詮索
長距離馬車の出発を待つ間、セルジュは買った新聞を読んでいた。私の手には二枚の切符がある。先ほど買い方を教えてもらった。
時間になったので馬車に乗り込めば、昨日にもまして不思議そうな、怪訝そうな顔が一瞬私たちに向いた。何が問題なのかわからなかった。けれどセルジュが気にしていないので、私も鞄を抱えて席に座った。
「リア、体調は?」
新聞を折りたたみながらセルジュが聞いてくる。
「昨夜は、良く眠れたと思います。」
「良かった。」
安堵したセルジュの声が返ってきた。
「次の街は小さいですが、広場には屋台がいろいろ出ています。着くのがちょうど昼ですから、焼きたてのものを何か食べてみますか?」
食欲のない私のために、セルジュがわざわざそう言ってくれたのだと思った。
「はい、楽しみです。」
答えれば、セルジュが小さく笑った。いったいどんな焼きたての食べ物があるのか、私には見当もつかなかったけれど。
途中の村で、休憩が入った。
セルジュに頼んで、大型トカゲを一緒に見に行ってもらった。その後は、田舎道をいくらか歩いてみた。広がる田園風景と青い空、穏やかな風、足元には小さな花が咲いている。当然のようにセルジュが後ろをついてきたので、少し戻って隣に並んだ。
馬車に戻れば、またポムが売られていた。お土産にするのか、乗客の二人がまとめて買っている。見ているうちに、セルジュがあっという間に一個買ってきて、食べますかと皮をむいた一切れを差し出してくれた。
「ありがとう。」
受け取って、しゃくしゃくとかじれば、今日のポムも瑞々しくて美味しかった。
追われているとは思えないほど、長閑だった。本当に、もう追われていないのかもしれなかった。そう、思ってしまいたいくらいだった。
その時、ちらちらと乗客の視線が私に向かっているのに気づいた。
何となく不安になった。セルジュがこれに気づいてないはずはないと思った。けれど、セルジュはいつもどおり変わらなかった。
出発の鐘が鳴る。
「リア、時間です。」
セルジュが手を差し出てくれる。それに私の手を乗せてステップを上がり、馬車に乗り込んだ。
馬車が走り出す。また、あちこちからおしゃべりが聞こえ始めた。今日の乗客は、商人らしい夫婦とその娘たち、老夫婦、若い夫婦、冒険者の三人連れ。あとは、私には職業が分からない一人旅の男性二人。
ごとんと何か落ちた音がした。隣から転がってきたので、拾いあげた。黄色いポムだった。
「どうぞ。」
と渡せば、若い夫婦からお礼の言葉が返ってきた。それだけのやりとりのはずだった。それなのに。
「隠そうとすると、かえって不自然に見えるぞ。」
ぼそっとそんな声が聞こえてきた。老夫婦のうち、おじいさんのほうだった。
私は思わず口元を手で覆ってしまった。何か、私が聖女だと、逃亡中の元聖女だとバレる要素があっただろうか。
セルジュが私を守るように、肩に腕をまわし引き寄せる。
連れのおばあさんが慌てて口をはさむ。
「余計なこと、言うんじゃないの。」
「だがなあ。」
と、おじいさんは止まらなかった。
「そこそこ金のある商会のお嬢さんが、」
違う。
「雇われた護衛と、」
違う。
「付き合いを反対されて駆け落ち。」
違う。
「冒険者だから、反対されたんだろ。」
違う。一通り、違う。
「そんな駆け落ちをしてきた、お嬢さんと護衛にしか見えんなあ。
反対されるのも、お金持ちのお嬢さんなら仕方ないが。」
全部、違う。それなのに。
なぜだろう。納得という雰囲気が周りにできてしまった。そうしたら、それ以上は何も言われなかった。
セルジュを見れば、頭を下げていた。
「できれば、言いふらさないでもらえると助かります。」
皆それぞれにうなずき、同行者としゃべり始めた。連れのいない人たちは、目を閉じたり、窓の外を見始めた。
「あの、セルジュ?」
小声で首をかしげれば。
「リア、大丈夫だ。」
セルジュがまるで婚約者にするように顔を寄せると、私にささやいた。
次の街に着けば皆、駆け落ちなど知らない、見なかったという態度で馬車を降りて行った。こっそり、頑張ってとも声をかけられた。その好意が有難かった。
私たちは駆け落ちでも何でもないけれど。ただの逃亡中の元聖女と、なぜかそれに付き合ってくれている護衛なのだけど。
「こちらです。」
セルジュに手を引かれて歩いていけば、香ばしい匂いの屋台があった。
「これは、何ですか?」
「リアは食べたことないですか?王国でも、西のほうではあるんですが。」
逆に聞き返された。
「初めて見ます。」
「クレープです。中の具を選べるんで、どれにしますか?
俺はハムチーズと、はちみつバター。」
メニューにはいろいろあった。トマトや、卵や、マッシュルームや、もっといろいろ。キャラメルバターに、マロンクリームに、レモンクリームにもっといろいろ。とても選べそうになかった。
「セルジュと同じで、ええと、ええと、はちみつバターのほうで。」
注文してしばらく待っていると、温かいものが渡された。二人でベンチに座れば、セルジュが言った。
「俺のハムチーズ、食べてみますか?」
先ほど迷っていたのを気づかれていたようで、恥ずかしくなった。でも誘惑には勝てなかった。
差し出されたクレープを、はむっと食べてみた。きつね色に焼けた生地の、外側はパリッとして、中はもちもちとして、チーズがとろけていた。
「美味しい。こんなの初めて食べました。」
「それなら、そっちもきっと美味いですよ。」
セルジュが笑って、私の手に持っているほうを指した。
はむっと食べてみた。続けて、はむはむと食べずにはいられなかった。はちみつとバターの組み合わせが至福だった。
「また、食べましょうか?」
「はい。」
即答してしまった私に、セルジュが笑った。
幸せな気分で食べ終えた私は、馬車の出来事を思い出した。そして聞かずにはいられなくなった。
「昨日、私の服などを買いそろえたお店の店員の方も、実は駆け落ちだと思ったのでしょうか?」
セルジュが何でもなさそうに答える。
「その可能性は十分あります。そう考えれば、荷物も何も持ってない訳ありの理由の説明がつきやすいってことです。」
「では、私のこの髪は?」
「結婚を反対されて、外に出られないよう身内に切られた。それでもあなたは駆け落ちを決心し、侍女の服をもらって、何とか家を出て逃げているところ。とか、どうですか。」
どうと言われても、逃げているところしか合ってない。
「つまり、聖女と護衛が逃亡中というより、駆け落ちのほうが何となくありそうな状況だってことです。」
確かにそうかもしれなかった。
「特にあなたの雰囲気はお嬢様なんで、そこが仕方ないというか。」
そこは疑問に思った。全部が私のせいだろうか。セルジュの護衛っぽさが抜けないのもまた原因ではないだろうか。
朝、馬車に乗ってからの行動を思い返してみた。護衛どころではない、騎士のようなふるまいもセルジュは自然にしていた。しかも、私をリアと呼んでも、当然のように丁寧な言葉を使っている。
よって結論は。全部が私のせいではなく、半分はセルジュのせいだと思う。