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2 アメリは教会に行きたい

少し戻って、旅に出る前のお話です。

「……『その教会は年月を経ていて、とても古く朽ちかけていた。壁は崩れかけ、薔薇窓は割れ、聖堂の屋根にも穴が開き、そこから柔らかな秋の日射しが差し込んでいた。』」

 ヴェスパは〈Langueラング de() chat(シャ)〉から借りて来ている若草色の本を音読していた。一緒に暮らしているアメリは自分で文字を読めないので、二人で寛ぐ時間にはヴェスパが本を声に出して読んでいる。

 実は以前、師匠エンデュミオンと魔道具師モーリッツに協力して貰って、文字の上に乗せると音読する栞大の魔道具を作ったので、それを使えばアメリは自分で本を読める。ヴェスパが仕事をしている時は、魔道具を使って自分で本を読んでいるが、二人で居る時は読んで貰うのを好む。

 音読用の栞はモーリッツが面白がって、複数人の声を採取したので、ヴェスパの声の他にエンデュミオンやルッツ、イシュカ、マヌエルの声などがある。〈Langue de chat〉の貸本顧客にも希望者には貸し出しているが、ホラーを幼いルッツの声で読むとより怖いとか、聖典ビーブルを元司教(ビショフ)マヌエルの声で読むと更に有難いとかまあ人気らしい。視力の落ちた年配者にも好評だ。

 アルスにコボルト(妖精犬)言語で入れてもらったものと、グラッフェンにケットシー(妖精猫)言語で入れてもらったもの、ヴェスパがカニンヒェンプーカ(妖精兎)言語で入れたものもあるが、それぞれの種族かその言語を勉強しているもの、もしくは睡眠導入にはもってこいだと密かに愛用者がいるという。珍しい所では孝宏たかひろが入れた倭之國わのくに語のもあるが、これは倭之國の大使に大変喜ばれた。

 パラパラと窓硝子に当たった硬い霰が音を立てる。窓の外は吹雪で真っ白だ。ここは〈黒き森〉の入口にある森番小屋の離れだ。ここには他に森番小屋の母屋と、鍛冶小屋付きの宿泊用の建物しかない。木立に囲まれてはいるが、冬場は〈黒き森〉にある地下迷宮ダンジョンも閉鎖されるし、森番小屋は陸の孤島となる。

 宿泊用の建物は、地下迷宮から中途半端な時刻に出て来た冒険者の臨時宿泊所なので、夏場でも誰も泊まっていない時の方が多い。

 ヴェスパがリグハーヴス公爵領に来た頃は、馬橇で移動しないといけない距離に、一番近い村があったのだが、今は歩いて行ける場所に漂泊の民の集落がある。生来幸福度が低い人狼一族の漂泊の民がリグハーヴス公爵領に集落を構えるのにはひと悶着あったのだが、「ハイエルンも人狼とコボルトが共同で暮らしているのだし、リグハーヴス側に人狼の集落があってもいいだろう」と、エンデュミオンとリグハーヴス公爵アルフォンスが許可を出した。王様ケットシーも〈黒き森〉の浅い場所に集落を作るのに賛成したので、防風林程度の浅い木立の向こうに集落があるのだ。

 ハイエルンと異なるのは、リグハーヴス固有種のケットシーは、基本的には簡単に里に人を入れない事だろう。樹海を突破し、ケットシーに害意のないものしか里に入れない。

 ……その筈なのだが、〈Langue de chat〉だけは別だ。エンデュミオンの温室からケットシーの里に行ける。他にも、エンデュミオンと孝宏の寝室の奥にあるヴェスパの寝室経由で、ヴァイツェア公爵領にある緑の冠岩にも行ける。

 緑の冠岩は円形の岩壁に囲まれたエンデュミオンの私有地で、薬草師なら垂涎の森がある。その森の管理をヴェスパの家族が任されている。カニンヒェンプーカは基本スキルに庭師がある。ヴェスパと次兄のシャムロック以外は、主に庭師を生業にしていた。

「もう少し、お部屋、温かくする?」

 暖炉の熱鉱石を乗せた灰の上にいる明るい蜜柑色の火蜥蜴サラマンダーラディスラウスがこてりと頭を傾げた。

 ラディスラウスはいつも笑ったような顔をしている火蜥蜴だ。この離れを建てる時に、火の妖精(サラマンダー)の長ルー・フェイに頼んで、火の管理とアメリの守りの為に来てもらった。だから正確には、ヴェスパはアメリとラディスラウスと一緒に離れで暮らしている。

 暖炉脇の窪みに作った、クッションを敷き詰めたベンチに座っていたヴェスパは、隣に並んで座っていたアメリに確認する。

「ヴェスパは寒くないかな。アメリ寒い?」

「ううん、アメリも寒くないから大丈夫」

 ヴェスパもアメリも全身毛で覆われているし、この建物は新しいので断熱性も高い。ヴェスパが独立する時に、エンデュミオンが過去に怪我を治したという大工達が張り切って建ててくれたのだ。大魔法使い(マイスター)が治療したというのなら、かなりの重傷だったのだろうと、エンデュミオンに後で聞いたら、「潰れた脚を再生させた」と言っていた。げに有難きは大魔法使いの師匠ししょーである。

「ね、ヴェスパ」

「ヴ?」

「アメリ、教会キァヒェに行ってみたいなあ」

「ヴァ~?」

 ヴェスパは本に栞を挟んで閉じ、傍らに置いた。

 アメリは〈不死者〉だ。生まれながら持っている能力から、アメリは今まで〈Langue de chat〉位しか出掛けていないという。誕生の洗礼も、エンデュミオンの温室で受けたらしい。

 アメリは今世はケットシーだが、叡智を持っている訳ではない。〈不死者〉は生まれ変わる時に、前世の記憶を失うからだ。

〈不死者〉は発見されれば大概は教会に保護される。しかし悪人に囚われた場合は、大抵長生き出来ない。そして本来白い姿で産まれる〈不死者〉は、前世の行いによっては灰色や黒が混じる。そうなれば教会でも保護されない。

 アメリは偶然、森番小屋の前に出現して保護された。親代わりの人狼ハシェに憑き、穏やかな生活をしていた。それがだ。

「教会?」

「にゃ。行ってみたいの」

「……ヴァ」

 お願いされてヴェスパは返事に困った。これはヴェスパだけでは決められない。ハシェの許可を得る前に、安全に教会に行けるかどうかを確定させないといけない。

「……まず師匠ししょーに訊いてみようか。出掛けるって母屋に言って来るね。おいしょ」

 ヴェスパはニッチから床に下りた。そのままトテトテと歩いて母屋へのドアを開けた。離れと母屋は短い廊下で繋がっているのだ。ヴェスパ達の暮らす離れも、建物自体は人族も使える大きさで作られている。ドアは上下二枚組で、妖精は下のドアだけを開けて利用する。

「ハシェー! アメリと〈Langue de chat〉行って来るー!」

 ハシェは母屋で、森番ヘルマンに憑いている魔女コボルトのエンツィアンと一緒に診療所をしている。とはいえ、冬場の森番小屋は陸の孤島なので、近場の村から診療依頼の精霊ジンニー便がくれば二人で〈転移〉で往診に行っている。

「ハシェとエンツィアンは往診だよ」

 母屋のドアを開けて言い放ったヴェスパに答えたのは、鍛冶師をしているハシェの兄のクレフだった。ヘルマンと一緒に、暖炉の前で数人のケットシー達にブラシを掛けていたようだ。ケットシー達は遊びに来たものの吹雪になったので、そのまま居座っているのだろう。

「吹雪だけど大丈夫かい?」

 ヘルマンが膝に乗って来た幼いケットシーを撫でながら訊いてきた。クレフとヘルマンは、冬の間は結構ケットシーに子守を頼まれている気がする。

「〈扉〉で行くから大丈夫」

「気を付けてね」

「ヴ、行って来る」

 前肢を振り、ヴェスパは離れに戻る。

「にゃにゃ~」

「アメリ、お待たせ。踏み台あるからね」

「にゃ」

 ケットシー言語で歌を歌いながら待っていたアメリの前肢を引いて、ニッチから下ろす。そして一緒にヴェスパの研究室がある中二階への階段の陰にあるドアの前まで移動する。妖精しか通り抜けられない大きさのこのドアは、ヴァイツェア公爵領にある緑の冠岩に繋がっている。正確には、緑の冠岩のエンデュミオンの別宅に。

 エンデュミオンの別宅とヴェスパの実家は隣接してあり、これまた廊下で繋がっている。

 緑の冠岩に入った場所は、ヴェスパ達兄弟の部屋がある廊下だ。〈Langue de chat〉にいくには、丸みのある雀蜂ヴェスパの飾り彫りのある札が掛かったヴェスパの部屋を経由する。

 ちなみに白詰草シャムロックの飾り彫りの札がある次兄シャムロックの部屋を経由すると、彼の修行先である〈薬草ハーブ飴玉(ボンボン)〉に行ける。

 キイ、とドアを開けると、見慣れた部屋に出る。ヴェスパが独立したものの、泊まりに来た時の為にと、部屋をそのままにしてくれているのだ。

 この部屋はヴァイツェア公爵領にあるので、窓の外は雪ではなく雨が降っていた。丸い緑色のドアを開けて孝宏《孝宏》とエンデュミオンの寝室に出れば、リグハーヴスであるこちらの部屋の窓の外は真っ白に吹雪いていた。〈扉〉という魔法陣マギラッド魔法で、空間を繋げているのだ。こんな事を出来るのは、上級の魔法陣魔法を使える魔法使い(ウィザード)コボルトや魔法使いケットシー、そして大魔法使い(マイスター)位だ。

 孝宏とエンデュミオンの寝室には誰も居らず、そのままドアが開けられていた廊下に出る。こうしてヴェスパが来る事もあるので、大抵ドアを開けておいてくれるのだ。

「美味しい匂いするねー」

 ふんふんとアメリが匂いを嗅ぐ。

〈Langue de chat〉ではいつだって革とインク、そして料理やお菓子の匂いに包まれている。

「孝宏、お菓子焼いてるのかな」

 お昼が近いので、いい香りにお腹が空いて来る。

 実家よりも長く修業時代を長く過ごした〈Langue de chat〉は、まさしくヴェスパの第二の実家だった。



イシュカ……平原族。ルリユール〈Langue de chat〉の親方。


マヌエル……平原族。元司教。現在は隠者としてケットシーの里の隠者の庵で暮らす。


アルス……北方コボルト。領主館の司書・写本師。コボルト言語でのみ会話する。


グラッフェン……ケットシー。大工・魔法使い。エンデュミオンの弟。エッダが主。


アルフォンス・リグハーヴス……平原族。リグハーヴス公爵。虚弱。


シャムロック……カニンヒェンプーカ。ヴェスパの次兄。薬草師。ラルスの弟子。


ラディスラウス……アメリの火蜥蜴。


ルー・フェイ……火の妖精(火蜥蜴)の長。


ハシェ……漂白の民(人狼)。魔女。クレフの弟。


クレフ……漂泊の民(人狼)。鍛冶師。ハシェの兄。


ヘルマン……採掘族。森番小屋の主。エンツィアンの主。


エンツィアン……北方コボルト。魔女。ヘルマンが主。シュネーバルの次兄。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ヴェスパは独立してアメリと森番小屋の離れに住んでるんですね。 アメリは確かに教会に行ってませんでしたね。 なんで行きたいんだろー?など、続きが気になります。 [気になる点] ヴェスパ達の暮…
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