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43 魔法は嘘をつかない

「……真実、だと?」


 国王が再び問いかける。その声音は低く、重い。ルーデリウスの帰還に戸惑いながらも、その真意を測ろうとしている。


 ルーデリウスは一歩も引かず、澄んだ声で応えた。


「はい。今宵のこのパーティーにて、毒を盛られたとされている令嬢がいます。ですが、それはすべて、自作自演なのです」


 再び、会場がざわついた。


 混乱と動揺が渦巻く中で、カリナは、涼しげな笑みを崩さなかった。

 彼女は美しく揃えられたドレスの裾を指先で押さえながら、ゆったりと一礼してから、落ち着き払った声で口を開く。


「……ルーデリウス殿下。突然、何を言い出すのかと思えば……」


 やわらかに、けれど確実に皮肉を滲ませた口調だった。


「このような公の場で、私を貶めるような発言をなさるとは……王族とはいえ、慎みに欠けるのではありませんか?」


 令嬢たちの中から、小さくため息が漏れる。「いつものカリナ嬢だ」と。どんな場でも冷静で、聡明で、完璧な令嬢としての姿を保つ彼女。

 だがルーデリウスは、その微笑みに眉一つ動かさず、ただ静かに言葉を重ねた。


「冷静な対応、感心するよ。だが、それで真実が消えるわけではない」


 カリナの目が、わずかに細くなる。


「……では、私が、いつ、どうやって、自分のカクテルに毒を入れたというのです?」


 カリナの声は落ち着いていた。

 視線は真正面からルーデリウスを捉え、その顔には柔らかな微笑が貼りついている。

 その完璧すぎるまでの態度に、貴族たちは再び惑わされかけていた。


「殿下は、私が自ら毒を手にし、誰にも気づかれずにカクテルへ混入させたと仰るのですか?このように人の目に晒されている場で?」


 その言葉には確かに理があった。毒を使うなどという行為を、誰にも見られずに行うことはほとんど不可能だ。

 しかも、それが王族や貴族が集う、最も目立つ式典の場であればなおさら。


 ざわめきがまた、会場のあちこちでひそやかに広がっていた。


 だが、ルーデリウスはその空気を読みながらも、まったく動じなかった。そして、ゆっくりとロザリエの方へと視線を向ける。


「……ロザリエお嬢様」


 その声音は柔らかく、けれど会場中にしっかり届くほどに明瞭だった。ロザリエはびくりと肩を震わせる。


 すぐそばにいるはずのルーデリウスが、自分の名を正式な場の言い回しで呼んだ。その響きに、彼の中の敬意と信頼が込められていることを、ロザリエは感じ取っていた。


「殿下……」


 呟くように名を呼ぶと、ルーデリウスはゆっくりと頷いた。


「貴方が見たことを、どうか、正直に語っていただけますか?」


 それは命令ではなかった。強制でも、押しつけでもない。ただ、真実を、あなたの言葉で。そう、静かに背を押されるような言葉だった。


 ロザリエは、息を吸った。


 すっと、喉を通る空気が冷たい。それでも彼女は、その場で逃げず、ゆっくりと前を向いた。


「……すべては、〝毒が付着していたグラス〟という偽造証拠を作り出すため、ですわ」


 ロザリエはまっすぐに前を向いたまま、言い切った。会場に集う貴族たちは一瞬静まり返ったが、すぐにざわめきが広がる。


「偽造……証拠……?」

「どういうことだ?」


 ロザリエは静かに続けた。


「彼女はあらかじめ、手袋の親指の部分に、毒を塗布しておりました」


 ロザリエの語り口は、はっきりしていた。一言一言に淀みはなく、明確に、真実だけを指していた。


「給仕からカクテルを受け取ったあと、彼女はその親指でグラスの縁をなぞりました。自然な動作に見えるよう、周囲に気づかれぬように……ですが、それは毒を塗るための動作でした」


 そして、ロザリエはカリナを見据えた。


「それから、彼女はその部分を避けてグラスを口に運び……わずかに飲み、倒れた。そうして、〝毒が塗られたグラスを持っていた〟という状況だけが、そこに残されたのです」


 しん、と空気が静まる。


 やがて、その沈黙の隙間から、ざわざわと波のように広がっていく声。


「……証言だけでは、毒を塗った証拠にはならないだろう」

「それにしても、なぜロザリエ嬢がそれほど詳しく知っている?」

「まさか本当は共犯で、いまになって裏切ったのでは……?」


 疑念が、空気の隙間から漏れ出す。誰も彼女を、真正面から信じようとはしなかった。


 やはり、私の言葉では……


 心の奥から、じわりと冷たいものが広がっていくのを感じた。全身を巡る血が氷のように冷え、手足の先から力が抜けていく。わかっていた。自分が何を言っても、きっと誰も信じてはくれない。あの場にいたのはロザリエだけ。あの手袋の毒に気づいたのも、カリナの仕草を見たのも、この私だけ。


 ロザリエは、俯きかけた。

 視線を落とし、喉の奥が締めつけられ、声を失いそうになったその時。


「ありがとうございました。ロザリエお嬢様」


 優しく、けれどはっきりと通る声が、すぐ傍から聞こえた。


 ロザリエは、はっとして顔を上げた。


 ルーデリウスは柔らかく、穏やかな微笑みを浮かべていた。まるで、ロザリエの語った言葉すべてを、そのまま信じきっているというように。


「勇気ある証言を、本当にありがとうございます。……ですが、言葉だけでは届かぬことも、確かにあります」


 ルーデリウスは視線を前に戻した。会場中の視線を一身に集めるその佇まいは、威厳すら帯びている。


「だからこそ、次は〝証拠〟をお見せしましょう。ご安心ください。皆様の耳に、真実をお届けします」


 ルーデリウスの声音には、確かな意志がこもっていた。会場を包んでいた重苦しい空気が、一気に緊張を孕んだ静けさへと変わる。

 彼は静かにロザリエの正面に向き直ると、一礼しながら言った。


「失礼します」


 そして、彼の右手がロザリエの首元へと伸びる。その指先が触れたのは、彼女が身につけていたネックレス。美しく煌めくその宝石は、ただの装飾ではない。彼がロザリエに託した、魔法石だった。


 魔力が込められた瞬間、石はまばゆい光を放つ。暖かな光が会場の中心に広がると、ほどなくして————。


『やっぱり……手袋の、親指。毒が染み込んでるわね』


 少女の声が、はっきりと響き渡った。澄んだ音色。まぎれもなく、ロザリエのものだった。


『知って、どうするの?』


 返す声は、カリナ。柔らかく、どこか愛らしい声音。だが、その中には微かに冷笑が混ざっている。


『……貴女の手袋を、調べてもらうわ。そうすれば、あなたが毒を仕込んだ証拠が————』

『それで?悪女である、貴女を、誰が信じるかしら』


『……全て、貴女の仕業でしょう……っ!私を、悪女に仕立て上げて……!孤立させて……っ!』

『あら、気付いていたのね。……貴女が悪女と呼ばれるように仕向けたのは、私。令嬢たちが貴女を避けるように仕向けたのも、私。リチャード様が私のことを気にかけるようになったのだって……ふふ』


 どよめきが、会場全体を震わせた。しかし、声はなおも続く。


『……今夜、貴方は婚約者の座から引き摺り下ろされる。そしてその座につくのは私よ』


 それはもう、令嬢としての上品さなど微塵も感じさせない声音だった。甘さを装った声色が、今や毒そのものを孕んだ本性を露わにしている。


『毒が付着したグラスを落とし、倒れる私。周囲は騒然となり、貴女は『何か知っていたようだった』と囁かれる。ねえ、想像できるでしょう?〝毒を盛ったのはカリナ嬢に嫉妬したロザリエお嬢様〟。明日にはそんな話が貴族たちの噂を満たすわ」


 ————その声が完全に途切れた瞬間、場内を満たしていた緊張の糸が、ぷつりと切れたようだった。


「……今のは、カリナ嬢の声……だよな?」

「……」


 貴族たちのささやきが、四方から波紋のように広がる。誰もがその声を信じきれず、けれど、信じざるを得なかった。

 ロザリエが口を閉ざしたまま、そっと自分の胸元に触れる。ネックレスは光を失い、ただ静かに揺れていた。

 ルーデリウスの魔法で、全てをさらけ出された今、彼女の沈黙が何より雄弁だった。


 そして、ついにカリナの表情が、歪んだ。


 涼やかだった瞳が揺れ、唇が小さく震え始める。先程まで余裕を保っていたその顔からは、気品も、策略も、すでに剥がれ落ちていた。


 ルーデリウスは、そんな彼女に一歩近づき、静かに言った。


「カリナ・オーディット嬢」


 その名を、王族としての立場で正式に呼び捨てたことで、場内の空気が再びぴりりと引き締まる。


「貴方の手袋を、調べさせていただきましょう」


 彼の声音は淡々としていたが、その中には明らかな命令の気配があった。


「ロザリエお嬢様の証言通りならば、親指の部分には毒が染み込んでいるはずです。そして、その指でグラスの縁をなぞり、毒を付着させた上で、自ら倒れた……この一連の出来事が全て計画された茶番であったことの証左になるでしょう」


 カリナは唇をきつく噛み、動けないまま、睨むようにルーデリウスを見上げた。だが、その目にはすでに、勝者の余裕はなかった。


 カリナの白い唇が、わなわなと震える。明らかに追い詰められているというのに、それでもなお、彼女は言葉を紡いだ。


「……る、ルーデリウス殿下は……魔法が使えるのでしょう?なら、さ、先程の〝声〟も……魔法で捏造したという可能性が……!」


 その声にはもはや気品など残っていなかった。無理に作った上品さが崩れかけたまま、わずかな逃げ道に縋るように、彼女は絞り出す。


 まるで、沈みゆく船の上で、まだ帆を張ろうとするように。

 その目には確かに、恐怖と焦燥とが渦巻いていた。


 しかし、会場にいた誰もが、その言葉が苦しい言い訳にすぎないと感じていた。それでもなお、空気は再び静まり返る。王族を、ましてやルーデリウスを、表立って疑うという行為————それは言葉に出す以上の重さを伴うものだった。


 ……と、その時だった。


「おや、そのお言葉は聞き捨てなりませんね」


 場にそぐわぬほどに柔らかく、優雅な声が割って入った。

 声の主は、これまで飄々と傍観していた、異国の王子。


 エミリオ・ルトワーズ。


 その整った端正な顔立ちには、依然として微笑が浮かんでいる。けれどその瞳だけは、笑っていなかった。


「失礼いたしました。これまでは〝敢えて〟静観しておりましたが……」


 彼は片手を胸に当て、貴族流の優雅な礼を取る。


「令嬢のご発言には、いささか看過できない部分がございましたもので」


 会場中の視線が、今度は彼へと向けられた。


 異国の王子という立場。そして、彼が「ルーデリウスの魔法に不正がある」との疑いに対し、直々に反応したという事実。

 それがこの場の空気を、明らかに変えた。


 エミリオは、静かに場を見渡す。その口元には相変わらず穏やかな微笑が浮かんでいる。だが、その笑みの裏に、王族としての威厳が潜んでいた。


「さて。皆様に、ご説明しておかなければなりません」


 その声音は、まるで授業でも始める教師のように柔らかい。しかし、その一言に貴族たちは思わず耳を澄ました。


「ロザリエお嬢様が身に付けておられるネックレス……あちらは、〝オル・ド・ルミエール〟と呼ばれるものなのです」


 その名が口にされた瞬間、ざわりと空気が揺れた。貴族の間に視線が交差する。互いの表情を確かめ合うように、誰もが戸惑いを見せる。


 エミリオはまるでそれを愉しむかのように、ゆったりと続けた。


「ええ。ご存知の方も多いようですね。実物をご覧になった方は、ここには居ないでしょう。なにせこれは、我が国の〝国宝〟ですから。ルトワーズの王宮へ出入りした事のある者しか、見る事は不可能です」


 彼はちらりとロザリエへ目を向ける。その眼差しは、どこか誇らしげですらあった。


「このネックレスに使われている石は、ただの宝石ではありません。精巧に研磨された〝魔法石〟であり、特別な魔法が付与されています。……すなわち、〝声を録音する魔法〟です」


 会場が再びざわめく。


 エミリオの言葉は、舞踏会という華やかな夜に似つかわしくないほど、厳粛な響きを帯びていた。


 ロザリエの胸元で揺れるネックレスに、貴族たちの視線が集中する。そこに込められていたのは、確かに声だった。カリナの声————策略と悪意を包み隠さずに語った、紛れもない本性の音だった。


 エミリオはさらに続ける。


「この魔法には、ある〝制限〟がございます。魔力を持つ者にしか聞くことはできず、記録された声は一度再生されたら、再び魔力を込めなければ再生されない。加工や改竄は不可能であり、捏造も存在し得ない。言わばこれは、〝真実を封じるための魔法の録音石〟なのです」


 その説明が終わる頃には、誰も口を開こうとはしなかった。

 カリナを疑う目が増えていく。ロザリエに向けられていた「悪女」という烙印が、ゆっくりと、その呪いを解かれていく。


 エミリオはしばし沈黙し、ただカリナの方を見据えていた。


 その瞳には、もはや微笑はなかった。ただ、深く静かな色を湛えた湖面のような、けれど奥底に冷たい氷を沈めた視線だった。


「……カリナ・オーディット嬢」


 彼は静かに名を呼び、ほんのわずかに顔を傾ける。


「今、貴女は仰いましたね。このオル・ド・ルミエールに記録された〝声〟が、魔法によって捏造された可能性があると」


 カリナはぎくりと身を強張らせた。その瞳は泳ぎ、だが言い返すだけの余裕も、理屈も、すでに残っていなかった。

 エミリオはゆっくりと歩を進め、舞踏会場の中央へと出る。彼の纏う気配は、まさしく異国の王子————高貴さと洗練された威厳を帯びていた。


「……ではお訊きしましょう。ルトワーズ王家が代々保有してきた、数少ない国宝の一つ。その存在自体が我が国の歴史であり信用であるこの品を……貴女は今、〝魔法で偽造された可能性がある〟と、そう仰ったのですか?」


 その声には微かな微笑が含まれていた。だが、それは皮肉にすら満たない、純然たる冷たさだった。


「……っ、わ、わたくしは……ただ、可能性を……!」

「……なるほど」


 エミリオは小さく笑った。だがその笑みは、決して愉快ではない。


「可能性。ええ、確かに、すべての事象には可能性が伴います。しかし、〝王家の名を冠するもの〟に対し、その真贋を疑うという行為は……侮辱であるということも、ご理解いただけますよね?」


 その場にいた貴族たちの空気が、一気に張り詰めた。

 誰もが、カリナが越えてはならぬ一線を踏み越えたことを悟っていた。


「オル・ド・ルミエールは、我がルトワーズ王国が築いてきた千年の歴史と共に継承されてきた魔法具であり、国宝なのです。貴族であれば皆、その名を一度は耳にしているはず。……それを、他国の場とはいえ『捏造の可能性がある』と切り捨てる」


 エミリオの声に、嘲りはない。ただ冷徹なまでの事実の羅列だった。


「貴方は、ロザリエお嬢様を陥れようとして、結果的に————我が国の誇りをも、地に落としたのです」


 その一言に、場内から小さなどよめきが走る。カリナの顔からは、すでに血の気が引いていた。

 エミリオは、最後にもう一度だけ、会場の全員に向けて声を発する。


「皆様。私は、この魔法石の記録を真実として信じます。それは、私がルーデリウス殿下を信じているからではなく、この石に刻まれた〝ルトワーズ王家の名誉〟を、私自身が信じているからです」


 その言葉に、もはや誰も異を唱えることはなかった。


 魔法は、嘘をつかない。

 そして、王家の誇りもまた、決して偽ることはないのだ。






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