雨の街道/「新婚旅行中だと言っておきました」
休憩の村に入った。雨は強くなっていた。こんなに降るとは思わなかったと、乗客たちが話している。
馬車から降りれば、セルジュが羽織ったマントを私の上に差しかけてくれた。
「濡れますから。」
と、セルジュの手がぐっと私の肩を引き寄せる。
まるで恋人のような近さだと思った。けれど、セルジュにとってはこれも護衛の仕事なのだろうと思い直した。
案内された小屋で体を伸ばす。セルジュは村人や乗客と天気の話をしている。珍しく今日の乗客の中に、セルジュ以外の冒険者はいなかった。
大型トカゲは雨に濡れながらも、つぶらな瞳で辺りを見回している。
出発の鐘が鳴る。御者が言うには、少しスピードを落とすとのことだった。後ろの席にいた馬車の護衛が、御者の隣に移る。それを見たセルジュが眉を寄せた。
雨は降り続いている。馬車は走り続ける。乗客のひそひそしたおしゃべりが聞こえる。何人かは寝ているようだった。
しばらくは何事もなかった。何となくセルジュの警戒を感じた。けれど、寄りかからせてもらえば安心で。肩に回された腕にほっとして、うとうとしてしまった。
突然、馬車が止まった。乗客がざわめく。目を開ければ、セルジュが窓の外をじっと見ていた。私はまず、その表情が気になった。警戒と思案。セルジュの視線の先を追えば。
息をのんだ。驚かずにはいられなかった。馬車が通るのは街や村をつなぐ街道。街道には魔獣除けの魔石が一定の間隔で埋められている。そこに魔獣が三体も姿を見せるのは、普通なかった。しかも、一体は大型の魔獣だった。
瘴気の浄化が必要な場所には魔獣が出てくる。だから私は魔獣は見慣れている。王国では中型魔獣は当たり前。なのに、さすがに大きかった。
乗客たちはぎりぎり落ち着いている状態だった。いや反応もできない状態というか。魔獣があと一歩でも近づけば、恐慌状態に陥りそうだった。
「まずいな。」
セルジュがつぶやいた。
「浄化を使った方がいいですか?」
小声で聞く。浄化で魔獣は倒せないが、足止めすることはできる。
「リア、そうではありません。
俺が倒すのは簡単なんですが、後で誰がそれをしたのか詮索されると面倒なことになる。
あなたの浄化はなおさら使っては駄目です。いいですか、決して使わないでください。
俺が何とかするんで。」
セルジュの眼差しは冷静だった。いつものこと、そんな落ち着きと余裕があった。
「わかりました。ここで待っています。」
セルジュが笑みを浮かべた。
「ちょっと行ってきます。待っていてください。」
言うが早いか、セルジュは剣とグローブをつかむと馬車の外に出て行った。
乗客の視線が出て行った冒険者に向かい、それから私に戻った。
「大丈夫です。中型魔獣を余裕で倒せる人ですから。」
にっこりと笑顔を見せれば、乗客たちが顔を見合わせた。乗客の一人が耐えきれないように口を開く。
「だが、大型もいるぞ。」
「先ほど、大丈夫だと言って出ていきました。ここで待っていましょう。」
笑ってうなずき、私は荷物を抱えて座席に深く座った。すると乗客が次々に席に座り直し始めた。立ったままの乗客もいたが騒がず窓の外を見ていた。座った乗客は同行者と手を取り合い祈るようにしている。
私はほっとして御者席のほうに目をやった。セルジュと馬車の護衛が話し合っている。御者は大型トカゲを必死になだめている。セルジュが護衛にちらりと何かを見せた。護衛の驚いた顔、そして護衛が御者席から客席に続く窓を開けた。
「これから馬車に結界を張る。その後、救難信号と警戒信号を出す。だが、この雨じゃ期待はできない。
だが俺たちは運がいいぞ。この冒険者の兄さん、魔獣討伐が大変得意だそうだ。
いいか、乗客のあんた方は、絶対に馬車から出ないでくれ。」
乗客の一人が口をはさんだ。
「護衛のあんたは、魔獣を倒しに行かないのか?」
セルジュが答えた。
「万が一、もう一体魔獣がいたときに備える。ほかの魔獣にこっちを襲われたら意味がないからな。」
それだけ言うとグローブをはめ、セルジュは魔獣に向かっていった。
護衛が後部の荷物置きから取り出した魔導具を作動させる。結界が張られたのを感じた。それ自体は問題はなさそうだった。けれど、この結界の強さは小型の魔獣向けだった。
雨のなか、セルジュの背が遠くなる。私はじっと見つめている。
何か、強い魔力が発動したのを感じた。
一体の魔獣がこちらに一歩、踏み出した。乗客に緊張が走る。
その時、雨に煙る丘に光が走った。
一閃、だった。光る刀身が薙ぎ払った。
地響きがこちらにも伝わってきた。魔獣が崩れ落ちた音だった、三体とも。
馬車の中は静まり返っていた。半信半疑の様子で、戻ってくるセルジュの姿を見ている。
私もまたセルジュから目が離せなかった。これがAランクの実力かと思った。
駆け寄った護衛がセルジュに話しかける。セルジュが護衛に何か渡したようだった。
先に護衛が走って戻った。
「仕留めた、三体ともだ!」
護衛の言葉に、馬車の中に安堵のざわめきが広がった。乗客どうし、お互いに良かったと声を掛け合っている。
戻ってきたセルジュが、乗客の中に私の姿を探す。そして私を見つけると、小さく笑った。
馬車の扉の前に立ったセルジュは歓声で迎えられた。そのなかセルジュはただこう言った。
「リア、俺の荷物を取ってください。服を着替えないと中に入れない。」
確かに、ずぶ濡れだった。
荷物を受け取り馬車の後方に回ったセルジュが、濡れた服を手に戻ってきた。それでも髪や腕が濡れているので、二人で、開いていた後方の座席に移った。
タオルで髪をわしゃわしゃ拭いているセルジュに、私は本当に良かったと胸をなでおろした。乗客ほか皆無事だったのはもちろんだけど、セルジュに怪我がなくて良かったと。
「お疲れさまでした。」
声をかければ、セルジュが小声で言った
「大型まで出てきた理由がわからない。ですが馬車の護衛が言うには、この近辺で中型魔獣を見かけたことが一度あったと。すぐに姿を消したので欠便にはならず情報も出回らなかったそうですが。魔獣除けの魔石の劣化か、破損か、変質か。あるいはまったく別の要因か。今回のことで調査が入るだろうということでした。
とりあえず、馬車の護衛に魔獣の角三本を渡して、俺がAランクだってのはともかく、名前を出さないようお願いしておきました。角は良い値で売れるんで、たぶんごまかしてくれます。
理由は旅の途中で、いろいろ煩わされたくないからと。駆け落ちでもしてるのかと聞かれたので、新婚旅行中だと言っておきました。」
……。鞄が膝からずり落ちていった。慌てて拾い上げ、どこからその発想がくるのだろうと本当に疑問に思った。
「あの、セルジュ?」
首をかしげたら、セルジュがこともなげに言った。
「護衛は一瞬で納得しました。」
……驚いた。納得するのか。いやいや、それよりも。
「セルジュ、すごいです。」
感嘆をこめて伝えれば、ふいと顔をそむけられた。照れているようにも見えた。そんなセルジュがぼそぼそと言う。
「ああいう大技を使うこと自体はたいしたことじゃないんで、というか。普通は周りにパーティーを組んでる冒険者がいたり、壊すとまずいものがあって使えないだけで。ダンジョンであれをやったら、ダンジョンが崩れる。今回はそれがなかった。ただ、あの土地の所有者が文句を言ってこないといいんですが。攻撃の余波で土地がえぐれたり、生えてる植物が焼かれたりと、羊の放牧なんかしてたら差し支える。渡した角で、護衛に解決してほしいと言っておきましたが。」
「それでも、皆が助かりましたから。」
「いや、これ以上馬車の進みが遅くなって、宿が取れなくなると困るんで。あなたが休めなくなる。」
……。
「どんな理由であれ、皆助かりましたから。」
「いや、リアこそ何か、乗客に言ったでしょう。俺が馬車を出る前はパニック寸前だったのに。」
「ええ、少しばかり。」
「やはり、あなたが乗客を落ち着かせたのか。」
私を見るセルジュの眼差しが、さすが聖女とでも言いたげに誇らしそうだった。それを見たら、何か言い訳をしなくてはいけない気になってしまった。
「浄化の際、近くに住民がいたら、騒がれると浄化どころではなくなりますから。それと同じで。だから、少しばかり。」
セルジュの眼差しは変わらなかった。変わらず誇らしそうだった。私はもう聖女ではないのに。私という人間にさして価値もないのに。セルジュがそんなふうに私を見てくれることはいたたまれなく、同時に不思議な気もして。
ほんの少し心が温かくなるような、嬉しさがあった。




