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23 冬の祝宴

 淡い冬の陽が差し込む午後、自室の窓辺でロザリエは静かに頁をめくっていた。表情は落ち着いているように見えて、その瞳は文字を追いながらも、どこか遠くを見つめていた。


 読んでいるのは物語ではない。冬の祝宴に関する案内状と、当日の準備についてまとめられた資料だった。年に一度、学園内で開催される冬の祝宴。貴族の子弟たちにとっては、上流社交界の一端を学ぶための小さな舞台でもある。

 中には親を招待する生徒も多く、豪華な会場装飾や華やかな服装、そして洗練された所作が求められる。


 けれど、ロザリエの胸には、甘やかな期待よりも、どこか乾いた記憶が滲んでいた。


(……そう、あの時も…)


 回帰前の記憶が、鮮やかによみがえる。


 あの冬の日。ロザリエは、当然のように婚約者のリチャードの隣に立つ未来を想像していた。だが、祝宴の直前、リチャードから「今年のパートナーは別に選んだ」とだけ告げられた。


 ショックと屈辱に、心が裂けるようだった。


 それでも、ロザリエは気丈に笑った。ドレスを整え、誇り高く一人で舞踏会場へ足を踏み入れた。だが————。


 目の前にいたカリナ・オーディットは、全く同じドレスを纏っていた。


 胸元のレースも、腰のサッシュリボンの結び目も、全てが同じだった。ただし、カリナの方には、王太子の腕が絡んでいた。


『……私に、どれだけ恥をかかせれば気が済むの?』


 その時、堪えきれずにカリナを怒鳴りつけた自分を、ロザリエは今でも覚えている。


 だが今思えば、カリナにドレスの情報を漏らしたのは、他でもないエラ・シュトランドだったのだろう。


 当時、エラは不自然なほどに、ドレスの色や形、細かいデザインのことまで異様にしつこく尋ねてきていた。


(……私、気付くべきだったのよね)


 あのときは純粋に、友人としての好奇心だと信じて疑わなかった。けれど、裏では既に、私を貶める企みが動いていたのだ。


 ロザリエが深く息を吐いた時、柔らかなノックの音が部屋に響いた。


「失礼いたします、お嬢様。ご依頼の品が届きました」


 低く澄んだ声と共に、デリウスが扉の向こうから姿を現す。手には厚手の革表紙で綴られた数冊のカタログを抱えており、丁寧な所作でそれをロザリエの前のテーブルへと置いた。


「装飾品とドレス、それぞれ三社分ずつ届いております。祝宴に合わせて仕立てられた新作もいくつか含まれておりました」

「ありがとう、デリウス」


 ロザリエは軽く頷き、ドレスのカタログを手に取った。ページをめくるたび、柔らかなシフォンや艶やかなベルベット、繊細な刺繍の数々が現れては消えていく。落ち着いた色味のものから、夜空のように華やかな深紺、清冽な白を基調としたドレスまで。どれも目を引く美しさだった。


 それでも、ふと視線が止まるのは、回帰前に着ていた、あの時のドレスとよく似たデザインだった。


(……もう、あの時とは違うのに)


 そっと目を伏せる。今は、エラもいない。あの頃のように、誰かに意地悪く情報を漏らされることもないと分かっている。それでも、心のどこかで、無意識に、似たものは避けたいと思ってしまうのだ。


 視線を逸らすように別のページをめくり、ロザリエはそっとデリウスを見やった。


 彼は、彼女がどのページに長く指を留めたかも見ていたはずだ。それでも何も言わず、ただ静かに立っている。その眼差しには、従者としての節度と、どこか親しみ深いぬくもりがあった。


 ロザリエは一つ、息を整えて微笑む。


「ねぇ、デリウス」

「はい、お嬢様」

「どんなドレスがいいかしら?あなたの意見も、聞かせてちょうだい」


 一瞬だけ、彼の瞳が揺れた気がした。ほんのわずか、呼吸が止まるような間。そしてすぐに、落ち着いた声で言葉が返ってくる。


「……僕が、ですか?」

「えぇ。従者としてじゃなくて、あなた個人の意見を聞きたいの」


 ページをめくる手を止め、ロザリエは静かにそう言った。声に抑揚はなく、あくまで自然体。だが、そこに滲むわずかな苦味を、デリウスは見逃さなかった。


「……この祝宴、私は一人で出るつもりよ。だったら、自分のために選びたい。誰の隣にも立たないなら、誰かの目を気にする必要もないでしょう?」


 デリウスは黙ってロザリエを見つめた。長い睫毛の影に隠れた瞳が、どこか遠くを見ているようでありながら、どこか必死に何かを押しとどめているようにも見える。


(……どうせ、リチャードはカリナと出るのでしょうしね)


 口には出さずとも、彼女の表情が物語っていた。婚約者が、他の誰かを伴って祝宴に現れる。その現実を、ロザリエは既に受け入れている。


 そんな彼女を前に、デリウスは数秒、目を伏せて考える素振りを見せた。慎重な呼吸。胸の奥で何かが波打つのを、静かに沈めるように。


「……でしたら、お嬢様」


 彼は再び顔を上げ、カタログのある一点を指先でなぞった。そこにあったのは、深く澄んだ青のドレス。まるで夜明け直前の空を閉じ込めたような、気高さと静けさを兼ね備えた一着だった。


「このドレスはいかがでしょうか。華やかさは控えめですが、静かに、しかし確かに……見る者の目を惹きつけます」

「……青?」

「ええ。この色は、王家を象徴する色でもあります。お嬢様には、その冷静さと誇りの高さが、まさに相応しいかと」


 ロザリエは驚いたように小さく目を見開いた。そして、指先が自然とそのドレスへと伸びていく。


 王家の色————リチャードが象徴する色。それを、今の自分が纏うというのは、皮肉なのか、あるいは挑戦なのか。

 ロザリエはふっ、と口の端を持ち上げる。


「……そうね。とても、素敵だわ」


 その横顔を見て、デリウスの胸の奥で、また一つ波紋が広がるのを感じた。


(本当は、貴方の隣に————)


 けれど、その想いは、言葉にはならない。従者という仮面の奥に押し込めたまま、彼はただ静かに頷いた。


「……では、そのドレスを仕立てに出しておきます」

「ええ。お願いね、デリウス」


 青いドレスの写真の上に、ロザリエの指がふわりと置かれた。


 それは、かつての自分とは決別し、新たな自分として舞踏の場に立つ、ひとつの決意のようにも見えた。




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