【叶わない現実 生き地獄の始まり/壊死と失敗】
幸せを得る方法の必要最低限の中で、創作というものに惹かれた。
いや、好きではないから、惹かれたというよりは。こんな自分でも出来ると思い込んで、思い違いをして選んだというのが正しい。これで、幸せを獲得して生きていこうと思っていた。現実は甘くなく地獄であるというのに。 今、思えば。浅はかな考えと単純な思考で始めたら、それは生き地獄に逝っても致し方ないと言える。
「あ、あぁ…、そっか。今のままじゃ、誰も見向きもしないんだ……」
何年も積み上げてきた、積み重ねてきたモノが崩れ落ち、躊躇もなく散った時。
無駄な努力も、無駄な頑張りも、無駄な練習も、無駄な工夫も、無駄な偽善も、無駄な思考も、無駄な創作もしなくて済んだというのに。無芸無能な馬鹿は、幸せになるという目的と目標を叶えるために。ただ無駄な事を改めて重ねてきたのだ。
そうやって無駄に改めて重ねてきた結果はどうなったかというと。
もちろん、全て零になって終わり告げた。
何も無く、何も無いままで、色が亡くなったのだ。
誰にも心の底から善と純の想いで悲しまれないまま。
―――
生まれた時からそうだったのかは覚えがない。しかし、鮮明にある記憶から辿れば、生まれつきそうだったのかもしれない。もう既に幼い頃の記憶には何一つ、幸せな事などなかったのだから。
片方の親は自分にとって気に入らないことがあると逆上し暴言暴力を振るう、暴れん坊。 もう片方の親は自分にとって都合の悪い事は聞く耳を持たない、独善と偽善を押し付ける利己主義者。 そして、情緒不安定で些細な事で怒り心頭し。壁や物を破壊しながら行き場を無くしていく同居人である親戚。 そんな家庭環境で生まれ育った子供は何をしても劣等で不器用――いや、生まれつき無芸無能な失敗作、駄作だった。
容姿も、性格も、能力も、魔法も全ておいて失敗作、駄作だと表されてしまうほど、無芸無能である子供は。 もちろん。家に居ても、学校での生活でも、何処で生きようが必要とされることはなく。 ただ周囲の都合に合わせて踊りに踊っていた。いや、全ての時間を踊りに踊っていたわけではない。 せめて無芸無能を改善しようと、自分なりに努力を続けていた。立ち向かっていた。抗っていた。
――だが、そんな事をしても無駄に散るだけ。生まれつきの無能に生きよう思える事さえ無かったのだ。
努力をすればするほど。立ち向かえば立ち向かうほど。抗えば抗うほど。
不運は舞い込み、地獄がやってきて、自ら死にたいと導いていくだけだった。
努力のやり方が間違っていたのかもしれない。最初から諦めていればよかったのかもしれない。 第一に、その選択をしなければ。明日は、現実は、未来は、将来は変わっていたかもしれない。 そうすればきっと、もっとマシな暮らしが出来たのかもしれない。なのに、頑なに意地を張って続けてしまった。 ただでさえ、逃げようと行動しても逃げられないというのに。自ら、逃げる道を塞いで閉ざしてしまったのだから。 とはいえ、今更、後悔しても致し方ない事なのだろう。時間は巻き戻れないし、やり直しもできない。 コンティニューなんてもんは存在しないのだから。地獄に落ちてしまえば、色を塗り替える事など出来ないのだから。
それでも――、
「よし、これで皆を見返して、仕返しして、復讐して。イロドルと一緒に幸せに生きるんだ! 」
いつまでも盲目に、固執に、欲望に、全てに囚われて夢を見てしまうのは。
何故、なのだろうか。
それが更なる生き地獄の始まりだというのに。
―――
創作を行う上で最初に始めたのは絵を描くことだった。
どういったモチーフ、テーマ、カラーにするか。よく考えて、組み合わせ、仕上げて完成させていく。 時には資料を参考にしては、自分が体験したことを組み込み、表して創っていった。 そうして、オリジナルお化けを描き。自分だけにしかない個性と色を創り上げていく。――いや、創り上げているつもりだった。
完成した時にはもう、似たような作品やほぼ同じ作品が世界に広がっていたのだ。 自分が知らない間に。いいや、自分が生まれる前から。もう創り出されていたのだ。 偶然の産物とはいえ、生まれる前から創り出されていては。圧倒的に後者であるこちらが不利だ。 だから、どんなに時間や努力を重ねたとしても。それが、自分の中では最高傑作だとしても。創り上げていたつもりにしかならず、完成した作品はゴミ箱へ破棄しなければならない。そうしなければ、最悪の場合。トラブルと誹謗中傷の嵐に巻き込まれて、壊死を免れないのだから。何よりも夢を見ているのなら、尚更。
「最初から…、やり直そう」
無駄に出てくる涙を拭いながら、完成したモノを破棄し。再び、創り上げていく。
しかし、結果は同じで。どんなに試行錯誤しようと、破棄するだけだった。
何度も、何度も、何度も、破棄を繰り返して。ようやく、たった一つしかないオリジナルのお化けを描けるようになってからは――。
「え…、嘘でしょ。そんな…、酷いよ」
というのはなく。今度は知名度や人気が高い後者が創り上げていたのだ。
結局、この世界は。この界隈は。前者後者であろうと、先にこの世に出していたもの勝ちだ。 だから、どんなに考えようが。無駄なのだ。自分の作品など、もう他の誰かが創り上げているのだから。
しかし、だからこそ。暗黙で理解した上で行う場合もある。
本当に、完全にオリジナルのモノは存在しないのだから。ある程度は致し方ないと片付けられる。 とはいえ、それも少数の意見と思考であって。よくある作品として受け入れられることはあまりない。 それがその界隈に詳しくない者でなければ尚更。多数と一般的にはパクリ、盗作として貶され晒されるしかならない。 やはり、この界隈で生き抜くには。完全なオリジナル作品を――、
いいや、違う。この界隈で生き抜くには、心身ともに強く、狡猾な言動をしなければならない。 時には転生も使い、目に見えず、分からない手法で賢く色を塗り広げなければ。 そうして考えを、思考を、性格を、心を壊死させ。利己主義に活動しなければ、生き抜くことは不可能だ。 しかし、自分の場合は違った。根本から向いていないため、それはただ生き地獄を導く材料にしかならなかった。 相手を、周囲を、知らない誰かを幸福に導くだけの駒としてしかならなかった。
そう駒であることに気がついた瞬間。
視界と心は黒く染まり、思考と言動は支離滅裂な矛盾のモノと化し、本来あったはずの両腕は壊死して無くなっていた。 壊死して無くなっていた。壊死して無くなっていたのだ。そうだ、壊死して無くなってしまったのだ。 自分のアイデンティティと生き方、人格、色と共に。
絵も、話も、創作もしていく上で絶対的に必要な両腕を。
その代わりとして生まれた無数の黒い手で壊死させ無くし、両手だけを残して。
しかし、それでも諦めることはなかった。その時はイロドルが生きていたから。
イロドルが生きていたから、両腕が無くても頑張ろうとしたのだろう。
だが、そうやってまた無駄に頑張ろうとしたせいで。イロドルは――、自分は生き地獄という名の失敗を招いてしまった。
―――
こうして、自分は失敗を招いてしまったわけだが。
他にも失敗が数えきれないほどあるので、数ある中から選別し、特にダメだった失敗を紹介しようと思う。
まず、一つ目。
これは幼い頃の話。
創作が学校の課題としてあったので、試行錯誤しながら描き創作して提出したが。
ダメだしと説教を食らっていたので、向いていなかったと思える。
いや、確実に向いていなかった。しかしそれでも、頑なにめけずに努力すればと盲目になって続けてしまっていた。 向いていないと親切に教えていただいたのに、それを無視して続けたことが失敗と言える。
二つ目。
今は亡き最愛する、イロドルと名付けた魔獣を家族に迎え入れたこと。
こんなダメで無芸無能なお金も少ない歪んだ者の元より、裕福で将来的にも安泰で心優しい家庭へ行った方が長生きできたはずだ。病気にもならず、苦しい思いもせず、老衰として天国へ旅立つことができたはずだ。 それなのに、私のせいで――、
両手両足を伸ばして、天国へ旅立ったあの瞬間は。あの感触は。今にでも消えずに覚えている。
三つ目。
イロドルと同等の失敗とも表せる、特にダメだった失敗の中でも最悪最低の失敗だ。
それは、自分の創作をインターネットの世界に投稿したこと。
投稿した瞬間から現実を知り、二か月で界隈の闇を知ったのに。そこで辞めるという選択肢をしなかったこと。 そこで、辞める選択肢を選び。まともな職種へ行けるように学んでいれば――、
四つ目。
インターネットの世界に投稿し活動していた最初の二年間は。
お化け関係――人間でいうところの人間関係というものに疲れてしまい、完全に垢を消して新しい名前で転生した。 今度はお化け関係というのは消極的に自分の力で――、 転生なんてせず、ここで辞めていれば――、
五つ目。
ちょっとやそっとの些細な事をストレスだと感知し発動してしまう身体に生まれた事。 少し嫌な事があっただけで、頭痛や腹痛が起き。泣きたくないのに涙が出てくるという体質。 これでは、ストレスを緩和するどころか。増加、増幅させており、余計に生きづらくなっているだけ。 本当におかしいにも程があるだろうに。何故――、
六つ目。
読心術を取得したこと。
本当はどう思われているのか知りたくて取得したのだが――、
そうだ。辞めていれば、諦めていれば、よかったのに。
結局、余程の才能が無い限り。いくら、努力したって、自分の力だけではどうにもならない。 他人の力を借りなければ意味がない。いや、上手い下手以前に。
人気、人脈、知名度、拡散力が無ければ、生きていけない界隈だ。
マナーを守り、暗黙のルールを守り、誰に対しても友好的に接し、ネガティブな物事、言動は控える。 社交辞令と営業スマイルでお化け関係を作っていく。そうしなければ、生きる事すら許されない。
とはいえ。
矛盾が起きるが、必要ではあるものの。
社交辞令――いや、お世辞。いや、営業。いや、社交辞令といった冷やかしだけでは。 本当は、現実は、実際は意味がない。
心の底からいい意味でいいねをしたわけではないので、それは評価にならない。
具体的な事を言っていない時点で、本当に作品を閲覧したわけではない。
特に紹介した相手にとって利益がなければ、紹介は晒しにあたるわけで。
社交辞令という名の冷やかしをする上辺だけの関係は意味がない。
お互いニコニコしているが。実際、腹の底ではどう思っているかなんて見えている。 ああ、自分の利益となる捨て駒としてしか接していないということは。 これは、読心術が無くても、使わなくても容易に分かることだ。
また見えない評価というのも冷やかしにしか過ぎない。
何もせず、ただ眺めているだけで。面倒くさいからと、迷惑になるからと想いを出さない。 何もしないことが冷やかしに当たって、迷惑になっているというのに。 自覚ありなしに関わらず、質の悪い行為だ。何もしないのであれば、さっさと去ればいいのに。 去らないせいで、辞める選択肢を選ばなければいけない。
ああ、こうして、振り返ると誹謗中傷が物理的に殺すのであれば、何も無いことが精神的に殺すと言えるだろう。 そして、ストレートに出される優しい現実が。死の色に染める結果を創り出す。
「趣味ならともかく。二、三年続けても無いなら、さっさと辞めろよ」
あと何年と考えていた時期に優しい現実が、死の色を染める結果を創り出した。
いや、死の色を更に濃く染め上げたと言った方が正しい。
自傷や自殺未遂の頻度が上がったと言った方が正しい。
最愛する者もおらず、何も無い自分がこの世界で生きていく意味なんかない。価値はない。必要はない。 ようやくここで、頑なに身に染みついていたモノが取れ。筆を折り。全ての色を無くすことができた。
―――
失敗を繰り返した結果。
色が歪み、色が落ち、色が褪せ、色がくすみ、色が澱み、色が掠れ、色が消え、色が沈み、色を捨てた。 色が本当に何も無い状態で空っぽになったのだ。 だから――、
「あのー、それ以上、壁に頭を打ち付けることはやめた方がいいですよ。
下手したら、出血多量とかで…死んでしまうと思いますので」
不純な気持ちを抱きながら、恐る恐る声をかける演技をして。
気が狂ったままに自分を死なせてくれそうな相手に近づいた。
しかし。これも結局、失敗にしか過ぎなかったが――。




