悪夢
「もう一つ。」
これを聞いておかねばと話を振った。
「瘴気の森で、私は役に立たず、あなたが大変ではなかったでしょうか?」
「聖女様が気にすることではありません。もちろん事前に用意した魔石と魔導具も使って、あなたにできるだけ危険が及ばないようにしましたが。あの程度なら、俺は慣れてますから。
ああ、俺は冒険者だったんで。」
……驚いた。元冒険者の神殿騎士など聞いたことがなかった。神殿騎士は、神官見習いのうち武術に秀でたものが進む道。いや、元冒険者が神官見習いになることはあるかもしれないけれど。
気になって結局、私は聞き返してしまった。
「セルジュは元冒険者なのですか?」
「ええ、十三から二十三の年になるまでやりました。その後、神官見習を一年、それから神殿騎士を七か月と少し。」
すごい。セルジュが私、筆頭聖女付きの神殿騎士となったのは確か半年前。実力を見込まれた大抜擢とでもいうのか。
そうすると、セルジュは今二十四才くらい、私より一才年下。それなのにこんなに何でもできて、なんてすごいのだろうと感心した。元冒険者だったらこれは普通なのだろうか。たとえ普通でも、私にはすごいことにしか思えなかった。十四才で神殿に入った私は、子どもの頃の令嬢暮らしと、神殿の暮らししか知らない。
そんな私は、こんな簡単なことにもすぐ気づくことができない。
「セルジュはそこで寝るのですか?」
毛布を持って彼が向かった先がそこだった。このベッドから一番離れた床。ごちゃごちゃあったものをよけて、セルジュが作った場所。
「俺はどこでも寝られるんで。いいですか。俺の方はまだ体力的にも十分余裕がある。
あなたが動けなくなったら、そのほうが困ります。」
もしかして、一つしかないこのベッドで一緒に寝ようと言うべきなのかも。
そう思った。思ったけれど、さすがに、どうしても、口に出せなかった。
そんな私を不審に思ったのか、セルジュが一気に不機嫌な顔になった。
「もしかして、そのベッドで俺もいっしょに寝ろとか、考えてます?
正気ですか。いいですか。あなたの疲れをとるのが一番重要なんです。とにかく、無駄なことなど考えず、寝てください。」
……。
セルジュが灯りを消し、毛布にくるまってさっと横になった。私もそれにならい、ベッドに横になった。
疲れていた。眠いとも思った。けれど、目を閉じても眠れなかった。
それでもじっとしていると、静かな部屋にセルジュの呼吸の音がかすかに聞こえるようになった。
何となくほっとした。ほっとして……。
――逃げていた。必死に逃げていた。振り返ることもできず、逃げていた。なのに。
どれほど逃げても、それが追いかけてくる。足がもつれそうになる。
どこに逃げているのかもわからない。けれど、逃げなければ。だって、後ろには。
足がもつれた。地面に倒れ込む。振り向けばそれが。鈍く光るそれが……!
荒い呼吸と共に目が覚めた。震える体を起こす。見回す。ここは、宿。
だから、夢。あれは夢。夢だ。わかっているけれど混乱した。
振り下ろされる剣。鈍く光る剣が。私に向かって……。
体を丸め、頭を抱えて首をふる。わかっている。今のは夢。けれど。
「聖女様?」
暗闇にセルジュが起き上がるのが見えた。
「聖女様、どうしました?」
ぼんやりする頭をはっきりとさせたかった。けれど霞がかかったようだった。
「何でも、ありません。」
何とか答えたけれど、セルジュがこちらに来てしまった。
「夢でも、見ましたか?」
夢。その言葉に、先ほどの言い様のない何かに再び襲われた気がした。呼吸が荒くなる。胸を手で押さえても、抑えようとして抑えきれず。
セルジュが私に向かって手を伸ばす。それが夢と重なる。思わず振り払えば。
「失礼します。」
と、温かいものに包まれた。
「リディアーヌ様、俺です。セルジュです。わかりますか。」
私の背に触れている腕も、私の頬が触れている身体も、夢とは違い温かだった。
「俺があなたを殺させはしない。あなたが安心して暮らせるよう、必ず逃がします。」
つぶやくようなセルジュの声。暗闇に、それだけが聞こえた。
「俺は冒険者をしていたから、こういう事態には慣れている。
あなたは瘴気の浄化には慣れていても、こういったことには慣れてないと早く気付くべきでした。
抑えなくていい。あんな目にあえば、怖がって当然です。」
その言葉で、私の混乱はおさまってしまった。
私は、怖かったのか。私はあの時これほどまでに恐怖を感じていたのかと、それがわかった。
彼の手がゆっくりと私の背をなでる。呼吸がだんだんと落ち着いてくる。
あれは、怖かった。でも今は、それほど怖くない。
温かな腕と身体に包まれて、今は確かに怖くない。
急に眠気を感じて目を閉じた。彼の腕が私をベッドに寝かせる。
微睡のなか、セルジュの手が私の髪をなでたのがわかった。
心地よいと、なぜかそう思った。