09真実を知る
エレラは老夫婦のおすすめしていた土地へ降り立っていた。
やはり、降り立って良かった。
空気も美味しいし、景色も良好。
絶景絶景。
「なにもねぇな」
「……さっき降りた列車に戻れば?」
隣に何故か堂々と居る夫に言い返す。
コレスはケチをつけつつ、ぴたりと張り付いている。
そうですか、戻らないですか。
半目をしたまま、歩き出す。
エレラとコレスは街へと向かう。
街というか、小さな村と言ってもいいかもしれない。
長閑だ。
鳥の声が聞こえてきて、ここに最初から来たかったと思える。
そうすればカウンセラーだと、押し込み強盗擬きなどという人間が来ることもなかったような気がする。
「宿を先に取っておけよ。今回は予約してないだろ」
「そういえば、そうだった」
もう、アシスタントだと思っておけばいいか。
エレラは、隣の男をアナウンスだと思っていればと割り切っておいた。
いや、やっぱりこの人図々しいな。
思い直して、やめた。
夫たること人は、やはり途中で離れるということを一切しなくなった。
自分が壊れる前にそれをやっておいてくれればなぁ。
残念な男である。
ここで、また花屋をするのはどうだろう。
自然も豊かでフィールドワークも捗る。
息を吸って美味しい空気を吸い込む。
「なにを考えている?」
と、聞かれたが無視して進む。
「ねえ、わたし、あなたの知るわたしじゃないって言ったらどうする?」
質問を質問で返せば、相手は困惑に濡れた顔をする。
「どうする、と言われても……今更な気がする」
「ん、なに?いま、さら?」
なんだか言い方に引っかかる。
「あれだろ、寝ている時に寝ぼけておれを冷たく罵る時があるから、そういう時のことを言ってるんだろ。異世界に旦那が居るなんてウケる、と言っていたしな」
「異世界に、旦那が居るなんてって、なに!?」
「こっちに、聞かれても知らん」
そりゃ、前世とか転生とかの説明をしてないのだろうから、知らないことなのであろう。
「え、わたし、えっ?夜寝ぼけて、こっちの人格出ちゃってたってこと?」
「人格なのか?二つの魂が同期しているのかと思っていた」
「二つの人格か、魂かの違いはわたしにもわからないけど。知ってた上で夫婦として暮らしてたの。よく結婚したよね」
「どっちもお前だ。どちらも愛してる。おれとしちゃ、どちらも同じだった」
漸く会話に応じたなと笑うコレスに絶句する。
そんなバカなことってある?
「今のわたしはずっと存在し続ける可能性があるんだよ。前の、もう一人は、もう帰って来ないかもしれない」
「……今までお前はそのことに怒ってたのか?」
ちゃんと言ったこともないし、言ったとしても理解してもらえるとは到底思えなかったし。
「その他のこともあるけどね。あの子、つまり私はあなたの他の女避けのために一緒にいるって聞いて、精神世界に閉じこもってしまったの」
「そうか」
「殴っていい?てか、窓から突き落とさせてもらうけど、あとでやるわ。すっごい、そうか、の温度差に殺意再来してきたんだけど」
コレスは首を傾げてかまわないと言う。
なんなら、五階でも十階でもという。
この街の建物に、五階なんてあるわけないだろう。
「二階が精々だし」
「好きなだけ落とせばいい。お前が体験したことなんだったら、おれは力を抜いてもいい。綺麗に着地せず、病院送りにされる」
「……本当?」
病院送りにされてくれるんだ。
臆病風にやられて隠れていた、もう一人の自分が脈動するのを感じた。
やめて、と言われている気がする。
恐らくエレラの嬉しさに反応したのだろう。
もう一人の己の敵討をしてあげようとしているのに、恋心がそんなに大事なのかなぁ。
(はあっ、愛とか恋とか、殺そうとした人に持ち続けるもんじゃないでしょ?)
「じゃあ、夫と仮に今後愛し合うんならあなたが出てきて相手してよね。わたしは嫌だから」
語りかけると、渋々頷かれた。
今までだって何度も後ろから殴って昏睡させてやろうかと思ってたもん。
エレラも意識の人なので、その恋心だのなんだのを抱いたまま、相反する気持ちを持つ気持ち悪さがあった。
彼女が愛を担当してくれるのなら、エレラは夫に対して冷静な立場にいられる。
ホテルはないので宿を取る。
やはり窓が無駄に大きい。
コレスとエレラは窓から下を見る。
そして、彼は窓に座る。
さあどうぞ、とばかりに待っている。
ドキドキするけど、漸く叶うのだなと感慨深くなる。
でも、できたら自分で落ちて欲しかった。
男はこちらを振り返り、頬に軽くキスしてきた。
「罪悪感も持つな」
「……当然」
手がそうっと硬くて筋肉質な背に触れる。
相手は力を入れてないので簡単に押せた。
体が窓枠から離れていく。
「う!」
体に衝撃が走り、意識が遠のく。
次の瞬間には、俯瞰的に視覚が切り替わっていた。
今まで寝こけていた彼女が、再び体を使い始めたようだ。
「どうした。落とすんじゃないのか」
エレラは夫を抱きしめていた。
しかし、このままでは一緒に落ちてしまう。
コレスはくるりと体勢を戻す。
「気が変わったか?そんなわけないよな。ということは、お前はもう一人のエレラだな?」
彼は愛おしそうに笑うと、彼女の柔らかな体躯をそっと抱きしめ返していた。
「悪かった。あそこまで追い詰めてしまって。謝っても無駄だとわかってる。ちゃんと面と向かって言いたかった。夜になって寝ぼけてもお前は出て来なかったから、もう出て来ないかと思ったんだが」
彼女は首を振り、愛してると告げる。
愛はこちらが担い、心はもう一人が担当することにしたと述べるので、コレスは目を丸くした。
「元々、どちらもおれの妻だ。役割を分けようと気にしない。お前の好きなようにすればいい。お前という存在さえいれば十分なんだからな」
頬を緩く撫で付ける彼は、窓枠から妻が落ちないように、優しく離れる。
優しさはいつまでも変わらないらしい。
やれやれ、と無理やり押し込められたエレラはこれからの時間を察して意識をシャットアウトした。