最終話〈もう一度、聖女は護衛の手を取る〉
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
夕方というには遅い時刻。冒険者ギルドのコニーさんに送ってもらったものの、家に灯りはついていなかった。セルジュはまだ戻っていない。少しがっかりした気持ちになる。
珍しくセルジュが、泊りの必要な依頼を受けたのは七日前のこと。世話になった人からの頼みだと、数人でパーティーを組む依頼に出かけて行った。長くても一週間で戻ると、そう言いおいて。
当然のように、浄化の依頼でも夜は外出しないこと、夕方には家に戻ることを堅く約束させられた。今日だけは少し遅くなったけれど、セルジュがギルドに依頼していたらしく、家までコニーさんが送ってくれた。
けれど、セルジュはまだ帰っていなかった。
大型トカゲで走り去るコニーさんに手を振って、門を開けた。庭の小道を歩く。吐く息が白い。今日はかなり冷える。今着ている服を有難く感じる。
冬用の温かい服を自分の報酬で買いそろえた。ロング丈のフレアワンピースにカーディガン、マフラーに手袋、ショートブーツに靴下にもこもこの下着まで。けれど、マントだけはセルジュが贈ってくれた。妖精印の軽くて温かくて綺麗なマントは、夫のプレゼントと思えばより嬉しくて毎日のように着ている。
ふと思い付く。温かい飲み物でも用意して待っていよう。ジンジャーミルクティーとか、スパスティーとか。明日は二人とも休みだから一緒にサンドイッチと温かいスープを作りたいと、そんなことも思いつく。それからハーブティーと珈琲を用意して、暖炉の前で旅の話を聞きたい。
目の前をひらりと白い欠片が落ちて行った。見上げれば、ちらちらと雪が降り始めていた。
まずリビングの暖炉に火を入れて、二階は暖房用の魔導具も使って部屋を暖めて。考えながら玄関の鍵を開けた。魔導錠も解除して、ドアを開ける。しんと冷えた家の中、灯りを付けようとして、人の気配を感じた。
薄暗いなかに、うずくまる影。
声も出せないほど恐怖に襲われる。その影が動いた。
「リア。」
セルジュの声だった。
駆けよれば、抱き寄せられ、抱きしめられ、口づけられた。頬を包む手が熱い。それ以上に吐息と彼の唇が熱かった。
激しい口づけの後、くらくらしながら名を呼べば、きつく抱きこまれた。
「リア。リア、どうしても、一目あなたに会いたかった。」
……。その台詞は、まるで今後会えなくなるようだけど。
「あの、セルジュ?」
首をかしげる前に、私の肩にセルジュが顔をふせてしまった。
「少し、油断しました。俺には今、追手がかけられています。
しばらくここを、あなたと離れます。」
苦渋に満ちた声だった。
「リアはここにいれば安全です。あなたは何も知らない。尋問されたら、俺がここに戻ってきたこともそのまま話してください。あとは何も知らないで通せば、大丈夫です。」
尋問……。いったい何が起こったのか。しばらくというのは、二、三日ではなさそうだった。二、三週間でも無理かもしれなかった。二、三か月で何とかなるのだろうか。
「あなたは安心していてください。ギルドの連中も専属のあなたを守る。万が一に備えた依頼もすでに出してるんで、必要に応じて護衛が付きます。
俺は、しばらくしたら必ず戻りますから。」
相変わらず、セルジュの想定力と段取り力は素晴らしかった。けれど。
けれど、まず確認をしなくては。
「しばらくというのは、いつまでですか?」
セルジュの私を抱く腕の力が強くなった。すがるような腕の強さだった。
「一年後ですか、それとも?」
セルジュは問いに答えなかった。その代わり苦し気にこう言った。
「申し訳ありません。離婚はできない。」
ええ、私も離婚はしたくないけれど。少し考え、言ってみた。
「私が一緒にいては、逃げるのに差し支えますか?」
答えるセルジュの声は、どこまでも真剣だった。
「あなたを危険にさらしたくない。あなたが気に入っているこの生活を、失わせたくない。」
確かに私はこの生活を気に入っているけれど、それはセルジュがいてくれるからなのに。
見れば、どこまでも切なそうな彼の眼差しだった。セルジュは私を邪魔に思っているわけではない。
それならば。
決めた。
「セルジュ。」
にっこり笑って私は告げる。
「もしあなたが私を置いていくなら、私はあなたの後を追います。」
「リア!?」
セルジュがぎょっとした顔になる。
私はもう一度にっこりと笑う。
「本気ですよ。私はここを出て、あなたの後を追います。
もちろん、私にはあなたがどちらに行ったのかすら分からないでしょうから、ギルドで浄化の依頼を受けながら、あなたの情報を探して、あちらこちらに行くことにします。」
「……リア、駄目だ。」
言いながらも、セルジュの腕は私を離さなかった。
「もう一度いいます。私はあなたの後を追います。
それが嫌なら、私を連れて行ってください。セルジュなら、できるでしょう?」
私を見下ろすセルジュの眼差しが変わった、決断と覚悟の込められたものに。
「あなたが望むなら、俺はあなたを連れて逃げます。
あなたがそれを願ってくれるなら、俺は迷わない。」
落ち着いた声だった。その腕にしっかりと抱きしめられた。
旅の鞄を出して、着替えと洗面用具などをつめる。お金と、魔石も少し、あとは防寒用の物をいくつか。
他に必要なものはないか部屋を見回した。余分なものを持っていけないのが残念だった。
セルジュが贈ってくれた推理小説に、キノコの図鑑、ハンドクリームに栞、一緒に選んだマグカップ。セルジュと過ごした日々が形としてそこにあった。失いたくないと思うほど、私にとって大切な日々だった。持っていけるものは、髪飾りと指輪だけ。
手を組んで祈る、また戻って来られますようにと。
階段を降りれば、裏口でセルジュが待っていた。
手を引かれ庭を抜ける。雪のちらつく裏路地に出る。誰もいない小道を速足で進めば、広がる牧草地とその奥に木立が見えてきた。セルジュが指さす。
「あの奥に飛竜を隠しています。」
歩き続けるセルジュの横顔を見ながら聞いてみる。
「これから、どこに?」
「雪山を越えます。」
……。……。……。とんでもなかった。聞くのではかなったかと思うくらいとんでもなかった。冬の雪山を越えるなどと。
「安心してください。万が一王国があなたを連れ戻そうと、そんな動きがあったときに備えて準備していたんで。」
……いつの間にそんなことを。
「それに無理はしません。今からだと、近場でまず一泊。あなたも一緒ですから、もう一泊くらい雪山のシェルターに。飛竜で越えます。ちなみにこの飛竜は雪に強く賢い。まず遭難はしません。その後はいったん魔国に入ろうかと。」
まあ、いいかと思った。セルジュと共にいられるならば。
柵を越え、牧草地を歩いていく。
月は見えなかった。星も見えなかった。
ただ無数の白い欠片が、空から音もなく降りてくる。
ぐるりと木立を巡れば、飛竜が気持ちよさそうに首を伸ばしていた。
セルジュが荷物をくくり付ける。それから飛竜の首を軽くたたいて、ひらりと鞍にまたがった。
セルジュが私を見下ろす。真摯な眼差しだった。
「リア、俺と共に来てくれますか?」
セルジュが手を差し出す。
私はその手をつかむ。
引っ張り上げられるとすぐ、大きなマントに包まれた。セルジュが私を後ろからぎゅっと抱きしめる。
はらはらと花びらのように雪の散る空へと、飛竜が舞い上がった。




