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04 レペグリア

 デリウスの雇用申請は、思ったよりもスムーズに通った。幼い頃から我儘など言った事がないロザリエが、初めて父に願い事をした為、ジークベルト公爵は直ぐにデリウスの雇用を承諾して、あの日から一週間が経つ頃にはデリウスがロザリエの専属執事として学園に派遣された。


 デリウスが来てまず初めに、彼が使える人材かどうか、ロザリエは様々な命令を与えてみた。少しは怯むかと思いきや彼は笑顔でロザリエの命令を承諾し、期待以上の出来を見せつけてくる始末。


「ロザリエお嬢様、紅茶をお淹れしました。他にご用件があれば仰ってくださいね」


 そして、気遣いも完璧だ。完璧すぎてもはや怖い。ロザリエはデリウスが淹れた丁度いい温度の紅茶を飲みながら、決心したように目を開けた。


「デリウス、少しお願いがあるのだけれど」

「はい、ロザリエお嬢様」


 テーブルの引き出しから二枚の紙を取り出し、それをデリウスへと手渡す。一つは薬草のリスト。もう一つは、生徒の顔写真が並んだ名簿の一部————その中に、カリナ・オーディットの名前が赤く丸で囲まれている。


「まず、このリストにある薬草を今日中に購入してきてちょうだい。用途は聞かなくていいわ」


 そう言って一枚目の紙を渡すと、続けてロザリエは名簿を指で軽く叩いた。


「それから……この子、カリナ嬢の最近の行動を調べて。交友関係、出入りの場所、目立った動きがあれば逐一報告して」


 命令というより、事務的な依頼のようにロザリエは告げる。だが、その瞳には冷静な光が宿っていた。


「承知いたしました。調査は本日より開始いたします」


 〝何故〟〝何のために〟デリウスは常人ならばつい口に出してしまいそうな疑問をロザリエに投げかける事なく、笑顔で頷いた。


(従順すぎて扱いやすい……そう思わせるように振る舞ってるのか、それとも本当に何も考えていないのか)


 表向きには上品に微笑みながら、ロザリエの心の奥では警戒の色がじわじわと濃くなっていく。それでも彼女は、あえてデリウスに対する疑念を口に出すことはしなかった。


(どんな理由があろうと、役に立つならそれでいいわ)


 目的はどうあれ、命じれば動く。成果を出す。それだけで、今のロザリエには十分だった。


(こちらが主導権を握っているうちに、使えるだけ使わせてもらいましょう)


 デリウスに見送られながらロザリエは何事もなかったかのように授業へと向かった。





 教室の扉を開ければ、カリナの席を取り囲んで令嬢たちが集まっていた。今日は何かあったんだったかと回帰前の記憶を思い出してみて、ピンときた。


 カリナが手作りした焼き菓子を持ってきてそれを令嬢に配っているのだ。カリナを取り囲む集団にチラリと視線をやれば、皆、小麦色に焼けた美味しそうなクッキーを摘んでいた。クッキーの上にはドライフラワーにされた菫色の花が乗っている。


 貴族の令嬢は料理なんてしない。だが、何故かカリナはお菓子作りを趣味としており、学園の厨房を借りて、よくお菓子を作っているのだそうだ。


「まあ!可愛らしいクッキーですわ!これをカリナ嬢がお一人で?」

「えぇ。大したものじゃありませんけど……」

「まさか!パティシエが作ったものかと思ってしまいましたわ!」

「この上に乗っているのは……お花、ですか?」

「えぇ。レペグリアの花です。ちゃんと食べられますのでご安心を」

「まあ!オーディット伯爵家の家紋のお花ですよね?可愛らしいですわ…!」

「ふふ、実家からたくさんこの花が送られてきて、せっかくなのでクッキーにあしらってみました」


 きゃっきゃっと盛り上がっている令嬢たちを素通りし、ロザリエは自分の席に着席した。今はデリウスに注文したものがきちんと届くかどうかのみが心配だった。そんなロザリエの様子を見て、カリナは小さく笑って彼女の席に歩み寄る。


「ロザリエ様も、お一ついかがですか?」


 可愛らしい笑みでこちらを見つめるカリナに、ロザリエは思わず乾いた笑いを漏らしそうになった。この子、正気なの?今までのことをもう忘れてしまったのかしら。回帰前の私なら貴方に平手打ちをしていたところよ。


 ……いや、むしろそれが狙いか。

 ロザリエは瞳を細め、ゆっくりと微笑んだ。


(私がまた暴れると思って、周囲の目の前で〝可哀想な娘〟を演じるつもりなのね?)


 令嬢たちの視線が注がれる中、カリナは無垢な笑みを浮かべてロザリエにクッキーを差し出している。


「……ロザリエ様?」


 なかなか返事をしないロザリエに、カリナは眉を下げて笑った。この状況、回帰前はどうしたんだったか。


 星結びの晩餐にリチャードが遅れたのは体調不良でベンチに座り込んでいた自分を彼が介抱していてくれていたからだとカリナは打ち明け、リチャードの時間を奪ってしまった事のお詫びの品だとこのクッキーを差し出した。リチャードからロザリエはクッキーが好きだと聞いただの、いらない情報までご丁寧に教えてくれた。

 ロザリエはギロリと鋭い視線を向けた後にカリナの手を跳ね除け、『こんなもので私の怒りが治ると思っているのなら、リチャード様も貴方も揃ってお気楽なものね』と、床に散らばったクッキーを踏みつけたのだった。


 チラリとカリナを盗み見る。この女は確信している。ロザリエは自分の行動に苛立ち、自分に手を上げると。分かっているからこそ、こうして近付いてきたのだ。


 ロザリエは小さく笑い、クッキーを差し出しているカリナへ手を伸ばす。


「あら。とてもお上手だこと。カリナ嬢は料理の才もお持ちですのね」


 にっこりと優しげな笑みを浮かべ、ロザリエはカリナのクッキーを受け取った。当然攻撃を仕掛けてくるだろうと身構えたカリナは、少し面食らった表情をしていた。


「お、お褒めいただき、光栄ですわ。ロザリエ様」

「いえいえ。本当に素晴らしいと思っていますのよ?私は勉強や妃教育でお料理をしている暇などありませんもの。まぁ、そのおかげでテストでは高順位に立てているわけですけれど」


 クスリと笑ってそう言うと、ロザリエの言葉の意図を理解したか、カリナの表情が歪んだ。〝お菓子作りなんかにうつつを抜かしている暇があったら勉学に励みなさい。〟という皮肉が、カリナには伝わったらしい。


「あ……りがとうございますロザリエ様。それでは、失礼いたしますわ」


 何か言い返してくれば面白かったのだが、カリナはぎこちない表情をすぐに淑女の微笑みに戻し、ロザリエに礼を言うと綺麗なお辞儀をして去って行った。

 令嬢たちに大丈夫でしたか?と心配されるカリナを横目に、ロザリエは受け取ってしまったクッキーをハンカチに包んだ。




♦︎




「お帰りなさいませ。お嬢様」


 夕食と湯浴みを済ませ、寮の部屋へ戻ると、デリウスが相変わらずの眩しい笑顔を浮かべて出迎えてくれた。


「デリウス。頼んだものは?」

「こちらに」


 ロザリエが尋ねると、デリウスは机に購入したものを並べた。


「これで全部かしら?」

「はい。全て購入はしたのですが……幾つかは持ち込みが禁止されているものもあったそうで、取り上げられてしまいました」

「そう……」


 予想通りではあった。ロザリエが購入を頼んだ薬草たちは、無害なものから有害なもの、加工次第で毒になり得るものだった。無害なものは持ち込みを許可されたが、やはり有害なものや加工次第で毒になり得るものは弾かれてしまった。

 このように厳しい警備をどうやって突破したのか……カリナが如何にして学園内に毒を持ち込んだのかが謎である。


「……ご苦労様、デリウス。もう下がって結構よ」


 ふと顔を上げてそう告げると、デリウスはわずかに目を瞬き、すぐにいつもの穏やかな微笑を湛えたまま、深く一礼する。


「承知しました。お嬢様」


 静かな足取りで部屋を後にし、扉が音もなく閉まる。残されたロザリエは、窓辺に歩み寄り、ふと夜の帳が落ちた庭園に目を向けた。そこに誰の姿もないのを確かめると、ロザリエは小さくため息をつく。


「……どうやって持ち込んだのかしら」


 無害な薬草さえ厳しく監視されるこの学園で、毒を持ち込むというのは本来ならば不可能なはず。にもかかわらず、カリナは卒業パーティのカクテルに毒を混入させ、それを飲むふりをして倒れロザリエの破滅を演出した。


 あの処刑台の上、嘲るようにカリナが言った言葉が、今も耳の奥にこびりついている。


『私のカクテルに毒を入れたのは、私自身なのに』

 ……ならば、彼女にとってそれは簡単に手にできるものでなくてはならない。持ち込みの困難な毒物を、いとも簡単に準備し、しかも口に含むことを躊躇わなかった。毒を知っていた、そして安全な用法も————。


「外部の人間じゃない。まさか、身内……?」


 ぽつりと呟いた言葉が、室内の静けさに吸い込まれていく。ロザリエは窓辺に佇みながら、指先で無意識にスカートの縁をつまんでいた。

 思考の海に深く潜ろうとしたその瞬間。


「ロザリエお嬢様」


「ひゃっ!」


 突然背後から声がかかり、ロザリエはびくりと肩を震わせた。振り返ると、いつの間にかデリウスが扉の前に立っている。


「……ちょっと、驚かさないでくれるかしら。心臓が止まるかと思ったわ」


 胸元を押さえながら睨みつけると、デリウスは少しだけ眉を下げ、申し訳なさそうに微笑んだ。


「申し訳ございません、お嬢様。ですが、言い付けられていたカリナ嬢の件で……その報告を忘れておりまして」

「……あら、何かあったの?」


 ロザリエが問い返すと、デリウスは小さく頷いて、手にした小さなメモを差し出す。


「厨房と寮母から興味深い話を聞いて参りました。カリナお嬢様が学園の厨房にて『沸かしたお湯だけ』を借りていたそうです」

「お湯だけ?」

「はい。紅茶でも薬湯でもなく、ただの熱湯を。茶葉も持参しておらず、カップを持ち帰るわけでもない。寮母も不思議に思ったそうですが、カリナお嬢様はよくお料理をされていましたので、特に深く言及しなかったと」


 ロザリエは、先ほどまでの思考を静かになぞるように、視線をゆっくりと落とした。お湯だけを借りる意味。茶葉を使わず、器具だけで済む方法。人目を避け、火器を使わず、熱を手にするための手段。


「……煮出したのね。何かを。厨房ではなく、自室で」


紅茶を飲むわけでもなく、薬湯を淹れるわけでもない。なのに、わざわざ“熱湯だけ”を借りたという、不可解な行動。


 ならば、目的はお湯ではなく————その熱で何かを加工するため。


(乾燥させた薬草?いいえ、それならもっと適した場所でやればいい。では、煮出す……香り?抽出?それとも……)


 思考が迷路のように絡まり始めたその時。


「ロザリエお嬢様」


 またしても背後からかけられる声に、ロザリエは軽く肩を震わせた。だが今回は、驚きよりも、思考を妨げられた苛立ちの方が勝った。


「今度は何?」


 振り返ると、デリウスが穏やかな笑みを浮かべ、手に小さく折り畳まれた布を持っていた。


「今朝、お嬢様が制服をお召し替えになった際に、ローブのポケットにこれが入っておりまして。お返しいたします」

「……ああ」


 ロザリエはそれが何かすぐに思い出した。カリナから「詫び」として渡されたクッキー。それを直接食べる気になれず、咄嗟にハンカチに包んでしまったのだ。

 受け取ったハンカチの布を開く。中には既に少し砕けたクッキーと、その上に乗せられた菫色の小さな花が残っていた。


 その瞬間だった。


(……レペグリア)


 記憶が一気に甦る。今朝、令嬢たちと群がって騒いでいたカリナの言葉。

『実家からたくさん花が送られてきて、せっかくなのでクッキーにあしらってみましたの』

 そして、オーディット伯爵家の家紋にも用いられる、その花の名前。


(あの花……実家から届いた……?家の花……それも大量に……)


 レペグリアの花が、まさか毒に————?


 ロザリエはハンカチの上に置かれた、乾いた菫色の花を見つめた。ほんの飾りだと思っていたものが、今はまるで違った意味を帯びて見える。美しい外見を装った、見えない刃のように。

 そんなまさか。だが、あり得ない話ではない。


 レペグリアは、オーディット伯爵邸の温室でしか育たない特別な品種。外に出回ることもなく、他家に贈られることも滅多にない。学園の生徒にとってレペグリアは珍しい可憐な花にすぎない。しかし、もしこの花が〝加工次第で毒になる〟ものだとしたら?


 それを知っているのは、おそらくオーディット家の人間だけ。つまり。


 ————誰にも気づかれない毒。



「……デリウス。カリナ嬢が熱湯を持ち帰ったのは……いつの話?」


 ロザリエは視線を上げることなく、落ち着いた口調で問いかける。すぐ背後に立っていたデリウスが答えた。


「本日の夕刻頃です」


 ロザリエの睫毛が、僅かに震えた。思考が一気に繋がる。レペグリアを煮出す……それが毒の精製手段だと仮定すれば、熱湯を持ち帰ったのはそれ以外にない。あの家に伝わる秘法。外に漏れていない毒の存在。文献には載らない毒花。


 そして今、その毒は、すでにカリナの手の中にある。


 想像するだけで、背筋がぞわりと震える。

 だが、怖れと同時に確信も芽生えていた。


 彼女は毒を持っている。これは〝恐怖〟ではあるけれど、それと同時に〝証拠〟でもある。それがどこにあるのか、どう使われるのか、そして、どう露見させるか。


「……デリウス、また貴方に動いてもらう事になるわ」


 ロザリエがそう言うと、デリウスはニコリと笑って胸に手を当てお手本のようなお辞儀をした。


「なんなりと」


 夜の帳が落ちる学園の景色。その中に、一つの影————カリナが、次の一手を準備している。


(毒を握っているのは、彼女。でも……)


 その毒に、彼女自身が呑まれることになるかもしれないと、ロザリエは静かに微笑んだ。

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