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疲労

 

 冒険者ギルドを出れば、急に疲れを感じた。くらりとした眩暈に、体から力が抜ける感覚。

 気づけばセルジュに支えられていた。

「リア、大丈夫ですか?」

「……何でも、ありません。」

 そう言ったのに、セルジュが眉を寄せる。

「俺の言ったこと、聞こえていましたか?あなたの髪を整えられればと。」

「あ、ごめんなさい。」

 ますます眉を寄せたセルジュに、抱き上げられた。

「宿に行きます。すぐそこなんで。」

「あ、歩けますから。」

 そう繰り返しても、聞いてもらえなかった。


 結局私は歩くことなく、宿の部屋のベッドに降ろされた。額にセルジュの手のひらが当てられる。

「少し、熱いですか。横になってください。エレンディアに来たんで、これ以上移動もありません。ゆっくり休んでください。」

 セルジュの手のひらが少しためらい、そして離される。

「いや、俺はまず、あなたに謝らなければならない。

 あの鏡のゲートがあそこまで強力とは思わなかった。リアは大丈夫でしたか。」

 大丈夫だと答えたかったけれど、答えられなかった。唐突に気づいてしまったから。

 今更だった。なぜ今まで気づかなかったのか。だから私は駄目なのだとそんな思いにかられる。

「セルジュ、私は、ごめんなさい、あの。」


 一瞬いぶかしげな顔をしたセルジュが、騎士のようにすっと膝をついた。私を見上げる。

「王国が気になりますか、いや、あの男のことが気になりますか?」

 一瞬、本当に何のことかわからなかった。

「え、あ、もしかして殿下のことですか?いいえ、まったく違います。」

 セルジュが小さく息をついた。

「もし、あなたか俺に指名手配がかかっていたら、先ほどのエルフの面接で絶対に引っかかる。今時点で王国のことはそこまで気にしなくていい、俺はそう考えています。もちろん今後、ギルドも使って王国の様子はできる限り探ってみるつもりですが。」

「ありがとうございます。ですが、私こそ、あなたに謝らなければなりません。」

 セルジュが再びいぶかしげな顔をした。


 私は聞かなければならない。聞いて、セルジュに私はもう独りで大丈夫だからと伝えなければ。

 意を決して口を開く。 

「セルジュのご家族は?私と共にここまで来てもらいましたが、大丈夫ですか?」

 返ってきたのは、そんなこととでも言いたげなセルジュの表情だった。

「育ててくれた爺さんは数年前に看取りました。俺の方は問題になるものはありません。

 ですが、リアは子爵家に戻ることはもちろん、連絡も取れない状態になる。あなたのほうが、大丈夫ですか?」

「ええ、私のせいで子爵家が責められなければいいと思います。ですが、今の私にはどうにもできないことです。ベナール子爵家についても情報はないのでしょう?」

「新聞には出ていないですし、噂話にもなってないようです。」

「それなら、良かったと思います。」


 セルジュが心配そうに私を見ている。けれど私は、それ以上何か言うことができなかった。

 私はどうかしている。家族が気にならないわけではない。けれど、もう少しセルジュと一緒にいられることのほうが余程、ほっとしていた。

 わかっている。セルジュをずっと私に付き合わせるわけにはいかない。いつかは解放しなければ。神殿騎士でも冒険者でも、元の生活に戻れるように。でも。

 もう少しと、願うように思った。



 目が覚めた。外がずいぶんと明るかった。馬車に乗らなければと焦り、今日はそうしなくても良いのだと思い出した。隣のベッドにセルジュはいなかった。私をそのまま眠らせてくれたのかもしれなかった。

 ひとまず起きようとして、今までになく体が重かった。何とか起き上がってみたものの、それ以上は動けなかった。それだけで重だるい体が苦しかった。寝る時にと貸してもらっているセルジュのシャツすら重く感じた。

 私の体はなぜこんなことになっているのかと首をかしげたところで、ドアが開いた。

「リア、起きていましたか。おはようございます。」

 戻ってきたセルジュは、いつものように身支度も済ませていた。

「良く寝ていたので起こしませんでしたが。朝食を食べに行きますか、一緒に。リア?」

 行くと答えようとして、答えられなかった。何も食べられそうになかった。宿の階段を降りることすらできそうになかった。


 つかつかとセルジュがこちらにやって来る。何か言わなければ。

「おはようございます。とりあえず、着替えますから。」

 ベッドから降りようとして、くらりとした。ずるずると床に座り込みそうになったところを、セルジュに抱き留められた。そっと壊れものを扱うように抱き上げられ、ベッドに寝かせられた。額に手が当てられる。その顔がしかめられた。

「すぐ医者の手配をします。何か欲しいものがありますか、食べたいものとか?」

 ぼんやりする頭をふった。

「わかりました。あなたは何も心配せず、寝ていてください。」

 見れば、セルジュが唇をかみしめていた。その眼差しによぎるのは心配と、後悔と。

「かなり疲れが溜まっているのではないかと、懸念していました。」


 不意に体に痛みが走った。体を丸めるようにしてそれに耐える。強い痛みは引いても、全身が鈍い痛みで覆われているようだった。

「リア、リア!?」

 セルジュの切羽詰まった声が聞こえた。目を開けて答える。

「たいしたことでは、ありません。魔力枯渇の時のように、節々が痛んで。」

「たぶん逆です。あなたは魔力量が多い。疲労でその魔力循環が上手くいかなくなっている。そんなふうに、させたくなかった。」

 なぜだろう。私よりもセルジュのほうが苦しそうだった。とても不思議な気がした。それでもセルジュが心配していることは分かった。重い腕を伸ばし、ぐっと握り締められたセルジュの拳に触れる。

「ありがとう。おかげで、エルフの街に来ることができました。ちゃんと休みますから。」

 伸ばした手がセルジュの大きな手に包まれた。

「まったくです。俺が何度あなたに声をかけたと!

 とにかく、休みたい気になったのなら、休んでください。」

 口調とはうらはらに、私に触れるセルジュの手はただ優しかった。


 しばらくしてセルジュが連れてきたのは、驚いたことにエルフだった。その指先が静かに私の額に触れる。柔らかな声が告げた。

「魔力量が多いから、余計に苦しいでしょう。

 それを体が受け止めきれなくなっているということ。体が動かないのも同じ。

 薬は出すけれど、それでは治らない。薬は治る手助けをしてくれるだけ。

 しばらく休みなさい。体が良いというまで。」

 そんなエルフの薬師が置いていったのは、痛みをやわらげる粉薬と、魔力循環を整える薬草茶、そしてエルフの秘薬だという小瓶に入った一日一滴の飲み薬だった。

 セルジュに手伝ってもらい薬を飲んで、また横になった。 

 氷をもらってくると、セルジュが部屋を出ていく。


 体が熱い。頭がぼんやりする。それでも、何か考えずにはいられなかった。

 セルジュのおかげでここまで来れた。しばらくは安全な生活ができそうだった。

 なのに、私の体はなぜこんなことになっているのだろう。途方に暮れた。

 違う、途方に暮れているのはそれだけではない。

 ここに来たところで、私はどうしたらいいのかわからない。何をしたらいいのかわからない。

 でも今、考える必要もなく、何もできなくなった。


 そしてもう一つ、気づいてしまった。

 婚約破棄などしなくても、わざわざ私を殺そうなどとしなくても、そんな必要はなかった。

 私はいずれ、こんなふうに倒れていた。倒れれば、婚約者の座からは引きずり降ろされていた。

 どのみち私の願いは叶わなかったのだと、気づいた。

 そうか駄目だったのか、無理だったのかと、苦い思いとともに何だか可笑しくなった。

 私のなかに、あきらめにも似た空虚さが広がっていくようだった。

 


 熱でずっと頭がぼんやりしている。薬のおかげで強い痛みはおさまった。それでも、熱い体を丸めるようにして節々の鈍い痛みをやりすごす。

 食欲はなかった。ほとんど食べられない私をセルジュが心配している。それがわかっても、食べられなかった。

 しばらくそんな日が続いた。セルジュは王国の情報を集めてくると時々出かけながらも、日中のほとんどを私のそばで過ごしてくれた。

 私の症状は変わらなかった。体中が鈍く痛み、熱は下がらない。体は重だるく、動けない。食欲もない。

 それでもセルジュは私に聞いてくれる。欲しいものはないかと。


 その日の夕方もセルジュは聞いてくれた、何か食べたいものはないかと。

 ふと、思いついたものがあった。

「ポムが、食べたい。」

 驚いた顔のセルジュがすぐに立ち上がる。

「ちょっと、待っていてください。」

 少ししてセルジュが持ってきてくれたのは。

「ジュースです、ポムの。」

 支えてもらって体を起こし、一口飲みこむ。そしてもう一口、もう一口と飲みこんだ。美味しいと思った。

 そんな私を見ているセルジュの視線を感じた。それは不思議な気がした。それでもセルジュが喜んでいるのはわかった。


 空っぽな心に、何かが満ちていくようだった。

「ありがとう。」

 その言葉ではとうてい伝えられない気がしたけれど。

「……良かった。」

 私を抱きしめるようにして、セルジュがそう言った。

  



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