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新居の準備/「とりあえず、婚約していることにします」

 

 鍵を返しに行けば、ご老人の家に招かれた。ドワーフの身長に合わせた小型の家具が置かれている、可愛らしい部屋だった。あちらこちらに小さな鉱物も飾られている。

「茶の一杯でも飲んでいけ。」

とソファを指さされた。テーブルにはポットとカップ、加えて盛られた塊のお菓子が置いてあった。思わず聞いてみた。

「スコーンですか?」

 ふんとご老人が鼻をならした。

「帝国から来た職人が勧めるのでな。それは儂の手作りだ。」

「美味しそうです。帝国ではこんなティータイムが盛んだと聞いています。」

 神殿暮らしの私は、本当に聞いたことしかなかったけれど。

 紅茶にはミルク、スコーンにはクロテッドクリームとジャムが添えらえ、細かいところまで帝国風だった。

「初めて食べました。さっくりとしてクリームとジャムによく合いますね。ミルクを入れた紅茶も美味しいです。」

 セルジュは、

「美味い。」

とひとこと言ったきり、ぱくぱくと食べていた。

 私たちが食べ終えたのを見て、ご老人は一枚の紙をセルジュに差し出した。

「仲介所に持っていけ。」



 幸運なことに、あの家を借りられることになった。

「必要なものは少しずつ買い足せばいいんですが。先に防犯用の結界を張るのと、寝具と食器をいくらか買います。あとは魔導具と。それで移れます。で。」

「で?」

 夜、宿の部屋でそれぞれのベッドに座り、私たちは向かい合っている。

「俺たちの関係ですが。」

「はい。」

「とりあえず、婚約していることにします。商会のお嬢さんと護衛が駆け落ちして婚約と。」

 ……とんでもない、とは思わなかった。やはりそうなるのかと思った。今までの旅の出来事から、それが妥当な気はした。


「この辺りでは、成人していれば独り暮らしが普通なんで。一緒に暮らすなら、婚約という理由があったほうがいい。」

 いや待って。何か変だった。

「婚約していたら、一緒に暮らすのは普通ですか?」

 セルジュが何でもないように答えた。

「そのへんは種族によります。

 人間でも冒険者なんかは、婚約して一緒に暮らしながら結婚準備をするというのをよくやるんで。この場合の婚約期間はだいたい半年ですが。」

 たぶん、セルジュの提案が最もそれらしく見えて詮索されにくい、ということなのだと思う。


 念のために聞いてみた。

「ほかの選択肢は?」

「結婚しているか、結婚も婚約もしていないけれど一緒に住んでいるかです。

 後者は詮索されやすい。前者は法的な証拠を求められたときに困る。

 法的にだけ結婚しておくという手もありますが、あなたの今後の結婚に差し支えるので良くない。」

 いろいろ考えてくれていることはわかった。けれど私に、今後の結婚などありそうにない気がした。

 

 セルジュが少しためらった後、続けた。

「本当はあなたが結婚してしまえば、あなたを害する必要はなくなるはずなんです。偽装でも何でも、結婚状態であれば。ですが、王国にはあなたを任せられるような男はいなかった。それに偽装で結婚した場合、もしあなたに本当に結婚したい相手が現れた時、やはり面倒なことになりかねない。」

 偽装でも本当でも、やはり結婚は私には無理だという気がするのだけど。

 

 セルジュが少しためらった後、続けた。

「あなたの望みは?」

「セルジュがそばにいてくれれば。」

 思い浮かんだままを答えた。けれど、セルジュは納得していないようだった。

「確認されなくとも俺はあなたを守りますが。そうではなく。」


 セルジュが少しためらった後、続けた。

「あなたは、結婚をどうしたいですか?」

 セルジュが私のことを考えてくれるのは良くわかった。けれど、私にはさほど重要とも思えなかった。

「今の私には何というか、遠い話です。

 それより私にとって買い物ができるようになるほうが、重要事項だと思いませんか?」

 セルジュが苦笑した。

「ぜひできるようになってください。俺が安心なんで。

 では当面、表向きは俺と婚約中。不審がられたらその時に対処ということで。」

 ……不審がられたら。それは本当に大丈夫なのだろうかと思った。けれど、旅の間それで何とかなったことも確かだった。



 翌日の午前中は、セルジュが魔導具を使って防犯の結界を張ると出かけて行った。

 午後からは一緒に寝具を買いに行った。それから生活に便利な魔道具を選ぶからと、そんな店に連れていかれた。セルジュは私の好みを聞いてくれたけれど、さっぱりわからなかったので任せることにした。これも寝具と同じく翌日配送してもらうということだった。


 次の日には宿を引き払い、借りる家に移った。お隣のドワーフのご老人に軽く挨拶に行くと、落ち着いたらお茶を飲みに来るようお誘いがあった。

 その後は配達された品を受け取り梱包をほどき、といったことをセルジュが全部していった。私がソファに座って見学していると、何となくセルジュの機嫌がいいのがわかった。宿は食事も掃除もお任せできて便利だけど、追加料金を払えば洗濯サービスもあるけれど、セルジュも落ち着かなかったのかもしれない。


 それが終われば、ここに来る途中で買ったバケットサンドとポムのジュースで昼食にすることにした。宿の食堂で朝食を一緒に食べていたのに、今ダイニングテーブルで向かい合って座るのは、なぜか少し気恥ずかしかった。


 昼からは、食器と調理器具をそろえようと、二人で近くのお店に行くことにした。近所にお住いの方とすれ違えば、挨拶しながら歩いていく。意外にも出会ったのは人間ばかり。セルジュが言うには職人や薬師が多く住んでいるとのことだった。そして口々に、

「あら新婚さん?」

などと尋ねられ、

「婚約中です。」

とセルジュが律義に返しているのが、妙に気恥ずかしかった。


 調理器具は、やはり私にはよくわからずセルジュに任せた。食器は、少し時間をかけて好きな柄を選んだ。今日すぐ使うものは持ち帰り、あとは配達してもらうようセルジュが手配する。

 それからパンとハムとチーズ、野菜に果物も買った。ついでに売られていた美味しそうなほうれん草のキッシュとミートボールのトマト煮込みも買い込んだ。もちろん選んだのはセルジュで、私はセルジュが説明してくれるのをうなずきながら聞いていた。


 家に着けば疲れていたけれど、戻って来ただけでほっとする感じがした。セルジュがテキパキと買ったものを片付けていく。私も手伝おうとしたら、

「リアはまだ体力が戻ってないんで、休んでいてください。」

と、ソファに押し返されてしまった。そしてやはり、セルジュは機嫌が良さそうに見えた。何となく聞いてみたくなった。

「私はこの家を気に入っていますけれど、セルジュも好きですか?」

 セルジュが取り出した皿を手に振り向く。

「気に入っているほうですが。何かありましたか?」

「セルジュが楽しそうに見えたので、それなら良かったと思って。」

 どういうわけか狼狽えたセルジュが皿をぐっとつかみ、ふいとが視線をそらした。

「……宿は人の気配が多い。慣れてはいるんですが少し落ち着かない。でもここなら、リアと二人なんで。」

 なるほど。凄腕の冒険者だと人の気配にすぐ反応できる反面、そんな弊害があるのかと納得した。


 セルジュが少しだけ視線をこちらに戻して、私に聞く。

「その、リアも少し楽しそうに見えますが、俺の気のせいですか?」

 その言葉に驚いた。でも、そうなのかもしれなかった。ここ数年感じたことがないくらい、心が浮き立っている。

「ええ、私もちょっと楽しいみたいです。」

 なぜかセルジュがまた、ふいと顔をそらした。

「良かった。」

 ぼそりとその言葉だけが聞こえてきた。




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