ベルナックの街/「ここまで何を着ても可愛いとは思わなかった」
早朝、食事をいただいた後に、宿の裏口からひっそりと出させてもらった。
しばらく歩いて、セルジュが振り返った。不機嫌そうにため息をつく。
「夜ならともかく、日の差すところで見ると違和感しかない。
まさかあなたが、ここまで何を着ても可愛いとは思わなかった。ただし顔色が悪いですが。」
……。
それはつまり、どういう意味なのだろう?問い返そうと思ったときには帽子を目深にかぶせられ、セルジュは馬主と交渉をしに行ってしまった。
私は見咎められることもあるのではと緊張していた。その割には何事もなく、二人で馬に乗り、隣街に無事着くことができた。
街に入ると、セルジュは馬主の息子さんが住んでいる所まで難なく行き着き、馬を引き渡した。私は見咎められたり、呼び止められることもあるのではと緊張していた。その割には何事もなく、セルジュは裏道に入り私の手を引いて速足に進む。
その裏路地には地下への階段があった。何が起こるのかと私は緊張した。けれど階段を降り、ドアの前でセルジュが短い交渉をした後、何事もなく中へ通された。
「冒険者ギルドです。緊急時なんで、こっちから入りました。」
セルジュが小声で教えてくれる。
私はさらに何が起こるのかと緊張することになったけれど、入ってしまったものはもう、どうしようもなかった。
通されたのは執務室のようだった。山賊かと思うほど大柄な男性と、逆に細身の目立ったところのない事務服の男性がいた。
「ギルド長、久しぶりです。」
セルジュが頭を下げている。
「で、どんな厄介ごとをもってきた?」
ギルド長らしい大柄な男性が凄味のある低い声で言った。セルジュがもう一人の男性をちらりと見る。ギルド長が苦笑をもらした。
「会ったことなかったか?エドガール、この名前なら聞いたことあるだろ。副ギルド長に引き抜いた。ここで一番信頼できる人材だ。」
うなずいたセルジュが私を椅子に座らせた。いや、ギルド長と呼ばれた人は机に寄りかかり、副ギルド長もセルジュも立ったままなのだけど、これは良いのかどうなのか。しかしセルジュは私のことなど構わず話し始め、ギルドの二人も聞き始めてしまった。
セルジュが昨日のことをひととおり話し終えれば、ギルド長は何やらおもしろがっていた。
「二十一才でAランクまで上りつめた凄腕の期待の新人が、聖女の護衛とはな。」
……驚いた。冒険者というだけでもすごいと思っていたけれど、セルジュは何やらもっとすごい人材だったらしい。思わず見上げれば、セルジュの表情は特に変わりがなかった。
「ギルト長、俺は聖女様を隣国に行かせたい。」
「貴重な聖属性持ちを害するなんざ、あり得ねえよ。しかも筆頭聖女をな。」
「まったくですねえ。瘴気の害が無くなってからにしてほしいもんです。」
「だから、それはいい。だがギルド長の権限を使えば目立つ。後から動きにくくなるだろ。」
「僕も、そのほうがいいと思いますねえ。強行突破、アダン君ならできるでしょうが、追われますから。こっそり事を運べるうちは、その方が逃げられますよ。」
「だがな。」
ギルド長がセルジュを凄味のある視線で見やる。
「俺が危惧してるのは別のほうだ。
王国の騎士団が動いたらしいと小耳にはさんだ。まさか聖女探しとは思わなかったが。急いだほうがいい。」
セルジュがこともなげに答えた。
「わかってますよ。探してるのが俺という可能性もあるんで。聖女行方不明、聖女誘拐、あるいは聖女殺害の責任を負わされるってな感じで。」
……セルジュは気づいていたのか。それをわかってなお、私と共にいてくれたのか。
胸が締め付けられるように痛かった。巻き込んだばかりに罪人として捕らわれる、セルジュをそんな苦しい目に合わせたくはなかった。けれど殺されかけた私に、それを何とかできる力はなかった。
そう、だから逃げるしかない。逃げ切れば、セルジュも無事でいてくれるはずだから。
「わかってんなら、とりあえず逃げとけ。」
ギルド長がのんびりとそう言った。エドガールさんものんびりと言った。
「捕まれば、聖女さんを守るどころはなくなりますからねえ。」
「今ならまだ、元冒険者の神殿騎士の手配書は回ってねえ。先に隣に行っとけ。」
「向こうが探すとしたら、まず聖女のみ、もしくは聖女と神殿騎士のセットでしょうからね。
僕も、アダン君が単独でレジェ国に入っておくのをおすすめしますよ。
確か今日は、向こうのが最近赴任してきたばかりの若い役人のシフトです。しかも、あまり仕事熱心じゃない。身分証としてギルドカードを見せても、あのセルジュ・アダンだとは気づかれにくい。」
セルジュが考え込むように顔を伏せる。
私はぜひセルジュにそうして欲しかった。もし私が捕まることがあっても、セルジュには無事でいてほしかった。
けれどそうすれば、セルジュとは離れることになる。不安と心細さがじわりとあふれ出す。私はぎゅっと両手を握った。
「聖女様はどうするんです?」
セルジュが低い声で尋ねた。
「どうだ?」
とギルド長が副ギルド長に話をふる。
「向こうには有名な薬師がいましてね。少々高価な薬草をすぐ配達しろとうるさくて。僕が毎回、届けに行っているんですよ。ちょうど今日も行く予定で。
それに向こうの街には冒険者ギルドがない。そのぶん冒険者の行き来が頻繁で当たり前なものだから、通行税さえ払えば監視の目がゆるい。
聖女さんはおつかいの練習中の見習いとして、僕が連れて行きますよ。」
即座にセルジュが問う。
「身分証は?」
「仮でもギルドカードを作ってあげたいですが、そうなると記録が残る。
なのでレジェ国で作ったギルドカードを持っているように見せかけて、ぎりぎり見せなくていいような状況にしたいところですね。」
「聖女さん、こんなもんでどうだい?」
ギルド長に問われる。どうも何も、私は立ち上がると、片足を引き軽く膝を折った。
「感謝いたします。」
心からお礼を言ったのだけど、三人からは微妙な視線をもらうことになってしまった。
「ああ、その服はどうもな。」
「髪もまずいですねえ。その服で弟に見えたなら、病気で誤魔化して、隣国に渡るのが手っ取り早かったですが。服は僕が何か見繕ってきますよ。あと髪を隠せるものも。」
セルジュが私に向き直る。
「聖女様、しばらく別行動を取ります。レジェで合流しましょう。」
その言葉にほっとした。これでセルジュは安全なはずだと、そう思った。
決断したセルジュは早かった。
「よろしく頼みます。」
もう一度頭を下げ荷物を背負うと、あっという間に部屋から出て行ってしまった。
「じゃ、僕も。」
「聖女さんはここで休んでいてくれ。比較的安全なんでな。茶も出せなくて悪いが。」
さらには副ギルド長も、ギルド長も出て行ってしまった。
急に部屋が静かになった。不安と心細さに、じわじわと全身を覆い尽くされるようだった。けれどセルジュには頼れない。一人でなんとかするしかない。
もしかしたら、もうセルジュには会えないことも、あるかもしれないのだから。
それに気づいてしまい、私は胸をぎゅっと両手で押さえた。そう、その可能性があった。
このまま二度と会えないことも、あるかもしれなかった。
けれど、そのほうがきっと彼は安全。私が一緒にいなければ、彼一人なら、確実に逃げられる。
ふと、こんな考えがうかんだ。
私が今この街の役所に聖女だと名乗り出れば。護衛騎士は私を守るため大怪我をしたので隣国の高名な薬師に診せるようギルドに手配してもらったと、そんな理由をつけて。それで、彼が無事でいられるならば。
そうしたら、私は予定通り修道院に向かうことになるのか、それとも次は毒殺とか、あるいは何か罪を着せられることになるのか。それでも、彼が無事ならば。
けれど結局、私は動けなかった。
私が死んだら後を追う、その言葉はもちろん覚えていた。ただそれ以上に。
なぜこんな気持ちになるのかは、わからなかったけれど。
もう一度、セルジュに会いたかった。