計画/「一人でできますか?手伝ったほうがいいですか?」
セルジュが食事を終えても、私はまだ食べ終えられなかった。というより半分食べて、スプーンを持つ手が止まってしまった。いつもなら夕食にこれくらいは食べられる、なのに。
「聖女様、食べませんか?」
「ごめんなさい。せっかくあなたが手配してくれたのに、あまり食べられず。」
「いえ、無理に食べる必要はありませんが。いつもの食事量より少ないのでは?」
「ええ、そうかも。」
「朝は食べましたか?」
「いえ、朝食前に王城に呼び出されて。」
セルジュが眉をひそめる。
「とりあえず、残りは俺が食べます。」
皿とパンをわたせば、あっという間に彼が平らげてしまった。
「皿を戻してきます。念のため、魔法で軽くドアを封じますので。」
セルジュが部屋を出て行く。私は心細くなる気持ちを抑えて、彼が戻ってくるのを待った。
しばらくして、予想より早く戻ってきた彼はこう言った。
「湯をもらってきました。これを衝立代わりにします。俺はあっち側を使いますから、聖女様はこちらで。ああ、一人でできますか?手伝ったほうがいいですか?」
「ええ、もちろん、一人でできます大丈夫です神殿ではそうしてましたので。」
慌てて答えたものの、とんでもなかった。手伝ってもらうなどあり得ないし、一人で湯を使うにしてもとんでもなかった。聖女としても子爵令嬢としても、こんな経験はしたことがない。同じ部屋で、衝立だけで遮られた場所で、衝立で遮られていてもすぐそばに男性がいる場所で、こんな。
しかし、置かれた洗面器とタオルを見ながら、立ち尽くしているわけにもいかなかった。せっかく持ってきてくれたお湯が冷めてしまう。それに体をふかないまま、明日一日を過ごすわけにもいかなかった。
衝立の向こうからはすでに水音がしている。とんでもない。果てしなくとんでもない。けれど、私はなんとかタオルを湯にひたして、顔をふくところから始めることにした。次は服と下着を脱いで体をふくのだと覚悟を決めながら。
精神を削られる気がしながらも、何とか全身をふき終えた。けれど体がさっぱりとしたので、それは有難かった。
衝立の向こうの水音は聞こえなくなっていた。セルジュが急かすことなく待ってくれるのも、有難かった。
「セルジュ、終わりました。」
「衝立をどけても、大丈夫ですか?」
「はい。」
「では、これを返してきますので。毛布をかけて休んでいてください。」
セルジュの様子は普通だった。私がこれほどまで気にしたのが馬鹿馬鹿しくなるほど、普通だった。
しかも床の洗面器を渡そうとすれば、
「聖女様……、今すぐベッドに行ってください。」
と、ため息をつかれてしまった。
セルジュが部屋を出ていく。何かほんの少し、むっとする感情が残った。仕方なく、毛布をかぶってベッドに横になった。
すると、また心細さに襲われた。毛布をぎゅっと握り体を丸める。
もしセルジュが戻って来なかったら、とは考えたくなかった。私を殺しに来た誰かが先にセルジュを。あるいは聖女を連れ去り害そうとした犯人としてセルジュが捕われる。そんなことは考えたくない……。
そっとドアが開いた。はっとして身を起こせば、セルジュだった。
「聖女様?」
「いえ、少し驚いただけです。」
「すみません。かえって驚かせてしまいましたか。あなたが寝ているかもしれないと思ったんで。」
セルジュが手に持っていた水差しをベッドのそばに置いた。
「夜、のどが乾いたらこれを。
ところで、まだ眠くありませんか?」
「ええ。」
セルジュがベッドのそばに椅子を引き寄せた。
「聖女様、今なら少し余裕がある。今後の話をしておきます。」
セルジュが私の肩に毛布を掛ける。ランプの灯りが揺れた。
「まず隣街のベルナックに行きます。国境の街です。」
はっとして見返した。けれどセルジュはそのまま続ける。
「あなたが連れていかれたのは、王都から西方部にある森でした。ご存知の通り、あの森は細長く国境近くまで続いている。だから、ある意味幸運だった。
瘴気の森から出ることもできましたが、そうすれば見つかりやすくなる。俺は森を渡ることに決め、こちらまで抜けました。この国を出ます。」
やはり、そのつもりなのかと思った。いや、それだけではない。私が呆然としていた間、森を渡るのも大変だったはず。
何から確認すればと迷っていたら、先にセルジュが言った。
「国を出るのは、反対ですか?」
「いえ、そうではありませんが。そもそも、国境を渡るには身分証が必要ではありませんか。仮に身分証があっても、あやしまれたら。」
「それは何とかします。それより俺は、この先あなたが隠れ、怯え続けるような暮らしにはさせたくない。」
理由に驚いた。セルジュは私のためにそこまで考えてくれたのかと。けれど。
怯える暮らしをしたいわけではない。しかし、国境を渡るのはいくら何でも無茶ではないかと思った。
けれどセルジュはそのまま続ける。
「国境を渡り隣国に抜けたら、長距離馬車を乗り継いでさらに西に向かい、エレンディアに入ります。」
その名に呆気にとられた。
「それは、エルフの国では?」
「そうです。」
こともなげにセルジュが答えた。彼には何か理由があるのだろうと思いつつも、聞いてみる。
「エルフの国は、他国人や他種族は入れないのでは?」
「一か所だけあるんです、人間も暮らせる町が。もちろん入国するには審査があります。
もしエレンディアが駄目だったら、さらに隣のドワーフの国に向かいます。」
聞いているだけで、ずいぶんと壮大な話だった。昨日まで普通に、この国で聖女をしていただけの私が。
けれど私が怯え続けなくても良いように、セルジュが考えてくれた案なのだと思った。私には、そんな案はもちろん出てこなかった。当然代わりの案もなく。危険でも、何をどう逃げたらいいのかわからない。明日の生活ですら、明日何をしたらいいのかすらわからない。
結論はこれしかなかった。これしか思いつかなった。
「わかりました。セルジュに任せます。ただ。」
これだけは言っておかねばと思った。
「あなたが危ない目に合うのは嫌です。」
「善処します。」
彼の答えは簡潔だった。それでは答えになっていないと、言い返したかったけれど。




