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35 デリウス

 ルーデリウスの静かな決意に、エミリオは一瞬だけ表情を緩めた。冗談のような口ぶりで問いかけた自分に対し、返ってきたのは重く、だが芯のある覚悟だった。


「そっか。……じゃあ、僕も覚悟を決めなきゃね」


 エミリオはそう言って、ふっと肩の力を抜く。

 目の前にいるのは、ただの亡命者ではない。次期国王として、己の家の闇に立ち向かおうとする覚悟を抱いた王子だ。

 ならば、軽々しく手助けを申し出るのではなく、静かに支えるのが彼の役目だった。


「君のことは、誰にも言わないよ。……あぁ、いや、嘘だ。言うけど、信頼できる人にだけ」


 そうして、ルーデリウスの身柄は、エミリオの手によって密かに保護されることとなった。


 ルトワーズ王国の王宮内において、彼の存在を知る者は限られている。

 エミリオと、その父である国王陛下。そして王妃。

 さらに、王宮の中でも選ばれたほんの一握りの使用人たちのみ。それも、王家の密命を預かる者たちであった。




♦︎




 窓の外ではまだ朝靄が残る、薄い金の光が差し込んでいた。

 久しぶりに自力で起き上がったルーデリウスは、寝台の傍らに備え付けられた椅子に腰かけ、深く息を吸った。

 肺を満たす空気の清々しさに、ほんの僅かな満足を覚えながらも、まだ体の節々に残る鈍い痛みが現実へと引き戻す。


 そんな穏やかな朝の静寂を破ったのは、勢いよく開かれた扉の音だった。


「ルーデリウス!!」


 あまりにも元気すぎる声が、寝室に響き渡る。

 半ば予想していたこととはいえ、ルーデリウスは眉間にしわを寄せた。


「……朝っぱらから、うるさい」


 椅子の背に身を預けながらぼやくと、エミリオは気にも留めず、にこにこと近づいてくる。


「じゃーん、これ見て!」


 手に掲げられていたのは、一着の従者服だった。

 ルトワーズ王国の紋章が胸元に刺繍され、上質な黒い布に金糸の装飾が施されたその制服は、格式と実用性を兼ね備えた見事な仕立てだった。


「なんだ、従者ごっこでもしたいのか?悪いが、付き合う気はない。暇つぶしに僕を巻き込むな」


 エミリオは目を瞬かせると、にっこりと笑って返す。


「やだなぁ、違うよ。これは君用の制服!」

「……は?」


 ルーデリウスは思わず聞き返した。意味が分からない。

 エミリオは気にも留めず、制服を両手で持ち上げながら続けた。


「この部屋でずーっと本読んでても退屈でしょ?体も動かせるようになってきたんだし、僕の従者としてそばにいれば、堂々と外を出歩けるよ!」


 心底良い案だと思っているらしいエミリオの笑顔に、ルーデリウスは額に手を当てた。


「……馬鹿かお前は。ブルクハルトの象徴とも言われるこの金髪と碧眼の従者が、どこにいる?」


 その一言に、エミリオは「あっ」と呟いて、少しだけ首を傾げた。


「確かに……それはそうだね……うーん、じゃあ、こうしようか!」


 その瞬間、エミリオの指がふわりと宙をなぞった。彼の周囲に細かな光の粒が舞い、それがルーデリウスに向かって吸い込まれていく。


「……っ」


 何かが、肌を撫でていった。次の瞬間、ルーデリウスの金色の髪がさらさらと揺れ、まるで墨を溶かしたかのように、漆黒に染まっていった。

 それと同時に、彼の碧眼もまた、赤い宝石のように、深紅の色へとゆっくり変わっていく。


「……何をした」


 低く、睨みつけるような声で問うルーデリウスに、エミリオは誇らしげに胸を張った。


「見た目だけ、ちょっと変えてみたんだ。安心して、痛くないでしょ?簡易的な幻影魔法だから、数日で自然に解けるし、いつでも解除できるよ。あ、やり方教えようか?」

「ふざけるな……お前はいつもそうやって————」


 声を荒げようとしたその瞬間、エミリオが軽快に被せてくる。


「あ、名前もルーデリウスじゃあ駄目だよね。正体がバレちゃうし。よし!君は今日からデリウスだ!よろしくね、デリウス!」

「…………人の話を聞け」


 ぐっと奥歯を噛みしめながら、ルーデリウス————いや、〝デリウス〟と勝手に名付けられた少年は、苛立ちを隠せずに眉間を寄せた。


 どうしてこいつは、こうも唐突で、こうも勝手で、こうも人のペースを乱すのか。まともな会話の流れが成立しない。


 だが、そんなルーデリウスの怒気などどこ吹く風で、エミリオは手を叩いて「よし、決まりだね!」と朗らかに続けた。


「じゃあデリウス、これから魔法の授業があるから付き添ってよ」

「……は?」


 突然の言葉にルーデリウスの眉が跳ね上がる。


「魔法の……授業?」

「うん。王子の従者なんだから、当然、授業にも付き添うでしょ?ね?」


 そう言いながら、エミリオはウィンクをしてみせた。


 それは、ただの気まぐれや思いつきではない。ルーデリウスは、ようやくその意図に気がついた。


(……魔法の授業。そうか)


 魔法は王家のみに許された力であり、しかも王族の中でもその才に恵まれる者はごく一部。ルーデリウス自身、魔法を使える体質であると判明していながらも、その使い方や知識については体系的な教育を受ける前に毒を盛られ、渓谷へと落とされた。ルーデリウスが扱えるのは、転移魔法と、あとはお遊戯程度の魔法のみ。


 つまり、自分にはまだ、魔法の技術が、圧倒的に足りていない。


 そして、ここルトワーズでは、王族の血を引く者の中でもエミリオただ一人が魔法を使えるという事実。


 ……エミリオは、わざとだ。自分の身分を偽ったこの状況を利用して、表向きには〝従者の付き添い〟という体裁のまま、ルーデリウスに魔法を学ばせるつもりなのだ。


「君も魔法について、もっと知りたいんでしょ?……証拠を掴むためにも、ね?」


 その一言に、ルーデリウスは息を呑んだ。


 ふざけているようでいて、肝心なことは見抜いている。それがエミリオという男だった。


(……本当に、厄介なやつだ)


 そう内心で舌打ちしながらも、ルーデリウスはもう一度、己の変わった姿を鏡で確認する。黒髪に赤い瞳。いつもの自分とは似ても似つかないその姿に、ほんの少しだけ、心が軽くなった気がした。


 面倒なやつではあるが、あのエミリオが————あの奔放で、自由で、人の話を聞かない男が————この機会を与えてくれたのだ。


 礼ぐらいは言うべきかと、ルーデリウスは小さく息を吸い、エミリオに目を向ける。


「……エミリオ、感謝する」


 珍しく素直に礼を口にすると、エミリオは「ん?」と首を傾げ、ぱっと笑みを浮かべた。


「えー、やだなぁ、そんな改まって。親友じゃないか、僕たち!」

「誰が」

「冗談冗談。いや、でも本当に良かった。君が元気になって、外にも出られるようになって……こうして歩いて話してるのが、なんだか不思議な気分だよ。あのときは、本当に死んじゃうんじゃないかと思ったもん」


 その口調はどこか感慨深げで、ルーデリウスも思わず黙り込む。


(……そういえば、エミリオがあの時僕を見つけてくれなければ、今の僕はなかった)


 感謝の言葉をもう一度口にしようとした、その時だった。


「ね、ねぇデリウス……」


 不意に、エミリオが声のトーンを下げ、妙にソワソワした様子で寄ってきた。


「……なんだ」

「いや、あのさ、これ、ずっと気になってたんだけど……父上に絶対に聞くなって言われててさ、今までずっと我慢してたんだよ?でも、今は父上いないし……聞いてもいい?」


 目をきらきらと輝かせながら、彼はルーデリウスの腕をつかんで詰め寄る。

 その勢いにたじろぎつつも、ルーデリウスはしぶしぶ問いかけに応じた。


「……なんだよ」


 すると、エミリオは弾けるように嬉しそうにこう言った。


「毒を盛られた時、どんな感じだった!?」


「………………は?」


 一瞬、時が止まったような気がした。


 何を聞かれたのか理解するまでに数秒を要した。目の前の王子は、きらきらした目をして、心底「興味津々です!」という顔でこちらを見ている。


「ね?やっぱり喉から来たの?それとも胃が?幻覚とかも見た?呼吸困難?痙攣?ねぇねぇ、気になるんだよ、貴重な体験だと思わない?」


 エミリオは、まるで目の前に超希少な標本でもあるかのような目でルーデリウスを見つめていた。まっすぐな黄金の瞳が、ひたすらに興味という名の光でギラギラしている。


「僕、薬草学とか、薬品とか毒薬とか、そういうの凄く興味があってさ!ね、最初の違和感ってどこ?飲んだ瞬間?数時間後?腹部からキューッとくる感じ?それともジワジワ系?」


 ルーデリウスの眉間に、ぴきぴきと新たな皺が刻まれていく。


「……エミリオ」


 低く、警告を含んだ声で名を呼ぶが、当の本人にはまるで通じていない。


「あとさ、転移魔法って意識が朦朧としてても使えるもんなの?発動の瞬間ってどんな感じ?こう、世界が裏返るみたいな?それとも視界が一瞬ブラックアウトするだけ?」

「エミリオ」

「でさでさ!落ちた場所がうちの王宮の庭だったでしょ?あれって、偶然なの?それとも、潜在的に僕のいる場所を探してたとか?うわー、それだったら運命感じちゃうなあ!」


 もはやルーデリウスの瞳は、あまりの怒気で静かに光を失っていた。


「それと、毒の影響で寝たきりだった時って、夢とか見た?臨死体験的なやつ?光のトンネルとか?先祖が手を振ってるとか?」


「黙れエミリオ!!」

「えー、そんな怒らなくても。だって気になるじゃない?君の体験、普通は聞けない貴重なデータだよ?」


 その無邪気な声が、ルーデリウスの神経をさらに逆撫でする。まったく悪意がないとわかっているからこそ、余計に腹立たしい。むしろ好奇心だけでここまで無遠慮になれること自体が信じがたい。


 ため息とともに頭を抱えたくなる衝動を抑えながら、ルーデリウスはエミリオから視線を逸らす。ルトワーズの国王から、「あの子は生まれついての研究馬鹿だ。人の気持ちより、現象や事実に心が惹かれる」と前置きされていたが……


(まさか、ここまでとは……!)


 王族としての品位はどこに置いてきたのかと問い詰めたくなるほどのマイペースぶり。ルーデリウスは再び、ぐっと堪えた。


「……お前という奴は、死にかけた人間に対して、もう少し言葉を選べないのか」

「えっ、でもほら、今は生きてるからセーフじゃない?」

「……人の心を、王妃の腹に落としたか?」


 冷え冷えとした皮肉を込めたその問いに、エミリオは少し首を傾げてから、あっけらかんと返す。


「やだな、ちゃんとあるよ?失礼な」

「失礼なのはお前だ!!」






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