5 アメリは巡礼に行きたい
生まれてこの方、アメリは我儘を言った事がない。
そもそもの性格が大人しいのもあるが、言葉が理解が出来るようになった時点で、〈不死者〉が街中で安全に暮らせるにはまだ早いと説明していた。
森番小屋の家族や〈Langue de chat〉の住人、ケットシーの里のケットシー達や、領主館のコボルト達にも可愛がられていたので、特に不満も感じていなかったらしい。
教会に行けはしなくても、隠者の庵に居るマヌエルがケットシー達に向けておこなっているミサには、ハシェが温泉治療に行く時に時々参加していた。
アメリが誰も教えもしなかった、古い歌い方の聖歌が歌えるのは、記憶はなくても流石〈不死者〉と言うべきか。
とにもかくにも、そんなアメリの初めてとなる要望「色んな教会に行って聖歌が歌いたい」を、アメリを見守る者全員が叶えるべく動き出したのは、至極当然と言えた。
「『アメリを巡礼に行かせよう準備委員会』を始めよう」
重々しくエンデュミオンが会議の開始を告げた。誰もツッコミを入れない会議名である。
テオとルッツが〈暁の砂漠〉から戻って来た翌日、〈Langue de chat〉の二階の居間に関係者が集まっていた。大家族用の建物である〈Langue de chat〉の居間でも、結構いっぱいいっぱいだ。
「まず大前提として、アメリが巡礼に行くのには、ハシェ達は賛成なんだな?」
アメリは人狼のハシェに憑いているケットシーだ。本来人に憑いている妖精は主から離れないのだが、双方が納得していれば単独で出掛けたりもする。
ハシェは膝に乗せたアメリの頭を撫でながら頷いた。
「うん。アメリが行きたいなら、僕は応援するよ。出来るだけ安全に行けるといいんだけど」
ハシェ自身は旅向きではない身体であり、一緒に行くのは理想的ではない。
「アメリとは、ヴェスパが一緒に行くよ」
ヴェスパは右前肢を上げて立候補する。エンデュミオンは備忘録用の紙に、緑色のインクが入った翡翠色の万年筆で、アメリとヴェスパの名前を書いた。司会と書記を同時進行するらしい。
「巡礼に行くのはアメリとヴェスパと。移動と宿泊をどうするかなんだよなあ。人族の宿に泊まるのは難しいだろう。主に家具の大きさが。父さん達みたいにテントで野営って訳にはいかないし」
フィリップは上級魔法使いでモーリッツは魔道具師で、何かあれば二人共戦える。だがアメリは戦闘スキルはない。〈声〉を使わないアメリは、これといったスキルのないケットシーでしかない。戦闘能力があるのはヴェスパだけだ。そのため、移動中であろうと休憩中であろうと、アメリを守る事を大前提で考えないといけないのだ。
『キャンピングカーは?』
孝宏が日本語で言った。孝宏の母国語は黒森之國語ではないので、咄嗟の時には何年経っても母国語が出てくるらしい。孝宏はすぐに黒森之國語で言い直す。
「ええと、箱馬車のなかに宿泊設備を作ったやつの事なんだけど。ベッドは勿論、台所とかバスルームとか」
「ほう?」
エンデュミオンの黄緑色の瞳がキラリと光る。楽しそうに口元がむふりと膨らみ、髭が広がる。
「いいな。それなら箱馬車を空間拡張してやればいいな。家具はクルト達に頼めばいいか。大きさはグラッフェンやメテオールで解るだろうしな」
クルトは平原族の家具大工で、グラッフェンはエンデュミオンの弟で、メテオールはクルトに憑いている大工コボルトだ。
「台所の焜炉は火じゃなくて、魔法陣で作るといいの。 オーブンはラディスラウスを連れて行けばいいと思うけど」
おっとりとヴァルブルガが指摘した。折れ耳三毛ケットシーのヴァルブルガは、魔女だけあって安全面に厳しい。
「そうだな。火事は怖いからな。箱馬車は……何で牽かせたらいいだろうな。樹羊だと力が足りないように思う。性格も気儘だし」
「坊や、それなら森驢馬にするといい。ハイエルンの〈黒き森〉に自生している。樹羊より大きくて力が強いが穏やかな性格だ」
モーリッツと一緒に樹羊のジルヴィアに凭れて座っていたフィリップが、息子のエンデュミオンとそっくりな鯖虎柄の顔で言った。ちなみにモーリッツは真っ黒で、金と青で左右の眼の色が違う。
「俺がカイとロルフェに聞いてみようか」
カイとロルフェは孝宏の親戚夫夫だ。ロルフェが司祭なので、ハイエルンにある人狼の村の教会に暮らしている。
「森驢馬は樹羊と同じ位の自生率だから、すぐに手に入るだろう」
エンデュミオンは備忘録に、『箱馬車(空間拡張)、ハイエルンの森驢馬』と書き加える。
「それとさ」と孝宏が並んで座っていたヴェスパとアメリに、テーブル越しに身体を乗り出した。なにか面白い事を思いついたのか、一見黒にも見える焦げ茶色の瞳が輝いている。
「二人共巡礼に本を持って行ったりしない?」
「本? 孝宏の?」
ヴェスパは首を傾げた。孝宏は黒森之國に説話集以外で、初めての物語の本を爆誕させた張本人である。〈Langue de chat〉で始めた貸本は、今では隣の建物も使っての私設図書館となっている。
「うん。移動図書館やってみない? 今の所リグハーヴスまで来ないと借りられないけど、巡礼のついでに持って行って貰ったら、他の土地の人も借りられるかなあって。金額や貸出期間は同じで良いと思うんだよね。エンデュミオンの魔法陣で、貸出期間が終われば自動的に返却されるし」
確かに、貸した後にヴェスパ達が他の土地に移動しても問題ない。
「旅の間、ヴェスパ達も読めるでしょ?」
「ヴ」
急ぐ旅でもないし、天気が荒れれば移動出来ない時もあるだろう。孝宏の本があれば、時間が潰せる。
「そうなると、貸出用本棚も作らないとな。テオ、どう思う?」
「アメリを守るのには、箱馬車で行くのはいいと思う。〈守り〉をがっちりつけるんだよね? エンデュミオン」
「ルッツも、ふよするよー」
青黒毛に橙色の錆があるケットシーのルッツと、ルッツを膝に乗せてソファーに座っているテオが楽しそうに言う。
「当然だな。寝ている間も安全なようにしないとな、ヴェスパ」
「ヴ」
ヴェスパは頷いた。アメリが一人で箱馬車の中で留守番する時でも安全でなければならない。
「うん。要塞並みに〈守り〉を付けるんだろうから、いいんじゃないかな。以前に比べて街中でも妖精の姿を見るようになってきたし。カニンヒェンプーカは相変わらず珍しいけれど」
カニンヒェンプーカはヴァイツェア公爵領の樹海の中に暮らしているので、それは仕方がない。カニンヒェンプーカの主は〈暁の旅団〉の族長なので、〈暁の砂漠〉に近い場所から動かないのだ。
「襲ってきた奴はヴェスパが死なない程度に蹴ればいいし。な、ヴェスパ」
「ヴァ! 蹴っ飛ばす!」
テオが良い笑顔を向けて来たので、ふんすとヴェスパは前肢を握った。テオに許可を貰ったのなら遠慮なく不審者を蹴れる。
エンデュミオンが悩まし気に、前肢の黒い肉球で額を押さえた。
「ヴェスパは大魔法使いなんだがな……まあ魔法使いコボルトもまず杖が出るからな……ケットシーは呪うしな。人の事は言えないか」
コボルトは殴り魔法使いである。そしてカニンヒェンプーカのヴェスパは、まず蹴りが出る。魔法よりも先に蹴撃を習っていたのでこればかりは癖である。
「何かあっても喚ばれれば皆が駆け付けるからこれでいいとしよう。室内の内装はヴェスパとアメリの好みにするからいいとして、本棚はどうする? アメリはどんなのが良いと思う?」
「アメリ、可愛いのが良いなあ」
「可愛いのか……」
その場の全員が「可愛い」について暫し考え、沈黙する。アメリの思う可愛いとは?
ぱん、と孝宏が手を打った。
「蜂の巣ってどうかな? 六角形の棚を並べるの。蜂蜜色の木を使って作って、そこに本を数冊ずつ並べるのどうかな」
「にゃ、可愛い」
「それで図書室は箱馬車の横に扉をつけるのどう? 居住区域とは別にして。だけど居住区域からも図書室に入れるようにしたら、ヴェスパ達がお休みの時に外に出なくてもいいよね」
「空間拡張したら可能だな。玄関と居間と寝室とバスルーム、客室も一つくらい要るか。中二階も作れそうだな」
当然のように、エンデュミオンが紙に書き連ねていく。
(それはもう魔改造の域だよね)
そう思ったものの、ヴェスパは黙っていた。エンデュミオンがやらなくても、ギルベルトがやるだろう。過保護の二大巨頭である。
「移動図書館用の本用意しないとね。音読用の栞もだね」
「インクなんかの文房具も少し持って行くか?」
「移動図書館でも限定お菓子売る?」
孝宏やイシュカの提案も、エンデュミオンが紙に書いていく。
「ヴェスパとアメリが箱馬車に入れたい物はなんでも言えよ。今から頼んでもすぐには出来ないし、出掛けるのは春になってからだぞ?」
「あ、雪で埋まる?」
「埋まる埋まる」
リグハーヴスの冬は陸の孤島だった。雪に埋もれてしまうので、春にならなければ出発出来ない。
「春までたっぷり時間がある。箱馬車と中に積む家具類をじっくりと決めよう。布類もヨナタンに好きなものを織ってもらうといい」
「にゃ」
「ヴ」
例え見えなくても、アメリにも色や手触りの好みがある。
「ヨナタン、布見本持ってくるねー」
カチカチと爪を鳴らして、ヨナタンが織り機のある部屋に布見本を取りに行く。それを見送り、ヴァルブルガがハシェに顔を向けた。
「服も用意しないとなの。背守りも入れないと。ヴェスパはエンデュミオンの紋でいいけど、アメリはどうするの? いつものにするの?」
「え、と、どうしよう? 兄さん、うちに紋なんてあるっけ?」
ハシェが困惑した顔になり、兄のクレフに助けを求める。クレフは首から提げていた鎖を引っ張りだした。鎖にはギルドカードの他に、硬貨大の丸くて平たいチャームが付いている。
「お前も付けているこれにうちの紋があるだろう。〈星が散る横向きの狼〉だ」
チャームには横向きの狼の顔の背後に小さな星が幾つか散っている刻印があった。
「じゃあそれと、〈精霊樹と眠る竜〉の刺繍を外套に入れるの。背守りに〈精霊樹と眠る竜〉なの」
〈精霊樹と眠る竜〉はエンデュミオンの紋であり、エンデュミオンの直系弟子の大魔法使いもこの紋を使える。いわば大魔法使いの紋だ。個人紋には〈精霊樹と眠る竜〉に個人を特定するものを付け加える。ヴェスパの個人紋は〈精霊樹と眠る竜と雀蜂〉になる。
背守りに自分以外の紋がある場合、それは後見人の紋となる。アメリに何かあれば、大魔法使いが出て来るという証だ。そう、全ての大魔法使いが。
クルト……平原族。家具大工。メテオールの主。なんやかんやと〈Langue de chat〉の面々の友人をしている。エンデュミオンにかなり気に入られている。グラッフェンの主エッダの父。
メテオール……北方コボルト。大工。クルトが主。ハイエルンの人狼の大工に師事していた。
グラッフェン……ケットシー。大工・魔法使い。エンデュミオンの実弟。エッダが主。兄が大好き。
ラディスラウス……アメリの火蜥蜴。ヴェスパと料理をしているので、やっぱりオーブンはお任せ!
ジルヴィア……モーリッツの愛羊樹。かなり長生き。
カイ・トウノモリ……平原族。異界渡りの先祖返り。孝宏の親戚。漢字で書いたら塔ノ守海。ロルフェの番。子煩悩。
ロルフェ……人狼。金髪で王子様容姿の人狼。カイの番。嫁はカイしかいらないので、王都で司祭の資格をとったら、さっさと村に帰って来た。子煩悩。
私設図書館……このころには隣の建物を買い取って、〈Langue de chat〉私設図書館を作っているようです。
ギルベルト……元王様ケットシー。リュディガーに憑くようになってから森の外に出たので、自由奔放。
紋……貴族だけではなく、平民でも一族の紋を持つ者はいる。個人紋なども作れる。決めたら所属ギルドか教会に登録すると身元確認に使える。王家の紋と大聖堂の紋、エンデュミオンの紋は最強。アメリは四人すべての大魔法使いが後見人なので、手を出すととっても恐ろしい事になる。エンデュミオンの紋を使えるのは直系大魔法使いだけ。〈暁の旅団〉の紋は〈精霊樹と妖精兎〉なので、エンデュミオンの紋に近しいヤバさがある。竜と妖精兎。