北極星
それは自分がまだ五歳も満たない頃、俺は叔父と共に、広大に広がるその星空を眺めていた。顔を上げると、そこには宝石のように光り輝く満天の星空が長々と、無限に続くように広がっていた。自分がなぜこの光に魅了されているのかという理由もわからないまま、俺はその絶景をただひたすら夢中になって眺めていた。
「ほら、言っただろ?絶対にがっかりなんてしないって」
叔父は俺にやさしく言ってきた。
「うん……!」
俺もその夜空に感動し、激しく気分が高揚していたのを覚えている。
「ねえ、おじいちゃん? あそこにでっかく光ってるのは何?」
俺は無邪気にそう訊ねた。
「あー、あの大きな星か? あれは北極星って言ってな、一年中ずーっと動かずにあそこにいる星なんだよ。まるで、ほかの星たちを見守る神様のような星なんだ」
「へえ~」
俺はそんな星があることにたいそう驚いた様子で、
「じゃあ、あの星はいつもあそこにあるってことでしょ?」
「そうだよ」
「なら、ボクたち、一生あの星を見つけられるね!」
俺はまるで自分自身で大発見でもしたかのように叔父に向かってそう言った。
「そうだね」
○ ○ ○
それから、俺はみるみる成長していった。幼いころから、異才を放っていた俺は文武共に周りとは比べ物にならないくらいの成績を収め、それはもう皆からの注目を浴び続けた。生徒達は自分の友人になろうと群れのように詰め寄り、先生達からも自分が将来、どんな優秀な人物へと成長するのだろうと期待を寄せられたものだ。
中学になると、彼女ができた。それも、とびっきり美人の。
その中学は通常の人では、到底通うことのできないような、いわゆる名門と言われる歴史ある中高一貫の進学校だった。
彼女ができてもなお、自分はたくさんの異性、もちろん同姓にも絡まれ、やはり俺はそこでも皆の注目の的だった。
「お前の将来は安泰だな」
そんな言葉を何度かけられたことか。
そして、それから四年の月日が経ち、俺は十七歳になった。この歳となると、世間では高校二年生ということになるらしい。もっとも、そんなことは当時の俺は全く気にしてなどいなかったが。
そんなある日、ある出来事が起こった。ちょうど、夏休みのことだった。
叔父が危篤状態になったのだ。
叔父は有名な実業家として名を連ねる、それこその成功者だった。
そんな叔父があるとき仕事中に倒れたのだという。
俺はさっそく病院へとたずねた。どうやら、そのときはちょうど見舞いに来ていた人たちが離れたばかりだったようで、そこには俺と危篤状態の叔父のみがいた。叔父の意識はもうろうとしていたが、まだかろうじて意識はあるようで、俺の顔を見て少しの間、笑みを浮かべた。
「雄成……」叔父はかすかな、かすれた声とともに俺にそう言った。
「おじいちゃん……!」
「……いま、高校生になったって……。学校は楽しいか?」
「……」叔父は何やら俺のことを訊ねてきたので、少し意外に思いながら口を開いた。「うん。楽しいよ。友達もいっぱいいるし、成績だって一番だし」
「そうか……。それはよかった……」
叔父は弱々しくそう言った。そんなに話しても大丈夫なのかという心配を抱きながら、俺はまた叔父の言葉に耳を傾けた。
「……これは今のお前に言っても、仕方のないことかもしれんが……まあ、他人のたわごとだと思って聞いてくれ……」
「……?」
叔父は何やら俺に告げたいことがあるようだったので、多少気になりながらも口を挟まないでいた。
「俺はお前のように若いころから人にちやほらされるような人物じゃった。大人になって、すぐに実業家として成功をおさめ、それはもう、これからの人生もこんな日々が続くと思っておった」
叔父は自身を振り返るようにそう言った。
「話は変わるが、わしは人生というものをよく、シーソーに乗るようなものだとつくづく思うんじゃ。自分の向こうの席には当然他人がいて、バランスを保ちながらお互いやりくりしていく……」
叔父は少しの間、黙った。俺はただ叔父が次に発する言葉を淡々を待っていた。
「まあ、時にそのシーソーが大きく傾いてしまったこともあったわ」
叔父はおかしそうにそう言った。
「長いこと生きとると、そりゃつらいこともあるが、時に自分の思った通りにすべてがうまくいく時期が来るんじゃ。まるで莫大な星の中から一つだけ、一段と輝く星を見つけたかのようにな」
叔父は少し楽しそうに語っていたが、やがてすぐに暗い表情をして、
「わしはその時ある大きな過ちをしてしまったんじゃ。わしはその星をつかもうとしたんじゃ。ほかの星々を無視するように、その輝く星だけを力強くな」
叔父はまるで、そこにある景色を見ていなかった。本当にその過去そのものを見ているようで、
「そして、わしはすべてを見失ったんじゃ。今ままで当たり前のように見えていた大きく輝く星はおろか、周りを囲んでいた小さな星々までもが自分から逃げるように去っていった。その時、もうわしは星のすべてが一緒のものにしか見えんくなったよ」
叔父はやっと俺の方を見てきた。
「だから、雄成」その顔は真剣そのものだった。「どうか……俺と同じ過ちをしないでほしいんじゃ。どうか、自分を見失うことだけはしないでくれ……」
俺はこの時、半分まじめに、半分自分には縁のない話なのだと、本当に他人のたわごとのように聞いていたんだと思う。まるで自分が叔父の最期の願いでもかなえてやってるかのような、そんな他人行儀な態度で。
「うん。わかった」
叔父は笑みを見せた。
その三日後だった。叔父は自分を含む数人の親族などに囲まれながら、この世を去っていった。
周りから漏れる涙とともに、徐々に自分の叔父がもうここにいなくなってしまったのだという現実が浮き彫りになってくような感じがして、とても悲しくなった。
思春期の小さなプライドのせいで、俺はその場で涙を流さなかったことに、俺は今でも後悔している。
○ ○ ○
その後、叔父の言葉は的をつくように、俺の人生は落ちぶれた。まるで終わりが見えない崖に落ちるかのように。
いったい何があったのか。その理由はまさしく自分自身の未熟で愚直な考えのせいだった。
俺は高校を出た後、推薦をもらって立派な国立大学へと進学した。やはりそこでも、成績は周りよりも群を抜いて優秀だった。
もう、自分自身も、これから自分は何をしてもうまくいくような感覚にすらとらわれ始めていた。
そして、その時俺は人生で初めて夢を抱いたのだ。
その夢は大学でやっていることとは大きくかけ離れていたので、私は大学を邪魔としか見ていなかった。
結果、私は親に内緒で大学を退学し、その道に進むことを決断した。
そして、今――
「おい! そこの役立たず! さっさと仕事に戻れ!」
「はい……」
俺は、人の言うことしか動くことのできない機械と向き合っているのである。疲れという言葉など、もうとうに通り過ぎ、疑獄のような痛みが体全身を襲ってくる。
俺は退学を選択したその瞬間、親やその親戚から猛反発を受けた。俺はその言葉には耳を傾けることはなく、ただ自分が正しいと信じたまま、身の回りのたくさんの信頼と縁を切り続けた。周りからは忌み嫌われ、もう自分を赤の他人としか見ていなかった。
俺は一人暮らしのアパートに引きこもったまま、夢をかなえようとした。が、一つたりとも花が咲くことはなかった。
次第に、口にする料理は粗末なものに移り変わり、部屋も物置のように乱れ始め、自身の精神すらも朽ち果てていった。今は、ぎりぎり生活できるようなその金を頼りに、ぼろぼろに古びた狭いアパートに一人暮らしているのである。
今、目の前にある機械を見て思う。
俺はこの機会と何の違いがあるのだろう?
そんなことがふと脳裏に浮かんできた。
帰り道、俺は一人くらい細道を歩く。
重い。足にダンベルでもくっ付けているほどに、その足は重く、足を運ぶたびにその重さは増していくよう。
痛い。体全体にひびでも入り始めているのかと思わず錯覚してしまうほどに、真冬の厳しい寒さは自分をいじめてくる。
今はもう、家のあたたかな暖房も頼りに帰ることすらできない。
俺はふと、上空に広がる広大な夜空を見た。嗚呼、なんて美しいのだ。
そして、思い出す。小さいころの叔父との思い出を。あの時見た、満天の星空を。光り輝く北極星を。
「いったい、どこにあるんだろ……?」
誰もいない静かな通り道で、俺は小さくそう呟いた。
そして、見つける。一つだけ、周りよりも圧倒的に光り輝くその星を。
まるで、やさしく自分を見てくれているような気がした。
俺はその星に向かって〈生まれたばかりの生命に触れるように〉ゆっくりと手を伸ばし、つかもうとした。
今度は傷つかないよう優しく、逃げていかないように周りの小さな星々も囲みこむように、そっと手の中に包み込んだ。
この作品は偶然と偶然が重ね合ってできたものです。細かいことは長くなるので伏せますが。
私自身、まだ未熟で、小説と向き合ってきた時間すらもまだまだです。
この作品は、そんな未熟な私へのこれからの戒めだと思いながら執筆いたしました。
これは『後書き』とのことですので、読者様の大半方はもうすでにこの作品を読み終えたあとだと思います。
この作品に込めたメッセージ性と共にご愛読くだされば、執筆したこちらとしてもとても嬉しい限りです。