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37 プレゼント

 卒業式が近付いている。


 それはすなわち、ロザリエの命運が決まる日が迫っているということだった。


 回帰前と同じく処刑されるか、はたまた生き残れるか。


 かつて未来で味わった絶望が再び目前に迫っているというのに、風はどこまでものどかで、空はあくまで高く青い。

 白と緑に染まる学園の庭園には、卒業を控えた生徒たちの笑い声がこだまし、華やかな装飾が着々と施されていた。


 その中で、ロザリエはある種の苦行を強いられていた。


「ロザリエお嬢様、おはようございます!いやはや、今日も実にお美しい!その微笑みが見られるだけで、僕の心は百年の春です!」


 朝の回廊。

 優雅に通学路を歩いていたロザリエの耳に、早朝から響く妙に張りのある声。


 振り向かなくても分かる。目立ちすぎる白銀の髪と、いつでも悪びれぬ笑顔。ルトワーズ王国の第一王子、エミリオ・ルトワーズである。


 ロザリエは立ち止まり、静かに振り返る。笑顔の裏に貼りついた迷惑の色を、どうにか押し殺して。


「……おはようございます、エミリオ殿下」


 にこやかに微笑み返すその様は、学園の貴族生徒たちにとっては『完璧な貴族令嬢』そのものだったが、ロザリエの内心はひたすらにこう叫んでいた。


(また来たの……?この人……)


 エミリオは卒業式の王族列席者として、ブルクハルトの学園に滞在していた。

 それだけならば、まだいい。


 問題は、滞在中の彼が毎日のようにロザリエに付きまとってきている、という事実である。


「ふふ、今日の髪型、昨日と少し変えました? いや、分かりますとも。乙女の変化に気づける男でありたいと、常々思っているんです。どうです、僕?」

「……あ、ありがとうございます。嬉しいですわ」


 言葉だけは完璧だった。声のトーンも、間の取り方も、淑女として学んできたすべてを駆使して。だがその裏で、心中では深く、重いため息が吐き出されていた。


(頼むから……卒業式が終わるまで静かにしていてくれないかしら)


 心中、ロザリエはため息をついた。

 今この時も、カリナは何かを仕掛けてくるかもしれないという緊迫感に晒されているというのに、隣にいるこの男は「優雅なお茶会の話題」でも選んでいそうな顔である。


「卒業式が近いですねぇ。ロザリエお嬢様は、どのようなドレスを着るか、もうお決まりで?」


 いつもの柔らかな声音で、エミリオが問いかける。まるでお茶会の延長のような穏やかさ。けれど、ロザリエの背筋はすっと伸びる。気を抜いてはいけない、と本能が告げていた。


「え、えぇ……一応、以前から用意していたものを」


 ぎこちなく答えると、エミリオはあからさまに残念そうな声を上げた。


「それは残念!是非、僕がお嬢様にピッタリのドレスを選んで差し上げたかったなぁ」


 言葉の内容はふざけているが、その目元には笑みを湛えたまま、一切の下心は見せていない。けれど、それが逆に底知れなさを醸していた。


 その背後で、デリウスは静かに歩を進めていた。目元には薄い微笑をたたえているものの、その声にはかすかな怒気がにじむ。


「エミリオ殿下。ロザリエお嬢様は、これから授業がありますので……ほどほどに」


 口調は穏やかだが、微かな間を置いた言葉の一つひとつに、鋭く冷えた刃のような圧が宿る。まるで「これ以上の軽口は控えろ」と言外に告げるようだった。


 エミリオはその牽制を受けてもなお、悪びれる様子もなく肩をすくめた。


「やだなぁ、怒らないでよデリウス。僕としては純粋に、お嬢様の晴れ姿が楽しみなだけなんだけどな?」

「……その〝純粋〟が一番信用なりません」


 ロザリエはそのやり取りを聞きながら、こっそりため息をつく。



 デリウスとエミリオの軽妙なやり取りが傍らで続いているが、ロザリエは、にこやかに微笑みながらも、その会話の内容をすべて聞き流していた。


 その内心は、冷ややかな水面の下で、音もなく波立っている。


(毒は……もう、ないはず)


 あの日。レアンの毒殺未遂事件の後、カリナの用意していた毒は調査官によって押収され、証拠として保管されている。あの時の一件で、手元の毒は確実に、奪われた。


 ならば、回帰前のように自作自演で、自分のカクテルに毒を仕込み、「ロザリエ様に盛られた」と騒ぐやり口は、今の彼女には不可能なはず。


 だが、ロザリエの表情は晴れなかった。


 胸の奥に居座る、説明のつかない不安。それは直感と呼ぶにはあまりに具体的な、あるひとつの可能性だった。


(……オーディット伯爵)


 夜の祝宴の場に、カリナの父、あの男が姿を現していた。

 伯爵の姿を見かけたのは、ほんの一瞬だった。祝宴の人波に紛れるようにして現れ、誰とも深く言葉を交わすことなく、貴族たちの間を静かにすり抜けるように歩いていた。 


 ロザリエはその時、視線を逸らさなかった。

 だが、彼が娘であるカリナと親しげに接触する様子は、見られなかった。あまりにも自然に、あまりにもそつなく、彼は社交の場に溶け込んでいた。まるで、何もなかったかのように。


(確かに、目立った接触はなかった……けれど、私の目が届かぬところで、毒の受け渡しをしていた可能性は、十分にある)


 毒の存在は、回帰前の未来を知るロザリエにとって、最も危険な切り札だった。

 毒は既に回収されている。カリナの手元にはもう存在しないはず。

 ……はず、なのだ。


 しかし、もしオーディット伯爵が再び娘にそれを託していたのだとすれば。

 祝宴のどこか、誰の目にも触れぬ片隅で、密かに手渡されたとすれば————。


 思考の深みへと沈みかけていたロザリエの耳元に、場違いなほどの明るい声が落ちてきた。


「ロザリエお嬢様」


 反射的に顔を上げる。横から差し出されたその声の主は、やはりエミリオだった。いつものようににこやかに微笑みながら、まるで今この場に何の緊張も存在しないかのように、穏やかに続ける。


「……はい?」

「実は今日、お嬢様にプレゼントがございまして」


 唐突な言葉に、ロザリエはきょとんと目を瞬かせた。


「……私に、ですか?」

「ええ、そう。ずっとお渡ししたかったんですよ」


 エミリオはどこか得意げに口元をほころばせると、軽やかに指を鳴らした。

 その瞬間、彼の手元に白銀の箱が、まるで空気を割って現れるかのように出現する。

 魔力の軌跡を淡く纏いながら現れたそれは、両手で持てるほどの小箱。精緻な彫刻が施された装飾は、見る者の目を奪うほどに美しい。


「収納魔法、便利でしょ?」


 そう言って箱を片手に掲げたエミリオの瞳が、面白がるように細められる。

 彼の無邪気な笑みに、ロザリエはやや困惑しながらも、丁寧に問い返した。


「……中には、何が入っているのですか?」

「ふふ、開けてみてのお楽しみです。きっと、お気に召すと思いますよ」


 エミリオはそう言って、箱をそっとロザリエへと差し出した。


 ロザリエは戸惑いを隠しきれないまま、差し出された白銀の箱を両手で受け取った。

 冷たい金属の感触が指先に伝わる。蓋に添えた手に、ほんのわずかな震えが宿るのを自覚しつつ、そっと蓋を開いた。


 ふわり————。


 箱の隙間から柔らかな光が漏れ出した。その光は、まるで朝露に濡れた花弁のように繊細で、けれどもはっきりとした存在感を放っていた。


「……っ」


 ロザリエは思わず息を呑む。思考より先に、感情が先走っていた。

 箱の中に静かに収められていたのは、黄金に似た色味を宿す宝石が等間隔に連なった、美しいネックレス。

 まるで光を纏ったようなその宝飾品は、見ただけで高価であることが分かった。それは王侯貴族でも限られた者しか身につけられぬような、圧倒的な存在感を放っていた。


「こ、これは……とても、高価なものでは……?」


 ロザリエは恐る恐る言葉を口にした。自分でも声が震えているのが分かった。両手で抱えるように持った箱は、受け取った時よりも重たく感じる。


「いえいえそんな、お気になさらず!ロザリエお嬢様にお似合いだと思って、ご用意しましたので」


 その笑顔がまぶしい。けれど、今はそれよりも、ロザリエの意識は別の方向に向いていた。


(……なぜ、こんな廊下のど真ん中で……!?)


 視線を横に滑らせると、廊下の奥を歩いている生徒の姿が目に入る。遠くはあるが、こちらに気づいてもおかしくない距離だ。


 それに、手にしているのは見るからに高価な、まばゆい光を放つ白銀の箱。そして中には……あの、ネックレス。


(こんなものを公然と受け取っている姿を見られたら……!)


 何を言われるか分からない。

 いや、言われるだけならまだいい。カリナのような者に知られでもすれば、どんな風に話を歪められるか……想像に難くない。


「エミリオ殿下……っ、あの、せめて場所を……」


 必死に声を潜めるように訴えると、エミリオは首を傾げた。


「あはは、大丈夫ですよ。保護魔法がかかってますから、ちょっとやそっとじゃ傷は付きません」

「そういう問題ではなくて……っ!」


 ロザリエは思わず言い返しそうになったが、そこで背後から軽く咳払いが聞こえた。振り返ると、デリウスが無表情のまま立っていた。いや、無表情に見えて、その目元には明らかな怒気が宿っている。


「エミリオ殿下、お嬢様はもう行かねばなりませんから、ご歓談もほどほどにお願いいたします」

「えぇ〜、冷たいなぁ、デリウス……でも、分かったよ」


 エミリオはしぶしぶという様子で肩を竦めた。そして、名残惜しそうにロザリエの手元の箱をちらりと見た後、手を振りながら去っていった。


 静かになった廊下に、残されたのはロザリエと、深いため息。


「……はぁ」


 ロザリエはそっと箱を胸に抱え直した。まだ手の震えは収まらない。

 その様子を見ていたデリウスが、ふと視線を上に動かす。廊下の天窓から差し込む陽光は、箱の銀の縁をほのかに照らしていた。


 心の中に蘇るのは、数日前のこと————応接間で、エミリオと共に作戦を練っていた時の会話だった。


『じゃあ、これを僕がお嬢様に渡して……』


 エミリオが得意げに言うと、デリウスは即座に異を唱えた。


『……それは、僕が渡す』

『え?』


 エミリオは目を瞬かせる。


『だって、デリウスは今、平民の従者っていう設定でしょ?こんな高価なものプレゼントしたら、逆に怪しまれちゃうよ』

『……ぐっ……』


 思わず唇を引き結ぶ。

 痛いところを突かれた。珍しく、いや、極めて珍しくエミリオの言葉に反論できなかった。


『もー、デリウスってば、自分で渡したいんだ?ほんとロザリエお嬢様のこと大好きだねぇ』


 エミリオのからかい半分の声音が、応接間に軽やかに響いた。


『僕が渡すのが一番自然じゃない?ほら、僕ってば、王太子だもん』


 肩を竦めながらエミリオはケロリと笑っていた。まるで自分が最高の役回りを担っているとでも言うように。




(僕がもし、渡していたら)


 そんな叶わぬ仮定が、胸の奥で小さく疼く。渡せないと分かっているからこそ、余計に————。


 ふと視線を向けると、ロザリエと目が合った。


「デリウス?」


 声をかけられた瞬間、ルーデリウス————いや、デリウスは、はっとして背筋を伸ばした。


「あ、はっ、はいっ」


 慌てて、いつもの穏やかな微笑みに戻す。慣れているはずなのに、彼女の視線をまっすぐに受け止めるのが、今日は少しだけ苦しかった。


「……どうしようかしら。着けなくちゃいけないわよね。エミリオ殿下からの贈り物を蔑ろにするわけにもいかないし……」


 ロザリエはそうぼやきながら、ネックレスの箱を見下ろし、小さくため息をついた。その細い指が、箱の縁をそっと撫でる。


 ぶつぶつと呟きながら歩き出した彼女の背を、デリウスは無言で見つめた。





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