくりと顔を上げると、目に飛び込んできたのは、ルーデリウスの異様な姿だった。
頭を抱え、肩を震わせながら、項垂れている。
「……ルーデリウス様?」
思わず声をかけたロザリエの瞳に、困惑が滲む。
あの冷静沈着な彼がまるで、取り返しのつかない失態を悔やむような、絶望にも似た雰囲気を纏っているなど、信じがたかった。
「こ、このような話は……にわかには信じ難いとは思いますが……その、あの……」
口ごもりながら、ロザリエは慌てて取り繕おうとした。けれど、すぐにルーデリウスがかすかに首を横に振る。
「……ああ……いえ、そうではありません」
顔を上げたルーデリウスの瞳には、深い苦悩と罪悪感がにじんでいた。それは、ロザリエがこれまで見たことのない彼の顔だった。
「ロザリエお嬢様を……悲しませたくなくて……この事は……墓まで持っていくつもりでした」
低く、そしてどこまでも悔恨に満ちた声音。
その言葉の重さに、ロザリエは息を呑んだ。
「……その……」
何かを言いかけて、ルーデリウスは一瞬だけ言葉を飲み込む。そして決意したように、まっすぐにロザリエの瞳を見つめ返した。
「時が遡ったのは……他でもない、僕の所為なのです……」
その言葉に、ロザリエは愕然とした。
「…………え?」
彼の言葉が、何を意味するのかすぐには理解が及ばなかった。
だが、ルーデリウスの表情は真剣そのものであり、どこにも冗談の色などなかった。
ロザリエは、思わず首を傾げながら、震える声で問い返す。
「……それは……どういう、ことですか?」
ルーデリウスはしばし口を閉ざし、遠い空を仰いだ。彼の髪が風にそよぎ、月の光に淡く照らされる。
「実は、貴方が処刑されるその現場に、僕もいました」
静かな声で語り始めるルーデリウス。その目は、遠い過去を見つめるように少しだけ揺れている。
「僕の中の記憶にある貴方は、聡明で美しく————世間が噂する悪女の姿とはまるで違っていました。だから、どうしてそんな非難が集まるのか、ずっと理解できなかったのです」
彼の声には、言い知れぬ切なさと戸惑いが混じっていた。
「ですが……」
唇がわずかに震える。
「処刑台で、カリナ嬢が貴方に浴びせた酷い言葉を、魔法を使って盗み聞きしてしまいました。あの時の言葉は、僕の胸を深く、深く抉りました」
ルーデリウスの瞳が潤む。
「何故、こんなことになってしまったのか……なぜロザリエお嬢様が処刑されなければならないのか。理解できずに、ただただ絶望しました」
言葉が詰まる。彼の声に、かすかな震えが混じる。
「もしも……過去に戻れるのなら、あの時に、何か違うことができるのなら……」
ルーデリウスは息を呑んだ。
「そして……」
彼は視線を落とし、静かに語った。
「ロザリエお嬢様の首が落とされ、貴方の首から飛んだ返り血を浴びながら……僕は無意識のうちに、時を遡る魔法を、発動してしまったようです」
その言葉の重みが、夜の空気を凍らせるようだった。
「本当は……リチャードに渓谷に突き落とされるあの瞬間まで、時間を戻したかったのです。ですが、僕の魔力量では、半年前に戻すことが限界でして……」
その瞳には、無念と悔恨が深く刻まれていた。
「す、少し待ってください!」
彼女の声は、震えながらも、力強く響いた。ルーデリウスは驚いたように顔を上げる。胸の奥で芽生えた違和感がどうしても拭いきれず、ロザリエはそっと震える声で尋ねた。
「……あの、どうして私だけが回帰した記憶を持っているのでしょうか……?」
ルーデリウスは考える素振りを見せた後、ゆっくりと息を吐き、丁寧に言葉を選びながら答えた。
「……首を跳ねられた時、ロザリエお嬢様は強く願われませんでしたか?もう一度だけ、過去に戻りたいと。」
ロザリエは驚きの色を隠せず、目を見開いた。
「え……?」
ルーデリウスは柔らかな声で説明を続ける。
「あの魔法は、一応、禁術と呼ばれております。非常に危険で、扱いを誤れば取り返しのつかない代償を払うことになる魔法です」
禁術……とロザリエは胸の中で言葉を繰り返した。
「魔法の発動者と共に回帰するには、その対象に触れている必要がございます。身体の一部でなくとも構いません。例えば、体液や血液が付着している場合でも、魔力はその対象を巻き込むことができるのです」
ルーデリウスはロザリエの目を静かに見つめ、続けた。
「そして、最も重要なのは〝気持ち〟です。発動者と対象の双方が、過去に戻りたいという強い意志を共有していなければ、共に過去に戻ることはできません」
ロザリエはその言葉を聞きながら、胸の奥にしまい込んでいた想いが蘇るのを感じた。
あの時、処刑台に立ち、必死に願った記憶。刃が振り下ろされ、首が跳ねられたその瞬間。宙に舞う身体の中で、ぼんやりと群衆の中のひときわ鮮やかな青い瞳が見えた気がした。
それは冷たくもあり、しかしどこか温かさを感じさせる、はっきりとした光だった。
長い時間を経て、ロザリエはようやくその瞳の主がルーデリウスであったことを理解した。心の中にあったもやもやが一気に晴れていくようだった。
「つまり……私だけが回帰の記憶を持っているのは、私があの瞬間に、強く願い続けていたから、なんですね」
ロザリエの声は震えていたが、どこか納得したような安堵も混じっていた。
「その通りでございます。お嬢様の強いお気持ちが、私の魔力と結びついたゆえに、共に過去に戻り、その記憶を保持しておられるのです」
ロザリエは静かに、ほっと息を吐いた。胸の奥にずっと重くのしかかっていた秘密や不安が、少しずつ溶けて消えていくのを感じていた。もう、隠し事はない。お互いに、これからは真実だけで繋がっていける————そんな確信が彼女の心に芽生えた。
話が終わり、ほっとしたのも束の間。ふと気づくと、ルーデリウスの顔がいつの間にかやけに近くにあった。ドキリと胸が跳ね、慌てて視線を逸らす。
「……何か?」
ルーデリウスは優しい声で問いかける。
「いえ……ただ、安心したのです。もう、お嬢様には隠し事をしなくてよいのだと」
そう言って、ルーデリウスは微笑んだ。その声音には、深く、静かな安堵が滲んでいた。ロザリエがその言葉を受け止めた次の瞬間だった。
彼はゆっくりと身を寄せ、そっと、迷いのない動きで彼女の唇に触れた。ほんの一瞬、羽が触れるようなやさしいキスだったが、ロザリエにとっては衝撃的で、頭の中が真っ白になる。
「な、なっ……!」
ロザリエは顔を真っ赤に染め、目をぱちくりと瞬かせた。どうしようもなく動揺し、言葉がうまく口から出てこない。
視線は定まらず、彼の顔を見ることもできずに、そわそわと体をこわばらせる。
けれど、ルーデリウスはそんなロザリエの反応を、楽しそうに、そして何よりも愛おしげに見つめていた。
まるで、その表情ひとつひとつが愛しくてたまらないと言わんばかりに、彼の瞳には深い慈しみの光が宿っている。
そして、真っ直ぐな声で、言葉を告げた。
「愛しています、ロザリエお嬢様」
その言葉は、静かな夜の空気に溶けて、まっすぐにロザリエの胸に降り注いだ。
心臓の鼓動が一気に高鳴る。息が詰まりそうになるほど、胸が熱くなった。
驚きと戸惑い、そして————どこか、嬉しさに似た感情がじんわりと彼女の中に広がっていった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!!一年ぐらい前からずっと考えていた話をこうして書き終えられて、皆様に読んで頂けて感無量です……!これからも作品を投稿していきますので今後もよろしくお願いいたします!
それでは、またどこかで……!




