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独りの時間


 開封された手紙を手にセルジュが戻ってきた。

「わざわざギルドから指名依頼の詳細の魔導便でした。」

「それほど受けてほしい依頼があるということですか?」

 セルジュが私と間を開けてソファに座る。

「どのみち一度、ギルドからの依頼を受けようとは考えていたんですが。

 申し訳ありません。明日の外出の予定は延期にさせてください。緊急の依頼で。もし本当なら、この街がかなり危険になる。」


 最後の言葉が気になった。少し迷って聞いてみることにした。

「どんな依頼か、教えてもらうことはできますか?」

「リアとはパーティーを組んでいるんで、その点は大丈夫です。

 今日魔獣討伐に行った冒険者が、魔獣の巣を見たかもしれないと報告に来たそうで。」

 私は浄化専門だから、魔獣の巣については詳しくないけれど。

「巣の駆除ですか、すごく危険では?」

 セルジュが苦笑した。

「いや、駆除ならもっとメンバーを集めてやる必要があります。俺への依頼は、本当に魔獣の巣かどうか確認することです。」

「それでも、危険では?」 

「確認だけなら、それほど。今ちょうど高ランクのヤツらが出払って、俺以外に適任がいないそうで。」

 セルジュが何でもないようにそう言った。その様子には余裕があった。私はほっとする。だぶん大丈夫なのだろう。


 セルジュが立ち上がる。

「リアの朝食は用意して行くんで。昼はこのスープとパンを食べてください。」

「朝も、昼食のことまで、ありがとうございます。」

 そして気づいた。こんなこともあるのなら、簡単な食事くらい自分で用意できるようになったほうが良さそうだと。


 なぜかセルジュがまたこちらに戻り、私の前で片膝をついた。

「一昨日も言いましたが、戸締りだけはしっかりと。」

 そうだった。一昨日しっかり教わった。物理的な鍵だけでなく、魔導具を使った防犯装置の数々。確か神殿にも防犯のための結界は張られていた。ただ、こんなにはなかった気がするのだけど。


「リア、あなたを閉じ込めたいわけではありませんが、明日は外出しないでください。」

 確かに、この街のことはまだよくわからないし。お嬢様であった私はひとりで街歩きなどしたことがない。

「というか念のため、俺と一緒の時以外は外出しないでください。あなたも知ってのとおり、ただでさえ特殊属性持ちは狙われやすい。」

 そうだった。その問題もあった。それは私もわかっているけれど。


「ここ三日、出歩いたんで、ゆっくり休んでください。

 もし来客があっても、対応する必要はありません。

 俺は夜明け前に出発して、遅くとも夕方には戻ります。

 もう一度。リア、お願いです。明日は家から出ないでください。」

 なぜか念を押されてしまった。

「わかりました。」

と私がしっかりうなずけば、セルジュは安心したようだった。

「じゃ、俺は準備に入るんで。」

 立ち上がり今度こそ背を向けたセルジュを、少しだけ引き留めたくなった。

「今、言ってしまってもいいでしょうか。」

 セルジュが振り返る。

「気を付けて、行ってらっしゃい。」

「ええ、行ってきます。」

 セルジュが小さく笑った。



 その夜は何となく、寝付けなかった。そして朝目が覚めたときには、セルジュの姿はなかった。予定通り、夜明け前に出発したたようだった。


 言われたとおり、戸締りと防犯の魔導具の確認をする。用意されていた朝食を一人で食べる。洗濯もしてみた。その後は。

 しんとした家のなかに、私は独りになった。

 リビングのソファに座り、途方に暮れる。それで、私は何をしたらいいのだろうと思った。


 いつもなら。そう、いつもだったなら。

 神殿暮らしの朝は早い。朝五時に起き、身支度を整えたらすぐ祈りの時間。

 一時間それを行った後は、清掃、朝食の用意。七時になれば、そろって食事。

 ただし、子爵令嬢だった私の清掃は聖杯や聖具などを乾いた布で拭くこと。神殿の生活にも身分差はあり、朝食の用意もしなくて良かった。

 そんな私は家事ができない。食器の洗い方も、料理の仕方も、果物の切り方すら私にはわからない。掃除もしたことがない。


 それどころか今の私は、身につき慣れ切っていた当たり前の習慣さえあっという間にできなくなった。

 朝五時に起きる必要のない私が目覚めたのは七時で。朝と夕方の祈りも、あの日からはしていない。

 ただ祈りの時間というのは、魔力をスムーズに扱えるようになる訓練でもあった。ほかに何も思いつかない私は、それくらいしかすることがなかった。

 決めたら次は、どこで祈ればいいのかと迷うことになった。神殿暮らしでは悩むことなどなかったのにと、こんな自分に可笑しくなった。


 そうだ、この家にはコンサバトリーもあるのだったと思い出す。そこは庭が見えるガラス張りの部屋。セルジュは秋や冬にサンルームとして使おうと言っていた。ドアを開ければ部屋には光が差し込み、庭の緑が鮮やかだった。

 祈りの言葉を唱えながら瞑想するこの修業は、魔力を整え循環を良くし、質も高める効果がある。

 私は魔法がことさら好きというわけではない。ことさら嫌いというわけでもない。魔法を使うのは苦にならなかった。けれど、好きと感じたこともなかった。

 それでも、一か月以上のブランクがあっても、前よりはっきりと魔力が整うのを感じた。私のなかに溜まっていた疲労が解消されたからかもしれない。透き通る魔力が私のなかを巡り、満ちていた。


 一時間以上そんな瞑想をしても、まだ夕方まで時間があった。

 次は何をしようと、また途方に暮れた。

 セルジュは言った、私の好きなことをしたらいいと。そう言ってもらえるのは有難いことだと思う。けれどそれ以上に、どうしたらいいかわからない。私はどんな暮らしがしたいのか、考えたこともなかった。


 独りは静かだった。けれど目に入る部屋のあちこちには、セルジュのものがあった。置いたままの読みかけの本、マグカップ、珈琲豆。

 私は独りではなかった。今は一人だけど、セルジュが帰ってくるのだから。

 そうしたら、と考える。朝ごはんの用意の仕方から教えてもらおう。皿の洗い方も、果物の切り方も。

 教えてもらえそうな気もしたし、止められそうな気もした。ナイフで指を切りそうだとか、皿を割りそうだとか、そんな理由で。

 私ができないことはたくさんある。教えてもらいたいこともたくさんある。どれから、何から、教えてほしいと頼もうかと、つらつらそんなことを考えてみる。

 そして、朝食に使った皿を洗ってみようかと思いついた。セルジュがしていたことを見よう見まねで。

 洗剤とスポンジを使ってやってみたら、案外できるものだと思った。上手くできているかはわからないけれど、私にできないことでもなさそうだった。

 

 こんな時間を過ごしてみても、まだ夕方まで時間があった。

 セルジュは何と言ったか。ゆっくり休むようにと、そうも言ってくれた。

 ただ休むというのは私には難しかった。体調も回復し、寝ている必要はなくなった。疲れやすいけれど、じっと座っているのは落ち着かない。何かしなければと、そんな思いにかられる。


 神殿暮らしでこれに悩む必要はなかった。規律正し暮らしはいつ何をするかが決まっていた。見習いの間は、決められたスケジュール通りに学び、魔力を扱えるよう訓練し。聖女になってからは、スケジュールに浄化が入り。殿下と親しくなってからは婚約するために、浄化の合間に様々なことを習い。何もしない時間など無かった。何をしたらいいかと思い悩む時間など無かった。

 それで疲れたとも思わなかった。休みたいなど考えなかった。その結果、私は疲労をためて体調を崩したわけだけど。

 それでもなお、何かしなければという気持ちが私の中にある、消え去ることなく。何かすれば、努力すれば、私を見てくれるのではないかと。そんなどうしようもない衝動がまだ、私のなかにある。





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