第八話
「あら、一分も遅刻だなんて、いい度胸してるわね?」
トレンチコートを着て、下はジーンズ姿で待ち合わせ場所に立っていた葉山の第一声は、辛辣なものだった。
むしろ起こされてすぐに向かった俺の努力を、誉めても罰は当たらないんじゃないかなどと思ったが、不毛な言い争いが予想されるのでここは黙っておこう。
「悪かったな。ところでどこに行くんだ?」
「フン、まぁ、いいわ。近くの喫茶店に行くわよ」
言い返してこないことが詰まらないのか、葉山は足早に歩きだしてしまった。
「ああ、待ってくれ」
慌てて、その背中を追いかける。
周りから見れば不思議な光景だろう。
モデルのような葉山の後ろをモブのような俺が、少し後ろについていく。
通報されないか冷や冷やだな。
「ところで、今日は本当に寝ていたのかしら?」
「どういう意味だ? 電話が鳴るまで眠っていたぞ」
「貴方は将来ダメ人間になりそうね」
「そうだな、過去に好きなやつに告白できなかったことを後悔してるだろうな」
「それは傑作ね。河野君が誰かを好きになるなんて」
そう言って小さく笑ってくる。
「俺もそう思うよ」
俺も笑い返す。
葉山は足を止めて、不思議そうに俺を見てくる。
「そんな未来あるのかしら?」
「どうだろうな? そもそも葉山と出かけてる時点で、自分の予想を超えている」
「そうね、私もちゃんとあなたと話ができることが嬉しいわ」
笑顔でそう答えて、葉山はまた歩き出す。
その笑顔に少し見惚れてしまって、俺は歩き出すのが遅れるのだった。
・・・・・・・・・・
喫茶店に入った俺達は、一番奥の窓際に案内してもらう。
そこそこの客入りで、普段こない俺でもにぎわっているなと思った。
「注文どうする?」
「私はブレンドでいいわ」
メニューを開いて聞くと葉山は見ないでそう答える。
普段からきてるのか?
そう思ったが聞く事でもないなと思って、店員を呼ぶ。
「お決まりですか?」
ボーイ風の格好の女性店員が、オーダーを取りに来てくれる。
「ブレンドを二つと、ミックスサンドをお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちください」
凄く丁寧だ。喫茶店とはこういうものなのか?
「さて、店員さんに見とれてないで話をするわよ?」
向かいに座った葉山がトレンチコートを脱ぎながらそう言ってきた。
コートの下は、クリーム色のタートルネックセーターを着ているようだ。
「見とれてない。普段こないから、色々新鮮なんだよ」
「あら、どういう生活をしてるのかしら?」
「普通に、学校とスーパの往復だ。こんなしゃれた外食何て普段はしない」
「意外と倹約なのね」
「以外は余計だ。それで、話したいことって昔の事だよな?」
脱線させないように話を持っていく。
「そうよ、聞きたかったの。どうして公園に行かないようになったの?」
どうやら正解だったようだ。
「お待たせしました」
だが、このタイミングで店員さんが来たことによって、超絶話の腰が折れた。
先ほどの店員さんが、コーヒーとサンドウィッチを並べて去っていく。
「サンドウィッチ、良かったら摘まんでくれ」
俺はそう言って一つ手に取る。
「話が進まないわね――」
そう言いながらも、葉山もサンドウィッチお一つ食べ始めた。
それにしても、インスタントと違って、コーヒーが濃くて美味しい気がするな。
また今度、山田を誘ってみるか……
そう言えば今はどうしてるんだ?
「何、笑ってるのかしら?」
冷めた目でそう言ってきた。
「いや、何でもない。本に飽きたからな」
カップを置き、先ほどの質問に答えておく。
「それだけ? 私が邪魔だからじゃないの?」
どこか不安そうな声だ。
確かに少しそう思ったが、それが理由ではない。
「そうじゃない。本当にいく理由がなくなったからだ」
「そう、そうなのね……」
安心したような顔でコーヒーを一口飲んで、葉山は窓の外を見る。
「それで、入学式の日はいつ会ったんだ?」
「本当に覚えていないの? 思い出してみて?」
肩肘をついて、手の甲に顔をのせた葉山が笑みを浮かべてそう提案してきた。
間違うと殺されそうだな……
俺は目をつぶって、思い出そうと腕を組む。
入学式の日……そう、確か倒れた生徒がいたな。
テストの最中に隣の席の生徒が倒れて、保健室に運んだことを思い出した。
「もしかして倒れたあの生徒か?」
「違う。もっと前よ」
前? 学校に入る前か……そうだ、思い出したぞ。
「あの時だな! ハンカチを拾った」
自信をもってそう言う。
「そうよ! 思い出したわね」
些細なこと過ぎて、忘れていた。
「あのハンカチは、母がくれたものだから、大切なの」
「そうだったのか……」
「そうよ。だから凄い嬉しかったの」
「それなら声かけて良かった」
「でも、まさか河野君が同じ高校だなんて、驚いたわ」
俺も今驚いているんだから、ずっと驚いていたんだろうな。
「俺もあの本を読んで驚いたよ」
「あの本の続きは、今まさに書かれているわ」
「どういう意味だ?」
確かあの本を書いた、葉山の母親は亡くなっているはず。
「だってこうして、登場人物がまたそろったんだもの。その事を私は日記に書くわ」
嬉しそうに笑う。
「じゃあ、物語の舞台を用意しなくちゃな」
「あら、それは、デートのお誘いかしら?」
「ああ、そうだ。次の葉山が暇な日に朝から会おう」
堂々とそう言ってやる。
「強引ね。まあ、いいわ」
嫌がられるかと思ったが、そっけなく了承してくれた。
「何時が空いているんだ?」
「そうね、明後日とか?」
「了解だ。その日は空けといてくれ」
「分かったわ」
葉山の声はどこか楽しそうなので、少し強引だが誘ってよかったな。
その後は昨日の事故について聞かれたが、あいまいに返しておいた。
俺自身、山田に会うまでよく分かっていないからだ。
喫茶店の代金は遅れたからと俺が払った。
予想より少し高くついたので、晩御飯はモヤシ炒めに決める。
目的のもやしを買って、帰宅するのだった。