名前/「護衛が、あなたのそばを離れるわけないでしょう」
石畳と木組みの家が立ち並ぶ街中を歩いていく。
路地を一本入ったところでエドガールさんが足をとめた。並んだドアの一つを開ける。続いて中に入ろうしたところで、駆けてくる足音が聞こえた。振り向けば。
「聖女様、行きます。」
セルジュだった。手を取られる。エドガールさんが私の腕から瓶を引き取った。私は頭を下げると、手を引かれるまま歩き出す。
「エドか、どうしたー?」
「いえ、見習いの子を連れてきたんですけどね。どうも身内が倒れたとか……。」
後ろで、そんな会話が聞こえた。
前を歩く背中を追う。手を引かれるまま、後をついて行く。私の手を握るその大きな手がセルジュなのだと、セルジュがここにいるとわかった。ほっとした。どうしようもなく、ほっとした。
セルジュが振り向く。
「長距離馬車の切符が取れました。次の便で出発します。」
「わかりました。」
そして私は、続けて言わずにはいられなかった。
「先に行ったのではなかったのですか!?」
セルジュがこともなげに言った。
「護衛が、あなたのそばを離れるわけないでしょう。」
私のためなのだと、それはわかった。けれど、言わずにはいられなかった。
「お願いです。あまり危険なことをしないでください。私はあなたが苦しい目に合うのは嫌です。」
「ベルナックからレジェに抜けられれば一番ラクでしたから、この方法をとりましたが。失敗しても、ほかに方法はあったんで。」
セルジュがこともなげにそう答えた。
「とりあえず今、王国にいるよりあなたが安全です。」
違う。私の言いたいことはそれではなかった。聞きたい答えもそれではなかった。けれど。
こう言うしかなくなった。
「セルジュ、ありがとう。あなたが無事で良かった。また会えて、良かった。」
なぜか、先を歩く護衛が狼狽えたようだった。
少しして、つないだ手をしっかりと握り返された。
人が行き交う中央広場の端に、何台もの大きな馬車が停車していた。いろんな方面に行く馬車とのことだった。ただしそれを引くのは、馬ではなかったけれど。気になりつつも、私は近くの階段に座らされた。セルジュがそばに立った。
周りには、同じように発車を待っている人の姿があった。私にもセルジュにも、あえて目を留める人はいない。けれど、ここは人が多い。行き交う人があり、屋台があり、その周りに集まる人があり。気にされていなくても、人目が多かった。
セルジュがかがみこむようにして言った。
「ベルナックではあなたが安全なよう別行動をとりました。冒険者の俺を見知ってるのがいたんで。
だから念のため、早めにここも離れたいんですが。」
私は聞かずにいられなくなった。
「人が多くありませんか。このように人目があると、何か危険では。」
セルジュがのんびりと答えた。
「まあ、そうでもあるんですが。今、わざわざ俺たちに目を留めるヤツはいない。俺の黒髪も目立つほどじゃない。
仮に馬を買うなりして誰も行かないような方面に走らせたら、その方が目立つ。後から探されやすい。
皆がしているような行動をとった方が、目に留まらないってことです。冒険者も街の連中も、長距離馬車を使うんで。ただ。」
セルジュが私を見下ろす。大きくため息を吐いた。
「その服装ならまだマシですが。あなたはどうにもお嬢様にしか見えない。所作というか、雰囲気というか。」
そう言われてもと思った。十四才の時から神殿暮らしをしてきた私は、言われるほどお嬢様ではないのだけど。
「ゲートを通るときは問題なかったようですから、大丈夫ではないでしょうか?」
「あれは、あなたに瓶を持たせていたからです。高価なものだと言われたのでは?それを慎重に持っているところが見習っぽく見えたんです。」
「では、何か持ったら良いのでしょうか?」
「俺とあなたの組み合わせで、何を持たせたら違和感がないか、さっきから考えてるところですよ。
あと名前、あなたを何と呼んだものかと。」
確かに、リディアーヌ・ベナール、この名前は今の私には仰々しい気がした。私はもう聖女ではなく、子爵令嬢ともいえない。
ちょっと考える。何となく短い名前がいいと思った。
「リア、ではどうでしょうか。」
セルジュの答えに少し間が開いた。
「それはあの男、殿下も呼んでいましたか?」
なぜかそっけない口調だった。けれど、確かにその点は考慮すべきだった。
「いいえ、私をリアと呼んだ人は誰もいません。ですから、リアとリディアーヌ・ベナールの名は結びつかないと思います。」
なぜかセルジュの機嫌が直ったようだった。確かに、安全な方が良いに違いない。
「では俺は、あなたを、リアと、呼ぶことにします。」
なぜかセルジュがちょっと横を向き、つっかえながら言った。護衛が忠誠を誓った主の名を呼び捨てるのに、抵抗があるのかもしれなかった。
「どうぞ、いつでも何度でも、リアと呼んでください。」
なぜかセルジュの横顔から動揺が伝わってきた。それはともかく、これを確認しておかなければ。
「私は、あなたを何と呼んだらよいでしょうか?」
「俺はこのままで。よくある名前なんで。」
「いえ、私はもうただの聖属性持ちの魔法使いなのですから。セルジュさん、いえアダンさんとお呼びしたほうが良いですね?」
なぜかセルジュがぎょっとした顔になった。嫌なのだろうか。
「今まで通りでお願いします、セルジュと。護衛の俺がさん付けで呼ばれるわけにはいかないんで。」
嫌だということはわかった。理由は誤魔化された感じがしたけれど。
セルジュがまたため息をついた。
「話を戻しますが、あなたに少年の服を着せて弟にするのが手間がかからなかった。ですが違和感がありすぎる。かといって妹だというのも。」
「では、姉というのはどうでしょうか。」
「無理です。意外性という点では良いですが、今は周りにそう見えるというシチュエーションを利用して、本当のところを誤魔化したいんですよ。」
とても良い案だと思ったのだけど、却下されてしまった。
ふと思いついた。
「私が妹ならば、お兄様と呼んでみるのはどうでしょう?」
「だから無理です。あなたが、俺を、オニイサマと?無理がありすぎる。」
本当にそうだろうか。私はそれでも良いと思うのだけど。
ふと気づいた。
「もしかして、あなたはすでに思いついているのでは、最適なものを?」
セルジュが何とも言い難い表情になった。
「一時的ならともかく、しばらくその設定でいくことになるから迷ってるんです。
最適というなら、あなたの服をもう少し上質なものにして、裕福な商人のお嬢様と護衛というのが最も違和感がない。」
うなずきながら聞く。
「ただし、お嬢様と冒険者風の護衛が二人で旅をしていたら、どう見られると思います?」
もちろん私は、お嬢様と護衛に見えるのではないかと思った。それ以外は想像もつかなかった。
「どうなるんでしょう?」
「だから、あきらめるしかありません。乗り合わせた乗客が適当に詮索してくれます。」
さっぱりわからないので、聞いてみることにした。
「私は何に気を付けたら良いでしょうか?」
「無理です。」
「無理ですか?」
「無理です。とりあえず長距離馬車に慣れてください、これから何日か乗るんで。
馬だと目立ちかねないというのもありますが、何より馬車のほうがあなたへの負担が少ない。
昼過ぎには次の街に着きます。そこであなたの物をそろえますから。
で、あなたはさっきから何が気になるんです?」
ちょっと恥ずかしくなった。けれど、どうにも気になった。
「あれは何でしょうか?馬車を引くのが、馬ではないようなので。」
「ああ、王国じゃ見かけないか。大型トカゲの種類で、大人しい性質です。雨にも強い。この辺りは季節によって雨が降るんで。休憩を取るとき、近くで見てみますか?」
何だか嬉しくなった。
「見てみたいです。」
答えれば、セルジュが小さく笑った。




