国境の街/「俺にとってあなたは、唯一人の聖女です」
馬車が到着すると、乗客から、御者から、護衛から、セルジュはお礼を言われていた。
その後、中央広場周辺を歩いて三軒目で、空いている宿が見つかった。
宿の部屋についた途端ぐったりしてしまった私は、すぐベッドに寝かせられてしまった。私の額にセルジュが手を当てる。
「今日も、熱はなさそうですが。」
心配そうな顔に見下ろされても、私は安堵のほうが大きかった。エルフの国の近くまで来ることができた。今日も一日、セルジュも私も無事だった。
「聖女様、休んでください。」
その言葉に目を閉じる。額にかかる髪をセルジュが払ってくれる。その指先が心地良かった。
ドアが開く音で微睡から覚めた。セルジュの小声が聞こえた。
「聖女様?」
「ちょうど、目が覚めたところです。」
返事をして起き上がる。
「食事を持ってきました。」
「毎回ありがとうございます。」
受け取って何とか少し食べた。美味しいとは思うものの、半分も食べられなかった。
「聖女様、ほかに食べたいものはありませんか、あれば俺が。」
セルジュがそう言ってくれる。心配させている状態が申しわけなかった。でも、そこまで気づかってくれることが少し嬉しくもあった。
「ありがとう、私は。」
ずっと伝えたかったことを言いたくなった。
「セルジュ、私はもう聖女ではありません。二人だけのときも、リアと呼んでくれませんか。」
セルジュのためらいが伝わってきた。
「あなたの望みなら。ですが俺にとってあなたは、聖女です。」
ひざまずいたセルジュが私を見上げる、どこまでも真摯な眼差しで。
「たとえ、あなたが力を使えなくなることがあったとしても、俺にとっては唯一人の聖女です。」
……それはどんな意味だったのか。
「食器を返してきます。」
セルジュは立ち上がると、あっという間に部屋を出て行った。
翌日の早朝、川のそばにある木組みの建物に向かった。エルフの国エレンディアへの入国審査の書類を提出するということだった。中に入った途端、セルジュが言った。
「間に合いました。」
書類提出は何時でもできるけれど、この審査は月三回しかないそうで、今日がその日ということだった。
空いていた記載台で、セルジュから申込書だという用紙を渡された。さっそく私は小声で確認しなければならなくなった。
「本当のことを書きますか?」
「俺は、リアのこと以外はそのままを書きます。ですが、この書類は一定期間残るんで。
あなたの場合、名前はリア・フォル。年齢は二十三才。出身はレジェ国、デュシャン 。
職業は魔法使い、属性に関する特記事項はなしで。
同行者は冒険者セルジュ・アダンと。俺のほうには書きませんが、あなたの方は記入してくだださい。
入国目的は、薬草の研究と販売ってとこですか。その項目に、要相談と付け加えておいてください。」
すらすらと述べるセルジュの言葉を、何とか書き込んだ。
その最後にチェック項目があった。
この審査は配慮に欠けたものであり、心身共に甚大な被害を及ぼす可能性があること。
メンタル疾患等の諸症状が現れてもアフターケアはないこと。
何らかの不利益を被っても自己責任になること。
この審査が原因の後遺症も自己責任になること。
苦情も、異議申し立てもできないこと。
よって短期滞在の入国審査がおすすめだということ。
今から変更するのをおすすめすること。
それでも審査を受ける場合、途中で辞退するにはキャンセルと言えば可能なこと。
不調を感じたらすぐにそうすること。
キャンセルと言わなくても一定時間経過すればキャンセル扱いになること。この場合不服申し立てはできないこと。
今一度、短期滞在の入国審査に変更するのを是非おすすめすること、など不穏な言葉が連なっていた。
セルジュを見れば、次々にチェックを入れて署名をしている。とんでもなかった。けれど、ほかに方法もなかった。私もセルジュにならって署名することにした。
その後、離れた窓口に審査申込書を提出した。代わりに番号札を受け取ると、係が指したずらりと長い審査待ちの列に並んだ。とりあえず私はセルジュに小声で確認してみた。
「あの窓口の方は、妖精族ですか?」
「そうです。リアは初めて見ましたか?」
うなずく。とがった耳に薄紫の髪、小柄で儚な気な容姿、花と葉を模した服。話に聞く妖精族そのものだった。そんな森か花畑にしか棲息していないような妖精族が、いかにも役所といった窓口に座っているのが不可思議だった。
「見た目に騙されないでください。あれらは気まぐれで容赦ない気質だ。」
セルジュが小声で言った。まあ、そんな話も聞くけれど、妖精族皆がそんなことないのではと思う。
それ以上に何か緊張してきて、胸を手でおさえた。
レジェ国でも西に向かうほど、ドワーフを見かけるようになっていた。無論、話したことはない。審査待ちの列には人間も多かった。けれどドワーフはもちろん、妖精族らしき姿に、私の知らない大柄な種族がフードをかぶって並んでいた。エルフの国に行くということは、そういうことなのだろう。
「順番がまわってくるのは、昼を過ぎそうです。」
とセルジュが私を椅子に座らせる。結局私は、これを聞かずにはいられなくなった。
「審査とは、どんなものなのでしょうか?」
「その前に、エルフの国の状況から話します。そのほうがわかりやすい。あなたもご存知の通り、エルフの国は特殊で。」
セルジュが話してくれたのはこんな内容だった。
巨大な森にエルフは住んでいる。その周辺の土地もまた森を守るため、エルフの国になっている。魔法に長けたエルフの結界が張られ、他種族は容易に入り込めない。
ただし最近、といっても数十年前のこと、エルフの国の端に瘴気スポットが発生してしまった。そこはエルフ国内ではあるけれど、エルフが見放した場所。しかしエルフが見放しても、瘴気を放っておくわけにはいかなかった。しかも年々、瘴気の危険度ランクが高くなっている。
エルフは特殊属性持ちが多いけれど、聖属性持ちはほとんどいない。だから瘴気スポットに近い場所にカランシアの街をつくり、他種族を入れて瘴気スポットの対処に当たらせることにした。
見返りは、カランシア周辺の一定範囲内なら植物採集等おこなってよいこと。当然採集量を守る必要はあるけれど、そこにはエルフの国にしかない貴重な植物、鉱物などがある。また、瘴気も出るが魔石も採れるようになった。
ついでに街ができたおかげで、今までなかなか手入らなかったエルフ特製のはちみつやハーブ、エルフの繊細な細工物や魔導具が出回るようになった。
もともと入国希望者は多かった。それがますます増えて、入国審査や滞在期間の管理をするまでになった。街も大きくなり、冒険者はもちろん職人や研究者も多く滞在し、ドワーフや妖精族など様々な種族が集まり暮らしている。
そんなカランシアの街には、エルフが一人代表としてやってきて近くにある森に住んでいる。町長の役割は他種族に押し付けて、気軽なお目付け役みたいなものだとか。基本的にそのエルフの気に障らなけれは、細かいことは許容されるらしい。
そんなカランシアの街のおかげで、ここレジェの国境の街も有名になり、入国待ちの人間はもちろん、エルフの国からもたらさされる希少な植物やはちみつ、細工物が買えると賑わっているとのことだった。
「そんなわけで、入国するには審査があります。
三か月の短期滞在の申請は希望者が多すぎて、かなり待ちます。半年待ちはざらで。しかもこの街で待ち続ける必要がある。待てば、一日に十数組は通れるんですが。
審査では、何らかのギルドに七年以上所属していて、それなりの実績があり、問題をおこしてないこと、入国目的ほか、かなり確認されます。俺も短期で一度行ったことがあるんで。
居住の申請は審査が月に三回なうえ、一人も通らないこともあります。なので短期滞在から長期滞在の申請、それをクリアして居住の申請にする方法もあります。」
「ですが、先ほど書いた申請書は居住申請だったのでは?」
セルジュが何でもないように言う。
「そうです。今朝の新聞もざっと目を通しましたが、王国であなたのことは騒ぎなっていないんで。書類審査は、まあ大丈夫でしょう。」
本当にそうだろうかと思った。半分以上本当のことを書いていないのに。
で、結局どのような審査なのかと慄けば。セルジュがあっさりと言った。
「居住申請の審査は謎で。噂によれば、あれはエルフの意地の悪さというか。妖精族もこういうのを使いますが。」
いったい何をさせられるのだろうと慄けば。
「俺もこれは初めてなんで。聞いたところによると、鏡を通るような感じらしいです。
映るのは自分自身。邪な気持ちがあれば、それが増幅されて自分自身に襲い掛かる。
そんな、精神に作用する系のトラップです。」
いったいどれほど作用してくるトラップなのかと慄けば。
「リア、あなたは大丈夫です。問題なく通れます。」
セルジュがこともなげにそう言った。どこからその自信が来るのだろうと思った。
セルジュは審査に通り、私は落ちてしまう、そういう結果も十分あるというのに。




