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44 断罪

 場内が静まり返った。


 誰もが息を呑み、ルーデリウスの次の言葉を待っていた。国王も貴族たちも、沈黙のまま動かず、ただその背に立つ王子の一声に視線を注いでいる。


 ルーデリウスは一歩、舞踏会場の中心へと進み出る。その歩みは威風堂々としていて、かつて「失われた第一王子」として人々の記憶に埋もれかけていた存在とは思えないほどだった。


 そして、静かに、けれども誰の耳にもはっきりと届く声で命じた。


「……カリナ・オーディットを捕えろ」


 低く、鋼のように冷たい声だった。

 その瞬間、会場に走ったのは、言い知れぬ緊張と確信。


 隅に控えていた近衛兵たちがハッとしたように背筋を伸ばし、一瞬だけ視線を交わす。そして迷いを断ち切ったように、カリナへと向かって歩を進めた。


「なっ……!? ま、待ってください、私は————!」


 カリナの表情が一気に引き攣る。

 顔面から血の気が引き、手袋に包まれた手が震え出した。その場に膝をつくまいと踏みとどまるように、スカートの生地をきつく握りしめる。

 だが、近衛兵たちは容赦なくその腕を取り、拘束する。その美しい顔は恐怖に歪み、涙で彩られていた。完璧に整えられていた化粧も、今はただの仮面のようだった。


「くッ……!ロザリエ……あなたが、あなたが余計なことを……ッ!!!」


 なおも毒づくように、ロザリエを睨みつけるカリナ。しかしロザリエは、その視線を受け止めながら、微動だにしなかった。

 その瞳は、過去の痛みに耐えた者だけが持つ、確固たる強さを宿していた。


「……連行せよ。審問の場にて、すべての真偽を明らかにする」


 再びルーデリウスが命じる。

 近衛兵たちはカリナの手を後ろで縛り、そのまま退出の準備を整えた。


 カリナが近衛兵に連行され、会場から姿を消した直後だった。リチャードはハッとしたように顔を上げ、場の空気も、立場も忘れたようにロザリエの元へ駆け寄った。


「ロザリエ……!」


 その声は掠れていた。

 必死に何かを取り戻そうとするように、伸ばされた手は震えていた。


「ロザリエ……嗚呼、今まで……すまなかった……僕は……僕は、なんて馬鹿なことを……っ」


 彼は涙すら浮かべ、懺悔するように声を重ねた。


「許してくれ、お願いだ……すべて、あの女に騙されていたんだ。君が悪いわけじゃない。僕は……」


 ロザリエの白い手に、指先が触れようとした、その瞬間だった。


「リチャード」


 低く、だが凛と響く声が場を打った。リチャードの手を、ルーデリウスが鋭く跳ね除けた。


「兄上……!?」


 まるで怯えた子供のように、リチャードは声を上げた。その瞳は混乱と焦りに揺れ、自身の罪から逃れたいという欲望が、渦を巻いていた。


「……まだ、終わったわけではない」


 その声は、氷のように冷たい。だがそこには怒りや激情ではなく、断罪者としての確かな意思が込められていた。


「……え?」


 リチャードが呆けたように問い返す。


「今夜、明らかになったのはひとつだけだ。カリナ・オーディット嬢の陰謀……それが、ロザリエお嬢様を貶めるための自作自演だったということ」


 ルーデリウスはそこで言葉を切り、周囲の注目が自分に集中しているのを感じながら、静かに告げた。


「だが、彼女の嘘は、お前の罪を覆い隠すものではない。リチャード、次は、お前の番だ」


 その言葉が落ちた瞬間、場内は再び、ぴたりと凍りついたような沈黙に包まれた。


「……ぼ、僕の……?」


 リチャードの唇が震える。血の気が一気に引き、蒼白な顔に冷たい汗がにじむ。

 誰もが息を詰める中、重く、鈍い声が響いた。


「……どういうことだ、ルーデリウス?」


 それは、玉座から絞り出された国王の声だった。威厳あるはずのその声音は、わずかに揺れていた。

 ルーデリウスはその問いに答える前に、一度だけ目を伏せた。まるで記憶の底にある、あの日の映像を心のなかに呼び起こすかのように。


 そして、ゆっくりと瞼を上げ、父王と、そして会場全体を見渡すようにして、言葉を紡いだ。


「————五年前。私が渓谷から落下したあの日」


 会場を包む沈黙の中、ルーデリウスは一語一語を噛み締めるように語り始めた。その声音は静かで、だが確かに、全てを揺るがすだけの重みを持っていた。


「当時、世間では事故とされていました。私はテラスから足を滑らせ、渓谷へ転落した————と。国中の者がそう信じて疑わなかった。だが、実際は違います」


 貴族たちの間に、ひそひそとしたざわめきが生まれ始める。


「……あれは不慮の事故などではなかったのです」


 ルーデリウスは一歩、前に出た。その目は、真っ直ぐに弟————リチャードを射抜いていた。


「兄弟の絆を深めるために————そう言って、父上が毎月一度設けてくださった時間。王子である我ら二人にとって、憩いのような場でした。国の未来を託すに相応しい兄弟となれるよう、互いを知り、互いを認め合うようにと。その言葉を、私は心から信じていました」


 その瞳には、穏やかな悲しみが浮かんでいた。過去を責めるのでも、恨むのでもない。ただ、事実と向き合おうとする者のまなざし。


をその茶会において、私は、弟————リチャードから差し出された紅茶を飲んだ。それが、罠だったのです」


 貴族たちの間に緊張が走る。


「すぐには異変は起きませんでした。ですが、時間と共に身体の力が抜け、意識は霞み始めた。吐き気、倦怠感、そして視界の揺れ……明らかに、身体がおかしくなっていくのを感じました」


 そして————。


「……私は、柵に手をかけ、リチャードに背を向けていた。ふらついたそのとき、背後から、突き飛ばされたのです」


 ルーデリウスの声は静かだったが、明確だった。その一言は、まるで場内に雷鳴が轟いたかのような衝撃をもって響き渡った。


 玉座の上、王の双眸がかすかに揺れる。長年の王としての威厳を持ってしても、その表情を完全には保てなかった。

 まさか、いや、しかし————。

 そんな葛藤が、国王の眼差しの奥に見え隠れしていた。


 ロザリエは思わず息を呑んだ。突きつけられた真実に、胸の奥が締めつけられるようだった。あの優しく微笑む従者の姿に隠れていた、五年間の苦痛と孤独————。それが、今ようやく言葉となって紡がれたのだ。


 そして、貴族たちの視線が一斉に向けられたのは、たった一人の青年。

 リチャード。


 彼は、凍りついたように立ち尽くしていた。顔からは血の気が引き、唇は小さく震えている。すぐに否定の言葉を返せばよいはずなのに、それすらできない。沈黙が、なにより雄弁に語っていた。


「……リチャード殿下が……まさか、本当に……?」

「兄君を……?」

「信じられない……だが、もしあれが真実ならば————」


 貴族たちは誰もが小声で囁きあいながらも、言葉を選び、距離を取るようにリチャードを見た。彼が王子であることを忘れていない。だがそれ以上に、目の前に立つのは王子殺しの容疑者という重い現実。


 そのとき、王の口がようやく開いた。


「……リチャード……?」


 それは父としての問いだった。

 だが、それは同時に、一国の主としての確認でもあった。事実か否か。真実を語るのはお前自身だ。

 けれど、リチャードはその視線から逃げるようにうつむき、言葉を発せなかった。沈黙が、罪の色を深めていく。会場を満たすのは、もはや疑惑ではなかった。

 それは確信へと変わりつつある、圧倒的な空気だった。


 沈黙が重く垂れこめたまま、誰もが息を潜めていた。だがその静けさを、再び破ったのはルーデリウスだった。


「……リチャード一人の罪ではありません」


 彼の声音は落ち着いていた。だが、はっきりと力がこもっていた。語る言葉が真実であるという確信。それを支える怒りと悲しみが、静かにその声の奥に燃えていた。


「弟は、確かに私に毒を盛りました。しかし、その毒は、一体どこから来たのか……」


 誰もが顔を見合わせる中、ルーデリウスの視線がある一点を射抜く。その鋭い眼差しの先には、貴族の列の中でも一際存在感を放つ男の姿があった。


「……ゲラルド・オーディット伯爵」


 名を呼ばれた瞬間、場の空気が一層張り詰めた。


 彼の碧眼が、わずかに細められる。

 赤銅色の髪を整えたその男は、まるで何の感情も持たぬ石像のように、微動だにせず立っていた。だが、その内に宿す何かが、周囲の者たちの背筋を自然と凍らせた。


「貴方に、心当たりはありませんか?リチャードが、どうして茶会に毒を持ち込めたのか。貴族として、王に忠誠を誓うべき立場にありながら、弟に何を与えたのか……」


 ルーデリウスの声は決して荒ぶらない。だが、それゆえに、告発の言葉がひどく重く響いた。


「一人の少年が、戯れに使えるような代物ではありません。手に入れるには、それ相応の伝手と……知識が必要です」


 ルーデリウスの言葉が静かに落ちた瞬間、場内の視線は一斉に、列席していたある人物へと向けられた。

 その視線の渦の中心で、ゲラルドはわずかに眉を上げた。やがて、ふう……と小さな溜息を吐き、手袋越しの指先で片眼鏡をそっと押し上げる。


「娘の次は、私を疑われるのですか?」


 声音に怒りはなかった。

 あるのは、まるで芝居でも観ているかのような冷笑と、薄氷を踏むような皮肉めいた調子。


「……ルーデリウス殿下は、オーディット家に何か、個人的な恨みでもおありなのでしょうか?」


 言葉の裏に潜むのは、〝お前の告発は感情に基づいたものだ〟という含み。あくまで冷静に、品位ある態度を装いながら、観衆の心に疑念の種を植えつけようとしていた。


 その態度に、数名の貴族が視線を泳がせた。


 たしかに、ゲラルド伯爵は国に多くの恩を与えてきた老貴族であり、文化・学問・薬草学の分野でも多大な功績を持つとされている。その名に疑いをかけるには、それ相応の確かな根拠が必要だ。


「恨み、ですか」


 ルーデリウスはゲラルドの言葉を、ゆっくりと反芻するように繰り返した。そして、表情を動かさぬまま、ただ一つの言葉で応じた。


「ありませんよ。私は、事実を求めているだけです」


 その声に、私怨も感情もなかった。ただ、真実を語る者の、静かな確信。


「伯爵に恨みがあれば、もっと早く名前を挙げていたことでしょう。ですが私は、今日この場で、貴族全員が見守る前で、貴方に問うているのです。……弟が毒を手にしたその経路に、貴方の影があったのではないかと」


 会場は再びざわめきに包まれた。誰もが思っている。なぜルーデリウスは、これほど静かに、それでいて迷いなく伯爵の名を指摘できるのか。


 ゲラルドは沈黙したまま、鋭く細めた目をルーデリウスに向けていた。微笑の裏に隠された真意が読めず、なおさら不気味だった。


「……馬鹿なことを」


 ゲラルドの声は低く落ち着いており、怒りの色もなければ、狼狽の気配もない。ただ事実を淡々と並べるような、老練な官僚の口調。


「第一に、当時の茶会で使用されたポットやカップは、すでに調査済みと伺っています。いずれからも、毒など一切検出されなかった。……違いますか、陛下?」


 ゲラルド・オーディット伯爵の言葉に、会場の視線がふたたび国王へと集まる。

 国王は一瞬たじろぐように瞳を揺らしながらも、頷くことはなかった。ただ、答えを探すように黙したままだ。


 その隙を縫うように、ルーデリウスが静かに口を開いた。


「えぇ。毒は、私の紅茶のみに仕込まれておりました。ですから、調査に残るはずがないのです。痕跡を残す前に、すべてが私の体内に取り込まれていたのですから。……飲み干してしまったのは、私の過失ですね」


 ルーデリウスは自嘲するように微かに口元を歪めたが、視線は真っ直ぐ前を見据えていた。その瞳には後悔ではなく、確固たる決意が宿っていた。


「ですが、証拠はあります」


 その一言で、再び場が息を呑んだように静まり返った。


「当時、貴方とリチャードが共謀し、私の紅茶に毒を仕込んだ証拠がね」


 その言葉に、貴族たちの間にどよめきが走る。リチャードは震える手で袖を握り、顔を背けた。

 一方で、告発の矛先であるゲラルドは……


 ふ、と小さく鼻で笑った。


「……何を言い出すのかと思えば」


 彼は口元に手を当て、まるで優雅な舞台を眺めている観客のように微笑を浮かべた。


「殿下は、まるで芝居の台本でも読むように語られますね。では、その証拠とやらを、拝見してもよろしいですか?」


 声に嘲笑の色はなかった。


 だが、その言葉の裏にあるのは、明確な挑発だった。




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