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01 運命




 鋭利な刃物が視界の端で光り、ロザリエ・ジークベルトはついに自分の運命を悟った。


 髪の毛を掴まれ、無理矢理顔を上げさせられ最初に目に映ったのは、自分の元婚約者である国の第一王子、リチャード・ブルクハルトだ。王族の象徴である彼の金色の髪は、この日を祝福するかのようにキラキラと輝いている。長い睫毛に覆われたサファイアの瞳が優しく弧を描いているところをロザリエは見たことがない。いや、単に彼に笑いかけてもらった事すらないのだ。


「ロザリエ、自分が何をしたかは分かっているのだろうな?」


 リチャードの低い声が鼓膜を揺らすが、ロザリエには首を小さく振る余力すら残されていなかった。返事をしようにも、舌を切られている所為で喋ることが出来ない。自身の銀髪が視界を塞ぎ、リチャードがどんな表情をしているか見えないが、きっと汚物を見るようにこちらを見下ろしているに違いない。かつては美しく輝いていたロザリエの青紫の瞳は今や死んだ魚のように濁っている。


「私の愛するカリナを殺害しようとした罪をその身で償ってもらうぞ」


 剣先が目の前に突きつけられ、ロザリエは静かに目を伏せた。


「リチャード様、少しお待ちくださいませ」


 すると、この場に似つかわしくない鈴を転がすような声が響いた。


 燃えるような赤い髪を揺らし、その華奢な体一つで処刑台に上がったのはリチャードの婚約者、カリナ・オーディット伯爵令嬢である。ロザリエが罪人となり婚約が解消されてから、このカリナがリチャードの婚約者となったのだ。

 彼女はロザリエに理不尽に頰を叩かれても、酷い言葉を浴びせられても、なんて事ないと笑って悪女を許した。今回は毒薬を飲まされあわや殺されるところだったというのに、ロザリエを見下ろすカリナの蜂蜜色の瞳は慈悲深い女神のように優しく美しい。


「カリナ!危ないからここには来るなとあれほど…!」


 ロザリエの髪を掴み、顔を上げさせているのはカリナの実兄であるレアンだ。処刑台に上がるカリナを見て驚いたのか、ロザリエの髪を掴む力が強くなった。


「勝手な事をしてしまってごめんなさい……でもお兄様、最期にロザリエ様に伝えなければならない事があるのです……どうかお願いします」


 カリナはそう言い、目に涙を浮かべて小さく肩を震わせた。そんな彼女の様子を見てリチャードは眉を下げて小さく笑い剣を下ろした。そんなリチャードに一礼をしてからカリナはロザリエの耳元に口を寄せる。


 あぁ、聖女カリナはあの最悪な悪女にどんな言葉を最期に囁くのだろうと観衆たちは前のめりになる。




「————馬鹿な女。こんなにあっさり騙されてくれるなんてね」


 一瞬、本当にカリナの声なのかロザリエは耳を疑った。

 普段鈴を転がすような可愛らしい声を発している喉から、地を這うような低い声が飛び出し、ロザリエは何度も瞬きをした。

 力を振り絞り、首を動かしてカリナの表情を盗み見るが、その微笑みは野花のように清純で可憐だ。


「最期に教えてあげる。アンタが悪女だって虐げられて嫌われてたのは、ぜーんぶ私の所為なの。ロザリエ……アンタは本当に〝良い子〟だったわね。成績優秀、立ち居振る舞いも完璧、王太子の婚約者。だからこそ……崩してやりたくなったのよ」


 カリナの声は囁くように甘く、鋭かった。


「アンタが周りから悪女だと思われるように仕向けるのは簡単だった……ロザリエ様に無視された、とか、睨まれた気がする、とか。陰で嫌われてるらしいって囁いてみたり……それだけでいいの。皆、勝手に膨らませてくれるから。『あのロザリエ様が、そんなことを?』って。疑わないの」


 カリナの春の陽だまりのような笑顔が、今だけは恐ろしく感じられた。


「貴方は……誰にも助けを求めなかった。高い場所から、黙って見下ろして……完璧であることに固執し、気品と誇りを盾にして、〝頼る〟ことを〝弱さ〟と切り捨てた。他人の優しさに甘えることをせず、傷ついた自分を誰にも見せなかった。それが間違いだったのよ」


 ふふ、とカリナの口から思わず笑い声が漏れた。


「噂を流しているのが私だと知って、頰を叩きに来た頃には全てが遅かったわよね。私に暴力を振るった後にアンタに向けられる周りの視線ときたら……うふふ……みーんな、〝カリナお嬢様、可哀想〟って目をしてた」


 カリナは溢れ出る笑いを誤魔化す為、口元を隠した。


「アンタに死刑が言い渡される原因になったパーティー……私が毒を飲んで倒れて、真っ先にアンタが疑われて……ふふ、思い出しただけで笑っちゃう。私のカクテルに毒を入れたのは私自身なのに。飲むフリをして倒れただけよ。それなのに……みーんな、アンタが犯人だと決め付けたわね」


 カリナはその場で踊り出さんばかりに嬉しそうに笑った。口元を隠しているお陰で、観衆たちの目に映るカリナの姿は、悪女ロザリエを憐れむ麗しい女神のようだ。


「アンタ、邪魔なのよ。私が王妃になるのを黙って見てさえいれば、こんな事にならなかったのに」


 笑い飛ばすようにそう吐き捨てると、カリナはゆっくりと立ち上がり処刑台から降りて行く。ロザリエは血走った目から涙を溢しながらカリナの背中を見つめた。


「嗚呼……ロザリエ様が王妃になれていたかもしれない未来を考えると……とても恐ろしいです」


 階段をゆっくりと降りながらカリナは振り向き様にふっ、と嘲笑うようにこちらを見た。


 カリナが処刑台から降りるのを見届けてから、リチャードは下ろしていた剣を勢いよく振り上げた。首を一瞬で切り落とせるように入念に剣を磨いたのはロザリエへのせめてもの慈悲か。


 ————こんなところで死ねない。


 ————カリナがこの国の王妃になるだなんて、絶対に許さない。


 そんな思いを胸にロザリエは身を捩るが、レアンがこれ以上ロザリエが動かないように足で踏み付けて制した。


 刹那、剣が空気を裂く音ともに視界が反転した。


 自身の首が切り落とされた所為で血飛沫が観衆たちの頰やら体に飛び散る。ほとんどの者たちは悪女ロザリエの首がはねられた事に歓喜の雄叫びを上げる。

 その時、観衆の中に鋭く光るサファイアの瞳を見つけた。

 一瞬、リチャードの目かと思ったが、そんなはずはない。歓喜に震える観衆に揉まれながらもサファイアの瞳を持つ青年はロザリエの首を睨みつけていた。黒いマントのフードを深く被り、ロザリエの飛び散った血液を頰にへばり付かせた青年の見惚れるほどに美しい碧眼は、確かに憎悪の色を滲ませていた。


 嗚呼、どうして。貴方も私を恨んでいるの?私は何もしていないというのに。私は何も悪くないのに……


 全てをやり直したい。

 もし、時が戻るのなら、私は————。


 脳が死を受け入れたか、ロザリエの視界は途端に闇に包まれた。





♦︎




「…リエ……!ッロザリエ!聞いているのか!」


 ダンッ、と拳で机を叩かれる音でハッと我に帰ったロザリエは声がした方に視線を向ける。そこには苛立ちを隠そうともしない表情でこちらを睨みつけるリチャードの姿があった。

 何が起こっているのか理解が出来ず、ロザリエは視線だけを動かして状況を整理しようとする。

 まず、ここはどこだ。見覚えはある。この間まで通っていた学園の教室内だ。でも何故教室に?学園は一ヶ月ほど前に卒業した。そうだ、卒業パーティーでカリナの飲み物に毒が入っていて、それでロザリエが犯人だと決め付けられて、それから————。

 ロザリエは改めて目の前のリチャードの服装を見て息を呑んだ。


(どうして制服を着ているの……!?)


 ここは何故か学園の教室内で、リチャードは制服を着ていて、それで、何故、こうなっている?

 理解不能な状況にどう対処していいか分からず、ロザリエは何度も瞬きをしてから自身の姿を見下ろし、思わず声を上げかけた。なんと自分の格好まで制服姿だ。

 そしてなにより。


(生きてる…!)


 夢や幻覚ではない。どくどくとうるさく高鳴る自身の心臓の鼓動がそれを教えてくれる。


「……ロザリエ、生徒の前であんな真似をするとはな。お前はどこまで落ちるつもりなんだ?」


 なかなか返事をよこさないロザリエに痺れを切らしたか、酷く冷たく、重い質量の声が部屋に響き渡る。

 ロザリエは再びハッとした。この状況には覚えがあるのだ。




 ある日、いつものように一人で本を読んで放課後を過ごしていたロザリエの元にカリナがやって来て、最近お疲れのようだと柔らかい声で尋ねた。まるで姉が妹を労わるかのような優しさを滲ませて。


『責任のある立場を目指すというのは、やはりお辛いものですわね。王妃としての覚悟、民の目、王子殿下への気遣い……すべてを背負って進まなければならないなんて、本当に……大変なことですもの』


 その時のカリナの声は穏やかだった。喉に触れたら柔らかく波打ちそうな、よく磨かれた絹のような声音。そこに敵意は一切見えなかった。表面上は、まるで一輪の百合のように清楚で気高い。

 けれど、ロザリエの心の奥底に、その声は鋭く突き刺さった。それが〝疲弊して当然の貴女では務まらない〟という含意であると、すぐに分かった。


 心の奥に、かすかな波紋が広がる。


『でも……ご自分を責めないでくださいね。お立場も、お気持ちもよく分かりますから。誰にでも、向き不向きはあるものですもの』


 ロザリエは、静かに息を吸った。

 長く、細く、目立たぬように。


 その一言一言が、喉元をナイフの背でなぞられるように痛い。穏やかに微笑むカリナの姿を目に映しながら、ロザリエは、胸の奥でゆっくりと、何かが膨らんでいくのを感じていた。


 感情、だった。


(向き不向き……?)


喉が、きゅっと締め付けられるようだった。


(〝向いてない〟って、私が、王妃に?)


 脳裏に浮かぶのは、今までの人生のすべて。


 自分の人生は、常に「正しさ」のためにあった。

 幼い頃から妃として恥ずかしくないように育ち、礼儀作法も言葉遣いも、誰よりも早く身につけた。夜遅くまで勉強し、粗相がないよう細心の注意を払い、言葉一つ、歩き方一つ、全てを鍛えた。王家に相応しい人間になるために。すべてを捨ててきたのだ。

 友人と笑い合う時間も、少女らしい夢に胸を躍らせる余裕も。あの甘いお菓子の香りが漂う厨房に、目を向けることもなく。


 なのに今、この女は、この女は……!


 ロザリエは震えた。

 それは表面では分からないほどの、小さな、小さな震えだった。けれど、その震えは少しずつ、確実に彼女の理性を侵食していった。

 笑っているのだ、この女は。

 まるで心配しているような顔で、上から見下ろすように。貴方には王妃の器がないと、そう遠回しに、上品に、確信を持って断言してきたのだ。

 私の……何が足りないというの。


 何を、知っていて。


(私の何を、軽々しく否定できるというの……!!)


 ロザリエの心は怒りで満ち、感情のままカリナの頰を思いっきり叩いてしまった。刹那、カリナが大袈裟に騒ぎ立てるので、大変な騒ぎになってしまった。そして、その頃にはカリナと愛人関係であったリチャードまでもが現場に来てしまい、一部始終を知った彼に連れられ今現在、こうして誰もいない空き教室で問い詰められているというわけだ。

 この時、ロザリエはカリナに侮辱された直後で頭に血が昇っており、リチャードの前だというのにも関わらずみっともなく声を荒げた。今までリチャードが婚約者である自分よりもカリナを優先していた怒りが蓄積していたのもある。

 ロザリエが声を荒げる姿にリチャードは呆れ、彼女の話を聞く事なく教室から出て行ってしまった。


 ————きっと、あの時冷静になるべきだったのに。


 ロザリエは静かに深呼吸をしてからリチャードの目を真っ直ぐに見た。


「私は、カリナ嬢に侮辱を受けたので相応の罰を与えただけですわ」

「嘘を言うな。カリナがいつお前を侮辱したのだ?」


 リチャードの目つきが鋭くなる。


「必死に堪えていたのですが、あのまま黙っているだけではジークベルト公爵令嬢の威厳に関わりますから」

「堪えていた?ふん、お前がカリナに暴言や暴力を振るっていたのは、今に始まったことではない。今さら侮辱されたなどと言い訳を————」

「では、殿下は実際に見たり聞いたりしたのですか?私がカリナ嬢に暴力を振るい、カリナ嬢に暴言を吐く姿を」


 ロザリエのアメジストの瞳がリチャードを貫く。彼女の言葉にリチャードは口をモゴモゴと動かし始める。


「それは……カリナが、そう言ったから————」

「おや、次期国王ともあろうお方が、碌に事実確認も行わず、たった一人の証言のみを信じるのですか?」


 口元に笑みを浮かべながら呟くと、リチャードは顔を顰めたまま黙り込んでしまった。何も言えなくなるとそうやって睨む事しか出来ないのね。まったく呆れるわ。

 だが、今の彼女はもう、その幼さに心を乱されることはない。懐かしさすら感じない。

 二人の間に長い沈黙が訪れる。


 ロザリエは一歩、静かに下がる。まるで裁き終えた女王のように、優雅な一礼を添えて。


「お話がお済みなようでしたら、私はこれで」


 そのままロザリエは背を向けて、教室を後にした。

 扉が閉まる音がやけに静かで、空気に取り残されたリチャードは、ただ無言のまま立ち尽くしていた。


 ……冷たい木の感触が、掌にじんと残る。

 静寂の廊下。誰もいない放課後の空間を、ロザリエの足音だけが支配していた。


(……許さない)


 ロザリエの瞳はまっすぐに光をとらえていた。その表情に、迷いも哀しみもない。ただ、決意だけが残っている。


(カリナ。あの手この手で私を陥れて、挙げ句、私の婚約者まで奪ったあなたを)


 紫の瞳に宿る炎は、誰にも消せない。たとえこの身が朽ちようとも、彼女の信念は揺らがないだろう。


(リチャード。私を信じるどころか、処刑台に送ったあの愚かで矮小なあなたを)


 彼女は胸の内で静かに、しかしはっきりと誓う。


(必ず後悔させてやる。私に与えた苦しみのすべてを、倍にして返す……)


 夕陽が落ちる廊下で、ロザリエの影が長く伸びていた。

 まるで、その背に冷たい復讐の女神が寄り添っているかのように。

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