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31 自由奔放

「では、急ぎ客間のご用意を……!」


 混乱の中にも礼儀を崩さぬ教師たちは、慌ただしくも整然と応接間から姿を消していった。重たく閉じられる扉が、がちゃん、と静かな音を立てて閉まる。


 そして、静寂。


 気がつけば、その場には三人だけが取り残されていた。


 応接間の高い天井から吊るされた燭台が、きらきらと光を揺らしている。だが、その光の下で立ち尽くす三人の姿は、まるで時間が止まったかのようだった。


 ロザリエは少しだけ首をかしげたまま視線を伏せ、リチャードはどこか気まずそうに手袋の縁を指先でいじっている。そして、エミリオだけが、相変わらずにこにこと微笑んでいた。


 次の瞬間、その沈黙をあっさり破ったのは、やはり彼だった。


「そうだ。せっかくですし、学園の中を案内していただけませんか?」


 あまりに唐突な提案に、ロザリエは一瞬、耳を疑った。リチャードも「……今?」という顔で彼を見たが、エミリオは本気のようだった。きらきらとした目で二人を交互に見つめている。


 リチャードはやや困ったように眉を寄せ、それでも誠意ある態度で応えようとした。


「わ、分かりました。では僕が————」

「あぁいえ!」


 エミリオはすかさず、ひらりと片手を挙げてリチャードの言葉を遮った。その動きは軽やかだが、明確な意志がこもっている。


「ロザリエお嬢様にお願いしたいのですが」


 リチャードが一瞬言葉を失い、ロザリエが思わず彼を見やる中、エミリオは続けた。


「リチャード殿下は、お忙しいお方だとよく耳にしておりますから」


 その言い回しは、どこまでもにこやかで柔らかい。けれど、ロザリエの耳にはその口調の奥に、何か針のような含みがあるように聞こえた。


 リチャードはぴくりと眉を動かしたが、口を開きかけて……結局、何も言わずに視線を逸らした。


 その場に残された妙な緊張を、ロザリエは確かに感じ取っていた。けれどエミリオは、あくまで無邪気な少年のような顔で彼女に振り向く。


「どうでしょう?ロザリエお嬢様。ご案内、お願いできますか?」


 その瞳は、黄金に透き通るような光を宿している。だが、どこか底知れない、柔らかい笑顔の裏に、静かに渦巻く意志があるような気がして、ロザリエは喉の奥をぎゅっと締めつけられるような感覚を覚えた。


 けれど、断る理由はなかった。


(……この人、一体何を考えているの?)


 そう思いながらも、ロザリエは静かに、深く一礼をした。


「……承知いたしました。微力ながら、私が学園をご案内させていただきます」

「ありがとうございます。ロザリエお嬢様」




♦︎




「こちらが、学園の図書塔です」


 ロザリエはそう言って、石畳の小道の先を指し示した。そこに建っていたのは、重厚な石造りの五階建ての塔。歴史を感じさせる外壁には蔦が這い、アーチ状の窓が規則正しく並んでいる。古びてはいるが、荘厳な佇まいには、長きにわたる知の重みがにじんでいた。


「おおっ……!本当に塔だ!」


 隣でエミリオが声を上げる。顔をぱっと明るくして、塔を見上げている姿はまるで遠足に来た少年のようだった。


 塔の中へと足を踏み入れた瞬間から、エミリオはあちこちへ興味津々と視線を飛ばしていたが、特に一冊の棚の前に来た時、彼の足がぴたりと止まった。


「……あ、これ、薬草学の棚じゃないですか?」


 そう呟くと同時に、エミリオは躊躇いもなく一冊の厚い本を引き抜いた。革張りの表紙に金文字で記された書名は《薬草と日常治療の応用誌・上巻》。

 明らかに初心者向けではない専門書だった。


 ロザリエが言葉を発する前に、彼はぱらぱらと頁をめくりながら、あるページで目を止めてふふっと笑った。


「懐かしいなぁ……この薬品、僕も作ったことあるんですよ。ええと、確か……三回は書斎を爆破しちゃいましたね〜」


 朗らかな声に、ロザリエは一瞬耳を疑った。


「……書斎を、爆破?」

「はい。最初は火花だけだったんですけど、二回目は棚ごと飛んで……三回目は煙が天井まで上がって、父にこっぴどく叱られました。あ、四回目で成功させましたけどね」


 ヘラヘラと笑いながら語るエミリオの横顔はどこか楽しげで、もはや反省の気配など微塵もない。


 呆気に取られつつ、ロザリエは彼の後ろからそっと本の見開きに目を落とした。エミリオが指でなぞっていたのは、《神経鎮静剤・ノクスレインの合成過程》という項目。その脚注に、名の知れた錬薬学者の名前が見える。


《エスティオ・ハヴェル博士————試行錯誤の末、六年をかけて安定合成に至る》


 ……六年。


「……この薬品、六年かけてようやく完成したものだと書かれているのですが……?」


 ロザリエが抑えた声で問いかけると、エミリオは一瞬きょとんとした顔になったあと、ははっ、と笑って肩をすくめた。


「えっ、そんなにかかったんですか?あぁ、でも確かに最後の反応温度が妙にシビアで……ちょっと油断すると、すぐ爆ぜるんですよね〜」

「そんな軽い口調で言うことではないと思いますが……」


 ロザリエは、信じられないものを見るような目でエミリオを見つめた。


(偉大な学者が六年かけた薬を、四回の調合で成功させて……しかも自慢じゃなく笑い話として話すなんて……この方、色々とおかしいわ……)


 呆れを通り越して、思わず眉をひそめる。けれど当の本人はと言えば、至極のんきに本を閉じて、次の棚へと移動していた。


「……あ、こっちは毒草学かな?」


 棚の背表紙を眺めていたエミリオが、不意に声を上げた。柔らかく微笑んだまま、彼はまた一冊の分厚い資料を取り出し、その中のあるページをぱらぱらと探っていく。そして、とある項目で指を止めた。


「あっ、これこれ。マンドラッド」


 懐かしげに頷きながら、彼はあっけらかんと言った。


「うちの庭で育てたことあるんですよ。……あれ、綺麗な葉っぱしてるでしょう?だから花壇に植えたんですよ。そしたら、使用人が雑草と間違えて引き抜いちゃって」


 そこまで言って、ふっと笑う。


「叫び声で、王宮の使用人何人かが気絶しちゃって。いやぁ、あれは大騒ぎでした。あはは」


 ロザリエは、思わず目を瞬かせた。


「……は?」


 思考がついていかない。いま、何と?


「マンドラッドを……花壇に……?」


 信じられないものを聞いたかのように、ロザリエはエミリオを凝視した。彼の手元の本にはしっかりと《マンドラッド:強い芳香性をもつ希少植物。抽出液は鎮痛剤や麻酔薬として利用されるが、取り扱いには注意。根を強く引き抜くと周囲に高周波音を発し、気絶、昏倒、幻聴などを引き起こす恐れあり》と記されている。


「その後、父にえらく怒られましたね〜。いやもう、久々に玉座から立ち上がって怒鳴られました。『学問とは人を救うためにあるのであって、混乱を巻き起こすためではない!』って」


 そう言って、彼はまたヘラヘラと笑った。


「でもまあ、使用人たちは全員無事でしたし。騒ぎが収まったあと、父がその場で深いため息をついたのが印象的でした。あれはもう、言葉より効きますよね。沈黙の圧」


 ロザリエは、その情景を思い浮かべてさらに眩暈を覚えた。

 王太子が貴重な薬草を花壇に植え、使用人が昏倒し、国王が玉座から立ち上がって息子を叱責する……どこから突っ込んでいいか分からない。


「……そもそも、そのような実験を、なぜご自身で?」

「だって、面白そうじゃありませんか?」


 即答だった。何の迷いもない。

 しかも、「なぜ?」という問いに対する最も王族らしからぬ返答に、ロザリエは再び絶句した。


 この人は、あまりにも軽い。

 けれどその軽さは、作ったものではない。素である。


「……せめて、学園でそのような真似はされないようにしていただけると助かります」

「うーん、マンドラッドが学園で流行ったら……それはそれで面白いと思うのですが……はい、気をつけます」


 口では反省の意を示しながら、どこか愉しそうに目を細めるエミリオ。その表情はまるで、悪戯をして叱られた少年そのもので、ロザリエは思わずため息をついた。


(王太子とは思えないけれど……なんというか……まったく油断できない人)


 それでもエミリオはどこか無邪気な笑みを浮かべたまま、手に取った本をぽんと閉じた。


「さて。そろそろ中庭をご案内いただけますか?」

「……えぇ、わかりました」


 すでに彼に振り回されていることを、ロザリエはようやく認めざるを得なかった。






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