表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/51

41 哀れ

「……可哀想なロザリエお嬢様」


 カリナはそう言って、口元に手を添えるようにして笑った。その声は小鳥のさえずりのように澄んでいて、けれど吐き出される言葉は残酷で、ひどく冷たい。


 ロザリエの手は、まだカリナの左手首を掴んでいるはずだった。なのに、気づけば、その手がするりと解かれていた。いつの間にか、逆にカリナの指先に絡め取られていたのだ。


 細い指が、まるで愛おしむように、ロザリエの手を撫でる。甘やかで柔らかい所作が、背筋に冷たいものを走らせた。


「誰も、貴女の言葉を信じてくれないだなんて……ほんとうに、可哀想」


 ゆっくりと、毒を塗るように、カリナは囁く。その目には同情の色などひとかけらもない。あるのは、勝者の余裕と愉悦。


「……っ、貴女がっ……!」


 ロザリエの唇から、思わず掠れた声が漏れた。胸の奥に堆積していた、あの日からの感情が、ついに溢れ出す。


「……全て、貴女の仕業でしょう……っ!私を、悪女に仕立て上げて……!孤立させて……っ!」


 カリナの顔が、さらに微笑んだ。それはもはや演技ですらなかった。心からの笑み————嗜虐に満ちた、純粋な悦びの表情。


「……あら。気付いていたのね」


 その言葉に、ロザリエの胸がずきりと痛んだ。


「貴女が悪女と呼ばれるように仕向けたのは、私。令嬢たちが貴女を避けるように仕向けたのも、私。リチャード様が私のことを気にかけるようになったのだって……ふふ」


 その声は甘やかで、何ひとつ飾らない愉悦に満ちていた。これまで周到に仮面を被っていた女が、今まさにそれを脱ぎ捨てようとしている。

 ロザリエの心臓が、不規則に脈打つ。苦しいほどの衝撃と怒りが、胸の奥を掻き乱していた。


「どうして……このようなことを……!」


 ロザリエの声が震える。

 憎しみというよりも、理解できないという戸惑いが、そこには滲んでいた。なぜ、こんなにも執拗に。なぜ、彼女は自分にこれほどまでに執着してきたのか。


 カリナはその問いに、わずかに目を伏せる。そして、ゆっくりと顔を上げると、まるで天使のように微笑んだ。


「……どうして? ふふ、それはね」


 その声音は、あくまで優雅で、穏やかだった。けれど、次に吐き出された言葉は、毒そのものだった。


「昔から邪魔だったのよ。王太子の婚約者になった貴女が、ずーーっと!」


 ロザリエの胸がきゅっと縮む。


「……あなたが知らなかっただけで、私もね、王太子妃の候補だったのよ」


 カリナの声には、かすかに熱が混じっていた。

 抑えても抑えても滲み出す、過去への執着と悔しさ。


「小さな頃から、礼儀作法も教養も完璧に仕込まれてきたわ。それこそ、伯爵家の娘として……いいえ、それ以上の、王妃になる器として育てられたの。お父様からも、お前は絶対に王妃になれと言われてきたわ」


 彼女はひとつ、笑う。それは自嘲にも近い、小さく、苦い笑みだった。


「でも、選ばれたのは私じゃなかった。……貴女だったの」


 声がかすかに震えた。


「それを聞いて、私、笑ったのよ。拍手さえしたわ。ねえ……滑稽でしょう?自分の席を奪われた瞬間に、祝福の笑みを浮かべたのよ」


 カリナの瞳がロザリエを刺すように見つめる。けれどそこには怒号も叫びもない。ただ、静かに燃える炎のような視線がある。


「ずっと憧れてたの。……王妃という立場に。けれど、貴女は違った。まるで、当然のように、その座に座っていた。疑いもなく、それが自分の役目だと思っていた。……それが、どうしようもなく許せなかった」


 静かな、けれど深く沈んだ憎悪の底。


「……今夜、貴方は婚約者の座から引き摺り下ろされる。そしてその座につくのは私よ」


 彼女の声は美しく澄んでいた。だが、そこに含まれる悪意は、凍てつく氷の刃のように鋭かった。


「毒が付着したグラスを落とし、倒れる私。周囲は騒然となり、貴女は『何か知っていたようだった』と囁かれる。ねえ、想像できるでしょう?〝毒を盛ったのはカリナ嬢に嫉妬したロザリエお嬢様〟————明日にはそんな話が貴族たちの噂を満たすわ」


 カリナはニコリと微笑む。


「あなたは、王妃にはなれないの。妃にふさわしいのは、可憐で、同情を集めるこの私。そして、王族に疎まれる悪女の貴方はもう不要なのよ」


 ロザリエの指先は、微かに、けれど確かに震えていた。喉がひりつく。鼓動の音ばかりが、やけに大きく響いていた。


(……この手袋を、奪えば……証拠は残る。けれど……カリナの言う通り、悪女と呼ばれた私の言葉を、誰が信じてくれる?)


 ぐるぐると巡る思考は、出口のない迷路だった。信頼という土台が崩れた人間の声は、誰にも届かない。たとえどれほど正しくても、たとえどれほど真実を叫んでも。


(でも……)


 喉奥で、言葉にならない息が詰まった。


(このまま、黙っていたら……本当に、すべて奪われる)


 王太子妃の座も、名誉も、誇りも、何もかも。それでも、口が動かない。足が、前へ踏み出せない。

 そんなロザリエの葛藤など、カリナにはお見通しだったのだろう。彼女はふわりとロザリエの手から自分の手を解くと、

 優雅にスカートを翻し、踵を返す。


「それでは、失礼いたしますわ」


 まるで戯れを終えた舞台の女王のように、カリナは軽やかに言い残した。

 その背は揺らがない。勝者としての風格すら帯びて、颯爽と廊下の奥へと消えていく。

 残されたロザリエの瞳には、悔しさが滲んでいた。唇が、かすかに噛みしめられる。


(私は……このまま、何もできないの……?)







閲覧ありがとうございました!!

評価やブックマーク、いつも励みになっております!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ