悪人
目の前には、王子と王女――ミオスとマゼンダの姿があった。毒を盛られた体のまま城門の外へと出て、妙なゴロツキに出会ったシーンが流れている。
彼らに囲まれていると、毒に耐えられなくなったのか、二人とも倒れるように屈み込む。
瞬間、そのシーンは黒い靄へと変わり、何も見えなくなってしまった――
ふと、ギッシュは眠りから覚め、座っていた椅子から立ち上がる。
自分の部屋の窓へと視線を向ければ、朝日がキラキラと差し込んでいた。
「もう決まりだな。完全にあの二人が関わっている」
予知夢を見ている時、黒い靄が現れるのは同じ呪いを受けた者が関わってきた場合のみ。それは昔、メッカとアイウォレと共に行動していた時にわかっていることだ。
呪われた者同士では一切呪いの力が使えないのだ。
同じ呪いを受けた別人とも考えられるが、シーラ達の目撃情報がある。彼女らが見た少年は恐らくメッカだろう。数年会っていないが、童顔だったから少年と間違われてもおかしくはない。
――タイミングが良すぎるな、まったく。
ギッシュは苦笑する。
そして少しだけ――本当に少しだけ名残惜しく思いながら、窓から城下を見渡した。
自身の生まれ故郷は本日、自身の手によって戦場となる。
これで――終われる。
――いや、終わらせてみせよう。
決意を固めたところで、部屋の扉が叩かれた。
ギッシュはマントを翻し、寝室を出る。
現れたのは、ギッシュが拾った傭兵達が十数人。もちろん、シーラやロギオン、ノウムもいる。
「いやー、とうとうやってしまいますかぁ、ギッシュ様!」
「へっ! 俺ぁいつでも準備万端だぜ!」
「ギッシュ様、どうぞご命令を!」
無駄に元気な彼らの一人一人の顔を見て、ギッシュは大きく頷く。
「先日のアンシェルの件は君達の耳にも届いているだろう。病死と公表したが、城内の一部の者はすでに私を疑い始めている」
アンシェルはこの城内でもかなり信頼されている。ギッシュの思惑に感付いてからはアンシェル派の者も何人か現れている。
せっかく順調に進んでいた計画を邪魔されるわけにはいかない。アンシェルのおかげで予定よりも少しばかり早まってしまったが、すでに〈ヴェンジェンス〉とも連絡は取り付けた。何ら支障はない。
心残りと言えば、リーデル嬢と話し合えていないことだ。しかし、それももう問題ないだろう。
彼らはすでに自分達の意思でここに向かっているのだから――
「間もなく〈ヴェンジェンス〉が到着する。君達は彼らを援護しながらグルミゼラの軍をおびきだせ」
「殺していいんだよな?」
「構わない」
即答すると、ロギオンと数人の傭兵が「おおお!」と叫んで喜び勇む。
するとノウムが「はーい、質問!」と手を挙げた。
「国民はどうするんですー?」
首を傾げる彼に、ギッシュは真顔で彼らに伝える。
「一人残らず殺せ」
その残忍な言葉も、ここにいる者は誰一人反論することなく、寧ろ大いに沸き立ったのだった。
ギッシュの言うとおり、〈ヴェンジェンス〉は早くもグルミゼラ王国へと到着した。
その数は僅か三百人程度。グルミゼラの軍隊の半分にすら届かない人数ではあるが、隙をついて火を放ってしまえば、強大な軍隊もひとたまりもなかった。何と言っても国王が主犯なのだから、怪しまれずに軍の基地や城下町などに火を放つことなど容易いことであった。
そして――ギッシュはいまだ城の中の自室にいた。
純白の礼装姿だが、大量の返り血を浴びたのか、それは真っ赤に汚れている。
バルコニーから、火の海へと成り果てた城下町を眺め笑みを深める。
復讐の対象者とギッシュを主犯と怪しんでいる者達は全て殺し、全く気付いていない哀れな者達は外へと追い出した。外の警護、または城は真っ先に狙われ危険だという名目で。しかしそれでもギッシュの側を離れまいと逃げ出さなかった者もいたが、邪魔でしかない為、殺してしまった。
戦況は〈ヴェンジェンス〉が有利だろう。だが、外で戦っているグルミゼラ軍を甘く見ている訳でもない。それにまだミオスとマゼンダが生きている。それはグルミゼラ王国にとってかなり有益なこととなるだろう。
想定外なメッカとアイウォレの出現に加え、王子と王女の存命によって、グルミゼラ王国を滅ぼすことが難しくなることは読めていたことだ。
しかし何よりもギッシュが優先しなければならないことは、復讐すべき相手を全て絞り出して殺し、国民に恐怖と混乱を与えること。そしてそれはほぼ遂げたも同然の状況下にあった。
ただ、あと一人。どうしても殺したい者がいるのだが、見つけることができないでいた。
――さすがにこの国にはいないのか。
そんなことを考えながらふと城の門へと視線を向ければ、一人の国民の姿を発見する。何かを抱え、門の前で助けを求めるように泣き叫んでいるようだった。
「あれは――」
視線を鋭くしたギッシュは血で汚れた純白のマントを大きく翻し、門へと向かう。斬り捨てた兵士やメイドの亡骸には目もくれず、堂々と城の廊下を歩んでゆく。
非常時用の抜け道を使い、門の所へと辿り着くと、一人の女が赤ん坊を抱えて泣き叫んでいた。
「――どうしました?」
穏やかに声を掛けると、女は期待に満ちた眼差しをギッシュへと向けた。
「ギ、ギッシュ様!!」
しかしギッシュの血に濡れた姿を見た瞬間、顔を青ざめさせる。
「お、お怪我をされているのですか!?」
「いいえ――返り血を浴びただけです」
尚も穏やかに答えると、女は怯えた表情で、白い布に包まれた赤ん坊をギュッと抱き締める。
「し、城も襲われているのでしょうか……」
その問いに、ギッシュはゆっくりと頭を横に振る。
「いいえ――城の者は、私が残さず殺しました」
それを聞いた女は、顔から血の気が引いたようだった。
「と、突然襲ってきたどこかの反乱軍に、しゅ、主人は殺されました……! 親戚も全員火事で……! ま、まさか今回の件は、貴方が――」
体を震わせ、どうにか言葉をつむぐ女の姿を見て、ギッシュはあることに気付く。
「ああ、貴女は確か――王妃の侍女ではありませんでしたか?」
恐らくこの間、赤ん坊を抱いてくれと頼んできた女だろうが、あの時は母親のことなど気にも留めていなかったから気付かなかったようである。
まさか、こんないいタイミングで見つかるとは。
この女こそが、復讐すべき最後の一人であった。
ギッシュは王になった時点で、自分が子供の時にいた城の者を全員探し出していた。顔と名前は大体記憶にあり、リオネラ苛めに加担していた者は概ね今回の騒ぎに乗じて殺したのだが、一人――王妃の侍女の行方がわからなかったのである。
彼女は当時若くして王妃のお気に入りで、リオネラ苛めにもかなり積極的だったように思う。しかし早々に侍女を辞めて国を出てしまっていた為、彼女を覚えている者もほとんどなく、見つけられなかったのだ。さすがにこの国に留まっているとは思っていなかったのだが――
「まさかグルミゼラに出戻りし、一国民としてのうのうと暮らしていたとは思いませんでした」
「ギ、ギッシュ様、私は……!」
「まあ、貴女だけではありませんが。昔、リオネラや私に嫌がらせをしてきた者達は、私が王になった途端、手の平を返したように媚びを売ってきましたからね」
昔のことはなかったことにしてくれと言わんばかりに。
「もちろん――全員殺しましたが」
女はビクリと震え、赤ん坊を守るように一歩後退る。
「あ、貴方は最初から、ふ、復讐するつもりで……!?」
「――それ以外に、こんな腐った国の王になる理由がありますか?」
ギッシュは冷笑を浮かべ、腰に差した剣に手を添える。
女はすがるようにギッシュを見上げた。
「こ、この子のことだけはどうか――どうか助けてやっては頂けませんか……!」
「相変わらず傲慢だ。他人の子は殺しても、自分の子は守りたいと?」
女は青い顔をさらに真っ青にし、慌ててギッシュに跪く。
「ゆ、許されないことだと思います! あの頃は王妃に気に入られる為、いい気になっていたのは事実です! ですが私は、良心の呵責に苛まれ、城を――この国を出ました! 元々グルミゼラの生まれだった私は、王妃が亡くなったと聞き、やり直すつもりでこの国に戻り、生まれた子供をここで育てていこうと――」
「つまらない身の上話はどうでもいい。つまり、己の罪をなかったことにしたということだろう」
「ち、ちが――」
「この国の王が私だと知りながら戻ったんだ。――そういうことだろう? 子供の頃のことなど、忘れているとでも思ったか?」
女の言葉を遮り、ギッシュは捲し立てる。
「良心の呵責とはまたいい言葉を思い付く。単に怖かったんだろう」
ゆっくりと歩み寄り、跪く女の耳元に顔を近付ける。
「リオネラを流産させたのは――お前だからな」
女は絶句し、ガタガタと震え出す。
「あ、あれは――王妃が……!!」
「人殺し」
低い声ではっきりと呟けば、女は無言のまま子供をそっと地面に置き、ギッシュを睨み据える。
その表情はもはや、母親とは思えないほど醜く歪んだ悪人のそれになっていた。
「う、うわあああああああ!!」
女は突然叫び出し、護身用に持っていたのかナイフを掲げ、側にいるギッシュに斬りかかってきた。
ギッシュは素早く剣を抜き、それでナイフを叩き落とす。
女は地面に這いつくばって逃れようとするが、それをギッシュが逃すはずもなく――
ザシュッ!
ギッシュの剣は、彼女の背中を見事に切り裂いていた。
吹き出した血は、近くにいた赤ん坊の白い布も汚してしまう。
女は苦しそうにもがきながらも、赤ん坊に手を伸ばし――
力尽きた。
すると赤ん坊は起きたのか、大きな声で泣き出し始める。
ギッシュはその赤ん坊に視線を移す。
この赤ん坊も、生きていればいずれ自分のようになるのかもしれない。
そんなことを考えながらも、ギッシュは容赦なく赤く染まった剣を赤ん坊へと向ける。
「お待ちなさい!!」
しかし突如、幼い少女の声が響き渡る。
願いの宝石の巫女――リーデルだ。
彼女は息を荒くしながら、赤ん坊へと駆け寄っていく。
「……地下の牢獄からよく抜け出せたな」
少し驚きながら、赤ん坊を抱き上げるリーデルを見ると、彼女は「人のよい兵士に、ここは危ないからと出してもらったのです」と倒れる女を悲しそうに見つめながら言った。
「ギッシュ殿、あなたは一体……」
泣き続ける赤ん坊を抱えながら、リーデルは戸惑いの表情を見せる。この様子を見ると、女との会話を聞かれていたのかもしれない。
ギッシュは剣を腰に差し直し、城を見上げる。
「私は――ただの〈悪人〉ですよ――」
誰にともなく呟いた。
自分のしていることは、リオネラの為でも、生まれることのなかった弟の為でもない。
全ては自分自身の為でしかないのだ。
理由一つで善人か悪人か決まるのか、そんなことは知らないが、少なくとも自分は善人ではないし、情けを受けられるような人間でないことは自覚している。
いや――そうでなければ、復讐に生きることなどできはしない。
「事情は知りませぬ。知りませぬが、もうお止めなさい! こんなことをしてもあなたは――」
「ああ、もう終わる」
ギッシュは目を閉じ、深く息を吐く。
「リーデル嬢。言いそびれていた私の願いを聞いて頂けるかな」
「わ、わらわは協力など……!」
慌てた彼女の言葉に苦笑しながら、「悪いことに使うつもりはないと言ったろう」とリーデルを見る。
怪訝な表情の彼女に、ギッシュは言った。
「私の昔馴染みの二人――アイウォレとメッカの呪いを解いて欲しい」