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16 二重の罠

 重苦しい沈黙の中で、調査が始まった。


 革手袋をはめた調査官たちが、無言で部屋に踏み込み、棚や机、衣類の隙間まで丁寧に、だが容赦なく探っていく。最初に調べられたのは、エラの机と、その周囲だった。


「失礼します」


 一人の調査官が声をかけると、エラは小さく頷いた。喉が乾いていたが、震えはなかった。いや、震えが消えていたのだ。


 最初、扉がノックされたとき、そしてカリナに問い詰められたときには、全身が凍りつくようだった。今にも声を裏返して罪を告白してしまいそうだった。

 けれど今、調査官の目が向いているのは自分ではない。彼らの関心は、次第にカリナ・オーディットへと向かいつつあった。


「身体検査は部屋の調査後にさせていただきます」

「まずはエラ様の私室から……」


 エラは、自分の背後で調査が進む気配を感じながら、誰にも気づかれないように、そっと、唇の端を持ち上げた。


(なんて、運がいいのかしら)


 あの日、小瓶をカリナのアクセサリーの箱に忍ばせた自分の直感。震える指で紙片を胸元に押し込んだ、あの賭け。

 今、その選択が報われようとしている。


「この引き出しも……問題なし」

「衣装のポケットも異常なし」


 調査官たちの声が静かに飛び交う。

 革手袋の指が、机の奥や鏡台の下まで細かく探っている。それでも、エラの部屋からは何も出てこない。当然だ。すべては、彼女の元にあるのだから。


 ちらりと視線を送る。

 鏡台の前に立つカリナは、完璧な微笑を浮かべたまま、ぴくりとも動かない。

 けれど、その微笑の裏に焦燥が滲んでいるに違いなかった。さっきまであれほど自分を追い詰めていた相手が、今や〝調べられる側〟になっている。


 皮肉だった。

 あれほど冷静だったカリナが、今にも足元から崩れそうなほどの沈黙をまとっている。


(このまま、あの箱が開けられれば……!)


 毒の入った小瓶が、調査官の手によって発見される。その瞬間、カリナ・オーディットの立場は終わる。

 更に自分が父からの手紙を差し出せば、弁明の余地もなくなるだろう。


 エラは、あの令嬢がどれほど高潔ぶろうとも、その裏にどれほど冷酷な心を隠していようとも、証拠の前ではすべてが無意味だと知っていた。


(さようなら、カリナ様。もう貴女の下で怯える必要なんてないのよ)


 心の中で、ささやく。


 そしてもう一つ、遠くにいる令嬢の姿が、意識の端に浮かんだ。


 ロザリエ・ジークベルト。


 一見すれば無害に見える、あの涼やかな瞳と物静かな所作。だが、今回の捜査の道筋を作ったのは、間違いなくあの女だ。


 エラは一瞬だけ、ロザリエの方を見た。

 彼女は微笑んでいた。何も言わず、ただ調査の様子を眺めていた。


(ロザリエ……貴女も、きっといつか、潰してみせるわ)


 その時がいつになるかは分からない。でも、忘れはしない。


(でもまずは、カリナ・オーディット。貴女から……)


 エラの目元に、ひと筋の愉悦の色が浮かんだ。まもなく、カリナの仮面は剥がれ落ちる。



「……エラ・シュトランド様の部屋には、特に不審な点は見られません」


 調査官の一人がそう言って、手帳に何かを記しながら、静かに告げた。エラは心の奥で、そっと息を吐いた。だがその表情に浮かぶのは、安堵ではなく、小さな笑みだった。


 それは、心の底から湧き上がる黒い愉悦の兆しだ。


(よかった……これで私は、何も関係ない)


 そして次に。

 視線は、すぐ隣へと滑る。


「では次に、カリナ・オーディット様の私室を調査いたします」


 その一言に、空気が凍った。

 カリナは、まるで何事もないかのように、鏡台の前に立っていた。柔らかな笑み。微動だにしない指先。けれど、睫毛の影に隠れた瞳が、確かに怯えているように見える。


(ふふ、今度は、貴女の番よ)


 エラの心臓が、まるで祝祭を迎える鼓動のように、軽やかに跳ねた。調査官たちは、手際よく部屋の内部を調べていく。ベッド下、カーテンの裏、机の引き出し、書類の束。

 ひとつひとつが確実に検められ、しかし、そこには何もなかった。


 だが。


「……失礼します、こちらも確認を」


 調査官の一人が、棚の下段にあるジュエリーボックスに手をかけた。


 エラの全身が、ぴくりと震えた。指先にじわりと汗が滲む。だがその口元には、自然と笑みが浮かんでいた。


(早く……早く、その箱を開けて!)


 そこにあるのだ。このすべての鍵が。

 自分の罪を覆い、カリナを奈落へと突き落とす、証拠が。


 調査官が箱の蓋を開いた、次の瞬間。


「……これはッ……!」


 彼は低く叫ぶように声を上げた。一瞬の沈黙ののち、箱から慎重に持ち上げられたのは、何の変哲もない小さな小瓶。

 

 しかし中に揺れているのは、澄み切った深い紫————いや、ほのかに赤みが混ざる濃紫の液体。わずかに蓋が緩んでいたのか、小瓶の口元からは乾いた薬草のような、どこか青臭い香りが滲み出している。


 老練な調査官が、わずかに眉を寄せながら声を落とした。


「断定はできませんが、香りと瓶の密閉状態から察するに……これは、毒の一種でしょうな」


 その声が落ちたとたん、室内の空気が張りつめた。


「カリナ様……これは、どういうことですか……?」


淡々とした問いかけが投げられた。


 カリナは、問いかけられた瞬間、まるで自らが毒の存在を初めて知ったかのように、はっと目を見開いた。そして、まるで崩れ落ちそうなほど力を失った指先で、そっと唇を押さえる。


「……っ」


 かすかな息を呑む音がした。薄紅の唇が震え、白磁のように透き通った頬がわずかに蒼ざめていく。

 その目には、純粋な混乱と恐怖、そして傷ついたような悲しみが滲んでいた。


「な、なぜ……そんなものが、そこに……?」


 まるで、恐れていた悪夢が現実となったような声音。声が震え、喉の奥で言葉がつかえる。


「貴方が隠したのでは? 使用した後、ここに————」


 別の調査官が静かに問い詰める。すると、カリナはぶんぶんと小さく首を横に振った。


「違います!私じゃありません……!」


 その声には、必死の抗弁と、どこか脆く折れそうな無力さが混じっていた。


「どうして……私が……?どうして、お兄様を傷付けなければならないのですか……?」


言葉の終わりには、嗚咽が混ざっていた。


「そんなことをしても、何も得られないのに……お兄様は、私の大切な家族なのですよ……!?」


 その言葉と同時に、カリナの体が膝から崩れ落ちた。床に手をつき、ぐしゃりと顔を伏せて泣き出す。

 声を殺すように、喉の奥で詰まる嗚咽。華奢な背が、震えながら小さく波打つ。


 哀れで、痛々しくて、守ってやりたくなるほどに脆い姿だった。


 その光景を、調査官たちは黙って見つめていた。何人かは戸惑いの色を顔に浮かべ、視線を逸らした。疑いは残っている。けれど、その姿を前にして、言葉を続けられない。


 確かに毒は見つかった。


 けれど。


 目の前で泣き崩れる少女が、それを本当に用いたのだろうか?それほどまでに、憎しみに満ちた理由が、この少女に存在するだろうか?


「……カリナ様は、ずっとレアン様を心配して……部屋に閉じこもっていたと、侍女が言っていましたな」

「あぁ。それに、聞き込みによると、ご兄妹の仲は良好だったと」

「もしや、誰かがカリナ様を陥れる為に?」


 誰かがぽつり、ぽつりと呟く。その声に、場の空気がさらに揺らいだ。


(……違う……違う、違うわ……!)


 カリナに同情する空気が部屋中に立ち込めた瞬間、エラは顔を歪ませキツく拳を握った。

 小瓶が発見された時、彼女の心は小さく小躍りしていた。やっと終わるのだと。あの完璧な聖女の仮面が剥がれ、無様に地に堕ちる瞬間が、今、目の前にあるはずだった。


 なのに。


(なんで……なんで、あんなに……同情されてるの……?)


 震える心の内で、エラは叫んでいた。


(証拠はあるじゃない……あれが、すべてを示してるじゃない!なのに……なぜ、あんな涙に……皆、揺れてるの?)


 口元が引きつり、知らず知らずのうちに唇を噛み締める。爪が手のひらに食い込み、冷たい汗が背中を伝う。エラは、胸の奥で煮えたぎる怒りと焦りを抑えきれなかった。


 目の前では、涙を流して膝をつくカリナが、まるで〝この世でもっとも哀れな少女〟のように振る舞い、調査官たちはその演技に、ほんの少しずつ心を傾けていっている。


 エラは唇を噛み締めた後、深く息を吸い込むと、そっと懐に忍ばせていた紙の感触を指先で確かめた。

 それはカリナの父、ゲラルド・オーディット伯爵の手紙。手紙の文末にはゲラルド・オーディットの署名が堂々と記されている。そして何より、あの毒を指示したことを、ほのめかす文面が含まれた、決定的な証拠。


(これを出す。それしかない……!)


 迷っている時間はなかった。

 もう、カリナがすべてを涙で覆い隠してしまう前に。


「皆さん!」


 エラは突然、張りつめた沈黙を裂くように、声を張り上げた。その声は、驚きに満ちた室内の空気を震わせる。


「騙されてはいけません!その人は……カリナ・オーディットは、可哀想な少女なんかじゃない!」


 バッと両手を前に差し出すようにして、エラは羊皮紙を懐から取り出した。


「これを、見てください……!これが、証拠です!」


 エラの震える声が、緊張と混乱に包まれた室内に鋭く響き渡った。

 彼女の掌には、一枚の羊皮紙。彼女に残された、たった一つの切り札。

 視線が一斉に集中する。調査官たちは身を乗り出し、慎重に、それでいてどこか期待を孕んだ眼差しを向けた。


 部屋の空気は、張りつめた弦のように緊迫していた。全員が、次の一手を息を呑んで待っていた。


(さあ、どうするの……?カリナ・オーディット)


 エラの視線は、すでに視界の端に映る〝哀れな令嬢〟を捉えていた。


(いくら可哀想な少女の真似をしたところで、この証拠からは逃れられない。貴方の父親が書いた手紙、貴方が隠していた毒と一緒にあった、真実の記録……)


 手が震える。

 だがそれは恐怖ではなく、昂ぶりによるものだった。


(今こそ貴女の幕を下ろす時よ)


 ————だが。


 静寂が落ちた。

 不自然なほどに、誰もが黙り込んでいた。


 エラの差し出している羊皮紙に調査官たちは、視線を落としたまま、眉根を寄せ、まるで理解できないものを見ているように首を傾げていた。


(……え?)


 空気が妙だと気付いたのは、一瞬遅れてのことだった。

 室内は、期待を孕んだ沈黙でも、疑念を帯びた沈黙でもなかった。それはまるで、凍りついたような無言の重さ。


(なに……? どうして……?)


 エラの胸に、冷たい感触が這い上がってきた。それは不安というには生温く、恐怖というにはまだ早すぎた。

 けれど、確かに何かがおかしいという直感が、全身の毛穴を粟立たせていた。


 その時だった。


 静かに、まるで長い夢から覚めるかのように、一歩。


 ロザリエ・ジークベルトの背後に控えていた青年が、前に出た。黒髪の従者。精緻な造り物のような顔立ち。そして何より氷のように冷ややかな瞳。赤い宝石のような双眸は静かにこちらを見下ろしていた。

 それまで、場にいる誰よりも沈黙に徹していたその男が、静かに口を開いた。


「……エラ様」


 その声は静かだった。だが、鋭く、容赦のない刃のようでもあった。


「ただの羊皮紙が、何の証拠になるというのですか?」


 エラの鼓動が、頭の中で警鐘のように鳴り響いた。


(……え?)


 混乱のまま、視線を紙に落とす。


 彼女の指先に握られていた、はずのもの。

 それは、ただの、何も書かれていない羊皮紙だった。


 署名も。文面も。毒の生成方法も。


 何一つ、ない。


「そ、そんな……っ!」


 エラは言葉にならない声を漏らしながら、紙を裏返し、光に透かし、視線を這わせる。


 何かの間違いだ。

 きっとインクが薄くなっただけ。

 光の加減で、文字が見えなくなっているだけ。

 そんなはず、あるわけがない。


「……だって、昨日は……昨日の夜までは、確かに……確かに書かれていたのよ……!」


 焦燥に駆られて紙を握る手に力が入り、指の節が白くなる。


「ゲラルド・オーディットの署名も……確かに、あったの。あったはずなの……!文字も、毒の作り方も、全部ッ、私が見たの!」


 けれど、その手元の羊皮紙はどれほど目を凝らしても、何も語らない。インクの痕跡すらない、白く、虚しい一枚の紙切れ。


 調査官たちは、戸惑いと落胆の入り混じった視線を交わしていた。


 カリナ・オーディットは、まるでこの瞬間を待っていたかのように、ハッと目を見開いた。その蜂蜜色の瞳に涙を浮かべたまま、震えるように揺れ、悲嘆に沈んだ色を帯びている。


「どうして……」


 呆然としたような、か細い声が空気を震わせた。


「……どうして、そんなことをするの……?私、貴方のことを……お友達だと思っていたのに……!」


 顔を両手で覆い、嗚咽まじりに声を漏らすその姿は、まるで裏切られた子供のようだった。

その小さな肩が、震える。


「まさか……まさか、貴方が……」


 ゆっくりと、恐る恐るといった手つきで、カリナはエラを指差した。


「まさか、あの毒を……エラ嬢、貴方が……?」


 カリナのか細い声に、調査官の視線がエラを捉えた。


「な、なにを……っ!!」


 エラは目を見開いた。


 完全に意表を突かれた。

 それまで自分が優位に立っていたと信じて疑わなかった場面で。カリナは、まるで脚本を掌握していたかのように動き出したのだ。


「私は……そんなつもりじゃ……!」


 言いかけた言葉が震えで歪む。けれど、カリナの演技は止まらない。


「だって、そうよね……その手紙だって、本当に存在したのなら、どうして文字が消えてしまったの?仮に手紙に文字が書かれていたとして、私を陥れるために……誰かが作った偽物じゃなかったと、誰が証明できるの……?」


 エラの手の中にある、ただの白い羊皮紙を、まるで毒でも塗られているかのようにカリナは怯える目で見つめる。


「私、貴方を信じていたのに……あんなに一緒にお茶をして、笑い合った日々を……全部、演技だったの……?」


 その一言が、決定打だった。


 調査官たちの疑惑の視線が一気にエラへ向く。

 誰もが、「あの毒の小瓶」と「消えた手紙」、そして「芝居染みた告発」を思い返す。


 言い返さなければ。誤解だと叫ばなければ。


 けれど、エラの喉はひゅっと鳴ったきり、言葉を形にすることができなかった。


 皆に聖女だと讃えられる、美しく、優しく、品のある少女は、今————。


〝傷付いた可哀想な少女〟として、完璧に場を支配していた。


 そして。


 その背後で、ロザリエは静かに目を伏せていた。


 その紫の瞳は、泣き崩れるカリナ、言葉を失うエラ、そして困惑する調査官たち————場に渦巻く感情のすべてを、まるで高みから見下ろすように捉えていた。けれど、その眼差しには侮蔑も、勝ち誇った色もなかった。


 ただ、ひどく静かに、思った。


(やっぱり……カリナは、一筋縄ではいかないわね)


 演技とは思わせぬ、あまりにも自然な涙。か弱く震える声に滲む、無垢な少女の痛み。誰がどう見ても、あれは〝誤解され、傷付けられた可哀想な令嬢〟の姿だった。


 そして、皆がそれを信じている。


 純粋で、無垢で、疑うことを知らず、信じた友に裏切られた、ただの被害者。


 だが、ロザリエの目には違って映っていた。


 その涙の向こうに、一瞬だけ覗いた鋭さ。たった一つの言葉で、状況をひっくり返すための精緻な間合いと、張り詰めた集中。


(それにしても……)


 ロザリエは、再び視線をエラに向けた。


 彼女は尚も、己の手の中にある白紙の羊皮紙を呆然と見つめていた。何かを信じきった者が、その土台を足元から崩された時の、あの、耐え難い動揺。

 唇が震え、額にはじっとりと汗が滲み、瞳は虚ろに揺れている。


(……あの様子、どう見ても、嘘をついていたようには見えないわ)


 確かに、エラはあの瞬間、自信に満ちていた。

 手の中の羊皮紙を取り出すまでの所作に迷いはなかった。得意げに、勝ち誇ったように、そしてなにより本気で信じていた。


(ということは……)


 ロザリエは唇に指を添え、静かに考える。


 エラは嘘を吐いたのではない。

〝本物を手にしているつもりだった〟のだ。


 だとすれば、白紙に変わったその羊皮紙……

あれは、誰かがすり替えた……?しかし、一体どうやって?

 仮にカリナが、エラが証拠を持っていると気付いていたのなら白紙にすり替えるなんて、まどろっこしいことはしないはず。もっと単純で、もっと確実な手を選ぶに違いない。カリナの用心深さと、冷徹さはよく知っている。


 彼女は〝危険の芽〟は未然に摘む主義。でなければ、あれほどまでに綺麗に振る舞いながら、誰にも疑われず、学園内で聖女としての立場を築けるわけがない。


(ならば……)


 あの白紙は、カリナによる仕業ではない可能性。


(一体、誰が。何のために……?)


 ふと、背後に控える黒髪の従者————デリウスの姿が脳裏に浮かんだ。


 彼は、さきほど「ただの羊皮紙が何の証拠になるのですか」と、まるでそれを〝最初から知っていたかのように〟指摘した。

 あの冷たい目。無駄のない動き。そして、誰よりも早く真実に気付いていた反応。


(まさか……デリウスが?)


 ————いいえ、あり得ないわ。

 ロザリエは即座に、その思考を否定した。


 彼は私の従者。突然現れ、命を救ってくれたあの日から、ずっと、傍にいる。今のところ、彼は忠実に、そして誠実に私の命に従っている。あの冷たい瞳の奥に、時折垣間見えるのは確かに、私への忠誠。……そのはずだ。


 しかも、もし仮に彼が何かを仕組んだのだとして、それをロザリエに一言も伝えず、独断で動くなんて、そんなこと……


(そんなはず、ない……わよね?)


 頭では否定しているのに、心のどこかがざわりと波立つ。不安の波紋は、小さく、けれど確かに胸の奥に広がっていた。

 ロザリエはゆっくりと目を上げ、そっと視線を巡らせる。

 そしてふと、視線が交わった。


 デリウスが、そこにいた。


 ルビーのような、美しく紅い瞳。整った顔立ちに、曖昧な笑みを湛えて。


「……」


 ロザリエが何も言わずに見つめていると、彼はほんの少しだけ眉を下げ、いつも通りの、柔らかな微笑みを浮かべて、ふわりと首を傾げた。


 それは、すべてを見透かしているのか、それとも何も知らないのか。どこまでも曖昧で、どこまでも優しい。


 でもその笑みが、今日はほんの少しだけ遠く思えた。


(やっぱり……デリウスは、何を考えているのか分からない)


 信じている。けれど、信じたいという気持ちが先行していることにも、ロザリエ自身、気付いていた。


(……お願いよ、デリウス。どうか、貴方は、私の味方でいて)


 胸にそっと手を当てながら、ロザリエは小さく、見えない誰かに祈るように息を吐いた。





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