表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

25/62

回想


 熱が微熱まで下がった。少しずつスープが食べられるようになり、パンも食べられるようになった。節々の痛みも軽くなり、起き上がれるようになった。ずっとついてくれていたセルジュが外出するようになり、しばらくそんな日々が続いた。

 そしてようやく、平熱になり、節々の痛みもおさまり、動けるようになった。少ないけれど食事も取れるようになった。すぐ疲れるけれど、いつもの生活ができるようになった。

 そんな日、昼に一度戻ったセルジュが、私の様子を確認してまた出て行った。

「夕方には戻ります。食べられそうなら、夕食は食堂で一緒に。」

と、そう言って。


 開けた窓からさわやかな夏の風が入ってきた。昼の街のざわめきが風とともに届く。

 たった一か月前のことなのに、王国にいた頃、聖女として浄化し、殿下と会っていた日々が、遠い昔のような気がした。あの森での出来事も。


 今、私は少し冷静に考えることができるようになった。

 あの時、私は冷静ではなかった、突然の婚約破棄と、修道院行きと。だから。

 あの森で、王国の騎士はいった。殿下が私の死を望んでいると。

 私が聞いたのはその言葉だけ。だから、それが本当かどうかは、わからない。


 あの日の前日、殿下に急な視察が入り、王都を離れることになった。ここまで急なのは珍しかった。少し変だと思った。

 そして翌日、陛下の側近から、婚約破棄の通告、修道院行きの命令があった。

 セルジュの話では、侯爵とつながりのある上位神官から、王国の騎士に従うよう密かな指示が入ったという。

 もしかしたら、殿下は知らなかったのかもしれなかった。殿下の知らないところで、全部片付けられたのかもしれなかった。

 だから、殿下が私の死を望んでいるとというのは、私に言うことを聞かせるためのでまかせ、そんな可能性も考えられた。


 私に確かめる術はない。本当は、どうであったかということは。

 

 もし本当なら、殿下は私を切り捨てるほうを選んだということ。そして私は、殿下にそんな冷徹さがあるのを見抜けなかったということ。王族として国の利益のために婚約者を捨てる、殿下にそういう一面があることが私にはわからなかった。ただそんな殿下なら私がどうなったかなど、きっと気にしない。

 もし、そうではないのなら、殿下が私のことで思い悩まなければいいと思った。王国で私は、予定通り修道院に行ったことにされているのかもしれない、あるいはすでに死んだものと見なされているのかもしれない。けれど、殿下には幸せでいてほしいと思った。


 そう、そんな気持ちだけでいられたら良かったのに。そんな願いだけでいられたなら……!

 

 結局私には、殿下の婚約者としての資質がなかった、そう思うのは苦しかった。にもかかわらず望んだ自分が、惨めで恥ずかしかった。

 殿下はたぶん、私の素朴というか、気取った令嬢のような振る舞いがないのを気に入ってくれた。でも、そんなものは宮廷において役には立たなかった。

 私には足りないものばかりだった。何がどのくらい足らなかったのか、未だわからないけれど。私にそれだけの能力がなかったのは確かだった。

 一人で無理ならば、助けてくれる人を見つけるべきだった。私は味方を作ることができなかった。いや、そう考えている時点で駄目なのかもしれなかった。私を助けたい人は誰もいなかった、ということなのだから。

 やはり私には殿下の妃になるだけの資質がなかった。それに気づかざるを得ないのは、苦かった。

 

 殿下に不満があったことにも、気づいてしまった。私は疲れていると、つらいと、不安だと、気づいて欲しかった。

 でも同時に、気づかれてはならなかった。そんなことを言って、婚約者にふさわしくない面倒な令嬢だと、思われたくなかった。

 嫌われたくなかった。そのためには婚約者にふさわしい、ちゃんとできる令嬢であると、そんなふうに見られなくてはならなかった。

 それで気づいて欲しいというのも無理な話だった。


 気づいて欲しいではなく、言えばよかったのかもしれない。少し疲れたと、本当に結婚はできるのかと、もう少し会える時間が欲しいと。

 けれど、言えなかった。言えるはずもなかった。

 疲れているのも、結婚ができるのかと不安になるのも、会える時間を作れないのも、私が未熟なせい。

 不満などと言っている場合ではない。もっと、もっと頑張らなければ。これは私が望んだこと、無理だとわかっていて望んだことなのだから。

 ひとりで何とかしなければ、ひとりでできるようにならなければ、私が頑張りさえすれば。そうすれば願いは叶うはずだと。

 思い返せば、そんな私は殿下の不満も聞いたことがなかった。聞くことができなかったにもかかわらず、私の不満に気づいて欲しいと望むのは、きっと身勝手。

 それでも今、気づいて欲しかったと、そう思う気持ちが止められない。

 

 なぜ、あの森で助けてくれなかったのかと。

 なぜ、婚約破棄を止めてくれなかったのかと。

 どうして、私の気持ちをわかってくれなかったのかと。

 いつまで、私は頑張らなくてはならないのかと。

 殿下を恨んでしまいそうだった。結婚まで望んだ人を恨みたくはないのに。


 我慢しているつもりはなかった。自分が望んだことなのだからと。けれど、我慢していたのかもしれなかった。

 こんなに気づいて欲しかったと思うくらいなら言えばよかった。でも言えなかった。

 苦しいのに助けてくれないと思うくらいなら、頑張るのをやめて休めばよかった。でもできなかった。

 恨みたくなるくらいなら、お願い助けてほしいと頼めばよかった。でも、できなかった。

 そんなことをすれば殿下の近くにいられなくなる。殿下のそばにいられなくなる。殿下の婚約者でいられなくなる。だから、できるはずがなかった。

 つまりは、こんな状況を打開するだけの能力が私にはなかった。 

 足りないのは私、できないのは私。殿下のそばにいるために、殿下の隣に行くために、頑張って、頑張って、頑張り続けて。

 そして結局、私は疲れ果ててしまった。体も、心も。

 大切にしたくて頑張って頑張って、その結果、私と殿下の関係は壊れてしまった。


 大切にしていたそのはずが、自分で壊してしまったのかもしれなかった。

 なぜなら、私は。

 あの時、殿下を信じることができなかった。殿下が私を殺そうなど、そんなことをするはずがないと信じることができなかった。

 セルジュの逃げるという提案でははく、殿下に助けを求めることもできた。それなのに、私はそれを選べなかった。

 本当に愛していたならば、殿下を信じることができたはず。なのに、できなかった。

 なぜできなかったのか、考えても答えは出なかった。

 いっそ殿下のせいにしてしまいたかった。

 

 けれど。けれど。殿下のせいにしたのでは答えは出ない。なぜなら。

 エルフの鏡のゲート。あれが見せたものを思い出す。問題があるのは私かもしれなかった。

 かもしれないではない。問題を抱えているのは私、なぜなら。

 私は誰かに、私を必要としてほしかった。必要とされたかった、私を見てほしかった。

 そう、私は。


 神殿に行くまで、父も、母も、別に私に対して普通だった。いずれ婚約者になると紹介された少年も。ただ私たちの中心にはいつも、妹がいた。無邪気で天真爛漫な妹は、それだけで場が明るくなり心が和むような存在だった。それは私にもわかっていた。でも、それはそれとして私を見てほしかった。私も見てほしかった。

 どうか少しでも“私”を……!


 でも、母も、父も、視線の向かう先はいつも妹だった。婚約者になるはずの少年もまた、そうだった。私と話すより、よほど楽しそうに妹と話していた。

 そんな妹は、私を姉と慕ってくれた。お姉様と呼び、一緒に本を読みましょう、一緒におやつを食べましょう、一緒に庭で遊びましょうと。たった一人の妹、ただ一人私を見てくれた妹、嬉しくないわけではなかった。けれど、複雑な気持ちは年を重ねるごとに増して。

 聖女見習いとして神殿に行くことが決まったときは、むしろほっとした。婚約者になる予定の少年が、妹を好きならちょうどいいと思った。母も父も、私がいなくて困ることはない。妹がいるのだから。

 私も、これ以上複雑な気持ちを抱えることはないはずだと。そうしなくてすむと、ようやく解放されると、そう思った。


 でも解放などされなかった。

 今ならわかる。私は変わらなかった。変われなかった。

 誰かに私を必要としてほしくて。ただ必要としてほしくて。私だけを見てほしくて。

 だから殿下にそれを求めた、ひたすらそれを。

 頑張る代わりに、努力の代わりに、それが得られるような気がしたから。


 結局それは、手に入らなかったけれど。手のひらからこぼれ落ちてしまったけれど。


 それなのに求めてしまう気持ちが、まだ私の中にある。

 ただひたすら求め続けてしまうものが。

 こんな重くてこじらせている自分を、ゆがんだ自分を、私は認めたくなかった。

 ずっと気づきたくなかった。

 その裏にある、怒りを、悲しみを、絶望を。叶えられない願いを。


 けれど今、私は気づいてしまった。そんな私はどこか歪だと、気づいてしまった。

 殿下はそんな私に気づいていただろうか。気づいていたのかもしれなかった。だから、こんな結果になったのかもしれなかった。

 なぜ私はあの時、殿下を信じることができなかったのだろう。なぜあの森で、疑問に思うことができなかったのだろう。なぜ殿下の元に戻ることができなかったのだろう。なぜ殿下に助けを求められなかったのだろう。

 でも、できなかった。

 どれほど考えても、あの時の私にそれはできなかった。

 私は殿下を、愛したはずの人を信じ切ることができなかったと思えば、それもまた苦かった。


 でも、でも、でも。

 気持ちがあふれ出る、とまらない、とめられない。だって。

 私は会いたかった、もっと会いたかった。もっと、そばにいてほしかった。

 本当に婚約の披露目はあるのかと、結婚はできるのかと、愚痴を言いたかった。

 疲れたと言いたかった、とても疲れているのだと、少し苦しいのだと、そう言いたかった。

 でも頑張らなければならないと。けれどもう頑張れそうにないと。

 そんな私の気持ちに気づいて欲しいと。

 もう少しだけ、私を見てほしいと。


 涙ともに、気持ちが流れる。 

 自分でも気づかなかった気持ちに、私は気づいてほしかった。

 無理だとわかっても、それでも。

 殿下が望むものも私にはわからないのに、私だけそれを求めるのは身勝手でも、なお。

 欲しい、欲しい、欲しかった。

 私だけに向けられる気持ちが、欲しかった…………。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ