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45 指輪

「……証拠は、リチャードが持っています」


 その言葉が放たれた瞬間、場内の空気が凍りついた。貴族たちのざわめきは、雷が落ちたかのように一斉に広がる。

 第二王子が、共謀の証拠を?そんなはずはないと誰もが思いながらも、ルーデリウスの言葉の重みは、容易に否定できるものではなかった。


 当のリチャードは、まるでその場に杭打たれたかのように動けなかった。肩を震わせ、わずかに見開いた瞳で、兄を、否、その告発者を見つめている。

 ルーデリウスは、一歩だけ、彼に近づいた。表情は変えず、ただ静かに、冷徹なほどの確信を持って、告げる。


「お前の懐に、あるはずだな。……僕の、あの指輪が」

「……っ!」


 リチャードは息を呑んだ。まるで心の底に仕舞い込んでいたものを、突然白日の下に晒されたように。


「そ、それは……」


 思わず、左胸元の内ポケットに手を伸ばしかける。だが、その指先が届く寸前、彼は自らの動きに気づいたのか、慌てて腕を引いた。

 だがもう、遅い。


 その反応を見逃すほど、ルーデリウスは甘くない。そして貴族たちもまた、息を詰めてそのやり取りを見つめていた。


「返してもらえるか、リチャード」

「な、なぜ……なぜそれを……!」


 顔色は見る間に青ざめ、額に浮かんだ汗が、こめかみを伝って滴る。場内の空気は張り詰め、誰もが息を呑んで見守っていた。

 そして次の瞬間。


「……っ!?な……ッ」


 リチャードの両腕が、まるで見えない糸に引かれるかのようにぴたりと動きを止めた。指先がぶるぶると震え、抗うように力を込めるも、無駄だった。

 膝から崩れ落ちるように、その場に跪く。まるで傀儡のように不自然な姿勢で、リチャードは呻く。

 当人も、一体何が起きたのか分からないらしく、恐怖に満ちた瞳で周囲を見回していた。


「……っ、兄上……ッ、何を……!」

「魔法でお前の動きを封じた。無理に動こうとすれば骨が折れるぞ」


 静かに歩み寄るルーデリウスの足音だけが、広間に響く。彼の指先がゆるやかに宙をなぞると、リチャードの上着の懐がひとりでに開き、その中から、銀に輝く一つの指輪が現れた。


「それは……!」


 国王の呟きが、誰よりも先に空気を震わせた。

 座の上から、目を見開いたままルーデリウスの掌中の指輪を凝視する。

 その声音には確かな記憶と、震えるような後悔が滲んでいた。ルーデリウスがまだ幼かった頃、彼の誕生日に贈るため、ブルクハルト国王自らが依頼したのだ。

 ルトワーズ王国にしかない、特別な魔法石を用いて、王子の守りと証として。


「……お前の誕生日の贈り物として……ルトワーズに……」


 言葉は途中で掠れ、後には息のみが漏れた。

 そして、静かに一歩前に出たのは、エミリオ・ルトワーズだった。


「ブルクハルト国王陛下のご依頼を受けて、確かに我が国で制作された指輪です」


 エミリオはそう言いながら、ルーデリウスの手元に視線を落とす。その顔に浮かぶのは微笑ではなく、厳粛な誇りと責任の色。


「ルトワーズ王宮にて保管されている魔法石は、すべてが初代国王の手によって創られたもの。一つ一つに、強固な秘匿性と識別性を備えた魔法がかかっております」


 場内が再びざわつく。

 その魔法がいかに特別で、他国の技術とは一線を画すか、貴族たちもよく理解していたからだ。

 エミリオは続けた。


「そして、ルーデリウス殿下に贈られたこの指輪に嵌められた魔法石にも……オル・ド・ルミエールと同様の、魔法が施されております」


 エミリオはニコリと微笑む。


「音声を封じ込め、魔力によって再生させる魔法。言葉は記録され、封じられ、正当な魔力をもってしてのみ、その真実を語るのです」


 ルーデリウスは静かに指輪を持ち直すと、掌にそれを乗せたまま、わずかに目を伏せた。


「……リチャード。お前がこの指輪を恐れ、誰の目にも触れさせぬようにと、常に肌身離さず持ち歩いてくれていて……本当に助かったよ」


 柔らかい声だった。だが、その声音には容赦のない皮肉が滲み、リチャードの顔から血の気が引いていくのが、誰の目にも明らかだった。


 その瞬間、指輪に嵌め込まれた魔法石が淡く光を放つ。ゆらりとした光がルーデリウスの掌から広がり、澄んだ声が場内に響いた。


『兄上はッ……ルーデリウスは死んだはずだッ!貴方の、あの毒のせいで……!僕は、兄上の紅茶に、貴方から渡されたものを……!』


『ルーデリウス殿下は、あの日……渓谷にて亡くなられた。そうですな? レペグリアの毒が、紅茶に混入されていた……』


『私は、あの毒が即座に命を奪うものでないと申しました。しかし…… 殿下はあの毒を、思ったより多く入れられたのでは?』

『っ……そんな、僕は……!』



 誰かの震える声が、広間の空気を切り裂いた。


「……レペグリア……?」

「レペグリア……まさか……」

「オーディット伯爵家の、家紋の花……だろう……?」


 まるで氷水を浴びせられたかのような、ざわめき。一瞬の沈黙の後、貴族たちの間に奔るのは、驚愕と、恐怖と、そして理解。


 レペグリア————それは、オーディット伯爵家の庭にしか咲かない紫色の小花。

 その名は、まさしくゲラルド・オーディット伯爵家を象徴する花であり、家紋としてあらゆる所にあしらわれていた。


「家紋の花……それを……毒に……?」

「…それを毒に使うなど……」

「まさか、レペグリアに……そんな性質が……」

「伯爵が……自ら、調合を……?」


 ひとり、またひとりと、貴族たちの顔色が青ざめていく。知らなかった、知らなかったはずだ、そんなこと。だが、指輪の中に残された声は、紛れもなくゲラルド・オーディットその人のものだった。


 この会場にいるすべての者が、かつて一度はその声を耳にしたことがある。陰気な響き、あくまで冷静な調子、そして言葉の端々に滲む底知れぬ知性。


「……おやおや、殿下。音声だけでは証拠になりませんよ。その音声通りの事が仮に起こったのだとしたら、貴方が、レペグリアの毒を摂取したという証拠が必要になりますが…?」



 ゲラルド・オーディット伯爵は、余裕たっぷりに嘲笑を含んだ声で言い放った。まるで勝利を確信したかのように、場の空気を支配しようとしている。

 だが、ルーデリウスはまったく動じなかった。むしろ、彼の唇には冷ややかなニヤリが浮かび、鋭い目がゲラルドを見据える。


「焦るな、ゲラルド殿。順を追って説明してやる」


 ルーデリウスの声は静かだが、その一語一語に揺るぎない自信と確信が込められている。

 隣に立つエミリオに目配せを送ると、エミリオはすぐに反応し、優雅に一歩前へ進み出た。彼の手からは、まるで魔力に反応するかのように、淡く輝く羊皮紙がそっと取り出された。


 場内の貴族たちは息を呑み、エミリオが差し出す羊皮紙に視線を集中させる。


「五年前、私が渓谷に落ちた際、命が尽きかけたその瞬間、私は転移魔法を使い、ルトワーズの王宮へと転移しました。幸いにも、エミリオ殿下が私を見つけ、保護してくださったのです」


 彼はゆっくりと視線を巡らせ、続けた。


「その際、ルトワーズの宮廷医療団と、エミリオ殿下の助力もあり、私の体を詳しく調べていただきました。結果、私の体内から、毒が検出されたのです」


 貴族たちはざわめき、顔を見合わせる。誰もが、ただの事故ではなかったという事実を否定できなかった。


 エミリオは静かに一歩前に進み出て、場内の視線を一手に集めた。彼の口元には、落ち着いた微笑が浮かんでいるものの、その瞳の奥には確固たる決意が宿っていた。


「こちらが、ルトワーズ王国の宮廷医療団が検出した毒の成分です」


 彼は羊皮紙を皆の前に広げた。


「この毒は、ルトワーズにおいては未だ前例のない、未知のものでした。解析には非常に手間取りましたが……先日、ついにその正体が判明したのです」


 会場の空気が一瞬にして張り詰め、貴族たちは息を呑んで見守る。


「この毒の成分は、特別な植物由来のものであり、その名前は……」


 エミリオはゆっくりと言葉を紡ぐ。


「〝レペグリア〟と呼ばれる花から抽出された、極めて強力な毒です。通常の解毒剤では効果が薄く、適切な処置を受けなければ死に至る恐れがある代物です」


 彼の言葉に、会場は一瞬静まり返った後、ざわめきが広がる。


「レペグリアの毒と、ルーデリウス殿下の体内に残っていた毒が同一であるという解説結果も出ております」


 ゲラルドは深く息を吐きながら、エミリオが差し出した羊皮紙を鋭く睨みつけていた。

 レペグリアの花は、オーディット家の領地にしか存在せず、市場には決して流通しない。その事実を知っているからこそ、彼の瞳には隠し切れぬ動揺が滲んでいたが、その声にはそれを認める言葉は一切なかった。


 ルーデリウスもまた、口には出さずとも、あの日の光景が鮮明に思い浮かんでいた。

 オーディット家の嫡男、レアンが無邪気に、しかし確かにロザリエにレペグリアの花束を手渡したこと。


 その一瞬が、彼らにとって重要な糸口となったことを心の中で密かに喜んでいた。


 二人の思惑は、言葉にされることなく、静かに場の空気の中に溶け込んでいった。

だが、周囲の貴族たちには、その微かな空気の変化が確実に伝わっていた。


「……こちらの毒の解析ができたのも、ひとえに貴方のおかげです。ゲラルド・オーディット伯爵殿」


 その言葉に、会場の空気がぴたりと止まった。

 エミリオは、まるで悪意などひとかけらも含んでいないような、能天気とも言える笑顔を浮かべていた。だがその表情こそが、何よりも残酷だった。貴族たちの間に緊張が走り、誰もが彼の次の言葉を待つ。


「伯爵殿が、毒の生成方法を書き記してくださらなければ、きっとこの件は迷宮入りしていた事でしょう」


 その一言と同時に、エミリオは再び魔力を指先に宿し、宙へ向けて弧を描くように手を振った。


 ふわりと揺れるようにして、淡く青い光に包まれた一枚の羊皮紙が現れた。まるで聖典のように厳かに漂うそれを、エミリオは丁寧に掲げる。


「カリナ・オーディット嬢宛に、伯爵自らがしたためた、毒の生成方法を記した手紙です。筆跡鑑定も、済ませております」


 一瞬の沈黙ののち、会場が爆ぜるようにどよめいた。貴族たちが互いに顔を見合わせ、ざわめきは波のように広がっていく。


 ゲラルド・オーディットの肩がぴくりと震えた。その目は大きく見開かれ、まるで不意を突かれたように、一瞬にして無防備な驚愕の色を浮かべた。


 エミリオはそんな伯爵を一瞥しながら、変わらぬ笑顔で小さく口元を綻ばせた。


「国を跨いでの献身、誠にありがとうございました。ルトワーズ王国を代表して、深く御礼申し上げますよ。オーディット伯爵殿」


 皮肉とも本心ともつかぬエミリオの言葉が、やがて静まりゆく会場に凍てついた余韻を残した。


「……オーディット伯爵、これはどういうことだ」


 その声は、雷のように静かに、けれど容赦なく会場全体に降り注いだ。国王の声音には、もはや迷いも慈悲もなく、ただ王としての冷厳な威圧があった。


 会場の空気は一瞬で凍りついた。


 ゲラルド・オーディット伯爵は、静かに息を吐いた。

 その呼気はまるで長年押し殺してきた怨念を吐き出すかのように重く、そして深い。彼はゆっくりと片眼鏡を外し、手に持ったまま、ようやく国王を正面から見据えた。彼の碧眼が鋭く光る。


「復讐……です」


 短く、はっきりと告げられたその言葉に、貴族たちは思わず息を呑んだ。

 騒然とする空気のなか、誰もが言葉を失い、ただ伯爵の口元に浮かぶ静かな笑みに凍りついていた。


「復讐だと?」


 国王が低く問い返すと、ゲラルドは眉ひとつ動かさず、淡々と頷いた。


「ええ……この国へ。王家へ。そして————貴方にも。兄上」


 その一言が落ちた瞬間、場内の空気が異様なほどに静まり返った。






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