長距離馬車
屋台でパンを買ったセルジュが、係に二枚の切符を見せた。先にセルジュが乗り込む。差し出してくれた手を取って、私も長距離馬車というものに乗り込んだ。
想像していたより窓が大きく、中は明るかった。両側に並んだ窓に沿うように長い座席があり、すでに半分埋まっていた。そのうち半分の方々が顔を上げ、私たちを見る。
怪訝そうな顔と、不思議そうな顔だった。私はどこか変に見えるのだろうか。まさか逃げている元聖女と気づかれたのではと、鼓動が跳ねた。けれど、すぐに乗客はそれぞれの同行者と話し始めた。
セルジュにうながされ、座席の中ほどに並んで座る。
「一番後ろにいるのが、馬車の護衛です。」
小声でセルジュが教えてくれる。
「今の時期だと窓を開けっ放しにして走らせますから、もし寒くなったら教えてください。
あと、体調が悪くなったら言ってください。」
「わかりました。」
私も小声で答える。先ほどの乗客の表情が気になったけれど、セルジュの様子に変わりはなかった。ひとまず私も気にしないことにした。
扉が閉められ、馬車が走り出す。開けられた窓から、さわやかな初夏の風が入ってきた。
街を抜ければ、田園風景が広がっていた。森が多い王国に比べ、なだらかに続く畑、そして草地が広がっている。羊の姿も見える。
「安心してください。小型の魔獣は出ますが、この辺りは少ない。
切符を買う時に確認したんですが、今日は大雨の心配もないようです。」
セルジュが小声で教えてくれる。私はうなずく。
長閑だった。外に見えるのは緑のなかに点々と羊の白。
乗客は、年配の夫婦、冒険者姿の若者連れ、姉妹らしい老婦人がおしゃべりをしていた。
窓からは明るい日差しが差し込む。
不意に、激しい不安に襲われた。本当に、大丈夫だろうか。本当に今、危険はないのだろうか。
もし今も追っている誰かがいたら。私を連れ戻そうと、あるいはセルジュを捕まえようと。そしてセルジュが罪人として捕らわれる……。それは駄目。それだけは避けなければ。だから、逃げ切らなければ。
そんな気持ちに駆られても、景色は長閑だった。馬車の中もおしゃべりの声が続いているだけだった。
切羽詰まった何かは、馬車に揺られているうちに、時々話しかけてくれるセルジュの声を聞いているうちに、だんだんと小さくなっていった。
隣にセルジュがいてくれるから、今少し安心していられる、そう思った。
どのくらい馬車は走ったのか。速度がゆるやかになり、村の外れにとまった。馬車の護衛が休憩だと告げる。扉が開けられる。
「休憩中は降ります。ずっと座っていると体がつらくなるんで。」
とセルジュにうながされ、私も席を立った。
そして私はセルジュに連れられて、大型トカゲというものを見に行った。おそるおそる近づけば、
馬より大きく、背から尾に向けてたてがみのようなものがあった。御者が差し出した桶から草を食べている。つぶらな瞳が可愛らしかった。
「お嬢さん、これ食べんかね、美味いよ。」
急に差し出されたものは果物に見えた。拳より一回り大きく、丸くて、黄色くて、さわやかな香りがした。村人が馬車の乗客相手に売りに来ているようだった。
「ポムか。食べてみますか?」
迷っているうちに、セルジュがそれを買ってしまった。携帯用ナイフでくし形に切り皮をむいたものを、セルジュが差し出してくれた。
しゃくっとかじってみれば、瑞々しくて、甘くて、美味しかった。セルジュが次々切ってくれるので、つい食べてしまった。半分になったところでお礼を言えば、セルジュは残りをそのままかじった。そういう食べ方もあるのだと知った。もしかしたらセルジュは、わざわざ私のために切ってくれたのかもしれない。
休憩が終われば、また馬車に乗り込んだ。
しばらくすると乗客の一人が鞄からパンを出して食べ始めた。すると乗客が次々に、サンドイッチなどを食べ始める。昼食の時間になったようだった。
私はといえば、セルジュから紙袋が差し出された。五つほど屋台で買ったパンが入っていた。
「これなら、あなたも食べられるかと思ったんで。」
一つ取り出して食べてみれば、ふわっとやわらかく甘いパンだった。
「美味しいです。ありがとうございます。」
少しずつちぎって、味わって食べた。
隣であっという間に三個をお腹に収めてしまったセルジュが、残った一つを私に差し出す。けれど、もう食べられそうになかった。
「私は十分いただきましたから。」
小声で答えれば、セルジュが眉を寄せた。
「もしお腹がすいたら言ってください。次の街でも屋台は出てるんで。」
「わかりました。」
お腹は空かないかもしれないと思った。でも、セルジュの気遣いが嬉しかった。
またしばらくすると、今度は馬車の揺れをきつく感じるようになってきた。初めは平気だったのに、私はこの程度も耐えられないのかとため息をつく。すると、
「リア、どうかしましたか?」
とセルジュに気づかれてしまった。
「いえ、何でもありません。」
「リア?」
セルジュがじっと私を見ている。その視線に、ごまかすことができなくなった。
「すみません、揺れが少し苦しくなってきて。」
セルジュがほっとしたように言った。
「それなら、俺に寄りかかるようにしてください。いや、寄りかかってください。少し楽になります。」
私はためらった。けれど体がきついのは確かだった。けれど馬車を降りるわけにはいかない。乗り続けて逃げなければ。
思い切って寄りかかってみた。セルジュは、私が寄りかかったくらいではなんともないようだった。
しばらく様子を見てみても、セルジュは揺るがなかった。倒れないようにと力んでいた体から力を抜く。私はそのまま、ほっと息をついた。
すぐ隣のぬくもりに安心した。