6 冬の間に
ヴェスパとアメリの巡礼の支度は、冬の間に行われた。
箱馬車と中に置く家具は、大工のクルトの工房に依頼した。リグハーヴスの大工は冬の間は大きな仕事はない。雪で街は孤立し、木の切り出しも出来なくなるからだ。
冬の大工は注文家具や、修理の仕事を請け負ったり、雪のない他領の仕事をしに出稼ぎに出たりする。
クルトの工房はそもそもが家具の製作をしている。しかし箱馬車を作れない訳ではなく、妖精用の小型の箱馬車であれば問題なかった。ただし、箱馬車を作る場所がなかっただけで。
エンデュミオンは「場所がなければ作るだけだ」と、緑の冠岩の中に工房を作ってしまった。緑の冠岩は冠状の分厚い岩壁に囲まれた小規模な森である。その岩壁の中にはエンデュミオンの別宅やヴェスパの実家があるのだが、それは岩壁のほんの一部分でしかない。使われていなかった岩壁の部分に、エンデュミオンは広い工房を作ったのだ。
「箱馬車を作った後も使って良いぞ。クルトの工房からこっちの工房に直接行ける〈扉〉も作ってやるから」とエンデュミオンに言われて大喜びしたのは、エンデュミオンの弟グラッフェンとクルトに憑いている大工コボルトのメテオール、クルトの息子で弟子でもあるデニスで、クルト自身は苦笑するしかなかったようだ。長年の付き合いで、彼はエンデュミオンの行動にはいい加減慣れている……筈だ。
土地は王家か領主の持ち物である黒森之國で、唯一私有地を持っているのがエンデュミオンだ。森林族時代もケットシーになってからも、〈黒き森〉を出るまで手入れされていなかった緑の冠岩だが、今ではヴェスパの実家であるスコル一家が管理している。
ヴェスパとアメリの要望を聞いて設計図を書いてきたクルトは、エンデュミオンの空間拡張も見慣れている。森驢馬の牽ける大きさの箱馬車の設計図をちゃんと書いてきた。
「エンデュミオン、空間拡張した後に棚や家具の測量をした方が良いんだな?」
「うむ、そうだな」
「家具は丸みを付けたものだったね。こっちはグラッフェンとメテオールが書いた設計図で、それを小さく作ったのがこれだよ。アメリ、触ってみて」
クルトは家具を小さく作った物を持参していた。飯事用の家具なども作っているクルトなので、手慣れたものだ。
「にゃ~。滑らか~」
アメリが小さな家具を両前肢で撫でるように確かめ、嬉しげな声を上げた。物を肉球で確かめるアメリなので、普段使いの家具の角は丸めてもらったのだ。ヴェスパは派手でなく、無垢材で使い勝手が良ければ拘らないので、基本的に家具はアメリの好みだ。オイルで磨いて色味が変わっていくのが今から楽しみだ。
クルトの工房は大きさの割に職人の人数が多かったので、工房の増築は嬉しかったようだ。何しろ嫁いだ娘に憑いているグラッフェンも、通いで働いているのだから。
〈Langue de chat〉の二階のカチヤとヨナタンの部屋からは、とんとんからりと機を織る音が聞こえていた。アメリとヴェスパが選んだ布を、ヨナタンが織り始めたのだ。
居間のテーブル回りに敷くラグマットは、ハイエルンに暮らすヨナタンの兄ファルベンの友人の絨毯織が出来るコボルトが織ってくれるらしい。ファルベン自体は村の五番目の染物屋だ。ヨナタンが使っている糸はほぼすべてファルベンが染めたものだ。
ベッドリネン類は既に織ってあった白い布で、ヴァルブルガがチクチクと縫ってくれている。ベッドカバーも若草色の布に、小花と蜂の刺繍を入れてくれた。焜炉代わりの〈熱〉の魔法陣や、〈保温〉〈冷却〉の魔法陣を刺繍した布も、ヴァルブルガは簡単に作ってくれたが、魔法陣を刺繍に出来る魔法使いや魔女は少ない。
ちなみに裁縫が苦手なエンデュミオンは出来ない。ヴェスパも簡単な裁縫なら出来るが、魔法陣を刺繍するとなるとかなり練習が必要だ。「あれはヴァルブルガとシュネーバルだけだろう」とエンデュミオンなら言うだろう。シュネーバルは幼い頃から、ヴァルブルガやヨナタンに教わって裁縫を覚えたらしい。というか、教えれば何でも覚えたという。どんな麒麟児だ。
そんなシュネーバルは、窓辺に吊るす飾りを幸運魔石で作ってくれた。氷柱のような細長い幸運魔石が数本、水平にした丸い輪に闘将蜘蛛の糸で繋いであった。揺れてぶつかり合うと微かにキンキンと涼やかな音が鳴り、陽の光に当たれば虹色の光を壁に映す。
これだけの幸運魔石は相当の価値があるのだが、シュネーバルは必要な人には幸運魔石の指輪を作って渡すので、本人はその価値をいまだに解っていない気がする。
何しろシュネーバルは魔女だ。幸運魔石を持つ事で命が助かる確率が上がるなら、さっさと渡す。そして自分の力で間に合わないと判断すれば、迷いなくエンデュミオンを喚んだ。大魔法使いなら、魔女が出来ない〈再生〉が出来る。死んでさえいなければ、腕でも足でも生やして見せる。それが大魔法使いだ。
トトットトッとヴェスパは足音を立てて〈Langue de chat〉の閲覧室にあるドアから、隣の私設図書館に入った。開館時は引き戸が開けてあるので、そのまま戸口を通り抜ける。
本棚の前や、読書用のソファーに座っている来館者が居るので、そこからは足裏の毛を存分に使って、足音を最小限にして歩く。
孝宏の書いた小説はイシュカが装丁して本にしているが、今のところ限られた本しか國内には出回っていない。黒森之國では本の中身だけを売り出し、各自で好きな装丁をルリユールで行うのが一般的だが、孝宏の本はイシュカの意匠で本の形で売り出されていた。
孝宏の本を読む手段は、リグハーヴスのルリユール〈Langue de chat〉で借りるか、隣接する〈Langue de chat〉私設図書館で借りるかしかない。何故なら、そもそもがルリユールの客が装丁見本として見る為の本だからだ。
孝宏が書き、イシュカが装丁する本はとても美しい。話の系統により表紙の色が異なり、本棚に並ぶさまは虹のようだ。そんな美麗な本にはガッチガチに強烈なエンデュミオンの魔法陣が付与されていて、汚防・破損防止・強制返還などが組み込まれている。
子供の小遣いでも借りられる本は、貸出期間が過ぎれば自動的に図書館へと返還される。この機能があるから、孝宏は移動貸本屋をやろうと言ったのだ。
「こんにちは。師匠中にいる?」
「こんにちは、ヴェスパ。お仕事してますよ」
「お部屋本でいっぱい。気を付けてね」
「うん」
カウンターにいる銀髪交じりの黒髪の人狼の青年と、彼に憑いている白毛に灰色の水玉模様のケットシーに挨拶して、司書室に入る。
「師匠ー、ヴァア!?」
部屋に入るなり、ヴェスパは叫んでしまった。司書室の机をずらして場所を開けた床に敷いた絨毯の上には、色とりどりの本があちこちにうず高く積み上がっていた。その本の中心にエンデュミオンが居て作業している。今にも本が崩れそうで危ない。
「師匠、自分よりも高く積み上げるのは危ないよ! 〈時空鞄〉か〈魔法鞄〉に入れようよ!」
「ん? おお、いつの間に」
ヴェスパの声に顔を上げ、エンデュミオンは黒地に銀糸で、丸くて可愛い雀蜂の刺繍が入った〈魔法鞄〉に、次々と積んであった本を収納した。
「危ない危ない。孝宏に見付かったら叱られるところだった」
ははは、とエンデュミオンが笑っているが、笑い事ではない。身体が柔らかいケットシーなど、重いものにぷちっと潰されてしまう。エンデュミオンなら反射的に防御魔法を展開するかもしれないが、この師匠は時々ポンコツである。
「ヴェスパ達の移動図書館に収納する本を複製していたんだ。空間拡張するから、結構持って行けるぞ。新刊が出たら送るしな」
「師匠、どれだけ広いの、それ」
「うーん、ギルベルトが空間拡張するだろうからなあ……。何年経っても加減と言うものが解らないんだ、ギルベルトは」
元王様ケットシーのギルベルトは、エンデュミオンが幼い時に育ててくれていたらしく、頭が上がらないらしい。いや、言っても無駄というのか。
エンデュミオンが何かやらかしても、ギルベルトが何かやらかしても、エンデュミオンが領主アルフォンスに説明に行っていたという。ヴェスパが〈Langue de chat〉に来るまでにも、色々とあったのだろう。孝宏に訊いた事もあるが、「大魔法使いや王様ケットシーって、魔力量がおかしいから、本人にとっての一寸が一寸じゃないんだと思うんだよねえ」と言っていた。「あと圧倒的に世間知らず」だとも。
〈黒き森〉から五十年出てなかったり、数百年出ていなかったりしている人達なので、さもありなん。ケットシーは主に付けられた名前がないと、〈黒き森〉から出られないのだ。森番小屋に遊びに来ている森住みのケットシーも、そこから街へは決して出てこない。
なぜなら、そのように理で決まっているからだ。
箱馬車を牽く森驢馬は、エンデュミオンと一緒にヴェスパが、カイとロルフェが暮らすハイエルンの人狼の村に行って手に入れて来た。森驢馬を育成している牧場があったのだ。
森驢馬や羊樹は厳密に言えば植物になるのだが、生物でもある。餌は綺麗な水と植物で、排泄はしない。その為愛玩植物として飼う者もいるが、好みの植物があると食べてしまう悪癖がある個体も居て、性格は様々だ。
ヴェスパは灰茶色をした森驢馬の中でも、気性の大人しい、けれども図太い性格の個体を選んだ。なにしろアメリとも過ごすのだ。荒っぽい性格の個体だと困る。そしてヴェスパの持つ魔力に怯えるようでも困る。
ヴェスパが選んだ森驢馬は、ヴェスパとエンデュミオンが二人揃っていても、差し出したラベンダーをご機嫌で食べに来た。その上で手綱を付けて歩いてみても、きちんと言う事を聞いた。
「ヒィーウィー」
森驢馬は一寸変わった鳴き声だった。羊樹よりも二回りばかり大きい。灰茶色の短毛が密集した温かい身体と、フェルトのような鼻先。そして白茶色の蹄を持っていた。羊樹もそうだが、ぬいぐるみが歩いているような感じだ。しかし傀儡とは異なる。
ふんふんとヴェスパの匂いを嗅いで、森驢馬が鼻先を擦り付けてくる。
「うん、相性は良さそうだな。羊樹みたいにエンデュミオンに攻撃しないし、いい子だな。砂糖菓子食べるか?」
「ヒィウ」
エンデュミオンが木型で抜いた小さな砂糖菓子を森驢馬の口に入れてやり、横腹を撫でる。森驢馬が嬉しそうに長い耳をぱたぱたと動かした。
何故かエンデュミオンは羊樹に喧嘩を売られるのだ。例え何もしていなくても。
「師匠、森驢馬ってあんまり寒い所は駄目だよね?」
「植物だから、機嫌が悪くなるな。夜や天気が悪い時は、箱馬車の中に入れてやる方がいいだろう。この子が入る位、広いから大丈夫だ」
「この子を森番小屋の離れに連れて行ってもいいかな? アメリに慣れてもらいたいんだけど」
「家の中で過ごす訓練にもなるしな。餌は〈魔法鞄〉に送ってやろう。薬草畑の周りの草がすぐ伸びるからな。丁度刈り時なんだ」
エンデュミオンとヴェスパは物を送り合える〈魔法鞄〉を一つずつ持っている。一つの魔石を二つに割って〈魔法鞄〉を作成したところ出来た、偶然の産物である。ならばとエンデュミオンは大きな魔石を家族分の数に割り〈魔法鞄〉を作ったので、全員が相互で物をやり取り出来るポーチを持っている。精霊便よりも急ぐ時、〈転移〉が出来ない者が手紙を送るのに役に立つ。
ヴェスパは家族用の〈魔法鞄〉の他に、旅用にエンデュミオンと相互の〈魔法鞄〉も貰ったのだ。主に補給用に使う為だ。村によっては旅行者向けの店がない場合もあるし、森驢馬の餌も用意しなければならない。
〈転移〉すればどこにでも買い物に行けるヴェスパだが、心配性の孝宏が色々と送ってきそうだ。ヴェスパとしても、孝宏の料理やお菓子はたまには食べたい。
「ただいま、アメリ」
「ヒィーウィー」
「お帰り。ヴェスパと……誰?」
森驢馬を連れて、森番小屋の離れに〈転移〉で戻ったヴェスパに、アメリは戸惑った声を出した。
「森驢馬だよ。アメリ、森驢馬の魔力見える?」
「うん。羊樹もだけどね、見える。アメリ思うんだけど、羊樹も森驢馬も、ちょっぴり魔物なんじゃないのかなあ」
「あー、魔植物?」
「そうそう」
〈黒き森〉の他、魔力の濃い森で自生するので、そもそも普通の植物ではない。普通の植物は自意識を持って行動しない。
とすとすと歩いて近付き、森驢馬がアメリの匂いをふんふんと嗅ぐ。鼻をアメリの頭に擦り付けて、「ウィー」と小さく鳴いた。
「ヴェスパ、この子の名前は?」
「まだ付けてない。アメリが決めていいよ」
「この子の名前、イーにする」
「イーか。覚えやすくていいな。イー、手綱外してやるから、好きな所で休んで良いよ。今、お水とご飯用意するから」
ヴェスパはイーから手綱を外してやった。ハイエルンの森驢馬を育成している牧場の売店で買って来た、ブラシで毛並みを整えてから、ぽんと首筋を軽く叩く。
「ヒィウ」
とことこと居間を一周歩き回った後、イーは暖炉の前のラグマットの上に肢を畳んで座った。
「わー、いい場所、解ってる」
暖炉の中の火蜥蜴ラディスラウスが笑う。
「森驢馬は寒いのは苦手なんだって」
「アメリ達も寒いの苦手だもん。森驢馬だって寒いよ。植物冬は枯れるもの」
「そうだね」
ヴェスパはエンデュミオンが入れてくれた、細い麻縄で束ねられた柔らかい草を〈魔法鞄〉から取り出して、桶の中に入れた。草の中にはミントやカモミールなどの薬草も混じっていた。桶を暖炉脇の床の上に置き、陶器のボウルを持って来て水差しから精霊水を満たし、桶の隣に置いた。
「低いかな?」
少し高さが足りないので、踏み台の上に置き直す。旅に出る時も、何か台が要りそうだ。クルト達に、餌桶と水桶が嵌る台を作ってもらおう。
「イー、食事だよ。林檎も食べるか?」
「ウィー!」
イーが弾んだ声で鳴いた。解りやすい。ヴェスパは林檎を食べやすい大きさにナイフで切って、桶の中に入れてやった。
いそいそと起き上がり、イーが桶の前に移動した。桶の中に鼻先を突っ込み、サクサクといい音を立てながら、草や林檎を食べ始める。ミントを噛んだのか、部屋の中にふわりと清涼感のある香りが広がった。
「ヴェスパ、イー可愛いね」
「うん。箱馬車で移動してる時も、夜は中に入れた方がいいって師匠が言ってた」
なんとなく、イーは箱馬車の中でも寛いでしまう性格な気がする。
ヴェスパの予感は的中し、その晩からイーは暖炉の前でクッションを枕に寝るようになったのだった。
クルト……平原族。家具大工の親方。工房の大きさの割に働いている人数が多いかもしれない。実は魔法使いの素質もある。
デニス……平原族。クルトの長男。エッダの弟。大工職人。魔法使いの素質もある。グラッフェンと兄弟同然に育つ。
グラッフェン……ケットシー(鯖白)。大工職人。上級魔法使い。エンデュミオンの実弟。エッダが主。エッダの嫁ぎ先について行っているが、通いで大工をしている。デニスよりちょっぴりお兄さん。
メテオール……北方コボルト。鼻から額に掛けて白い毛並みが走っているのでメテオール(彗星)。大工職人。クルトが主。
スコルピオーン(スコル)……カニンヒェンプーカ。ヴェスパの父。庭師。〈暁の旅団〉流蹴撃師範。なぜか家族の中で、スコルピオーン(蠍)とヴェスパ(雀蜂)だけ物騒な名前である。
ヨナタン……北方コボルト。織子。機織り大好き。カチヤが主。基本インドア。
ファルベン……北方コボルト。染物師。ハイエルンに暮らしている。ヨナタンの兄。腕のいい染物師で、ヨナタンやヴァルブルガ、〈針と紡糸〉のマリアンのお得意様。ヨナタンとカチヤが遊びに来るのを楽しみにしている。五番目の染物屋というのは腕前ではなく、村に染物屋が出来た順番。コボルトの村には染物屋が幾つもあるのが普通。
魔法陣の刺繍……魔法陣魔法が使えて裁縫スキルも高くないと出来ない。エンデュミオンとヴェスパは出来ない。はっきり言って、ヴァルブルガとシュネーバルもしくはこの二人に指導されたものしか出来ない。
羊樹と森驢馬……植物。森に自生する野生種。羊樹はリグハーヴスのほかヴァイツェアなどにもいる。
イー……森驢馬。かなり賢い個体。美味しいものを貰えて、清潔な場所で眠らせてもらえて、ブラシもかけてもらえるのでヴェスパとアメリが大好き。