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魔の森


 彼は不機嫌そうだった。そして私を心配しているようだった。

 なぜ。ぼんやりと問いだけが、頭をよぎっていった。

 

 彼に抱き上げられ乗せられて、ひらりと馬に跨った彼に支えられて、私は馬に揺られている。その前に、

「すみません、俺のですが。」

と言いながら、彼は私にマントを羽織らせた。


 馬を進ませながらも、彼は油断なくあたりをうかがっている。

 森は不気味に静まり返り、蹄の音だけが続く。生き物の気配はなく、時おり魔獣の咆哮が響いた。

 雪のような灰色の欠片が降る。あとから、あとから降ってくる。

 昏い森に瘴気が舞う。


 ぼんやりと見上げれば、かぶせられたマントのフードが肩に落ちた。灰色の欠片が頬に触れる。

 その寸前、彼の手がそれを振り払った。そしてフードを元のようにかぶせる。

「横座りだとバランスが取りにくいでしょう。支えますから、寄りかかってください。」

 そう言うと彼は勝手に私の身体に腕を回し、寄りかからせてしまった。


 ぼんやりと思い出した。彼は休んでください、きちんと身体を休めてくださいと、護衛に付くたびに一言、声をかけてきた騎士だった。

 もちろん、私はその言葉を聞き流した。聖女の役割を果たしているからこそ、殿下の近くにいることが許される。マナーに教養そして知識、それらを学び続けなければ殿下の婚約者としてあり続けることができない。だから私は、休むことなどできない。

 けれど。結局。その努力は無駄だった。

 どれほど努力しようと、意味も、価値も、なかった……。

 

 遠くで、魔獣の咆哮が聞こえた。

 ふと、彼の手を振り切って駆けだしたくなった。私は浄化はできるけれど、魔獣はどうにもできない。魔獣の前に身をさらせば、あっという間に!

 沸き起こった強い衝動に、けれど私は身を任せることができなかった。

 衝動のままに森を駆ける自分を想像してみても、動くことができなかった。

 支えてくれる彼の手を振り払うことが、できなかった。

 そしてその衝動は、馬に揺られているうち、流れていく灰色の欠片のように、どこかに消えてしまった。



 私に時間の感覚はなかった。今どこにいるのかも、当然わからなかった。

 ただ、どのくらい馬に乗り続けていたのか、さすがに疲れを感じた。体が強張ってあちこち痛い。ため息が出た。その様子に気づいたのか彼が言った。

「すみません。ですが安全に休める場所まで、もう少し進みます。」 

 セルジュの緊張を感じた。ここはまだ危険な場所、そういうことなのだろう。


「わかりました。」

 かすれた声で答えれば、彼から驚いた気配がした。馬が止まる。

「……聖女様、のどが乾いていませんか。」

 言われてみればそんな気もした。うなずけばボトルが渡された。冷えた水をのどに流し込めば、身体が水を欲していたのだと気づいた。三口ほど飲んでボトルを返す。

「ありがとう、ございます。」

 彼が息をのんで驚いていた。

「……聖女様。」

 彼の腕がぎゅっと私の体を引き寄せる。まるで抱きしめるような動きに、今度は私が驚けば。

「今まで、魔獣を刺激しないよう森を渡ってきましたが、出口が近い。少しスピードを早めます。俺の腕につかまっていてください。」

 ああ、そういうことなのかとうなずく。馬が走り出した。

  

 どのくらいその状態であったのか。しばらくして彼が馬を止めた。方位盤を手に、慎重に辺りの様子をうかがっている。灰色の欠片はもう見当たらなかった。

「聖女様、ここからは歩きます。こいつは神殿の馬なんで、森を出る前に放しますから。」

 ひらりと馬から降りた彼が、抱えるようにして私を降ろす。剣帯を腰に巻き、くくりつけていた荷物を背負う。彼が馬の首をなで短く声を発すれば、馬が歩き出した。

「大丈夫です、人間より馬のほうが賢い。」

 馬の後ろ姿を目で追った私に、セルジュがそう言った。


「行きます。」

 彼が私に手を差し出す。私がその手を取れば、温かな手のひらで包まれた。

 歩き出す。二、三歩であっという間に何かにつまずき、セルジュに支えられた。

「木の根が張り出していますので、気を付けてください。」

「わかりました。」

 答えれば、手をそっと握り返された。


 私にはやはり、森の出口が近いこともわからなかった。けれど手を引かれて、歩いて、歩いて、歩き続ければ。 

 セルジュが足を止める。


 夕暮れの空に、かすかに細い月が見えた。




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