魔導便
夕食後、セルジュが言った。
「明日は午後から、リアの着替えとか必要なものを買い足しに中央広場のほうまで行こうかと思いますが、どうですか?」
「はい、よろしくお願いします。」
「食事をして帰ってもいいんですが、リアの体調が気になるんで、また今度に。
なので、午前中に今日買った肉で煮込みを作ろうかと。リア、どうかしましたか?」
やはり、これは言わなければならないと思った。
「セルジュ、私も生活費を得られるような何かをしたいと思うのですが。」
意見とかおすすめがあれば教えて欲しいと続けるつもりが、なぜか鋭い目つきで睨まれてしまった。
「あなたが生活費などという言葉を知っているとは、思いませんでしたが。」
唇をかみしめるようにして、セルジュが言う。
「やはり、不満ですか。」
いったい何を言っているのだろうと思った。けれど、もう一度問われた。
「リアは今の暮らしに不満がありますか?
あるなら言ってください。いくらでも改善はできるんで。」
違う。そんな意味ではなかった。
「いいえ、まさか。質素な神殿よりよほど良い暮らしです。楽しくて、私は気に入っています。」
セルジュが続けて問いかける。
「では、やはり貴族令嬢のような暮らしをしたいですか。」
「いいえ、まさか。そんなものは求めていません。」
「なら、俺の稼ぎで生活は何とでもなる。貯えもある。
あなたは好きなことをしたらいい。」
……。とんでもなかった。どうしたらいいかわからないほど、とんでもなかった。
そもそも好きなことなんて、あっただろうか。
神殿の暮らしは嫌いではなかった。聖女の仕事も、浄化も嫌いではなかった。
ただ、好きというわけでもなかった。しなければならないことで、それだけだった。
セルジュがさらに問いかける。
「それとも、俺と暮らすことに不満がありますか?」
「まさか。セルジュと一緒だから、私は安心していられます。安心だから、楽しいと思うこともできるんです。」
セルジュがなぜかふいと視線をそらした。けれど、ここは聞いてもらわないと。
「ですが、元聖女と護衛の関係でどこまで頼ったらいいのか。今でも頼りすぎだと思うのに。」
「俺は護衛です。あなたをここに連れてきたのも俺です。気にせず頼ってください。」
それは論理的におかしい気がする。ただ、今は頼ることしかできないのも確かだった。そして頼る必要がなくなれば、セルジュと一緒にいる理由がなくなるのも確かだった。それはまだ先のことだけど、それを考えると胸が苦しくなるけれど、いつかは。
その時、強いノックの音がした。どきりとする。外も暗いこんな時間に、玄関のドアを叩く音。一、二、三、四、五回。
強張った私の体を、セルジュの腕がそっと包んでくれた。
「リア、大丈夫です。とりあえず確認してくるんで。ここで待っていてください。」
すぐに戻ってきたセルジュの手には、封筒が二通あった。
「そうじゃないかと思ったんですが。手紙です、魔導便で。」
ソファに座るよううながされた。セルジュも隣に座ると、一通を開封して便箋を広げる。すぐにその顔がしかめられた。
「ギルドから呼び出しがかかりました。指名依頼です。強制ではありませんが。」
セルジュがもう一通も開封する。こちらは手紙の内容をしっかり読んでいるようだった。
待っているだけの私は少し不安になる。セルジュに、良くないことが起こったのではないといいけれど。
セルジュがすっと顔を上げた。どきっとする。
「すみません。あなたを不安にさせるつもりはなかった。こっちの手紙は、俺が出した依頼の結果です。
依頼主が俺だということを依頼先にしかわからないようにする特別指名依頼を出していました。
依頼先はベルナックの副ギルド長。あの人はこの手のことが上手いんですよ、密かに状況を探るとか。なので、筆頭聖女の動向について知りたいと依頼を出しました。
結果が分かれば、ギルドから知らせが来るようにしておいたんですが。結果報告ごと届きました。
たぶんギルド職員が気をきかせたというか。報告が届いてないか、ちょくちょくギルドに顔を出していたんで。これがないと俺が動かないと踏んで、わざわざ届けてくれたようです。
これで、王国の状況が少しわかります。」
それはずっと考えてきたことだった。私は今追われているのか、いないのか、それとも。その結果が分かる。知りたい気持ちと同時に怖くなった。
「リア、話しても大丈夫ですか?」
セルジュが気づかうように私を見ている。
けれど聞くのは怖かった、願っていることに気づいてしまったから。
セルジュとのこんな生活が嬉しくて。この暮らしが少しでも長く続けばいいと、私は願っている。
聞いてしまえば、それが終わりになるかもしれなかった。
私に危険があるなら、また旅に出る必要があるかもしれない。それならまだいい。
もう私に危険がないならば、セルジュの護衛は必要なくなる。私が普通に生活できるようになれば、もっとセルジュは私と共にいる必要がなくなる。
わかっている。いつか、セルジュは私から離れていく。今は護衛として共にいてくれても、いつかはセルジュが望む生活に戻る。私は独りで生きていかなくては、独りで生きていけるようにならなければと考える。何度も、今もまた。けれど考えるほど、胸が苦しい。
同時に私は、セルジュが傷つけられるような状況は望んでいない。そのために、結果を聞かなくてはならない。
「セルジュ、教えてください。」
「リア、大丈夫ですか?」
「それは、ただ私が、あの森での状況の結果がどうなっているのか、聞くのが少し怖い。」
セルジュが眉を寄せる。どきっとする。今の暮らしを失いたくない私の気持ちに気づかれたのだろうかと。
セルジュがためらい、そして口を開いた。
「怖いのは、あの男、殿下のことを聞くのが?」
それは意外な言葉に聞こえた。それくらい私は今、殿下のことをまったく思い出さなかった。それに気づいたことで、私はかえって動揺してしまった。セルジュがぐっと眉を寄せる。
「違います、私は。」
殿下のことなど、そう言おうとして、それがセルジュにどんなふうに見えるのかが気になってしまった。