02 言質は取りました
部屋に戻ったロザリエは、改めて時間が巻き戻っている事を実感した。学園在籍時の自分の部屋は、家具の配置や匂いまで当時のままであるし、とくんとくんと鳴る自身の鼓動はやけにリアルで、とても夢だとは思えなかった。学園の女子寮の部屋は二人部屋が基本であるが、ロザリエのみが次期王妃の権限で一人部屋の使用を許可されていた。ここでならじっくり今後のことについて考えれるわね、とロザリエはソファの背もたれに寄りかかる。
さて、状況を整理しよう。
どういうわけか、貴族の紳士淑女が勉学を学ぶ為に通う王立学園【パルビス学園】に在学していた時まで時間が巻き戻った。ロザリエは現在三年生。そして時期は秋。ロザリエの処刑は牢屋に入れられて一ヶ月後に行われた。断罪されたのは卒業パーティーの時。
つまり、処刑されたあの日から半年前まで時が戻っているということ。
「……たった半年で何が出来るのかしら」
命が吹き返した喜びはあれど、どうせ時を戻すのなら学園に入学する前に戻して欲しかった。今が三年生で、半年後に卒業式を控えているという頃には、既に学園中の生徒たちがロザリエを悪女だと思い込んでおり、完全に孤立していた。
幼い頃から、王妃となる未来を決定付けられていたロザリエは学園に入学するまで、パーティーやらお茶会にほとんど出席することなく、ひたすら王妃教育に励んでいた。学園に入学するまでの貴族たちからのロザリエの印象は【第一王子の婚約者】【未来の王妃】という極端なものだった。両親と、時々顔を合わせるリチャードぐらいしか、ロザリエの事をよく知らなかった。おまけに学園に入学してからも、勉学に励むのみで、周りの生徒とも必要最低限の会話しかしなかった。その所為もあってか、カリナが広めたロザリエの虚偽の噂は瞬く間に生徒たちに浸透していった。ロザリエを知らない者たちは、カリナが作り上げた〝悪女ロザリエ〟の姿を簡単に信じてしまった。
ロザリエがその噂を肯定も否定もしなかったのが拍車をかけた。くだらない嘘の噂話を信じている連中に付き合っている暇などないと当時は考えていたからだ。
思い返せば。
必死に抵抗すれば、自分は〝悪女ロザリエ〟として扱われなかったのだろうか。
階段ですれ違い様、カリナが突然落下してロザリエに突き落とされたのだと芝居をした時もロザリエは「何を馬鹿な事をしているの?くだらないわね」と冷たく吐き捨て、足を挫いて目に涙を浮かべるカリナに背を向けて去った。
カリナの私物がなくなり、ロザリエの鞄から出てきて問い詰められた時も「カリナ嬢の私物を盗んでも私には何も得なんてないでしょう」と溜息混じりに呟いて、問い詰めてくる連中を無視した。
「まあ……過去のことだから、もうどうしようもないけれど」
ロザリエは自嘲するように呟く。今更ああしていれば、こうしていればと考えてもしょうがない。
とにかく、今集中すべきは、どうやって二人を地獄の底に叩き落とすか、それだけだ。
カリナは卒業パーティーの日、毒を自分のカクテルに仕込んだのは自分自身だと処刑台で明かした。しかし、不可解な点が。そもそも毒を購入すること自体が犯罪であるし、何より警備の固い学園に毒を持ち込むなんて不可能なはず。カリナは、どうやって毒を持ち込みカクテルに混ぜたのだろう。
ふむ、とロザリエは考え込むが、全く検討がつかず溜息を吐き出した。
カリナが毒を購入し、学園に持ち込んだ証拠さえ掴めれば良いのだが、どうすればいいのか今の時点ではさっぱりだ。今は在学中で、授業や課題もあるのであちこち動き回るのも難しい。自分の力だけで調査するには限界がある。ロザリエの手となり足となる、従順な駒を雇う必要があるが、ジークベルト家の使用人をこちらに派遣しようにも、残念ながら公爵家にロザリエの優秀な駒となってくれそうな人材はいない。公爵家の使用人は忠義はあっても、謀略の器は持っていないのだ。
ならば、今から作るしかない。
人間が同じ人間相手に従順になる時、それはその人間が圧倒的な権力や財力を持っている時だろう。ロザリエは貴族界の中で最も権力を持つジークベルト公爵家の令嬢であり次期王妃という肩書きも持っている為、権力は十二分にある。
それならば、次に必要なのは。
(お金……よね)
証拠を買うことがあるかもしれない。
証人に口止め料を払うこともあるかもしれない。
従順な駒を得るために、下層の者への投資が必要になる場面もある。
決してお金がないわけではない。娘を溺愛しているジークベルト夫妻であれば、ロザリエがお金を欲していると知ればすぐにでも大金をこちらに寄越すはずだ。彼らはそれほどまでに、娘を愛していた。
……回帰前も、そうだった。
あの時両親は、断罪される自分をかばい、全てを失った。領地を没収され、家臣を散らされ、それでも、ロザリエの名誉だけは最後まで守ろうとした。
(だからこそ、今度は……私が守る)
喉の奥で何かが詰まりそうになるのを、ロザリエは深く息を吸って飲み込んだ。
ロザリエはふと、部屋の片隅に置かれた大理石の棚を見つめた。引き出しを開ければ、溢れそうなほど大きな宝石が嵌め込まれたアクセサリー類が大量に顔を覗かせる。これらは全て、リチャードから受け取ったものだ。
派手なデザインのネックレスやブローチは、ロザリエの趣味ではない。リチャードがロザリエの趣味趣向を理解していたり、身に付けているアクセサリー類をきちんと見てさえいれば、自ずとロザリエに贈るアクセサリーは、もっと洗練されたシンプルなデザインになるはずだ。
というわけで、このアクセサリーたちは受け取ったはいいものの数える程度しか身に付けていないのだ。
(正直いらないし、これを売ればかなりのお金にはなるけれど……でも、殿下からの贈り物を勝手に売るのはね……せめて許可を取れたらいいのだけれど)
リチャードが「売っても構わない」と一言言ってくれるだけで、この、宝石がジャラジャラとついたアクセサリーたちを換金する事が出来るというのに。何か方法はないものか。ロザリエが頭を悩ませていると、ふと棚の上に置かれているカレンダーに目がいった。
「あら、明日は〝あの日〟なのね」
ちょうど良かったわ、とロザリエは一人でほくそ笑んだ。
♦︎
その夜、パルビス学園は、まるで王宮の一角のような華やぎに包まれていた。
季節は秋。星のめぐりが最も整う夜とされるこの晩、学園の最大級の社交儀礼《星結びの晩餐》が執り行われていた。
この催しは、婚約を交わした若き貴族たちが、将来を誓い合い、品を贈り合うことで互いの絆と理解を確かめる正式な儀礼。
名家の子息たちは思い思いの贈り物に詩や香りを添え、愛や敬意を示すことが求められる。礼節と機転、贈る物への審美眼。すべてが将来の地位に関わる評価対象となる。
ここに立つだけで、若者たちは否応なく〝未来〟を意識させられるのだった。
その中央、ひときわ多くの注目を集めていたのが、王太子であるリチャード・ブルクハルトと、その婚約者であるロザリエ・ジークベルトであった。
ロザリエは、星の光を宿したような純白のドレスに身を包み、扇子をそっと揺らしながら、感情のない微笑を浮かべて立っていた。
(あの日も、こうやって待たされたわね。どうせ今頃、カリナと時間も忘れて逢引きを楽しんでいるところかしら?)
この晩餐に参加出来るのは婚約者がいる貴族のみ。よってこの場にカリナをパートナーとして連れてくる事は不可能。二人の鬱陶しいほどに甘ったるい腑抜けた会話を聞かなくて済むとロザリエは静かに安堵した。
刹那、場の空気が一瞬ざわめいた。リチャードがホールに到着したのだ。長身で、整った顔立ち。軍服に似た深青の礼装が周囲の令嬢たちの視線をさらってゆく。
だが、ロザリエは微動だにしない。ただ、淡く笑んで彼を迎えた。
「遅れましてよ、殿下」
「すまなかったロザリエ。……用が長引いてしまって」
「ええ。殿下はいつも何かとお忙しいですものね。理解しております」
言葉の端に、針を仕込んだ毒が微かに滲む。それにリチャードは気づかない。
彼は、どこか自慢げに、ひとつの小箱を差し出した。
「ロザリエ、これを……。お前に一番似合うと思ったものだ」
「あら、ありがとうございます」
ロザリエは受け取った箱をそっと開ける。
深紅のレッドダイヤモンドを中央に据えた、きらびやかなブローチ。嗚呼、やはり。ロザリエは口の端が持ち上がりそうになるのを隠す為に口元に手を当てた。
そして、たっぷりと間を置いてから、声を落とした。
「……殿下。こちらのブローチ……前々回、私との外出のご予定を急に取りやめられた際に、お詫びとしてお贈りくださったものと……同じですわね」
「……え?」
リチャードの眉がピクリと動いた。彼は視線を泳がせ、何か言おうとするが、言葉が出てこない様子。想定内。叩くならここだ。
ロザリエは、胸に箱を抱き、静かに俯く。
「お忘れですの?私、あの時のこと……とても悲しくて……でもこの贈り物を頂いて、気持ちを慰めようと努力したのです」
ぐす、と小さく嗚咽を混ぜた声を出す。ロザリエの嗚咽を聞き付けた貴族たちの視線が一気に集まった。
「同じ贈り物……?」
「それって、どういう意味……?」
「王太子殿下が、謝罪の品と同じものを……?」
周囲の令嬢たちがざわめき、扇子で口元を隠しながら視線を交わし合う。
ロザリエは、そっと目元を押さえた。涙は落ちない。けれど、それがまた効果的だった。
「ですが……こうしてまた、全く同じものを頂くと……私が、どれほどの存在として記憶に残っているのか、不安になりますの……」
空気が静まり返る。誰もが言葉を飲み込む。リチャードは明らかに焦り始めていた。
「ま、待ってくれ……そんなつもりは……似たような……いや、同じ……?」
その狼狽を見届けながら、ロザリエはゆっくりと箱を閉じ、まるで許すかのように穏やかに微笑んだ。
「いえ……殿下が、私のことを思って選んでくださったのだと信じておりますわ。ただ……」
ロザリエは、ふと視線を横にそらし、少しだけ頬を紅潮させた。
「以前にも頂いた品がございますでしょう? こうした宝飾品……わたくしの手元に、同じような物がもう幾つかございますの」
会場がざわめいた。
〝もう幾つか〟という控えめな表現は、明らかに「たくさんある」と同義だった。
「せめて、それらを整理して、きちんと活かす方法を考えたくて……」
彼女は胸元にブローチを当てるふりをしながら、顔を伏せて言った。
「殿下のご厚意を大切にするためにも……一度、すべての贈り物を、私的に管理させていただいても……よろしいでしょうか?」
それは、「売ってもいいか」と言わずに、「私のものとして自由に扱ってよいか」を、完璧に婉曲した提案だった。
リチャードは、周囲の視線に気付き、苦しげに笑って頷いた。口の端が痙攣しており、作り笑いである事は明確だったがそれが返ってロザリエには面白く感じられた。
「ああ……もちろん。お前のものだから、好きにすればいい」
ロザリエは、静かに頭を下げる。
「ありがとうございます、殿下。これで、わたくしも贈り物をより大切にできますわ」
————資金として、ね。
内心で、ロザリエは冷ややかに笑った。
これでようやく、「リチャードから贈られた宝石類」を〝合法的に私物化〟する口実ができたのだ。
(これで資金は整う。あとは駒を選び、動かすだけ)
舞踏会の星々が、彼女の瞳に妖しくきらめいていた。
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