「ごめんね。あなたの旦那様を略奪しちゃった」宣言をした、姉の末路~お姉様、元旦那様。どうかおしあわせに~
「サエ、ごめんね。あなたの旦那様を略奪しちゃった。ほんとうにごめんね」
五年ぶりに会った三歳上の姉ケイティは、ランスフィールド侯爵領ですごすわたしの目の前に現れた途端、一方的にそう謝罪した。
その腹部は、臨月かと思えるほど大きくなっている。
美貌の持ち主でスタイル抜群の姉は、つねにダイエットをしていて、世間一般のレディが理想としている体型を維持していた。
その姉が、「太っ腹母さん」路線でガンガン攻めようとでもいう大きな心境の変化でもないかぎり、この大きなお腹は妊娠していると推測せざるをえない。
「サエ、ごめんね」
姉は、黙っているわたしに何度も「ごめんね」を繰り返している。
その「ごめんね」というフレーズは、姉のお決まりの台詞だ。彼女がバカのひとつ覚えみたいに使う言葉である。
物心ついたときから、どれだけそのフレーズをきかされたことか。
結婚してこのランスフィールド侯爵領にやって来て、その姉の「ごめんね」の呪縛からようやく逃れることが出来た。
それなのに、また現れた。
たったの五年である。
イヤな予感はしないし、いい兆しはあるわけはない。
ただただうんざりしてしまう。
結局、姉は「ごめんね」を押し通す。理不尽に振りかざした「ごめんね」は、なかったことにはけっしてしない。
そして、わたしはその姉の「ごめんね」を許さなければならない。というか、許すことが当たり前になっている。
バカな姉には、常識や世の理は通用しない。わたしとは住む世界の違う彼女は、こちらがなにをいおうと理解出来ない。いや、理解しようとしない。
なにより、彼女と関わることがめちゃくちゃ面倒くさくてならない。
「サエ、ごめんね」
姉が「ごめんね」を呪文のごとく十回以上唱えたタイミングで、馬車から男性が降りてきた。
彼は、こちらにまっすぐ向ってきた。
わたしが、ジッと見守る中、彼はこちらを見ようとしない。ぜったいに視線を合わせようとしない。
その濁りきった碧眼には、いったいなにが映っているのだろう。なにを見たいのだろう。
と、そんなどうでもいいことを考えてしまう。
そして、彼は姉の横に立つと彼女の肩をやさしく抱いた。
「サエ、ごめんね」
推測や悟りは必要ない。
すでに聞き飽きた「ごめんね」。
これまでと同様である。
まぁさすがに、これは過去最大のヤラカシだけれど。
知れず、溜息が出てしまった。
もはや姉にたいして驚くとか嫉妬とか諦めとか、そういう感情はわいてこない。慣れすぎていて自分の中で自動的に受け入れる。
だけど、残念ではある。
なにがって?
ランスフィールド侯爵領の経営が出来なくなってしまうことが、である。
(だけどまぁ、実家の管理をすればいいわ)
そう前向きに考えるようにする。
姉と男性に背を向けた。それから、ランスフィールド侯爵邸へと歩き始めた。
荷物をまとめる為に。
こうなったら今日中に王都へ帰ろう。五年ぶりに実家に帰るのである。
「お姉様、元旦那様。略奪婚でおしあわせにね」
わたしのつぶやきは、地面に落ちていった。
それは、やっかみとか悔しまぎれとかではけっしてない。
心の底からの気持ちだった。
わたしは、婚儀の席で会って以来一度も会ったことのなかった夫を略奪された。
ある晴れた日、姉のケイティに夫を略奪された。
二年後
わたしの実家であるパーカー伯爵家は、このメイフォード王国に数ある伯爵家の中でも上位に入る名家中の名家である。
現パーカー伯爵、つまりわたしのお父様には、姉のケイティとわたししか子どもがいない。伯爵位と当主の座を継ぐべく息子がいない為、本来なら姉のケイティが婿養子を迎えるか、ケイティ自身が継ぐはずだった。
次女のわたしは、いわゆる政略というかお付き合いというか、とにかく親どうしが決めた「運命の婚約者」と結婚しなければならなかった。その相手というのが、ランスフィールド侯爵子息だった。
わたしは、彼に嫁いだ。
こういうすべての結婚がというわけではないけれど、すくなくともランスフィールド侯爵子息とわたしの間に愛など存在しなかった。それどころか、友情さえなかった。それをいうなら、付き合いさえなかった。さらにいうと、知り合い程度という間柄でもなかった。
彼とわたしは、まったくの赤の他人といっても過言ではなかった。
そもそも、彼とは婚儀の席で初めて会った。それはもう美貌の持ち主で、キラキラ光っていて容貌は素敵すぎた。
が、彼はただそれだけの男だった。
彼とは、言葉さえろくに交わさなかった。彼は、ただ「きみは、えっと……」と言っただけだった。
初対面で恥ずかしさによるものではない。彼の性質が内気だとか人見知りが激しいとかでもない。
はっきりクッキリすっきり表現すると、彼は中身のないバカだからである。
婚儀の席でのその一瞬で、彼の人となりが知れた。彼の頭と精神は、外見ほどキラキラしたものではないのだ。
彼は、その一瞬の後花嫁のわたしの姉ケイティとずっと仲良く話をしていた。というか、イチャイチャしていた。
考えたり推測するまでもない。
姉ケイティの略奪婚は、そのときからカウントダウンが始まっていたのだ。というか、始動したのだ。
婚儀が終わると、わたしはランスフィールド侯爵領へひっこんだ。そして、わたしの夫であるはずのランスフィールド侯爵子息は、王都に残った。
いきなり、別居生活が始まったのだ。
とはいえ、わたしはかの地で思う存分楽しんだ。
領地経営や侯爵家の管理を全力で行ったのだ。それはもう、楽しくて楽しくて仕方がなかった。毎日が驚きとうれしさとドキドキわくわくに満ちていた。
ランスフィールド侯爵領では、農業、牧畜業、林業、漁業がおこなわれていて、鉱山をも有している。
収穫や採取量を増やしただけではない。積極的に改良や開拓や発掘を行った。それ以外にも、領民みんなが健康で安定した生活が送れるよう、病院や学校や労働組合などを充実させた。さらには、自国他国の商人たちと領地内の物資を取引して利益を上げた。
もちろん、税の支払いなどやるべきことや義務はきちんとやった。
わたしが嫁ぐまでは、ランスフィールド侯爵家の管理はめちゃくちゃだった。病弱な上にやる気のない義父母や私腹を肥す管理人や執事たちが、取り返しのつかないくらいめちゃくちゃにしてしまっていたのだ。
まず、彼らから対処した。そして、一からやり直した。
もちろん、結果はついてきた。
多大な利益を上げ、領地のみんなもそこそこの生活を送ることが出来るようになった。
その結果は、わたしの満足のいくところだった。
が、突然ご無沙汰しすぎていた夫に離縁された。というよりか、姉のケイティが略奪してしまった。
どうでもいいわたしの夫を、である。
出戻り? 夫を略奪された哀れなレディ?
なんでもいいけれど、離縁されたわたしは、とりあえず王都の実家に戻って傷心を癒した。傷つき疲れた心身を慰め大切にした。
なーんてことはない。
ひさしぶりの喧騒や刺激を心から楽しんだ。
それどころか、お父様にねだって手伝いをさせてもらった。
パーカー伯爵家の管理、それから商売を。
パーカー伯爵家は、このメイフォード王国でも一、二位を争う商売人。わたしは、さらに商売の手を伸ばすことにし、帰宅した翌日から諸外国をまわり始めた。
売り買いは、領地経営とはまた違った面白さがある。
もともとランスフィールド侯爵子息に嫁ぐまでは、経営学を完璧に学んだ。レディでは初めてになるマスターのスキルを取得するという栄誉を授かった。その上で、実際お父様の手伝いをしていた。だから、嫁いでいた間のブランクがあってもないようなものである。
わたしは、お父様曰く「おまえは、ヘビのような陰湿さと獅子のような激しさと狐のような狡猾さを持つ大商売人」らしい。
というわけで、諸外国での商売も軌道にのった。そうそう。ランスフィールド侯爵家の鉱山は、わたしがまだ一応侯爵夫人だった際に会社を立ち上げ、全権利をパーカー伯爵家の名義で買い取っている。その為、鉱山で産出される大量の鉱石も、商売することが出来る。それだけでもかなりの利益を上げていることはいうまでもない。
(もしかして、わたしには将来を見通す能力があるのかしら?)
もちろん、わたしにはいまはもう存在自体忘れられた聖女のような力はない。しかし、もしかすると商売人としてのセンスはあるのかもしれない。
などと自画自賛する暇があるのなら、さらなる商売をしたい。それから、あらゆる慈善活動も。
人間には持って生まれた分というものがある。それは、努力や才能で多少かわるかもしれない。が、それほど大きくはかわらない。人間、持って生まれた自分の分以上のものは持てない。つまり、わたし自身も定められた分以上のものを得ることは出来ない。
自分の分以上のものは、だれかと享受したり分け合ったりする。
けっして分不相応な野心を抱いてはならない。身の丈のほどをわきまえなければならない。
それは、お父様とお母様から言われたことを元にした、というかパーカー伯爵家の初代当主である大商人アート老が唱えた持論を参考にした、わたしの子どもの頃からの持論。
というわけで、うちは先祖代々慈善活動に熱心というわけ。
もっとも、商売敵や他の貴族たちからは、「傲慢な自己満足家」とか「ケチな偽善家」などと呼ばれているけれど。
ひさしぶりに実家に戻ってきた。
有意義で実りのある出張だった。
子どもの頃から使っていた部屋は、そのままそっくり残してくれている。
両親にしてみれば、わたしがいつ離縁されてもいいように、あるいは追いだされてもいいように、と予想した上で配慮してくれたのだろう。
まぁ、当たっていたけれど。
いずれにせよ、実家に遊びに帰るということは充分ありえた。とくに元夫は、ずっと王都にいた。わたしだけがランスフィールド侯爵領にいた。もしかすると、息抜きに帰ってくることはあったかもしれない。そういうことを想定し、部屋をそのまま残していてくれただけでなく、いつ使用してもいいようにつねに掃除をしてくれていた。
だから、いまもこうして快適に使うことが出来ている。
あれから二年。あっという間すぎて、離縁されたことなど気に病む暇もなかった。
もっとも、暇があっても気に病まなかっただろうけれど。
それはともかく、帰国して数日はお疲れ休みを取ろうと思っていた。
そう決意した矢先、それが出来なくなった。
なぜなら、またやって来たからである。
「サエ、ごめんね」
姉のケイティである。彼女がまた、わたしの前に現れたのである。
二年前とはすっかりかわった姿で。
ボロボロのドレスに身を包み、髪はほつれまくってバラバラの状態。自慢の美貌は、化粧っ気がないどころか汚れるに任せている。高いヒールしか履いたことのない足には、草履のようなものがまとわりついている。
『ごめんね』
そう言った声は、ガラガラで聞き取りにくかった。
彼女は、控えめにいってもボロボロである。前回わたしの前に現れたときとは見る影もない。
まるで別人である?
可哀そうで見ていられない? 落ちぶれっぷりを笑ってやりたい?
そのあまりの激変ぶりは、「ザマァみろ」と蔑み嘲笑うだけでは足りないくらいである。
だからというわけではないけれど、嘲笑を浮かべつつしっかり見てやった。それこそ、彼女の頭の先から足の先まで、穴があくほど見てやった。
とにかく、彼女が居心地悪くなるくらいとことん見てやった。
「サエ、ごめんね。あなたの旦那、死んだの。ほんとうにごめんね」
彼女は、居心地悪そうに身じろぎしてからガラガラ声でおきまりの台詞を言った。
ちっとも悪びれず。それから、恥じることなく。
「旦那? あぁ元旦那、ですね。わたし、彼に離縁されましたので。略奪婚をされましたので関係ありません」
笑顔を添え、事実を思い出させる。
「死んだのよ。毒を飲まされる前、バカみたいに泣きじゃくっていたわ。『こんなはずじゃなかった。こんなことなら離縁するんじゃなかった』って言っていたわ」
ケイティは、わたしを無視して一方的に続ける。
「それは、わたしの台詞よね? 違う? 顔がいいだけのバカの子を身籠るのに、いろいろ計算しなきゃならなかった。もっとも、計算があっていたかどうかはわからないけれど。ほら、わたしって紳士たちに愛されることが多いから、スキンシップやエクササイズが激しいでしょう? それはともかく、とにかくバカは死んじゃった。というか、殺されちゃった。バカの子を産んだら、バカの両親はわたしを屋敷から放り出したのよ。ひどいったらありゃしない。だから、行く先々のバカな紳士たちに助けてもらいながら、やっとここに戻ってこれたわけ」
ケイティは、往年の美しさなどかけらも残っていないボロボロの顔に、なんともいえない笑みを浮かべた。
元夫は、元義父、つまりランスフィールド侯爵によって厳粛に処分されたのだ。
元夫は、妻であるわたしにたいしての不義理だけではなく、他にもいろいろやらかしていた。ランスフィールド侯爵家子息としても、貴族子息としても、男性としても、人間としても、絶対にしてはいけない数々のことをやらかしていた。
そして、その最たることが不倫。
この国では、それは殺人や放火同様もっとも重い罪とされる。ということは、その罰も最も重いものとされる。
「傷ついたわ。それから疲れた。ごめんね、サエ。そういうわけだから、これから、わたしがここにいるわね。わたしはパーカー伯爵家の長女だし、それが自然でしょう? サエ、あなたはいたければここにいてもいいのよ」
ケイティは。こんな状態でも圧力をかけるというか虚勢や見栄を張るというか、とにかく、当たり前のように姉貴風を吹かせている。
というか、バカみたいに自己主張しまくっている。
もっとも、これ以上付き合う必要などないけれど。
そもそも、会ってあげる義務などどこにもなかったのだ。
なにせ不倫は重罪。略奪婚をすると、この国では死を意味する。
そして、略奪婚の当事者である姉ケイティの処分は、わたしたちパーカー伯爵家に任されている。
わたしたち家族に。
「ごめんね、サエ」
ケイティが自分の人生の中で何千回と言ってきた意味のないフレーズをきくのも、これが最後になりそう。
「お姉様、もちろんですとも?わたしのすべては、お姉様のもの。お姉様には、わたしからすべてを略奪する権利があるわ」
イヤなレディだとわかっているけれど、うれしさをおさえることが出来ない。口角が上がって笑みが浮かんでしまうのを止めることが出来ない。
早々に諦めた。
だから、せめてお姉様の気に入りそうなことを言ってあげた。
全力のニヤニヤ笑いを添えて。
「お姉様、わたしからお姉様を略奪してくれてありがとう。心から感謝するわ」
いまのは、ケイティへの心からの謝辞である。
わたしの言葉の内容がわからず、「?」となっているケイティに背を向け、エントランスに向って歩きだした。
お姉様がわたしから夫を略奪したことの末路は、みずからの命を略奪されるということ。
ケイティが毒を飲んだのは、彼女と二年ぶりに再会したその夜だった。
そうそう。ケイティの産んだ男児は、ランスフィールド侯爵夫妻が育てている。跡継ぎとして。
わたしは、その子も含めて出来るかぎりの援助をするつもり。
たとえその子が、ケイティと元夫との子ではないとしても、血のつながった甥であることにかわりはないのだから。
わたしの両親も含め、甥っ子に会いに行くのを楽しみにしている。
(了)