12 終の家(中)
〈終の家〉に暮らしているのは、数人の採掘族の老人たちと、教会の聖務と彼らの世話をする司祭と修道士たちとコボルトらしい。
二階建ての建物の一階には居心地の良さそうな暖炉付きの居間があって、そこで寛いでいた老人たちにヴェスパ達は歓迎された。老人に可愛がられるルッツが、お気に入りの場所に指定する訳だ。
「わうー」
居間にいた北方コボルトがレニを見て駆け寄って来た。ラインハルトが寄って来たコボルトの頭を撫でる。
「この子は僕に憑いている子でアンゼルムです」
アンゼルムは修道服を着ておらず、シャツとベストにズボンを履いている。つまり聖職者コボルトではない。家事コボルトのようだ。
「ヴェスパ」
「アメリ」
「レニ!」
「アンゼルム!」
お互いに片前肢を上げて挨拶をする。アンゼルムはヴェスパ立ちよりも年上の個体だった。
「これ御茶菓子にどうぞ」
ヴェスパは〈時空鞄〉から大きなクッキー缶を取り出してアンゼルムに渡した。
「有難う! わあ、綺麗な缶」
「あれ? この紋って……〈Langue de chat〉?」
アンゼルムの後ろから覗き込んだラインハルトが呟く。
「ヴェスパ達はリグハーヴスの〈Langue de chat〉の移動貸本屋さんだよ」
「そうなんですか?」
「貸本屋じゃと!?」
ラインハルトの声に被って、居間のソファーに座っていた老人たちが腰を浮かした。
「興味があるならあとでお店開くよ」
「お願いします。まずはお茶にしましょうか。アンゼルム」
「はーい」
お茶の支度を家事コボルトは譲らない。クッキー缶を抱えていそいそとお茶の道具があるコボルト用の簡易台所へと向かっていった。
「ほれ、こっちにおいで」
横長のソファーに座っていた、採掘族の老人が手招きする。
「レニ、アメリを頼む。ヴェスパはイーの手綱を外すから」
「わう」
レニがアメリと前肢を繋いでソファーに向かう。ヴェスパはイーから手綱を外してやった。ぽんと首筋を叩くと、イーは空いていた暖炉の前に行き座り込む。
「森驢馬を撫でてもいいかね」
「ヴ、いいよ」
いそいそとイーの側に行く老人二人は森驢馬好きらしい。にこにことイーの首筋を撫でている。
「ウィ」
「良く育てられた森驢馬だ。俺も昔森驢馬を育てていてね」
「儂は馬を育てていたんだよ。ここには馬が一頭しかいないから、あっと言う間に世話が終わっちまう」
どうやら引退していても、馬が居れば世話をしてしまうらしい。森驢馬を育てていたのはヨッヘルで、馬を育てていたのはベルツと言う名前の採掘族の老人だった。
アメリとレニはソファーにいた老人二人に、それぞれ抱き上げて座らせてもらったようだ。
この居間には五人の採掘族の老人が居た。窓辺の一人掛けソファーに座っている老人は、採掘族としては細身だ。森番小屋のヘルマンもそうだが珍しい。先祖に平原族がいたりすると、体格が先祖返りするのだろう。黒森之國は人狼の例外を除き、母体優先で種族が決まる。
それにしても、彼が時折咳をしているのが気になる。
「カニンヒェンプーカとは珍しいのう。ヴァイツェアに居るんじゃなかったか?」
アメリの隣にいる採掘族の老人には髭がなく、体内魔力を多く感じた。魔法使いだろう。採掘族には珍しいがいない訳ではない。
「うん。ヴェスパが産まれたのはヴァイツェアだよ。修行先がリグハーヴスだった」
「ほう」
「ヘア・ツェーザル、その子は大魔法使いヴェスパです」
パウンドケーキのような焼き菓子の皿を持って来たラインハルトが言う。アンゼルムもおもたせのクッキーを皿に並べて持ってくる。
「ほ。大魔法使いかね。リグハーヴスの大魔法使いなら、師匠はエンデュミオンかい」
「ヴ。ツェーザル、師匠に会った事ある?」
「昔なあ。エンデュミオンは覚えてなかろうよ」
「そうかな?」
会話をしていて特徴的な魔力を持つものならば、エンデュミオンは覚えている気がする。採掘族の魔法使いは珍しいのだし。
「レニだよ。この子はツィロだよ」
レニは隣にいる老人に話し掛けていた。なかなか強面の採掘族なのだが、レニはルッツと感性が似ているのか物おじしない。
「儂はドミニクだ。ふうむ、この子は人形かね」
ドミニクがふよふよ浮かんでいるツィロを指で突く。
「編みぐるみなんだって。ヴァルブルガが作ったんだって」
「ヴァルブルガというと魔女のか」
「魔女みたい。レニ、まだ会ってない」
「ヴァルブルガは昔ハイエルンに居たんだぞ」
わしわしとレニの頭をドミニクが分厚い掌で撫でる。節くれだった太い指に厚い掌。ドミニクは元鍛冶師だろう。
「お茶だよー」
「有難う」
アンゼルムがマグカップを持って来て、アメリが前肢を出す。
「アンゼルム、アメリにコップ持たせてあげてくれるか? コップは見えないんだ」
「はーい。どうぞー」
アンゼルムがアメリにマグカップを持たせてから前肢を放す。
「見えないのかね」
「アメリ、生まれつき見えない。でも魔力は見える。今日の恵みに」
ツェーザルに頷いて、飲み頃温度になっていたミルクティーを、アメリが美味しそうに舐める。
アンゼルムがお茶のマグカップを配っていく。窓際の老人に、アンゼルムが蜂蜜玉の小瓶を見せた。
「はい、デリンガー。蜂蜜入れる?」
「有難う。くれるかい?」
咳をしているのはデリンガーという名前だった。
「デリンガー、さっきから咳をしているな。いいものがあるぞ」
ヴェスパは〈時空鞄〉から、霊峰蜂蜜と妖精鈴花の砂糖漬けの瓶を取り出した。妖精鈴花はエンデュミオンの薬草畑で育てられているので、リグハーヴスの妖精達はいつでも手に入る。
はい、と差し出された物を見て、デリンガーとアンゼルムが固まる。震える前肢で、アンゼルムが妖精鈴花の瓶を取る。
「霊峰蜂蜜はハイエルンでも手に入るけど、これ妖精鈴花じゃないの? 前にルッツもくれたんだけど、何か教えてくれなくて調べたんだよ」
「うん。リグハーヴスだと霊峰蜂蜜の方が手に入らないんだけど。珍しいんだけど珍しくないから大丈夫」
「何が大丈夫なの!? 買うと高いんだよ、これ!」
「リグハーヴスだとこれでお金を貰わないんだ。エンデュミオンが管理しているし、大魔法使いは魔女の免許がないから」
「いやいやいや」と何故かリグハーヴスの妖精達以外の全員が声を上げた。何故だ。
「でもデリンガーの、風邪じゃないよね?」
ヴェスパの質問に、けほっと軽く咳き込みながらデリンガーが答えた。
「これは昔患った鉱山風邪の後遺症なんだよ。治りきらなくてね。誰かに移ったりはしないんだけれど」
「それもう少し良くなるんじゃないかなあ。診てもらう?」
「何度か魔女に診てもらったんだよ?」
恐らく魔女は出来る限りの事をしただろう。そしてその処置も問題ない。それでも治りきらないのなら、手に入れられない薬だったという事だ。よろしい、ならば奥の手を喚ぼう。
「師匠ー、ヴァルブルガー」
ヴェスパはエンデュミオンとヴァルブルガに呼び掛けた。
「は!?」
「何喚んでるんだ!?」
「大丈夫大丈夫」
慌てる老人たちに、ヴェスパはひらひらと前肢を振った。患者を見付けて何もしなかった方が怒られる。
「呼んだかー?」
「どうしたの?」
ポンとその場にエンデュミオンがヴァルブルガを連れて〈転移〉して現れた。エンデュミオンが、さっと室内を見回し「ここはどこだ?」と聞く。
「泊まってた休憩所に一番近い教会だよ、師匠。ここは教会附属の〈終の家〉」
「まだお迎えが来そうにない面子だな」
はははと笑いながら、エンデュミオンがツェーザルの前に歩く。
「ツェーザルか。昔ハイエルンの魔法使いギルドのギルド長だっただろう。採掘族だが魔力量が多かったな」
「いやいやいや」
ツェーザルが自分の顔をつるりと撫でた。
「エンデュミオンか、本当に」
「エンデュミオンだ。随分と久しいな。昔馴染みはマヌエル位しか残っていないと思ったが、まだ生きていたか」
「採掘族もそれなりに寿命が長いわい」
「そうだったな、健在で何よりだ。ヴェスパ、誰が患者だ?」
「デリンガー。鉱山風邪の後遺症があるんだって。ヴァルブルガ、診察よろしく」
ヴェスパはデリンガーを前肢で示した。
「デリンガーはヴァルブルガが見た事がない患者さんなの。ヴァルブルガは鉱山の方には住んでなかったから」
「診療所があったのは、街の方だったな」
ドミニクが短く手入れされた髭を撫でながら言った。くるりとドミニクを振り返り、ヴァルブルガが緑色の目を細めた。
「ドミニク、お酒飲むの止めた?」
「うっ、言われた通りに止めてるぞ。祝いの時に一寸飲むくらいだぞ。まだ生きているのが証拠だわい」
「うん」
頷いて、ヴァルブルガがデリンガーの居るソファーによじ登ろうとして上がれず、エンデュミオンがお尻を押し上げてやる。相変わらず、ヴァルブルガは運動能力が低い。
エンデュミオンはヴァルブルガの診療鞄から紙挟みに挟んだカルテを取り出し、万年筆を持つ。
「診察するの。お口開けてね」
ヴァルブルガが手際よく、かつやんわりとした雰囲気でデリンガーを診察していく。胸に折れ耳を押し当てて、鼻の頭に皺を寄せる。余り良くなかったらしい。
「霊峰蜂蜜と妖精鈴花が要るの」と呟くので、ヴェスパは「それはもうアンゼルムに渡したよ」と答えた。
「霊峰蜂蜜と妖精鈴花は発作が起きた時に使うと楽になるの。でも根本的治療としては弱いから、エンデュミオン」
「ほら」
ヴァルブルガが差し出した前肢に、エンデュミオンが白い小瓶を渡した。
「この薬を精霊水で希釈して飲ませてあげてね。今じゃなくて寝る前に。用法容量は書いて渡すから」
「ここ精霊水湧いていないよ」
へにょ、とアンゼルムの耳が垂れる。
「ハイエルンは精霊水が街中では湧いていないんだったな」
「普通そこらへんに湧かない」
エンデュミオンにアンゼルムが呆れた声で言う。生憎とリグハーヴスだとそこらへんで湧いている。エンデュミオンやギルベルトがやらかしたからだ。
「アンゼルム、水差し頂戴」
「水差し? 空だけどいい?」
アンゼルムが〈時空鞄〉からにゅっと白い陶器の水差しを取り出す。ヴェスパが受け取り、エンデュミオンに向けて持つ。
「はい、師匠」
「ほれ」
エンデュミオンがひょいひょいと宙に魔法陣を描いて水差しに飛ばした。ふわりと水差しが一瞬銀色に輝く。
「これで精霊水が湧くようになったからな」
「いやいやいや、何してるの!?」
「アンゼルム、気にしたら負けだよ」
ヴェスパはアンゼルムに水差しを渡した。水差しを抱えてアンゼルムが喚く。
「ヴェスパの師匠どうなってるの!?」
「必要なのにないんだから仕方がないだろう。ずっと精霊水が湧くから、茶でも料理にでも使え。美味くなるぞ」
「わうぅ、有難う」
家事コボルトにとっては殺し文句だろう。アンゼルムが〈時空鞄〉に水差しを収める。
「はい、お薬受け取って。飲ませてあげてね」
「有難うございます」
恐る恐るラインハルトがヴァルブルガから白い小瓶を受け取る。
「ところでこの白い小瓶の薬ってなんですか?」
「蘇生薬」
「いやいやいや。幾らすると思っているんですか!」
当然の反応に、ヴェスパはラインハルトの膝を叩いた。
「それ師匠が出したものだから、お金かからない。大魔法使いは魔女の免許ないから。薬出しても、お金貰えない」
「適用外利用だしな。使用報告書は書いてもらうぞ」
ニヤリとエンデュミオンが笑った。
「え?」
「なるほど、ちゃんと魔女が診察しても、薬を持ち出したのは大魔法使いだから、か」
ツェーザルが「抜け道か」と笑う。
「使える物を使わねば、意味がなかろう」
大魔法使いは全員魔女の技を修めてはいるが、魔女の資格を取らない。魔女だと行えない範囲の〈治癒〉を使う為の抜け道として。魔女は切り離されたものをくっつけるが、大魔法使いはないものを生やせる。そういう違いだ。
エンデュミオンが鼻を鳴らす。
「ルッツがここに来ているなら、魔女を呼ぶか聞かれただろう。断ったのか」
「これ以上は良くならないと言われていたのでね。あの子はここに来る度〈治癒〉を掛けてくれましたけれど」
ルッツの〈治癒〉は中程度の威力だ。デリンガーに断られたからヴァルブルガを呼べずに、会った時には〈治癒〉を掛けたのだろう。すぐに命に関わる状態なら、問答無用でヴァルブルガかシュネーバルを呼んだに違いない。
「あれは優しい子供だから、心配をさせるな」
「そうですね。次にあった時には、謝ってお礼を言わないと」
デリンガーが膝に乗ったままだったヴァルブルガの丸い頭を撫でた。きっとルッツもここに来た時には、そうやってデリンガーに撫でてもらっているのだろう。
人族よりも妖精は長く生きる。人族には人族の寿命と生き方がある。ルッツはそれをちゃんと知っている。
幼くても、大事な事は知っている。
ヴェスパの師匠は相変わらずです。
アメリは慣れているので突っ込まない。
ヴェスパは魔女の研修は、ちゃんとヴァルブルガからも受けてます。




