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33 二人の王太子

「さてお嬢様、学園の案内ありがとうございました」


 そう言って、エミリオはいつものように人懐っこい笑みを浮かべ、軽やかに一礼してみせた。陽光を受けた白銀の髪が風に揺れ、まるで舞台の幕引きのような優雅さを演出している。


「いやあ、貴重な体験になりましたよ。本当に」


 ……貴重な、とは言うが。

 案内したのは、まだ図書館と中庭だけ。礼を述べるには幾分早すぎるように思えたが、エミリオにはそうした常識的な尺度は通じないのだろう。


 ロザリエが内心で苦笑を浮かべかけたそのとき、エミリオはふいに横に立つデリウスの肩へ、ぽんと手を置いた。


「それと、お嬢様。こちらのデリウスを、少しお借りしてもよろしいでしょうか?久しぶりの再会で、積もる話もありまして」


 さらりとした口調。けれどその言葉に込められた懐かしさのようなものは、はっきりと伝わってきた。


 立場を考えれば、ルトワーズ王国の王太子からの申し出を拒むなど不敬にもあたる。だがそれ以上に、ふたりの間に流れる独特の距離感————幼馴染のような、長年連れ添った同僚のような空気が、不思議とロザリエを納得させた。


「……ええ、もちろん。ご自由になさってくださいませ」


 そう答えると、エミリオは満面の笑みを浮かべ、「感謝いたします」とぺこりと頭を下げた。

 一方のデリウスは、微妙な顔のままエミリオの顔を見ていた。


「それじゃあデリウス、失礼のないようにね」


 軽く冗談めかして釘を刺すように言う。しかし、デリウスの返答はいつになく精彩を欠いていた。


「…………善処します」


 声音は低く、無難。けれど、その表情には「善処」する意志も余裕も感じられなかった。


(……大丈夫かしら)


 ロザリエは思った。別に寂しさを感じたわけではない。けれど、エミリオというあまりにも軽やかな風に、デリウスが飲み込まれてしまわないか、それが少しだけ心配だった。


 踵を返したロザリエが数歩進んだそのとき、背後からエミリオの声が追いかけてきた。


「ロザリエお嬢様」


 立ち止まって振り返ると、エミリオは相変わらずにこやかな表情で、静かに歩み寄ってくる。その手には、いつの間にか手袋もなく、指先がやわらかな風に触れるような動きで差し出された。


「本日は、貴重なお時間をいただき……誠に感謝いたします」


 言葉とともに、そっとロザリエの右手を取る。


 そして————。


 不意打ちのように、その手の甲に唇が触れた。

 ほんの一瞬、羽根のような軽さで。けれど、それは十分すぎるほどの礼儀と、エミリオなりの敬意を感じさせる仕草だった。


 その背後。


「貴様ッ……!」


 低く唸るような声が、怒気を含んで漏れた。


 ロザリエが驚いて視線を移すと、そこには今にもエミリオに詰め寄りそうな勢いのデリウスが立っていた。彼の顔は明らかに怒りを帯びていたが、ロザリエと視線が合うやいなや、グッと唇を引き結び、言葉を飲み込む。


 エミリオはというと、まるでその緊張感に気づかないかのように朗らかだった。


「それでは、お嬢様。またお会いできる日を、心より楽しみにしております」


 エミリオはそう言って人懐っこい笑顔でロザリエへ手を振った。

 ロザリエはしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて小さく息を吐く。


(……やっぱり、変な人)


 心の中でそう結論づけると、今度こそ足を向け、その場を後にした。背後からは、デリウスの怒りを堪える気配と、エミリオの屈託のない笑い声だけが、いつまでも耳に残っていた。


 


……ロザリエの背中が、中庭を抜けた門の向こうへと消えていく。


 その姿が完全に見えなくなった瞬間、デリウス————基、ルーデリウス・ブルクハルトは、目元の微笑みをすっと消し、冷ややかな視線を隣に立つ青年へ向けた。


「……それで。レイヴンはどこだ?」


 エミリオはそんな視線にもまるで怯まず、「え?」と軽く首を傾げる。相変わらずの飄々とした態度だった。


「お前の護衛という名目で来ているんだろう。さっさと書類と————例のネックレスを渡してもらおうか」


 ぴしゃりと告げるルーデリウスの声音には、もはや王族としての威厳が滲み出ている。

 だがエミリオは、口角を緩めたまま「あー」と間延びした声を漏らし、右手をひょいと持ち上げた。


「レイヴンは三日後に到着する予定だよ」

「……は?」


 思わずルーデリウスの眉がぴくりと跳ね上がる。


「昨日、解析がやっと終わったばかりなんだもん。ブルクハルトまで馬車でも丸三日。僕だけ先に飛んできたってわけ」


 エミリオはルーデリウスの前でひらひらと手を振った。転移魔法を使ったらしい。


「ていうかさ、デリウスってば転移魔法を使いすぎて時間感覚おかしくなっちゃったんじゃない? 普通の人間が、ルトワーズからブルクハルトまで一晩で移動出来るわけないでしょ?」


 飄々とした声で言い放つエミリオは、まるで季節外れのそよ風のようだった。さして悪意もなさそうに笑みを浮かべているが、言っていることは明らかに怒りを買う類のものだ。


 ルーデリウスの眉間には、先ほどまでになかった深い皺が刻まれた。


「……じゃあ、お前は一体何しに来たんだ」


 噛みつくような声音が、中庭の空気を僅かに緊張させる。

 しかしエミリオは涼しい顔のまま、両手を後ろで組んで軽く足を前後に揺らしながら答えた。


「怖い顔しないでよ〜。ほら、僕が持って来たんだよ。あの書類とネックレス」

「………………は?」


 思考が一瞬、音を立てて停止した。

 風が吹き抜ける中庭で、ルーデリウスはまるで彫像のように固まった。


「……レイヴンの奴は、何をやってるんだ……!」


 歯ぎしりするように呟きながら、ルーデリウスはこめかみを押さえた。


 機密文書と国宝のネックレス。それを、よりにもよってこの飄々とした馬鹿王子に預けるなど、正気の沙汰ではない。レイヴンに託した時点で、あの慎重すぎるほど慎重な従者のことだ、厳重な封印と護衛体制を整えた上で来るはずだと信じていた。


 だというのに。


 目の前の男は、春の遠足のついでにおやつを持参するかのような気楽さで「僕が持って来たんだよ〜」などとぬけぬけと宣う始末。危機感のかけらもないその笑顔に、ルーデリウスの血圧は着実に上昇していく。


「この馬鹿に、機密文書と国宝を管理させるな……ッ!!」

「酷い言いようだなぁ」


 エミリオは肩をすくめながら、悪びれもせずケラケラと笑った。ルーデリウスの険しい視線も、青筋の浮かぶ額もどこ吹く風。むしろ、その反応すら面白がっている節さえある。


 エミリオ自らブルクハルトへ出向くと知った時、レイヴンは大焦りで制止して来たのだが、その事は黙っておく事にする。面白いから。


「それにしても、綺麗な方だね。ロザリエ・ジークベルト公女様。見目もだけど、所作も綺麗だったし。凛として、でも華やかで……うーん、是非、ルトワーズの次期王妃として欲しいくらいだよ」


 その言葉を聞いた瞬間、ルーデリウスのこめかみにぴくりと青筋が浮かぶ。カツン、と小さく靴音が響いたかと思うと、ルーデリウスが一歩、エミリオに詰め寄った。


 その気配の変化にようやく気付いたのか、エミリオはゆったりとした笑顔を保ったまま、その場に立ち止まる。が、ルーデリウスの目元には明らかな怒気がにじんでいた。眉間には皺が寄り、こめかみには青筋が浮き、喉奥から低くうなり声のような呼吸が漏れる。


「……ロザリエお嬢様に変な気を起こしたら……殺すからな……?」


 ぎらりと目を細めたルーデリウスの声音は、低く、地の底から這い上がるような怒気を含んでいた。


 だが、当のエミリオはというと、その剣呑な空気すら楽しんでいる様子で、へらりと笑いながら手をひらひらと振ってみせた。


「こわ〜い。ちょっとした冗談じゃないか。大切な親友の初恋相手にちょっかいかけたりしないってば」


 初恋。その一言に、ルーデリウスの背筋がびくりと強張る。

 恐る恐る、というより、ほとんど敵意すら滲んだ声で問い返した。


「……は?お前、それ、どこで聞いた?」


 エミリオは屈託のない笑みを浮かべたまま、悪びれもせず答えた。


「え?レイヴンだけど?」


 その瞬間、ルーデリウスの脳裏に、あのヘラヘラとした笑顔で「いや〜デリウス様ってば初心ですね〜」などと茶化す黒髪の青年の姿がよぎった。


 彼の、妙に明るい声と、気楽に首を傾げる仕草と、何より、軽口の裏に潜む「確信犯」のにおいが。


「……アイツ……殺す」


 ぼそりと呟いたルーデリウスの瞳には、冷ややかな怒気が揺れていた。

 エミリオはというと、そんな友の様子に一層楽しそうに目を細め、軽く肩をすくめる。


「こらこら、レイヴンは元々僕の部下で、今は貸してあげてるだけだからね?あんまり虐めないであげてよ」

「うるさい。……そもそも、どんな教育をしたらあんな風に部下が育つんだ……」


 はあ、と大きく溜息を吐き出した後、ルーデリウスはすっと表情を引き締める。中庭でのやり取りにうんざりしたように、だが仕事に戻ろうとする姿勢は凛としている。


「まぁいい……応接間に行くぞ。人払いは済ませておいた」

「お、気が利くね、デリウス」


 後ろからふらふらとついてくるエミリオが、楽しそうに微笑む。


「それじゃあその部屋で、たっぷりとロザリエお嬢様との馴れ初めの話でも————」

「誰がするか!!」





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