婚約破棄/「あなたが死んだら、俺も後を追う」
「あなたには死んでもらうことになった。」
王国の騎士がそう言った。
ここは森の奥。連れて来られたことにも気づかなかった。あまりに呆然としていて。
今朝、婚約破棄が申し渡された。反論も質問すらできずそのまま馬車に乗せられ、修道院に行くよう命じられた。殿下の新たな婚約者、帝国の姫君の目障りにならぬようにと。
あまりに突然で一方的だった。殿下に別れを告げることはもちろん、一目会うことすらできなかった。
事情は分かっている。納得するしかないことも。けれど、けれど。
私はただの子爵家の娘。王国で最も力の強い聖女であろうと、ただの子爵家の娘。
でも、聖女として殿下とお会いするたび、私は惹かれてしまった。励ましの言葉、さりげない気づかい、少しずつ増えていく会話、殿下の誠実な態度に、私は好きになってしまった。
一方的な想いだと分かっていた。そのはずだった。でも、殿下もまた私を想っていると、妻に望んでいると言ってくださったから。
当然のことながら初めは、婚約者としてすら認められなかった。それでも殿下の近くにいるため、瘴気を浄化する聖女の仕事の合間に、少しずつマナーや教養、知識を身に付けた。
殿下が私を望んでくださってから、五年かかった。ようやく、ようやく婚約者になれて。公表はまだだけど婚約者と認められたから。だから頑張ればきっと、殿下の妻になれるのだと私は思ってしまった。
それが、あっという間に覆った。王国より圧倒的に勢力の大きい帝国が送り込んだ、姫君によって。
「聖女様、おわかりのことと思いますが。あなたより、聖なる力の強い帝国の姫君のほうが重要なのです。逆に言えば、あなたはもう用済みだ。殿下の元婚約者などという、姫君の機嫌を損ねるような者が生きていては邪魔なのですよ。」
四人の護衛騎士のうち、一人がそう言った。
止まった馬車から降ろされれば、そこは修道院ではなかった。暗い森、瘴気が漂い、魔獣の咆哮が聞こえる森の奥。
「聖女様、あなたには死んでいただきます。」
騎士が剣を抜く。
「あなたの死を、殿下がお望みなのです。」
その刀身が鈍く光った。
私は目を閉じる。
閉じても涙が一粒、頬を流れていった。
ただ、悲しかった。
今まで聖女としてやってきたことも、殿下の近くにいるための努力も、すべてがどうでもよくなった。
なぜという問いも、思い浮かばなかった。逃げなければと、考えることもできなかった。
だって、何もかもがどうでもいい。生きることも、死ぬことも、どうでもよくなって。
ただ、悲しい。
騎士が一歩近づく。その剣が私に振り下ろされる。ぼんやりとそれを見つめる……。
「気に入らねえな。」
それは、はっとするほど乱暴な言葉だった。
それは、王国の騎士ではなく、神殿から派遣された護衛騎士が発した言葉だった。
それは、品行方正な神殿騎士が言ったとはとうてい思えず、そして次に彼がしたこともとうてい正気とは思われなかった。あっという間に三人の王国騎士を打ち倒し、地面に投げ捨ててしまったから。
剣を収めた彼が一歩一歩、近づいてくる。私の前に立つ。見下ろす。
ぞくっとした。
彼から怒りが、激怒と言えるほどの何かが私に向けられていた。
「死ぬ気か!?」
握り締めた彼の拳が震えていた。激しすぎる彼の感情にただ驚いた。
そして、私は死にたいのだろうかとぼんやり考えた。
死にたい、そう思っているわけではなかった。けれど、生きたいも私のなかにはなかった。だって、もう、本当に、どうでもいい……。
私を見下ろす彼の視線に、激しい怒気がこもる。けれど彼は、ただ穏やかな声でこう言った。
「そうか、死ぬ気か。なら、あなたが死んだら、俺も後を追う。」
……何を言っているの?
ぼんやりと彼を見返せば、眼差しから、全身から、その覚悟が伝わってきた。
「もう一度言う。あなたが死んだら、俺も後を追う。」
……何を言っているの。
彼は神殿から聖女の護衛として派遣された騎士の一人。護衛騎士の一人でしかない。今までそうだった。規律を守り、品行方正な、ただそれだけの。
けれど、彼が伝えてくるのは本気だった。私が死を選んだら、自分も死ぬと。
「俺を殺したくなければ、生きろ。」
見下ろす彼の視線に、その真摯さに射貫かれるようだった。
愛した人は私の死を願い、ただの護衛騎士が私に生きることを望むのか……。
涙が一筋、頬を伝った。