クビになった大聖女は住めば都だと隣の雪国へ嫁ぐ
「おい、あんた。リリーっていったか。どうしたってあんなところで行き倒れてたんだ?」
「ふぁい?」
「いや。いい、いい。全部飲み込んでから話してくれ」
「ふぁい!」
対面に座る黒目黒髪男性は喋ろうとする私を制し、食事をするように促す。年のころは私より少し上か同じくらいか、長い髪を低い位置でひとつに縛っている。元婚約者とも同じくらいの年だが比べてしまうと驚くほど落ち着いていた。
テーブルの上の食事を口の中にぎゅうぎゅうと詰めこむ私を哀れんだのか、彼は事情聴取は後回しにすることにしてくれることにしたらしい。鋭い目つきと高い身長から与えられる威圧感とは裏腹に優しい人だと思う。
彼、……アランさんの言う通り、私は路地裏で倒れていた。このカスディア王国は温暖な気候と農作物を作るのに適した土や豊富な水質資源に恵まれたとても豊かな国で、浮浪者なんかもほとんど見かけない。そんなところで、それも年若い娘が空腹で行き倒れていたらそりゃあ不思議にも思うだろう。
私はつい最近まで大聖女なんていう大それた役職についていた。
この国は魔物を弾く結界に守られており、それを張れる聖女が大聖女と呼ばれている。ちなみに、大聖女は結界の張れる聖女の中から最も優れた結界を張ることのできる者が選ばれる。
急死した先代大聖女の後継として、五歳で孤児院から教会に引き取られた私はその日から結界を張り続けていた。その他にもお祈りに、救護院で治癒魔法を使って怪我人や病人の治療、そこに教会の清掃などの雑用も加わり、擦りきれそうなほどに多忙な日々を送っていた。
そんなある日のことだ。
「お前との婚約を破棄する!」
忙しすぎて朝ごはんもお昼ごはんも食べられていなかった私は、最初幻聴が聞こえたのかと思った。私に婚約破棄を突きつけた金髪の青年はこの国の王子、ランス殿下。彼の隣には、確か侯爵家のご令嬢だっただろうか。ゴージャスなドレスを身に纏った赤毛の美女が寄り添うように立っていた。その体つきもたいへんにゴージャスで、なるほど王子が好みそうである。彼は彼女を妻にしたいのだろう。
だがしかし、大聖女は王妃となることが決められている。
優れた結界を張ることができる人間を国に縛り付け、死ぬまで結界を張らせるためのえげつない決め事だ。それだから、王子の独断で婚約者の変更はできないはずだ。
「私は別にいいんですけど、それって大丈夫なんですか……?」
「なにが大丈夫じゃないと言うんだ」
「いや、王子は大聖女と結婚しないといけないんでしょう?教会や王様から怒られちゃいますよ?」
確か、王様と教皇は近隣国との会合のため留守だったはずだ。おそらくこれは王子の独断だろうし、巻き込みで叱られるのは嫌だったから一応釘を刺す。でも、
「問題ない。なぜなら、お前はもう大聖女ではないからだ」
言いながら、王子は令嬢と目配せしていて微笑み合っている。
さすがの私もそれには察しがついてしまった。彼女が新しい大聖女なのだ。
そして、それはその通りだったらしい。王子は得意気に鼻を鳴らして喋りだした。
「このアイリスはお前より大きな結界を張ることができる。この国を覆うので精一杯のお前と違ってな!よって、彼女の方が大聖女に相応しい!!」
「……左様ですか」
「そうだ。わかったらさっさとでていけ!このアイリスが真の大聖女。俺はお前なんかと結婚するつもりはない!」
「わかりました。出ていきます」
ものわかりの良すぎる私の返事に、王子も令嬢に呆気にとられたようだったが、正直、婚約破棄の申し出に私の方こそほっとしていた。
秋の落ち葉みたいなくすんだ金色の髪をした私はぱっとしない容姿で、しかも孤児の私を王子が毛嫌いしているのはわかっていたからだ。冷えきった夫婦生活が目に見えている中、そんなのと結婚しないで済むのは非常にありがたかった。真の大聖女さまさまってものだ。
それで、やっぱり婚約破棄やーめた!なんて言われないように、全速力でお城から逃げ出してきた私だったけど、連日働き詰めだったのと食事を抜いていたのがたたって目を回してしまったというわけ。
そこをこの国に来ていたアランさんに助けられたのだ。彼は隣国から知り合いを訪ねていたらしく、親切にもこうして定食屋まで私を連れてきて食事をさせてくれていた。
大聖女の頃は、いずれ王妃にはなるのだから国に仕えるのは当然だとお給金をもらえていなかったから、アランさんがいなかったらあのまま野垂れ死んでいたことだろう。正真正銘の命の恩人だ。
もぐもぐごっくん。食事を全て飲み込んだ私は、深々と頭を下げた。
「この度は助けていただきありがとうございました。本当に助かりました」
「で?どうして、あんなことに?」
「突然仕事をクビになりまして」
「突然って……、そりゃまたなんで」
「私より優れた人を見つけたかららしいですよ。ま、あんなブラックなところ、クビにしてもらえて逆に感謝ですけれど」
過労死まっしぐらのあんな職場、毎日逃げ出したいくらい嫌だった。監視があったから逃げられなかったけど、王子直々のお役御免をもらえて本当に万々歳だ。
せいせいしたと顔でも言葉でも言えば、アランさんはポカンと目を丸くしている。そりゃあ、普通の人だったら怒ったり嘆いたりするだろうけど、仕事を辞めることを諦めていた私にとっては僥倖も僥倖。ほとんど円満退職だ。
「ところでなんですけど」
「ん、あ、ああ。なんだ?」
「私、持ち合わせがなくて……」
「いいよ、奢る。退職祝いだ」
「えっ、いや!ただでごちそうになるなんて申し訳ないです!何か恩返しをさせてください!」
「恩返したってなあ……」
顎に手を添えて考える仕草をするアランさんはちらっと目だけをこちらに向けて、私を見る。だけども、すぐに「いや、ダメだ。ダメダメ」頭を左右にブンブンと振る。
「ダメかどうかは聞いてみないとわかんないですよ。ここはとりあえず、言うだけ言ってみてくださいませんか?」
「……俺と結婚してくれないか」
「えっ?」
「ほら、引くだろ……」
「いや、別にいいんですけど」
「いいのか!?」
椅子を蹴倒す勢いで立ち上がるアランさん。ここまでで一番テンションが高い。それをどうどうといなしてもう一度座らせる。
「でも、どうして見ず知らずの女と結婚したいなんて言うんですか。その理由が聞きたいわ」
「……そりゃあ変だと思うよな」
「はい、とっても」
「あんた、意外とはっきり物を言うな。見た感じは大人しそうなのに」
アランさんは苦笑いをして、水差しから注いだ水を飲んだ。
「うちの国では、結婚したら一人前っていう風潮があってな。そうしないことには家を継げないんだ」
「へえ。アランさんみたいなイケメンならお相手はどなたかいらっしゃらなかったんです?」
「一応それなりに深い仲の女はいたんだが、プロポーズしたらうちの国に嫁ぐのは嫌だってふられちまった。後、別に男もいたし」
「それは御愁傷様です……」
「まあ、恋人って訳じゃなかったしなあ」
アランさんはわかってたと言わんばかりの顔で笑う。ちなみに、隣国の若者はこちらの国に出稼ぎなり移住なりで出ていってしまうことが多いらしく、未婚の若い娘はとても少ないらしい。
隣国はとても寒い国で、一年の半分以上を雪に覆われている。普通に暮らすだけでも苦労が予感されるとなれば、それこそ年若い娘なら娯楽もあるこの国に残りたいと思いもするだろう。気持ちはわからなくもない。
「あんたも嫌なら断ってくれてもいいんだぜ」
「もらってくださるなら嫁ぎますよ」
「……うちの国は寒いぞ」
「去年仕事で行きましたけど、いい国でしたよ。ご飯をいっぱい食べさせてくれたし」
隣国はこの国の同盟国だ。大聖女としての仕事で治癒をしに行ったけれど、あの時は毎日お腹いっぱいご飯が食べれて幸せだった。気さくな王子様があれやこれやと国の特産品を使った料理を食べさせてくれて、帰国の日は帰りたくなくて泣きそうだったくらいだ。
この国では忙しすぎて食べれないし、食べれたとしても、大聖女なのに嘗められまくってる私はパンと具がほとんどないスープくらいしかもらえない。使用人よりも酷い献立だ。
「去年か。去年は珍しく暖かい日が多かったからな」
「……私と結婚したくないんですか」
やたらと続くネガキャンに私はジト目になってアランさんを睨む。すると、彼は大慌てで手をブンブン左右に振って。
「いや、したい!したいが、こんな可愛いお嬢さんを誑かしたら、親父にぶっ殺される。ちゃんと悪いことも承知しといてもらわんと」
「大丈夫ですよ、住めば都ってやつです。大船に乗ったつもりでどーんといてくださいな」
「こりゃあ頼もしいや……」
苦笑いをするアランさんだけど、私が俄然乗り気だったものだから満更でもなさそうに見える。私としては早くこの国を脱出したかったから渡りに船、しかも結婚して国籍ももらえるとくれば運がいいなんてもんじゃない。逃すつもりはなかった。
ただひとつ、誤算だったのは……
「王子!?」
「大聖女!?」
アランさんが隣国の王子様だったこと。
隣国のアランさんの家に向かう道中の宿屋、食堂で顔を合わせた私たちは互いにアッと声を上げてしまった。
私は旅人風のくたびれた格好から、小綺麗なシャツに着替え髪に櫛を通した彼の姿を見て。アランさんは、ボロボロの作業服から着替えて村娘風のワンピースと軽い化粧を施した私を見て、目玉が落っこちんばかりに驚いている。
「アランさん、いや、あなた、アラン王子だったんですか!」
「そりゃあ、こっちのセリフだぜ……!ということはなにか?あの国の奴ら、あんたをクビにしたっていうのか?」
「はい。ありがたいことに、真の大聖女が見つかったそうなので、ランス殿下直々にクビと婚約破棄を言い渡してくださいました」
私が至極真面目な顔をして言えば、彼は笑った。それはどんどんと勢いを増して、次第に腹を抱えて笑い出してしまった。
「馬鹿な奴らだよ。あんたの結界のおかげで国が栄えていたっていうのに、追い出すなんてさ」
「ランス殿下は知らなかったようですよ」
「雪国とぴったり隣に並んでるのに、あれだけ暖かくて農業も盛んで、あまりに暮らしやすい土地であることを不思議に思わないのは馬鹿が過ぎるだろ」
私が孤児だった頃のカスディア王国は隣国と同じようにとても寒い国だった。作物もまともには育たないし、孤児院では行き場をなくした子供が溢れかえり、いつもひもじい思いをしていた。
それが変わったのは私の結界が国を覆うようになってから。私の結界は、中の人間が快適である状態を保つ。あの国が異様に豊かだったのはそういうことだ。
今ごろは雪が舞い始めているに違いない。麦の収穫も間近だったのに、可哀想なこと。
「今ごろ、ランス殿下は怒られていますかねえ」
「怒られるくらいで済めばいいけどな。ところで、だ。……あなたに結婚を申し込みたい」
「……まあ。もう既にしていただきましたけれど」
「改めて、ちゃんとしたやつがしたいんだ」
宿屋の食堂、そこでおもむろにアラン王子が私の足下に跪いて、手をとった。そうして、意を決した顔で私を見上げてくる。
「……大聖女のあんたを見た時に一目惚れした。あんたみたいに可愛い女の子、初めて見たと思ったんだ」
「本当かしら……。私が大聖女ってわかって都合のいいこと言ってない?」
疑いの目を向ければ、彼は途端に小さくなって。そして、声も小さくボソボソと呟くように言った。
「ほ、本当だ。どうしたら喜ばせられるかわからなくて、ひたすら食べ物をやってただけだったし、簡単には信じてもらえないかもしれないが……」
でも、本当なんだって。信じてくれって顔を真っ赤にして言う彼を見ると、これ以上は苛めてるみたいでなにも言えなかったのである。